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3-02 君が空っぽになる前に

無患子(むくろじ)悠翔(ゆうと)は最愛の人、無患子(むくろじ)雪那せつなのもとへ通っては数時間、返ってこない返事を待つように、なんでもない話を語りかける——そんな日課を続けていた。

ある日、神とも悪魔ともつかぬ力をまとう女が現れ、失った日々を取り戻す代わりに、ある"おねがい"を持ちかけてきた。

それは、厄災を招く存在たちを撃ってほしいというもの。

託された銃は、大切な思い出を思い浮かべるだけで弾が込められる特別な武器だった。

夜は彼女のために戦い、昼は蘇った彼女と新たな思い出を紡いでいく。

——今度こそ、失わないために。

雪那(せつな)!せつなっ――」


 伸ばした手が、その目的を叶えること無く空を切る。


 何者にも代えがたい最も大切な存在。人生の大半を共に過ごした、半身と言っていいような人。そんな彼女が、一瞬の遅れで零れていってしまった。


「――――」


 現実が受け止められず、気づけば俺は地面に崩れ落ち、声にならない叫びをあげていた。

 瓦礫が足に刺さったのかぽたりぽたりと血が滴り、地面を濡らしているが、自分の事なのに他人事のようで痛みさえ遠い。

 思考だけが現状を把握させようと、ぐるぐるぐるぐると喪った時の光景を執拗にフラッシュバックさせてくる。だが心はその現実を受け入れることを拒んで悲鳴を上げていた。思考と感情がせめぎ合って、意識がどんどんすり減り、壊れてしまいそうだ。


「要救助者確認。大丈夫ですか、意識はありますか?」


 誰かに体を揺さぶられ、ようやく現実を確認した時には、流れていた血も乾き何もかもが壊れ切った後だった。


 ――――後に『厄災』と呼ばれることになる正体不明の存在によってもたらされた大規模崩壊。街は瓦礫の山と化し、雪那を含む千を超える命が僅かな時間で失われた。


 あの日から数ヶ月。


「今日、スーパーでカツオが安売りされててさ、久しぶりに食べたよ。君の好物の中でも、特に好きなやつだったよね」


 俺は今でも喪失感に慣れず、君の元へ来ては数時間、なんでもない話を語ることが日課になっていた。


「カツオと言えば、付き合いたての頃だったよね。あの和食店に初めて行ったとき、あまりに美味しくて、雪那が勢いよく食べるもんだからご飯粒が口についちゃってさ。何ベタなことしてるんだーって、一緒に笑ったよね」


 その時の記憶と共に、君の頬を拭った感触を思い出す。また撫でたいという感情が湧き上がるが、もうできない。溢れ出す衝動を誤魔化そうと代わりに君の墓石を一撫でする。

 冷たい石の感触が、記憶にある君の温もりと対照的で、虚しさが湧き上がるだけだった。

 君に触れたい。君と笑い合いたい……。もう一度だけでいい。一時間でも、一分でもいいから、君と過ごす時間が欲しい。


「貴方の望み。貴方が欲して止まない物を、取り返したくてたまらないものを、渡してさしあげましょうか?」


 酷く透き通った女性の声だった。現実離れした、悪魔の囁きとも言えるその声色に、頭の中で警鐘が鳴り響く。応えてはいけない、振り向いてはいけないと分かっているのに、その誘い文句が魅力的で、気づけば俺は声の主へ目を向けていた。

 そこにいたのは、声と同じく現実離れした容姿の人物。背丈が高く、陶器のように真っ白な肌。夜闇のように黒く長い髪に、人形のように無表情な顔をした女性だった。


「お前は誰だ?俺の願いを叶えられる存在だって言いたいのか?」

「あら、名乗らず失礼を。うーん、そうですね。私は……私はしるべと申します。どういう存在かは、ナイショです」


 明らかに今考えただろう""しるべ""という名前に、わざとらしく空けた間と芝居がかった抑揚に身振り。そのさまは俺を、いや人間を小馬鹿にした雰囲気が醸し出されていた。


「ふふっ。ご想像の通り、今考えた名前ですよ。ですが、そんなことはどうでも良いでしょう?私のことを知ることよりも、胸に空いたその穴を、塞ぎたいのでしょう?」

「そうだな、あんた自身のことなんかよりも、その胡散臭い誘い文句の真偽のほうがよっぽど興味があるね。俺にはお前が詐欺師か、大嘘つきにしか見えないけどな」

「大嘘だったとしても、すがりたいと振り返ったのでしょう?」


 女は俺の方へと歩きだし、背を曲げては視線を合わせるように覗き込んできた。


無患子(むくろじ)雪那(せつな)、彼女を取り戻したくはないですか?無患子(むくろじ)悠翔(ゆうと)さん」


 何故雪那と俺の名前を……。手のひらに冷や汗が浮かび、僅かに震える指先を握りしめた。頭の中は警戒心で満ちていた。


「ふふっ、そう警戒しないでください。貴方の望みが叶えられる物だって、すぐに証明してさし上げますから」


 女は顔を上げ手を掲げると、何かを掴むように手を閉じた。直後、周囲が夜のように暗くなり、一帯が墓地から枯れ木がまばらに生えた沼地へと一変していた。そして女は一度こちらを見てから、俺の背後へ回り込み、すっと腰を落とすと。


「うん……この辺りですかね」


 言うが早いか、彼女は地面に腕を刺し入れ、そこから何かを引き上げた。

 それは見慣れた人型で、平均より小柄な体系をして、目を閉じていてもわかるつり上がった目尻に、緩いパーマがかかった栗色の髪、そして特徴的な目元の小さなほくろが付いた、間違いなく俺の最愛の人だった。


「これで証明できましたか?嘘や詐欺の類い、そっくりな人形とかではなく、本物だって分かるでしょう?」


 雪那を抱え直した女は、俺の方へと身体を傾け、彼女を俺の腕へと移してきた。本当に生きているとわかる、記憶と相違ない温かな体温。浅く呼吸する彼女の顔は間違いようも無くて、幻覚や人形の類いなんかじゃなく、紛れもなく彼女を取り戻せたのだと、思考や感情などあらゆる感覚が訴えかけている。でも、喜んでばかりではいられない。俺にとってここからが一番重要なやりとりになるのは明白だ。


「それで、人を蘇生させられる超常の存在様が、ただの一般人に何を期待している」

「ふふっ、やはりいいわ。ちゃんと私を警戒して、それでも目的を叶えようという確かな意思を、欲望を持っている。私が見込んだ通りの人ね。安心していいわ、貴方の願いを叶え続ける代わりの、ちょっとしたお願いくらいよ。貴方の最愛の存在を過去に奪っていった忘徒と言う者達。その卵を壊してくれればいいの」


「ちょ、ちょっと待て、ボウト? 卵? 壊すって、一体何をさせようとしている」


 いきなり投げつけられたとんでもない情報に、俺は戸惑うしかできなかった。蘇生なんてできる奴の頼みだ、多少の予想はできていたとはいえ、とんでもなかった。


「そうね、VRで的当てゲームをして貰うのと、大まかには変わりないわ。貴方が眠るのと共に、意識を人形に移して戦ってもらう。ヘッドショットを一発きめてくれれば、それでミッション完了。起きている時は今まで通りの日常を送って貰ってかまわないわ。ね、簡単でしょう?」


 言っていることは凄く簡単そうだ。だけど根本的に一般人と尺度がズレている。


「俺は戦闘経験なんてないし運動も並みかそれ以下だぞ」

「別にそこに期待してなんかいないわ。彼女が生存し続けるためなら、貴方は死んだとしても何度でも挑んでくれるでしょう?その意思が重要なの。とてつもなく痛いかもしれないけど、人形が壊れても貴方は無傷。彼女との日常に何ら問題は無いわ」


「それで、一発当てろってことは何か武器でもあるのか?死ぬ前提の話ってことは卵って言っても鶏のみたいに動かないわけじゃなく、ちゃんと反撃してくるんだろ?」


 彼女の戯れ言を聞き流して、必要な情報のみを探ることにした。否定や反抗をしようとしてもきっと、からかいながら軌道修正されて話が長くなるだけだ。


「えぇ、あの厄災を起こせるものに劣るとはいえ一般人なら瞬殺ですからね。だからこれを使って、一発で抑えてください」


 そうしてさし出されたのは一つの拳銃。俺は雪那をおぶるように抱え直し、その銃を受け取る。

 握ってみればすごく手に馴染み、不思議と初めて持ったような感覚はしなかった。


「弾はどうやって手に入れればいい? まさか込められてるのだけってことはないよな」

「そうね。愛の力で弾を込めるの」

「は?」


 真面目な話をしていたはずなのに、すごく間抜けな声が出てしまった。いや、本当にどういうこと?


「あら、説明不足だったかしら? うーん。銃を握って、彼女との思い出を頭に浮かべてみなさい。その行為一回で、七発の弾丸になるはずよ。その弾丸の威力は込めた愛の重さによって変化するわ」

「そうかよ……」


 俺は女の説明のマヌケさに呆れながら銃を握りしめ、先程雪那に語った和食店での出来事を思い浮かべた。

 運ばれてきた料理を見て目を輝かせていた君。ご飯粒を頬につけていることを指摘され、恥ずかしそうに顔を傾けてきた君。その時の光景が脳裏をよぎると、握っている銃が重くなり、マガジンには確かに七発の弾が装填されていた。


「これ、無限に弾を撃てるってことか?」

「ふふふっ、弾は無限では無いですよ。ちゃんと弾を撃つことのコスト、代償ならありますよ」

「代償……?」

「それが何かは貴方自身が見つけなさい。その方が面白いので。でもヒントをひとつ。貴方が貴方でいる限り、代償はほんの些細ですみます。そのために、私は貴方を見つけ出したのですから」


 見つけ出した。俺の何らかの要素が雪那を助けることに繋がったのかもしれないとじんわりと胸の中が温かくなる。


「さて、貴方の最愛の存在がもう目を覚ましますね。夢を見ていない間はせいぜい幸せに過ごして、思い出でもたくさん作ってください。では」


 先程のように女が手を握ると姿が消え、今までのことが白昼夢だったかのように俺は墓地に立っていた。でも背中には彼女の重みと温かさがあり、しっかりとこれが現実だと実感出来る。

 

 この幸せな瞬間が、より深い絶望への序章に過ぎないことを俺がまだ気づいていないのは、せめてもの救いだったのかもしれない。『愛を込める』という言葉の残酷な真意を知る時には、既に俺と雪那にとって大切な⬛︎⬛︎⬛︎を失い尽くした後になっていたのだから。

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