31.皇帝様は用件を話し始める
「……こたびのもてなし、感謝する」
皇帝様が口調を引き締めて頭を下げる。とはいえ、雰囲気はまだお忍びを楽しんでいる風だ。
まだ建前を崩すほどのことは話さない――ということか。
「いえいえ、食材の費用は出して貰ったので……いい土産話にはなりそうですか?」
「ああ、弟に話すいい話題ができた」
それはあまりに何気ない、思わず聞き流してしまうような口振りだ。
でも、その一言で私はフォルトの言葉を思い出していた。
帝国に帰ってこい、と言われている――と。
まさかそのことで、ヴァレンストに来たのだろうか。
……いや、それなら街で飲み騒ぐ理由はないはずだけれど。
直接、お屋敷に来るはずだ。
「あの……弟さんは……」
「ん? ああ、そのような顔をしないでくれ。思っているようなことで来たのではない。もっと別の用件で来たのだ」
ほっ……良かった。
そう言うと、皇帝様が指をぱちんと鳴らした。
「精霊祭の件だ」
「にゃっふー」
皇帝様の肩に、小さな黒猫が現れる。どことなく大胆不敵そうな目付きだ。
黒猫からはかなりの魔力を感じる――あれは精霊だ。
やわらかそうな黒猫の精霊が、そこにいた。
「二ヶ月後、精霊の恵みに感謝する祭りがあるのは知っているな?」
「ええ、まぁ――年中行事ですしね。アステリアでもお祭りはありましたし」
日本で言うところの、収穫祭……勤労感謝の日みたいなものだ。色とりどりの出し物があり、出店があったりする。
その辺りは前世の日本でもこちらの世界でもあまり変わらない。
「今年はそれを大々的にやろうという話が来ているのだ……アステリアからな」
「……そうなんですか? 私がいた頃はそんな話はなかったと思いますけれど」
「そなたがいなくなったから、威信回復に躍起なのだ」
うわ、ばっさり言い切った。
というか私が消えたのが、それほどのことなのね……。うん、全然悪いとは思わないけど。
「まぁ、その話は明日にでもするとして……色々と弟に言おうと思ったこともあるが、やめておく」
皇帝様はジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。
「……やっぱり、あったんじゃないですか。色々と言いたいことが」
「アステリア貴族から聞いていたのと、だいぶ違ったからな。言う気もなくなった。ここの領主様の気質なら、彼らと合わないのも道理だ――アステリアのお飾り王妃では、もったいないだろう」
むっ……わかりづらいけど、私は褒められているのだろうか。
うん、多分アステリアの王妃よりは領主の方が向いている――そう言いたいんだ。
「私は今日は、すき焼きを作っただけですが……」
「そして楽しく飲んで、騒いだ。実を言うと、それさえもできない奴等は多いのだ」
「うーん、よくわからないですけど……そういうものなんですかね」
「……このすき焼きはそなたが見つけてきたものであろう? 俺でさえもう一度、食べたいと思うようなものであったのだ。重ねて言うが、普通はそんなことができる者はいないのだ」
そう言うと、世界一の大国の主である皇帝様はまじまじと私を見た。
「新しいものを産み出して、民と楽しめる――それが出来れば、後のことは大抵なんとかなるものだ。……と、エンブレイス帝国の貴族ではよく言われている」
そこまで言うと、皇帝様はゆっくりと立ち上がった。
ふらついたりはせず、しっかりとした足取りだ。
途中で気が付いていたけど、皇帝様は実はそこまで飲んでいない。決して飲んでないわけじゃないんだけど、見た目よりも飲んではいない。
これも処世術のひとつだろうか。人に飲ませて、自分は飲まれないようにしている。
結果として、私以外は全員酔いつぶれているわけで、大したものだった。
「さて、そろそろ宿に行くとしよう……明日は領主の屋敷に挨拶に行かねばな」
皇帝様が私に悪戯者っぽくウインクする。
「……きっと歓迎してくれますよ。領主様もフォルト様もね」
「そうだといいがな」
「ええ、このすき焼きは領主様から教わったので……一緒につつきながら鍋を囲えば、話も弾むと思いますよ」
にこっと笑いかけると、皇帝様も笑みを返してくる。
「なるほど、この料理にはそういう利点もあったか。うむ、それは楽しみだな」
◇
次の日、皇帝様は宣言通りお屋敷にやってきた。私も言葉通り、すき焼きを準備して待っていたのだ。
そして手ずから鍋を用意して持っていくと……フォルトは目をぱちくりさせ、皇帝様はとても喜んでくれた。
肉を弟のフォルトに押し付けて、さらに持参した酒をじゃんじゃん飲まそうとする皇帝様は実に微笑ましい。
……その時になって、私は皇帝様が来た真の理由がわかったのだ。
単に弟の元気な顔が見たかったのだ、と。




