29.聖女はすき焼きを完成させる
というわけで、私達はキッチンを借りてすき焼きを作ることになった。
酒場の空気にあてられて、私もお腹が空いてきている。シエラにも手伝ってもらって、手早く作ってしまおう。
キッチンはさほど大きくない。一般的な酒場という感じだ。
でも調理器具はドワーフ製で、きちんとした物が揃っていた。
コンロも動かしていいタイプだな、これ……。後で席に持っていこう。
シエラには包丁を握って、食材を切ってもらう。
彼女が食材を切っている間――私はすき焼きで命とも言える、割下を作らないといけないのだ。
「エリンギは縦に切って……肉は薄くでいいのね。これだとすぐに熱が通りそうだけど?」
「うん、すき焼きはそういう料理なの。分厚いステーキにかぶりつくのとは違って、煮る料理になるのかな」
「煮る料理なのに、生卵がいるの……?」
不安そうなシエラに、私はにっこりと微笑む。
100年すき焼きを愛した日本人を信じろ!
おいしいから、とってもおいしいから。
「大丈夫、私を信じて!」
「……信じてはいるわよ。味の想像ができないだけ」
「んー、きっとやみつきになると思うよ」
今回は5人分を一気に作るので、割下も多めだ。
まずは大さじ15杯、200ccくらいの白ワインを小さな別の鍋に入れ、煮立たせる。
アルコールを飛ばしたら一旦、火を止める。
そして同じく200ccの醤油と上質の砂糖60gをぱらぱらっと鍋に入れる。
砂糖は溶けて消えればいい。中火でゆっくり温める。
う~ん、甘い匂い……。すき焼きの割下のいい香りだ。
少しして、砂糖が消えてなくなった。ちょっとスプーンで、割下の味見をする。
甘辛く、私にはちょうどいい……。濃い目の割下だけど、水で薄めることもできるしね。
「よしよし……! んふふふ~」
思わずにまっとしてしまう。すき焼き……それは前世でも、ご馳走料理。
頑張った自分への、ご褒美の食事でもあるのだ……!
割下が完成したら、私も食材切りに参加する。シエラは完成した割下を見て、ますます不思議そうだ。
「……そのスープがすき焼きなの? 量が少なくないかしら? 具材が入りきらないわ」
「うーん、具材は途中で取り出したり、継ぎ足したりというか……」
「つまり最初に全部を入れないのね……初めて聞く料理だわ。それならスープが少ないのも納得ね」
そうだ、この世界に鍋料理はなかったんだ。
言われて私も、鍋料理の特異なところを自覚した。鍋料理では、最初に具材を全て投入しない。
最初にネギとか時間がかかるものを入れて、食べ始めたらまた具材を入れる。
こういう形式は鍋料理だけの食べ方なのだ。
そうこうしているうちに、野菜と肉の準備が整った。
「……これで準備は終わりかな。肉と野菜、割下……あと牛脂に生卵もオッケー」
切り揃えられた野菜と肉。そして割下の入った小さな鍋と、すき焼き用の大きな鍋。
あとは溶いた卵を入れる器。
すき焼きの準備が、完璧にできていた。
これで食べられるぞ。
キッチンを出て、私達は皇帝様の前に移動する。
手に持った具材と鍋、皇帝様は鍋料理を知っているだろうか?
酒瓶が置かれたテーブルをさっと片付けてもらい、すき焼き用鍋をセットする。
その準備を見て、皇帝様は眉を寄せていた。
「……出来上がっていないように見えるが」
「そうです、まだ出来上がってません。これから、ここで完成させるんです」
私の言葉に酒場内がどよめく。
「席で作る? 聞いたことがないぞ」
「それに鍋が小さすぎるんじゃ……あの量の肉や野菜はとても入りきらないぞ」
そう思うでしょ?
でもすき焼きは、日本が世界に誇る名物料理。
たしかに西洋風料理しかないこちらの世界では、珍しいというより未知の領域だろう。
しかし一口食べてもらえれば、必ず気に入ってくれると私は信じている。
ステーキを食べるようになっても、ハンバーガーを食べるようになっても、日本人はすき焼きを愛し続けているんだから。
「いいだろう、食べると言ったのは俺の方だ。しっかりと完成させてくれ」
「はい、まずは牛脂と肉とネギを鍋に入れて――そのまま焼きます」
割下はまだ入れない。ネギはこうして一手間かけた方が香ばしくなる。
火力は弱めに、じっくりと……肉からほんのりと赤みがなくなってきたら、ネギを一旦取り出す。
肉を鍋の端に寄せたら、いよいよ割下を少しだけ鍋へと投入する。
じゅわ……!
醤油と砂糖、そして肉の匂いがぶわっと立ち上る。
これぞ、すき焼き!
……ああ、実はお肉はかなり高いのを買ってきたんだよね。絶対おいしい。
それまですき焼きに懐疑的だった周りの空気が、少しだけ変わる。やっぱり、この香りだ。
実際に鼻先にくれば、嫌でも食欲をかき立てられる。
「で、生卵をこの小さな器に入れてっと」
ぽんと割った卵。箸がないのでフォークでちゃっちゃっとかき混ぜる。
肉にいい感じに割下がしみこみ、火が通ってきている。
完全に煮え切らないうちに食べ始めるのがすき焼きだ。
もう食べてもいい頃だ。もちろん私も食べたいし。
「さて、お肉に火が通りきらないうちに――まずは一口、召し上がれ!」




