23.主従の関係
あの後、皆で肉じゃがを作って食べていると――窓の外からユキの鳴き声が聞こえてきた。
「……わふわふ」
「あれ、ユキも食べたいの?」
厨房の窓を開けると、ユキが私の胸に飛び込んでくる。
おおう、いきなりのタックル……!
大丈夫、私は鍛えてるんだ。
これくらいの衝撃……!
体幹はぶれずに、ユキを抱きしめる。
「わふん♪」
「んー……? どうかしたの?」
首を傾げていると、つぶらなユキの瞳が私を見つめる。
尻尾をばたつかせて、上機嫌のようだ。
「……ああ、醤油の匂いが懐かしかったり?」
「わふぅ!」
どうやら当たりだったらしい。
ぐりぐりと頭を押し付けてくる。イエスと言わんばかりだ。
「そういえば、ユキはずっとあそこにいたんだっけ……うん、私も懐かしいよ」
精霊に寿命はない。ユキはきっと途方もない年月を生きてきているはずだ。
きっと滅びた東の大国と一緒に生きてきた時間もあるのだろう。
私はそれに思いを馳せた。
「ユキも喜んでくれるんだ。また再会できたから……」
「わふわふ……! わっふ!」
ありがとう、そんな風に言っているように私には聞こえた。
そうだ、このヴァレンストには歴史がある。
……ここに来たのは、多分、運命的な何かなのかもしれない。
またひとつ、歯車がかみあった感じがする。
ユキの瞳が、これまでと少し違って見える。
なんだろう――うまく言葉にできない。けれど感じる、確かに変わっている。
醤油を探し当てて、うまく使ったからかな?
それ以外、思い当たらない。
今までは言うなら、ユキにとって私は恩人。
だとしたら、今は……主かな?
尊敬というか、私の言葉に従おうという雰囲気が出ている――気がする。
うん、犬とは言葉は交わせないからね。
でもなんとなくわかるのだ。
そんな違いが、ユキの目の色に現れている。
これはきっと勘違いなんかじゃない。
私はきっと、東の国の精霊に主と認められたのだ。
◇
一方そのころ、アステリア王国。
公爵令嬢のセレス・オルファはいら立っていた。
鞭を持ちながら、自室を落ち着きなく歩き回っている。
「……意気地のない男は本当に駄目ね。おとなしく衛兵に連れ出されるだけなんて……!」
マーレ王子は追放され、取り巻きの大臣も処分されていた。
しかしセレスは特に罰は受けていない――父である公爵が罪を被ったのだ。
それもなんとか個人の罪だけで終わらせた。家には表面上、傷はついていない。
「あの無能な父も役に立つなんて……ひとつ勉強になったわ。殺さなくてよかったわ、本当に」
冷酷な言葉。
マーレに近づき、婚約破棄をそそのかしたのはセレス一派である。
しかしセレスは父に全ての罪をなすりつけていた。
父はお飾りに過ぎない。
今のオルファ公爵家を支配しているのは、他ならないセレスである。
貿易も政治も彼女が取り仕切っていた。
抜け目なく、才覚と美貌に溢れ――だからこそマーレに付け入って婚約者になれた。
たった一人でオルファ家を何倍にも巨大にしてのけたのだ。
「……最近、ヴァレンストから良質なホタテが入ってきております。かの品物はオルファ家の重要な交易品。利益も目減りしております……」
セレスに報告したのは青年執事。淡い金髪に気品がある――中性的でともすれば男性さえも惑わす色香があった。
執事の報告にセレスは舌打ちを返す。
「フォルト皇子の差し金ね……。やってくれるじゃない。今は少しでも資金が欲しいのに……!」
交易で莫大な財産を築いたセレスだが、公爵で終わるつもりはなかった。
目指すのはもっと上。
もちろん、王妃でさえも足りない。
マーレと結婚して、聖女をうまく踏み台にして――いずれは女王に。
世界最古の王国の支配者になるのだ。
「あの聖女のせいで散々な目に遭ったわ……絶対に償いはさせてやる」
計画は頓挫して、治療で死ぬほどの激痛を味わった。
生まれて初めて、思い通りにいかなかったのだ。そのせいでセレスはより過激になっていた。
セレスの言葉に執事が身震いしながら、
「やはり刺客を放つのですか?」
「ええ――ああ、でも狙うのはシエラと聖女だけよ。フォルト皇子は無傷ですませるつもり」
「それは……なぜでしょうか?」
ビシッ! 鞭が執事へと飛んだ。執事の頭から血が流れ出る。
「私の言うことに口を挟むつもり? 孤児で魔力も持たないあなたを拾った、私に? あなたは黙って私に従っていればいいのよ」
「……申し訳ありません、お許しください」
ひざまずき、許しを求める執事。
しばし、セレスは平伏する執事を眺めると――楽しそうに言った。
「今夜、予約が二件入ったわ……大切な相手だからもちろん、わかっているわよね。二人ともあなたを一目見て気に入ったそうよ。張り切りなさい」
「――っ!」
「……あら、返事は?」
夜の予約、それが指し示すモノはひとつだ。
おぞましい話だが、セレスは人の欲望を嗅ぎ付けるのがうまい。
そうやって他人を操るのだ。
マーレにもそうやって近づいていた。
逆らうことなどできるはずもない。相手は王子にさえも手玉に取る女なのだから。
「承知いたしました……」
そう、執事が答えるのをセレスは満足そうに見つめていた。
◇
ヴァレンストの領主屋敷。
フォルトはアステリアに放った間者の報告を静かに聞いていた。
「……ふむ、やはりセレス嬢が裏から糸を引いていた、と」
「はい……いまも様々な陰謀を巡らしているようです」
「とはいえ尻尾は中々出さない――しばらくは締め上げてみましょう」
フォルトには教会と帝国、ふたつの情報網がある。
ヴァレンストから離れることは滅多にないが、それでも世界中の情報が手に入るのだ。
「……しかし、いいのですか? あなたにだけ危険で辛い役目を負わせてしまっている。間者を辞めて、ここで平穏に働くという選択肢もあるのですよ」
「ありがたきお言葉ですが、私はまだ役目を果たしておりません……どうかお気になさらず」
フォルトは軽くため息をついた。目の前の男とは、それなりに長い付き合いだ。
それだけに不憫だった。
間者という日の当たらない所にいるのは、実にもったいない男なのだ。
「ニーア様はまたも革新的な交易品を発見されたようです……。これでヴァレンストはさらに発展できるでしょうね」
だから君だけが危ない橋を渡り続ける必要はない――そう、フォルトは云いたかった。
しかし男は首を振る。
「全ては領主様のために……私ごときで役に立てるのなら本望です」
淡い金髪が揺れる。男の名前はライアン。
セレスの執事にして、フォルトの腹心である。




