30.皇帝様はすき焼きを食べてみる
しかし私が召し上がれと言っても、皇帝様は動かない。
もしかして、食べ方がわからないのかな?
ありうる話だ。なにせ鍋料理そのものが無いのだから。
気のせいか、野蛮人を見るような眼差しだけれど。
「えーと、このすき焼きはですね……こうやって肉をちょっとずつ取って食べるんです」
ほどよい大きさに切った肉を、フォークですくい上げる。
したたる割下、ちょっと残った赤み……全てが私の食欲に訴えかけてくる。
……ごくり。なんておいしそう……。ああ、すき焼きではこの火が通りきらないお肉も、とってもおいしいのに。
食べたい。食べてしまいたい。
それぞれ、ちゃんと卵を入れた器も用意してるし……。
ちらっと皇帝様を見ても、まだフォークで肉を取っていない。
でも肉じゃがの味を知っているシエラは、目線で訴えかけてきている。
多分、こんな感じに。
『えーい、ニーア! 先に食べてみたら!? そうすれば食べるわよ!』
私もぱちぱちとまばたきをして、返答する。
『いいのかな? 作った人が先に食べちゃって』
『構わないわよ! このままじゃ私も食べられないわ!』
そんなアイコンタクトをした私とシエラは互いに頷く。
よし、私自ら先陣を切って食べようではないか。
「……では、実際に私が食べてみましょうか。と言っても、卵にくぐらせて食べるだけですけれど」
この卵も市場で買ってきた高級卵だ。
たっぷりと肉を黄身に絡ませて、一気に口のなかに放りこむ。
はふっ!
柔らかい牛肉にまろやか卵……!
あましょっぱい割下と肉のうまみが舌を突き抜ける。
これだよ、これ……!
おいしい、肉の火加減も割下もばっちりうまくいっている。
甘くて、ちょっとだけ醤油味。噛まなくても、まるで溶けるように呑みこめる牛肉!
そして卵と割下の組み合わせ――ああ、これでご飯があったらなぁ。
幸せに浸っていると、皇帝様はフォークを持ち上げてつぶやいた。
「……美味しそうに食べるのはわかった。よし、食べてみよう……」
「いや、別にそんな覚悟がいる食べ物じゃないですけど……」
皇帝様もひょいと肉をすくい上げる。そしてほんのちょっと、肉の端だけ卵に触れさせた。
うん……全然、肉と卵が絡んでないですよ?
「それだと卵が足りないです。もっと、ぐっと……! 今、私が食べたみたいに!」
「うお、わかった……! わかったから揺らすでない!」
ゆさゆさと皇帝様に卵をアピールする私。
まぁね、私も無理強いはしたくないんだよ。すき焼きで卵をどれだけ使うのは個人の自由だ。
でも、最初の一口は大事だからね。
ぜひとも卵と肉のコラボレーションを味わって欲しいのよ!
周囲が見守るなか、ついに皇帝様がたっぷり卵をつけた肉を口に入れる。
……なんとなく、おっかなびっくりだったけれど。
そのまま、皇帝様は何度か口を動かし――目を見開いた。
「………………っ!」
えーと、この反応はどう考えたらいいんだろう。
もしかしてあんまり美味しくなかった?
「な、なぜだ……? この料理は……」
「はい?」
「贅を極めた食材でもない。絢爛豪華な調理器具を使ったのでもない。なのに、なぜ美味なのだ……?!」
おお、良かった!
肉じゃがが好評なので、醤油はいけると思ったんだよね。
ちなみにシエラも鍋から肉を取り出して食べ始めている。
さすが抜け目ない。
「んぁー……もぐもぐもぐ……んんっ! おいしいわ! このスープがとてもいい感じね!」
「……そう、この牛肉はストーヌ種の最高級牛。味には定評があるが、世界中で流通している。卵は三大湖種の、これも金を出せば買えるもの……。しかし、このスープ……白ワインの風味、砂糖、そこまではわかるのだが……決定的に何かが違う。味の正体がわからん!」
「でもおいしいでしょう?」
皇帝様、フォルトと同じような食レポになってるよ。これは血筋か。
「……そう、認めざるを得ないが――食べたことのない美食だ。もう何年も新しい味には出会っていなかったが、これは……おいしい」
そう言うと、皇帝様はゆっくりとフォークで次の肉を取ると卵に付けて、食べた。
皇帝様は口を動かしながら、すぐに次の肉を取って――取って、取って、食べた。
早い。食べるのが早すぎる。
もう最初に置いた肉がなくなった。
「ちょっとお! まだ私、ひと切れしか食べてないんですけど!」
シエラの抗議に皇帝様は軽く頭を下げる。
「……すまん、この味付けがどうにも気に入ってな。それに早い者勝ちの料理に思えたのでな……」
彼も段々と遠慮がなくなっているというか、素が出てきてる。
いいんだけどね、気に入ってくれたのは嬉しいことだし。
それに鍋料理が取り合いの料理というのも、一理ある。
しかし、安心したまえ。今夜は私が鍋奉行だ!
本場の元日本人が作っちゃうよ。
「まぁまぁ、ここに具材はいっぱいありますからねー。どんどん焼いていきますよ」
割下をちょいと足して、肉と野菜を並べていく。今度は鍋いっぱいに置くので、私が食べる分も十分ある。
「あのぅ、私も……いいでしょうか?」
さっきの卒倒しそうな気配はかなり薄れたエリアンが、すき焼きを食べたがる。
もちろん止める理由はない。鍋料理はみんなで食べるものだし。
「どうぞどうぞ、まだまだいっぱいありますからね!」
その後は大いに盛り上がった。皇帝様は結局、二人前くらいを食べきったのだ。
……もちろん、私もたくさん食べて、たくさん飲んじゃった。
体質的にほとんど酔いはしないけど。気分というやつだ。
すき焼きとアルコールの組み合わせが良すぎるのがいけないんだから。
多分、この酒場で一番お酒に強いのは私かもしれない。さすがのシエラも、すき焼きで乗っちゃった私のペースにはついてはこられないのだ。
そして気が付くと、起きているのは私と皇帝様の一行だけになっていた。




