14.聖女は稲を発見する
フォルトは目線を落として言い含めるような口調で、
「わかりました、ニーア様の望む通りに。ただ異変があればすぐに戻りますよ」
「…………はい、わかりました!」
「少し間があったようですが……まぁ、周囲に気を付けて行きましょう」
そのまま白犬の精霊に引っ張られて、私達は進み出した。
周囲はさっぱり見えないが、方向としては段々とヴァレンストの街から遠ざかっていくように思う。
私の領地は菱形――◇の形をしている。
この領地の中央に湖があるのだが、周囲は無人地帯なのだ。
ちなみにヴァレンストの街は領地の東端にあり、西はまた別の国と接していて、少しだけ人が住んでいた。
歩きながら、今さらながらに領地の大きさに驚いてしまう。
琵琶湖くらいの湖が領地の真ん中にあっても、領地のほとんどに人が住んでいないんだもんなぁ……。
領地全体でざっと日本の本州と同じくらいの面積じゃないかな……。
この周囲についての知識は私にはあまりない。
フォルトに聞くしかない、というところで彼が周囲を警戒しながら言う。
「歩く速度と方向からして、湖沿いの遺跡に向かっているようですね……」
「む、わかるんですか?」
「湖の周囲にはほとんど何もないはずですからね。唯一あるのが、その遺跡なのです。とはいえ、数年前に一度調査したときはこれといった物もなかったのですが……」
彼の話によると朽ちた建物しかなく、特に遺物もなかったらしい。
ざっと見て回って帰ったらしい。まぁ、忙しいしね。
フォルトは少し考えて、
「人間にとっては何もない遺跡でも、精霊に取っては特別な何かがあるのでしょうか……?」
「うーん、それはあまり聞いたことがないかなぁ……」
精霊には普通、警戒心がある。
初めて会ってここまで連れ回されることは聞いたことがない。
白犬は立ち止まることもなく、一定のスピードで歩き続ける。
ぐったりしていたさっきまでとは明らかに違う。
魔力を与えたおかげだろうか、ぱっと見ると元気そうだ。
そのまま連れられて二十分ほど歩くと、徐々に周囲の魔力濃度が濃くなり始めてきた。
真夏の日本にいるような、ねっとりと絡むような感覚がある。
通常、大気中の魔力は増減したりはしない。
精霊とは違う異常な何かが起こっていた。
「……ここが遺跡です、ニーア様。今は門らしきこの遺跡と石像しか残っていません」
フォルトの指し示した先には、確かに霧に埋もれた遺跡があった。
赤黒い石の構造物が頭上のはるか上にある。
うん……?
その遺跡を一目見た驚きを、なんと言えばいいのだろうか。
頭のてっぺんから爪先まで雷に打たれたかのようであった。
私にはその遺跡の形に見覚えがあった――前世の記憶にしっかりと残っている。
その前世からの知識を、呟かずにはいられなかった。
「鳥居…………!」
二本の柱の上に棒を二本乗せた形は、間違いなく鳥居そのものだ。
さすがに見間違えたりはしない。
思わず立ち止まった私に白犬も立ち止まり、不思議そうに見上げる。
「わふ……?」
それまでやや強引に歩いていたのが、一転して懇願するような調子だった。
――このまま、一緒に来て。
そう言いたげな黒い瞳。
「……わふぅ……」
もふもふと白犬が私の腕に頭をこすり付ける。
あざとい……っ!
ああ、でも本当に柔らかい……気持ちいい……。
元々、頼られるのには弱い。
さらにこんなかわいい生き物に頼られては逆らえない。
そんな風に思っていると、フォルトがさきほどの呟きに反応して、
「そうです、ニーア様。この遺跡の名前は鳥居と言います。非常に専門的な名前ですが、よくご存知でしたね……」
「……何かでちらっと読みました。これは――この鳥居はヴァレンスト以外でもあるのでしたっけ?」
「いえ、この辺り一帯にしかありませんね。とても珍しい遺跡です」
確かに世界中を巡り歩いた私にも、この世界で鳥居を見た記憶はない。
……とりあえず進むしかないか。
聞きたいことはたくさんあるが、今は白犬の連れられるままに行くしかない。
鳥居をくぐり抜けると、そこには二対の石像――狛犬があった。
どこからどう見ても、狛犬である。
ところどころが欠けて、手入れは何もされていないようであったが。
鳥居と狛犬。
完全に神社だ。
「――何かあったのですか、ニーア様。さきほどから少し御心が乱れているようですが」
「えっ……ううん、なんでもないんだけど」
かつてここにあり、滅んだ東の大国のことを考えずにはいられない。
その大国はほとんど他国と交流せず、数百年前に魔獣の大群によって滅んだはず。
今では、その国の情報はほとんどが失われてしまっている。
どんな文化があってどんな人達が住んでいたのか、わかっていないのだ。
ただ、素晴らしい魔法具のいくつかが残されているだけ。
私が浄化するまで本当に数百年間、誰も住めない土地だったのだ。
「……よく似ているだけ、なのかな……」
口からぽつりと小さく独り言がもれた。
日本と東の大国。世界は違っても似たような文明が出来上がった――と考えることもできる。
確かにヴァレンストの気候は、日本とよく似ているかも……ちゃんと四季がある。
そのまま進んでいくと、いよいよ魔力が濃くなっている大元に近づいてくるのがわかる。
初夏なのにじっとりと暑い。熱があった。
「少々お待ちを――【風華】」
フォルトが手を振るい魔力を放つと、前方にいくつもの衝撃波が巻き起こり、霧を吹き飛ばした。
ついでに魔力も散り、熱がうすれて清々しくなる。
視界が開けるとそこには小さな泉があった。面積は数十メートルくらいか。
その泉は淡い光を放ち、きらきらと輝いている。
ろうそくがちらつくような――火が持っている美しさだ。
「きれー……」
光は魔力によるものだろう。
密度のある、強い魔力ほど美しい光を放つ。
しかし、これほど濃密な魔力が地中から溢れることは滅多にない。
「この泉が魔力の源のようですね……」
「どうやらそうみたいね……。ん、あれって……」
泉の近くに寄った私は、これまた見慣れたものを発見した。
前世の知識がなければ、気にもしない植物が――だが今の私には大きな意味のある植物がそこにはあった。
「……稲だ…………」
小さくて穂もないが、紛れもなく稲が泉の周りに生えている。
しかし誰かが田植えしたものではないと直感した。雑然として列になっていないからだ。
でも――あったんだ、稲……!
それでも朗報だ!
この世界で見たことがなかった稲が、ここにあったのだ。
つまり秋になれば――米が食べられる。
と、浮かれ気分になりそうだった私は気を引き締めた。
霧の奥から、邪悪な気配が漂ってきたからだ。覚えがある、魔獣でも低級なゴブリンの気配だ。
白犬も唸りながら身構えている。
「……魔獣がいるわね」
「泉の魔力に引き寄せられているようですね……」
だけれど恐怖はこれっぽっちもなかった。
フォルトも引き下がれ、とは言わない。この程度ではまるで脅威ではないを知っているからだ。
負けるとは思えなかったし――なにせやっとまともな白米が食べられそうなのだから。




