4.聖女はお礼をする
そのままテラスで食事をしたあとは、いよいよ領主の館に向かった。
まぁ、街のすぐ近くにあったのだれど。
「……大きくありませんか?」
目の前にあるのは街並みと同じく、赤レンガのお屋敷。
これほど大きなお屋敷は、アステリア王国なら公爵以上でないと持てないだろう。
凄いお金持ちだ……まぁ、皇子様だし。
一通り中を案内された後、シエラは自室へと向かった。
私とフォルトは彼の執務室だ。おずおずと私はフォルトに切り出した。
うまい具合に今は二人きりだ。
これまでのお礼だとかなんだとか、ちゃんと言うにはいい機会だろう。
「……あと、本当にありがとうございます。色々と、もう本当に色々と――助けてもらってしまって」
「気になさることはありません、聖女様。こうなるべきだったのです。あるいは、もうずっと前から」
フォルトの言葉は包みこむような、優しい雰囲気に満ちている。
ともすれば、どこまでも甘えてしまいたくなるような。
しかし、私は自戒する。それでは聖女に頼りきりで都合よく使っていた、アステリアの貴族と何も変わらない。
あくまで対等に、受け取った分は返したかった。言うなら今だと直感していた。
「……フォルト様、何かお礼として私にできることはありませんか?」
一瞬、フォルトの蒼い瞳に迷いの色が走る。だがそれは、瞬きの間に消えていた。
なんだろう、はっきりと言って欲しい。
「聖女様、それならば――」
フォルトはゆっくりと椅子から立ち上がった。
たったそれだけなのに一流の俳優があつらえたかのように淀みなく、美しい。
(……あれ、昔もこんなフォルト様を見たような……)
気のせいと言われれば、それまでではある。だが今の私は、聖女として多分、あらゆる能力に秀でている――常人離れした記憶力も持っていた。
時間にすればたった数秒間だが、過去の記憶が私の精神を通り抜ける。
それは私とフォルトが初めて会話した日の事だ。
♢
ニーアとフォルトが十七歳の頃。
世界はいまだに魔獣で溢れており、穢れた地が果てしなく広がっていた。
二人が出会ったのは、アステリア王国とエンブレイス帝国の共同作戦中の事である。
それほど浪漫があるわけではない――出会ったのは、天幕の中であった。
「…………ここは……?」
簡易ベッドに寝かせられていたフォルトが目を覚ました。
全身を気だるそうにして、頭を軽く振っている。
無理もない。ちょっと前まで魔力喪失状態だった。
突然の魔獣襲来、フォルトにとっては初陣ということもあって限界以上に魔力を振るってしまったのだ。
しかも戦況が安定するまで無茶をし続けたせいだろう。かなり危険な状態であった。
そのため聖女が呼び出され、治療することになったのだ。
ベッドの側で介抱していた私は、
「フォルト様、どうかそのままで。魔力はまだ戻っておりません。お休みになっていた方がよろしいですよ」
状況を察したのであろう。ベッドから半ば起き上がったフォルトは、慌てた声を出した。
「面目ありません、聖女様に大変なお手間を……」
「まさか! フォルト様のおかげで今日の帝国兵には死人が出なかったのですよ。さらにアステリア王国の被害も抑えられましたし……」
「聖女様こそ、私達の要です。あなたがいなければ、昨日までに多くの死者を出していたことでしょう――全ては聖女様の働きがあってこそです」
「……ありがとうございます」
想定よりも遥かに多かった魔獣。私の魔法により大勢の将兵が助かったのは事実だ。
とはいえ、残念だが全てを救えるわけでもない。
孤児であった私はアステリア王国に見出されて聖女になった。
東奔西走、ほとんど休みなく世界中を巡っているのだ。
しかしアステリア王国内では聖女になったとしても、平民であることに変わりはない。特にアステリアの貴族から低く見られるのが常だった。
「私も聖女様ほど魔力をうまく扱えれば、こんなことには……」
と、フォルトが悔しそうにする。
アステリアの貴族は、出来る限り後方に居ようとする者が多い――フォルトのようにまぎれもなく上級貴族でありながら前線に来るものは非常に稀である。
「……これをお使いください、フォルト様」
私は小さな、爪先ほどの小石をフォルトに手渡した。鈍く銀色を発する石からはわずかに魔力が放たれている。小さいながらもちゃんとした魔法具だ。
「これはもしや、聖女様が作られた……?」
「はい、私が魔法を付与いたしました。ま、まぁ……それほど特別な物ではありません。近くで魔力が放たれると、その強さに応じて段々と黒くなる――それだけなのですけれど」
魔力喪失は感情に飲み込まれて冷静さを失っている時に起こりやすい。
無自覚に魔力を使いすぎてしまうのだ。
この石は魔力放出を目に見える形にして、それを防いでくれる魔法具だ。
「なるほど……今の私には、とても有用なものですね。これがあれば、倒れる前に危険であるとわかるわけですから。でもこれは頂いていい物なのですか?」
「全然構いませんっ! 材料があれば作るのは手間ではありませんから」
「……ありがとうございます、大切にいたします」
それから、二人は色々と話をした。
主に魔法や魔法具のことで、色気のあることは何もなかったが。
どうやらフォルトは珍しい魔法や魔法具に強い興味があるようだった。
そういう貴族は非常に珍しい。
……変わった人だなぁ。
まともに言葉を交わすのは今日が初めてだ。
でもここまでの会話で、フォルトはアステリア王国の貴族とは違うように感じる。
落ち着いた物腰とゆったりとした言葉が心地良く――そして透き通り、整った美しさを持つ彼はまるで天使のようでさえあった。
目の前の彼は気品はあるが、偉そうでは全くない。
(せめてシエラ以外もこうだったら……)
ふと一瞬、そんなことを考えてしまう。その心と表情の動きをフォルトは見逃さなかった。
「聞いてはおりましたが、アステリア王国では随分な扱いなのですね。聖女様がいなければ、どれほどの街や村が苦しむか……。魔獣に対抗できるのは魔力ある人間だけ。そして、あなたの存在でどれほどの人々が救われているか……」
きらきらとした蒼い瞳がこちらを見つめていた。
全てを包みこみそうなほど深く、ここまで温かい男性の視線を感じたのは初めてだ。
(なんだろう……頬が熱い)
どんな功績を立ててもアステリア王国の貴族はニーアを認めない。所詮は平民の孤児、まぐれで神の祝福を得た娘としか見ないのだ。
たまらずに目線を逸らすと、フォルトは手近な戸棚からごそごそと瓶を取り出していた。
純白の液体が中でゆらゆらと揺れている。
よく知っている――なにせ、自分が作ったのだから。
「このエリクサーもあなたの手によるものですよね。聖女様が作られる薬も魔獣に苦しむ人々に希望と助けを与えています。……とても素晴らしいことです」
「そんなに……持ち上げないでくださいっ。お恥ずかしいです!」
フォルトが持っているのは確かに私が作りだしたエリクサーだった。
魔獣による傷は普通の医術では回復させられない。エリクサーか治療魔法でないと治せないのだ。
もちろん、どちらもそう簡単ではない――多大な魔力と適性が必要だった。
攻撃魔法の使い手が千人に対して、エリクサーを作れたり治療魔法が使えるのは一人いればいい方だろう。
「いいえ、誇りに思うべきですっ!」
フォルトの言葉に私はびっくりする。
そんな風に言ってくれるのは、シエラだけかと思っていた。
「もし、許されるなら私は……!」
そこまで言ったフォルトの目に、迷いが浮かんだ。
と、周囲が騒がしくなる。また魔獣が出現したらしかった。
私を呼ぶ声がする――会話はここで終わったのだ。
そして激務とすれ違いの中で、二人とも顔を合わせることはほとんどなかった。
何かの時に挨拶か、それくらいだ。まともに会話することは、それからなくなってしまったのだった。
♢
「……いつか、こうする日を夢見ておりました。受け入れてもらえるか、それは不安ですが――」
有無を言わせない響きが今のフォルトにはある。
(なんだろう……何をお願いされるのかなっ!?)
息を呑んでフォルトの動きを見守ることしかできない。
彼はそのまま、座る私の側にひざまずいた。
それはまるで、舞台劇のようでさえある。
銀髪の貴公子が――唯一無二の大国の皇子が、聖女を見上げていた。
貴族とか国の違いだとかは些末な事でもあるかのように。
「どうか私を、あなたに仕える騎士にさせてください。それが私の望む、ただひとつのことなのです」
その言葉は重くて熱かった。
まるで、燃え上がりそうなほどに。




