32.聖女は精霊祭に出る決意をする
「おいおい、もっと飲めるだろ? 今度はお前が好きなコートランド産のワインだぞ。今年の出来映えはそこそこだが、フレーバーは悪くない」
「……兄上、昼間からそんなに飲めませんよ」
「真面目なことを言うな。そら、お前から教えてもらった通り、五大湖のチーズとこのワインはよく合うんだ――」
基本、皇帝様の方がずっと喋っていた。
フォルトはそれに押されぎみだ。
「それよりもすき焼きの野菜が煮えてしまいます。ほら、こちらから先に食べてください」
「野菜は嫌だ」
「怒りますよ。しばらく会わない間に、少し太ったでしょうに……」
「そんなことを言うのはお前だけだ。他の奴は――」
いや、違うな……。
不器用だけど仲はいいんだ。そうだよね、二人とも、もう三十近いんだから。
子どものように行かなくても、良い関係性と言うのはある。
しかし、話がなかなか途切れない。
と、思っているとフォルトが察してくれたのか、
「ところで兄上、このすき焼きは相当に気に入りましたよね?」
「ああ、すき焼きはいい料理だ……。この甘い味付けがたまらん。あの醤油といったか、ソースがあれば帝国でも作れるんだろう?」
そこで私は悲しそうな顔をして、
「……残念ながら醤油は貴重品なので、お譲りできません」
実際に醤油は、今だと魔法で増やすしかない。ちゃんとした発酵で安定的に作るには、時間がかかるだろう。
私の答えを聞くと、皇帝様は思ってもなかったという顔をした。
「なんだと? 高くはつくが魔法で増やせるだろう?」
「嗜好品を魔法で増やすほど、ヴァレンストには余裕がないので」
嘘だけど。私が食べる分は私が増やせますし、増やすんですけど。
でも、それでは領地としての産業にはならない。全然、生産が追いつかない。
私が望むのは、もっと広く大きく醤油を売り出すこと。
それにはエンブレイス帝国の協力が必要なのだ。
「…………なるほど。そういうことか」
そこまで聞くと皇帝様は、にやっと笑った。こちらの狙いをわかってくれたのだ。
「生産の協力をせよ、ということか。なかなかしたたかではないか」
「お互いにメリットは大いにあると思いますけど……。こちらからは醤油と料理のレシピを。帝国からは生産に必要な設備と人員を。醤油のポテンシャルは今、実感された通りです。他にも色々な料理に使えますよ」
「……ふむ、悪い提案ではないが……。帝国に持ち帰っても、予算を元老院に通すのに一年はかかろうな」
ぐっ……。協力体制をスタートするにも一年かかるか。そう簡単に事は進まないなぁ。
フォルトをちらっと見ても、仕方ないという顔をしている。
皇帝といえども、国の予算を即断即決で使える訳じゃない。向こうは世界最大の国だ。
皇帝が動くにも根回しは大事だろう。
「元老院を通すより、もっと手早く進める手もあるが」
「……教えて下さい、どんな手でしょうか」
「二ヶ月後の精霊祭だ。そこには各国の名士が集まる……というより、アステリア王国が意地でも名士を集めるだろう」
読めてきた。つまり、精霊祭は世界でも指折りのお祭り騒ぎになるということだ。
人が集まれば、そこにはお金と人脈が集まる。
醤油普及、売り出しの機会としては打ってつけだ。
一石二鳥どころか三鳥じゃないか。乗るきゃっない、精霊祭。
「ふむふむ、そこで醤油の有用性を見せればいいと言うことですね」
「今、醤油の味を知っているのは帝国で俺だけだからな。そこで醤油を見せつければ、すぐにでも予算を通せよう」
「……しかしニーア様、アステリアから我々ヴァレンスト宛には招待状が来ておりません」
ぬっ!?
そうだ、そもそも私達はその精霊祭に呼ばれてないんだ!
そりゃ当たり前だけどね。王子に指輪投げ返して大立ち回りした私を、呼ぶわけない。
「さもありなん。だが、その程度なら俺が押せばどうにでもねじ込める」
「本当ですかっ!?」
「うむ、心配いらん。俺もすき焼きを好きなときに食べたいからな。協力しよう」
嘘か本当か。皇帝様はとにかく、そんな風に言ってくれた。
その言葉は、鍋奉行の私としてはなによりも嬉しい。
腕を振るった甲斐があるってもんだ。
「後は本当に精霊がいれば文句なしだが――
」
「わっふー!」
「あ、話をしていたらユキが……聞いてたの?」
「……わふわふ」
そうだよー。精霊の話が出たから、出てきたよ。
そんなことを言いたげに、ひょっこりと白犬のユキが現れた。
神出鬼没の精霊は突然現れたり消えたりする。まぁ、ユキはたいてい屋敷にいるんだけれど。
今も見えないだけで、皇帝様の肩には黒猫の精霊がいるに違いないし。
「精霊も連れているし、資格は十分だろう。中々かわいいではないか」
「わふふー!」
「じゃあ……その精霊祭にヴァレンストとして出るということで!」
目標がひとつできた。
皇帝様と協力して、精霊祭で醤油アピール!
そして帝国の力を借りて、醤油量産!
行けそうな気がしてきた。
うん、こういう催し物があると燃えてくるよね。私は文化祭とか、結構好きな方だったし。
「……俺としても帝国のいい宣伝になる」
小さな声で皇帝様が呟く。
そうだね、いい機会だから使わせてもらいましょう。
「では、二ヶ月後の精霊祭に向けて頑張ろうー! かんぱーい!」
なお、ちょっと後で知ったんだけど。
この精霊祭の主催は、あのセレなんとかさんの公爵家ということでした。




