6.マーレ王子は断罪される
一方その頃、アステリア王国。
マーレ王子は玉座の間で、父であるゼルアーノ国王と向かい合っていた。
病に倒れて以来、初めて公の場に姿を現すゼルアーノはひどく弱って見える。
だが、眼光の鋭さだけは変わっていない――しかも非常に不機嫌そうであった。蛇に睨まれた蛙の気分をこんなものだろうかと思いながら、マーレはやっとのことで言葉を発した。
「父上……な、なぜここに?」
一年間、父は奥の宮で療養に専念していたはず。それがどうして今になって玉座の間に現れたのか。
震えながら絞り出した言葉に、ゼルアーノ国王は冷ややかに答えた。
「……ニーアが急病で倒れたと聞いたからだ。娘になる人間だぞ、病を押して出てくるのも当然ではないか。で……本当にニーアは病に倒れたのか?」
「え、ええ……突然のことですが……」
マーレは嘘をついた。
とはいえ、これは大臣達のアイデアでもある。いきなりの婚約破棄や移住は外聞がよろしくない――ならば病に倒れたということにしておけ、と。
確かに言われてみれば、これは良い案だと思えた。
ニーアは民衆のみならず、国外からも圧倒的人気がある。
もしアステリア王国で選挙があれば、ニーアがぶっちぎりの得票で王にもなるだろう。
それが病気休養で国を出た、と言うことになれば悲しむ者はいるだろうが――マーレは非難されない。
それに婚約が病によって破談したいうのは、貴族間でもよくある話だ。不自然なことはなにもない。
波風を立たせないで、なおかつ婚約者と病で結婚できなかったという悲劇の主人公ぶれるのだ。
飛び付くのも無理はなかった。
「……実に残念な話ですが事実です……。私とニーアとの結婚は民も心待ちにしていたのですが」
ゼルアーノはニーアと婚約破棄したことも知らない。もうニーアはアステリアから去ったのだが、それさえも知らないのだ。
あと少しだけ、少しだけの辛抱だ。
もうちょっとゼルアーノに嘘を付いて誤魔化せれば、セレスと結ばれる。
どうせゼルアーノは病でまた引っ込むことになる。
今のマーレにあるのはそんな浅はかな考えだけであった。
「なるほどな、そんなこともあるのか。余が知る限り、聖女は病に倒れたことはなかったと思ったが……」
「しかし、現に倒れたのです……。今は王宮の外で療養させています」
いかにも心配顔を作る。問題ない、これまでのゼルアーノならそこまでマーレを疑うことはなかったのだ。
とはいえゼルアーノがなぜ不機嫌なのかはわからないが……。
と、そこまで考えていたマーレに、ゼルアーノが叫んだ。
「愚か者めがっ! そんな下らない嘘を言いおって!!」
「うひっ!? 父上……!?」
「この馬鹿息子が……よくもそんなことが言えたものだな!」
いきなりゼルアーノは激怒していた。
マーレの背筋が一気に冷たくなる。もしかして嘘がバレたのか?
一体、だとしたらどこからバレた?
だが待て、まだ確実にそう決まったわけではない……!
「何を仰るのです、父上……落ち着いて下さい。健康に良くありません」
「これが落ち着いていられるか!? お前はよりにもよって、あの聖女との婚約をなかったことにしようとしているのだぞ!」
「なっ……! そ、それは……一体、なぜそのように思うのですか」
マーレの戸惑った声に、ゼルアーノが重く息を吐いた。
対して、マーレは混乱していた。なぜそんなことまで、情報を遮断していた父が知っているのか。
ゼルアーノは明らかに怒っている。よほどの確信があるのか?
「お前は所詮、凡人だ。血の繋がりで王になれるだけ……王に足る誠実さも知略もない。聖女ニーアやフォルト殿下に比べれば、全くの小物だ」
どうしてそこで、フォルトの名前が出てくるのか?
マーレは恐れながらも不思議に思った。
ゼルアーノが病で引っ込んでから外国の要人とは会っていないし、手紙のやり取りも監視している。
外と繋がることはできないはずであった。
なのになぜ、あの帝国の双星の名前が出てくるのであろうか。
「……納得できないような顔付きだな。余がどうして確信を持って激しているか、わからぬようだ。だからお前は、凡才の持ち主にすぎんのだ」
「ど、どういうことでしょう?」
「所詮、お前はフォルト殿下の掌の上で踊っているだけだ。踊ることさえ見抜かれて、な……フォルト殿下はさすが帝国の知将と言われるだけはある。お前とは雲泥の差よ」
そこでゼルアーノは言葉を切り、マーレを見据えた。
息子というよりは敵を見るように。
「病に倒れる前、フォルト殿下は余に向かってある忠告をしてくれたのだ。もし誰かからニーアが病や怪我に倒れたと聞いたら――それはニーアを取り除こうという陰謀です、と」
「な、な、な……!?」
マーレは驚愕した。そんな一年以上前に、フォルトがそんなことをゼルアーノに言い添えていたのか。
それでは監視も隔離もへったくれもなかった。
いや、それにしても信じられない。フォルトはここまで――アステリアの状況を見抜いていたのか。
「その時は半信半疑だったのは認めよう。余が健在であるなら、そんなことはあり得ぬと答えたくらいだからな。だが、余が倒れてたった一年で予言めいた忠告は的中してしまった……!」
「…………父上、どうか聞いてください……! これには深い訳がっ」
「うるさい、余を真実から遠ざけられると思ったのか! お前の言葉が嘘だと思えば、いくらでも調べることはできる……! せっかくお前を信用していたのに、お前はそれを逆手に取ったのだ!」
マーレの手の者に囲まれていたゼルアーノは、普通なら情報を手に入れられない。
だが、王の詰問に耐えられる者は多くない。そうと思って問い詰めれば真実を告白する者も出てくる。
ニーアが婚約指輪を投げつけ、国を出たのは王宮ではもう知られた話だ。
確信を持って聞けば、真実に――マーレが勝手に婚約破棄をし、ニーアが怒って出奔したという事実に到達するのは難しくなかった。
とはいえ、疑わなければそういうこともできなかっただろう。
ゼルアーノの怒りはそこにある。マーレはまさに、王を騙そうとしたのだから。
「お前には失望した……国を任せることなどできん!」
「何を言い出すのですか、父上っ!?」
「これが余の最後の仕事だ――こうでもしなければ、聖女に顔向けできん……! マーレ、お前から王位継承権を剥奪し王宮から追放する!!」
ゼルアーノの決定を聞いたマーレは、膝から崩れ落ちた。目の前が一気に暗くなる。
……なんてことだ。
父はこのようなことを冗談でも言わないとマーレにはわかっていたからだ。
そこまで言うと、ゼルアーノは衛兵に命じて呆然とするマーレを玉座の間から追い出した。有無を言わせぬ行動である。
何も言うことができないまま、顔面蒼白のマーレは衛兵に引きずられていく。
力なくうなだれるマーレの背に、ゼルアーノは最後に叫んだ。
「あの聖女を怒らせ、余に虚言を弄した罪は重い。しっかりと己の愚かさを噛み締めるのだ! ここにはもう、戻って来るな!」




