13.聖女は白犬に出会う
それから支度をした私はフォルトと合流し、予定通りヴァレンスト湖へと向かうことになった。
フォルトはヴァレンスト湖に一度行ったことがあるため、転移魔法ですんなり行くことができる。
「到着です、ニーア様」
あっという間に魔法陣を展開しフォルトは私を連れてヴァレンスト湖へと転移する。
が、到着してすぐに二人は異変に気が付いた。
「……霧で前が見えないね。話ではすごく広い湖のはずだけど――ちっとも見えない」
地図上では琵琶湖もかくやというほどの大きさのはずだったのだが、目の前は霧で完全に覆い隠されてしまっている。
数メートル先も見えず、湿った風が私の顔を包んでいた。
「これは……ヴァレンスト湖でこれほどの霧が出るという話は聞いたことがありません」
「異常が起きている、ということだよね……」
手をかざしてみると、わずかに霧から魔力を感じる。
普通は霧や雨といった自然現象から魔力を感じることはない。
精霊が生息する場合のみ、地に魔力が感じられ――自然が乱れて異常気象になるのだ。
今の湖の霧は、まさにそれの典型例と言えた。
精霊がいるのだ。
「どうやら精霊がいる、というのは確実みたいだね」
「ふむ……一旦街に戻りますか、ニーア様」
フォルトは心配する風ではなく、念のための確認という口調であった。
この程度の異常気象と精霊なら、私には脅威のうちにも入らない――それはフォルトもよく理解していると思う。
フォルトの言葉に軽く首を振ると、
「それには及ばないよ、このまま進もう」
精霊に善悪はない。ただプライドが高く、縄張り意識があるため人間と衝突することがあるだけだ。
それに私はこれまでにもいくつもの精霊と渡り合ってきたので、恐怖心はなかった。
さらに霧へ意識を向けると、奥から風の流れを感じる。
精霊は異常気象の元にいることがほとんどだ。
まー、このまま大元にいけば精霊に出会えるかなぁ……。
風の流れを辿れば、おそらく精霊にたどり着くだろう。
距離は――それほど遠くない。小一時間くらい歩いていけば精霊の元に行けそうだった。
「あっちから流れが来ているね、行ってみようよ」
「であれば、私が前を行きます」
隣から一歩、フォルトが前に出る。そして彼はごく自然に手を私へと差し出した。
一瞬、間が空く。
「……はぐれてしまうと行けませんから」
なんだか言い訳めいた物言いだけれど。でも霧のなかではぐれると厄介だ。
「そうね、ありがとうっ」
……とりあえず乗っておこう。
特別な意味なんてない。はぐれないようにするだけだ。
こんなことで勘違いするほどお子様ではないのだ、多分。
「…………」
そしてフォルトの手をみると傷ひとつなく、とても綺麗な手であった。
ふと気が付いたが、今さら手を握らないわけにもいかなかった。
うう…………よく考えたら、男の人の手を握るのっていつ振りだろう。
意を決した私は、フォルトの手をぎゅっと握ってみた。
……自分よりだいぶ体温が高いな。
「…………」
「……では、行きましょうか」
きらきらとしたフォルトの笑顔には一点の曇りもない。
夜会のエスコートのような素振りだが、非常に慣れてそうな印象があった。
うーん、こういうエスコートの経験は多いだろうなぁ……。
そのまま手を引かれながらそのまま霧を進んでいく。
なんとなく気恥ずかしさを感じながら。
◇
しばらく進んで、私は前方に魔力の塊があるのを感じ取った。
ほんのりと温かい感じは、精霊に違いない。
「あと数分で精霊と出会いそうですね……」
「ニーア様、そこまで正確にわかるのですか?」
フォルトが立ち止まり、振り返ってくる。
「ええ、近づいてきたので……」
「……私には霧で魔力が拡散してしまい、そこまでわからないのですが……」
「ただ魔力が少ない感じはしますね。かなり弱っているのかも……」
これまでに接した精霊の魔力が10だとすれば、目の前の精霊の魔力は3くらいだ。
「ここまで弱っている精霊はしりません。何かあったのかな……」
「危険はないのでしょうか? それほど弱いということは」
「危険は全くないでしょうね、むしろ自然に精霊の方が消えてしまいそうです」
警戒する必要はなさそうだ。
そのまま歩いていった二人は霧の切れ間にでくわした。
「……もふもふしてる…………」
淡く光る霧の間に横たわっていたのは、白い犬だった。
大きさは膝くらいまで、寝転んでいるようだ。
とても愛くるしい。触りたい……。
「一見すると全く普通の犬ですね……。魔力は感じられるので精霊ではあるでしょうが」
「かわいいっ!」
我慢できなかった。もふれー!
私は弾かれたように白犬の精霊へと駆け出した。
フォルトが慌てるが、気にしない。
「ちょっと、ニーア様!?」
「でも……うーん、やっぱり魔力が……。かわいそうに、元気なくして……」
精霊へと駆け寄り、そのまま白犬の頭を優しく撫でる。
精霊はそこで初めて私達を認識したようだが――非常に弱々しい目で見上げるだけだ。
「くぅん…………」
「……危険がないとは言っても、突然駆け出したりするのはお止めください」
「でも……こんなに弱ってますし」
「それはまぁ、その通りなのでしょうが……」
普通の精霊なら近づくと、よほど相性が良くない限り逃げたり反撃したりする。
もちろん反撃があっても私にはかすり傷さえも与えられないだろうけど。鍛え方が違うんです。
反応らしい反応がないということは、この精霊はかなり弱っているということだ。かわいそう。
「……とりあえず魔力をあげるね」
触れた手に魔力を込めて、精霊に魔力を移していく。
こうすることで精霊は力を取り戻し、元気になるはずだ。
白犬はくすぐったそうに身をよじったが、それ以上は何もしなかった。
「精霊へ魔力を与えるのは非常に難しいはずですが、息をするように……」
感心するフォルトだが、段々と目線が険しくなる。
「ですが、あまり変わりがありませんね……」
「普通なら、飛び回るほど元気になるはずなんですけど」
さらに魔力を与え続けると白犬の精霊がやっと反応を示した。
柔らかい頭を私にこすりつけ、立ち上がり――服の袖を引っ張って歩き出そうとした。
思いの外、かなり強めに引っ張られている。
普通、精霊はこんな仕草はあまりしない。
その仕草には力強い意思を感じる。着いてこいといわんばかりだ。
何かあるのだろうか。
「……これは行くしかないですね」




