25.聖女は街に繰り出そうとする
なんと。エンブレイス帝国の皇帝様がもうヴァレンストに来ているですと?!
何の準備もしておりません!
今だってあんまり化粧もせずに、エプロン姿で肉じゃがを運んできた始末ですよ。
「それはとても重大なことでは? でもでも、まだ皇帝陛下はお見えになっていませんよね」
「お忍びなので、街中をぶらついているのでしょう。この屋敷にはまっすぐ来ないかと。さすがに護衛のひとりやふたりは連れているでしょうが……」
「はー…………なるほど。それは下の人たちは苦労しますね」
エンブレイス帝国は歴史こそアステリア王国より浅いものの、国の規模では世界一だ。
今の状況は例えるなら、アメリカ大統領が突然少数で日本に突撃するようなもの。
当人以外には大騒動間違いなしだ……。
フォルトはさっきから遠い目をしている。これは散々振り回されて苦労させられた目だ。
「ふぅ、兄上は自由人ですから……ヴァレンストには私がいるので、驚かせようとしているのでしょう」
「弟の家に遊びに行く、と言えばそうですね……ちょっと双方ともに偉すぎますが」
「フットワークがそれだけ軽いのです……政治的には悪くない性質ですが」
そこでフォルトは言葉を切った。
何かを言おうとして、迷っているように口元を動かす。
フォルトにしては珍しいことだ。
私はその仕草に、前世の経験からピンときた。
家族というものは、時に他人には率直に言えないことがある。
ないはずはないのだ――だってフォルトはエンブレイス帝国の皇子で、そもそもいくらでも帝国に仕事や居場所があるはず。
それが妻帯もせずに東の果て、ヴァレンストの采配をしている。
ここにいて、私の騎士になったこと。
それは本心と本望だろう。
でもフォルトの周囲全てが諸手をあげて賛成したか――そう聞かれると自信がない。
「……お兄さんと、何かありましたか?」
アホほどストレートに私は聞いた。大リーガーもびっくりの豪速球。
許してほしい。遠回しにあれこれ聞き出すのは、私向いていない……。
フォルトは軽く目を伏せると、
「ここの管理を請け負うのは、それなりに反対されました。お前がやるべきなのか――と。東の再開発の必要性を説いて、最終的に兄上は折れましたがね」
「…………ああ、なるほど。それは私がアステリアにいたとき、数年前の話ですよね。私とシエラがこっちに来たから、もしかして今フォルトは帝国に戻れと言われているんですか?」
「ご賢察の通りです。聖女と宮廷魔術師長が移住したなら、お前はそこにいなくてもいいのではないか――と」
むう……そんなやり取りがあったのか。
でもそりゃそうだよね。だってフォルトは実務もできるし、魔法も達者。
もちろん性格的にも善良だ。たまーに悪そうな時があるけど。
手元にいて欲しい気持ちはよくわかる。
「しかし、ご安心を。私はニーア様に主従を申し出た身です。なにがあっても、ここからは離れませんから」
「…………まぁ、フォルトもいい大人ですしね」
そう言って私はフォルトを見た。
フォルトのきらきらイケメン顔に曇りはなかった。
◇
「――んで、皇帝様はどうするんだって?」
「散策に飽きたら、挨拶くらい来るだろうってさ。それまで特に何もしなくていいって」
「ゆるーい。まー、ここに皇帝様がいるとは思わないだろうし、狙う人もいないか」
一仕事終わって、もう時刻は夜。
私とシエラはだらだらしていた。シエラはユキの肉球をもみもみしている。
優雅な時間である。
シエラはユキとじゃれながら、
「最近ヴァレンストにも他国からそこそこ人が来るようになって、食事処が増えたんだよね」
「そうだね……ホタテの買い付けも好調だし、色々と賑わってきてるし」
「うん、それで私たちって基本的にお屋敷でご飯食べるでしょ?」
「それはちゃんとした料理人がいるからで…………って、まさか」
にひひ、とシエラが笑っている。
付き合いが長いからこそわかる。これは魔法実験でギリギリ爆発するのをやっていた時の笑い方だ。
人生のブレーキが不調という点で、私とシエラはよく似ていた。
「たまには街に繰り出して食べるのもいいでしょ?」
「それ、絶対面白がっているよね……」
「お忍びで来ている人を見つけたからといって、指差しするほど無粋な真似はしないわよ」
私は思案する。たまには気分転換に街に出るのも悪い話ではない。
もちろん皇帝様が見つかれば、影ながら何かないように見守るのも仕事のうちだろう。
それにフォルトの態度も気になる。お屋敷で正装して向かい合ったら、本音をぶつけることはできないだろう。
「…………よし、そうだね。私たちもお忍びしよう。そうしよう」
「さっすが、話がわかるわ!」
「わふぅ!」
迷ったら前進。それが私なのだから。




