12.聖女は炙り肉を朝食べる
その日、太陽が昇る頃に私は健康的に目を覚ました。
とはいえ、今日は普段とは少し違う目覚めだ。ベッドではなく、床に毛布を敷いて寝ていたのだから。
早いものでヴァレンストに移住してから一ヶ月が経っていた。
「ふぁ……んー、いい目覚め……」
昨夜は遅くまでシエラと飲み明かしたのだ。
あまり行儀は良くないかもしれないが、床に小さなテーブルを置き、座椅子に座りながら飲んでしまった。
日本ではよくやっていた……というより、日本での自宅飲みスタイルを導入しただけなのだけれど。
向こうでは未成年だけど、こっちだと十五歳で成人だし……別にいいよね。
元々、魔力があるとお酒には強くなる傾向がある。私の最高記録は大ジョッキ三十杯で、頂いたのが「底なし聖女」という称号だった。
でも素晴らしいのは、二日酔いにはまるでならないことだ。
好きなだけ飲んで、朝になるとぱっちりと気分良く起きるのは最高だった。
アステリア王国では女性が飲むのは歓迎されないため、制限させられていたのだが、ここではそんな気遣いは必要ない。
シエラもかなりの量を飲んでいて、部屋に戻ることなく私の前でうつ伏せに寝息を立てている。
「すー……マシュマロが…………スライム……」
やわらかクッションに顔をうずめている様子は、とても宮廷魔術師長だったとは思えない――それを言ったら私もそうなのだろうけれど。
このだらだら飲むのはシエラにも非常に好評だ。問題は威厳と婚期が遠ざかりそうなこと……。
うん、まぁそういうのは別にいいや。
「シエラ、朝だよ。そろそろ起きてー……」
私はシエラの背に手をかけて、ゆさゆさと揺さぶる。
「すー……納期はまだ、納期はまだ……うう……」
「起きてっ、納期はもうないんだから!」
「はっ……!!」
むくりとシエラが顔を上げる。どうやら目が覚めたらしい。
「……すっかり寝入ってしまっていたわ。んむ、このスタイルは魔性の誘惑があるわね……。よくぞ考え付いたわ」
「やっぱり寝そべりながら飲み食いするのはいいよね」
「そうね、どうしてこれを思いつかなかったのかしら? はぁ、だらだらするの最高……」
シエラは感慨深げに言うと、テーブルの上にあった炙り肉をフォークで刺して食べ始めた。
「もしゃもしゃ……んむ、ニーアの考えたこの熟成肉の炙りもいいわ……柔らかい……」
そう、今シエラが食べているのはニーア考案の熟成肉である。
こっちの世界では熟成という概念はあんまりなかったのだ。うまくいったみたいで何よりだけれど。
元々、こちらの世界では捌いた肉は即座に消費されてしまう。胃袋に直行しなくても干したり浸けたりして保存食になるのだ。
日本の熟成肉はそういうものではない。
零度近くの保存庫で風に当てながらやるものだからだ。それは普通の保存とは全く違う。
幸いにも魔法具を使えば零度は実現したし、送風の魔法具を使うことで条件は満たすことができたのだ。
「ここに来て一ヶ月でうまく出来たものよね……これも売れるわよ」
なんとか前世のテレビで見たのに近い熟成肉が出来上がったのが昨日の話。
それで二人で試食も兼ねて食べ明かしていたのだ。
シエラが指を鳴らすと指先に小さな火が灯る。初歩的な火の魔法だ。
そのままシエラは残った炙り肉に火を近づけ――温め直していた。
どうやら冷めた炙り肉には不満があったらしい。
「残念なのはこの一回分の食事でストックがなくなることよね……。もう少し作れば良かったわ」
「保存庫の広さが足りないわよ、今はタンスひとつ分くらいの狭さだし」
「これは売れるし、グルメは飛び付くわよ……もっと大々的にやるべきね」
そう言うとシエラは指先の火を消した。そのまま残ったワインを飲みながら炙り肉をつまみ始める。
禁断の朝から酒盛りである。
「ごくり……」
さすがの私も朝からそんな背徳的なことをしたことはない。
朝から肉……!
しかし、目の前のほかほかの炙り肉はあまりにおいしそうで――誘惑には勝てなかった。
世界的に朝食に対する意識は低い。どのみちヴァレンストでは朝食は特に命じなければ持ってはこないのだ。
フォークでひょいと小さくサイコロ程度の大きさになった炙り肉を口の中に放り込む。
まず広がるのは塩と胡椒。味付けはそのものは実に簡素だ。
しかし単純さこそ、肉では重要である。
ひと噛みすると熟成肉の柔らかさとまろやかさがゆっくり広がる。
少しだけ添えたハーブの香りが清涼さを醸し出し、大して噛まなくてもするりと肉は喉の奥へと向かってくれる。
余分な脂が落ちているだけあり、朝から食べても不快感はない。
それどころか朝焼けの中で食べる肉は、まさに格別。
焼いたベーコンに近しいのかもしれない、とニーアは思った。
舌先に感じる塩気と辛みが寝起きの頭に染み渡る。
「あら、ワインは飲まないの? カレンダーでは今日はお休みよね」
「……これからお出かけするから、さすがに飲まないよ」
「フォルト様とちょっと遠出するだけだけでしょ? 仕事じゃないし、アルコール入りながらでも……」
「いや、仕事だからね?! 近くの湖に調査に行くの」
じと目でシエラを見る。
普段、フォルトは街を離れないのだが、ちょっと気になる話があったのだ。
それは近くの湖、ヴァレンスト湖(そのまますぎてツッコむ気もない)に精霊が出たと言う話だ。
精霊は魔力を糧にして生きる存在。おおむね動物のような外見で――だいたいは犬、猫、馬、羊、牛といった人間に馴染み深い姿をしている。
問題は魔力がない人間にはなつかず、縄張り意識も高いことだ。普通の人間が出くわすと危険でさえある。
しかし精霊とうまく絆を作ることができれば、魔獣を追い払ってくれたり、汚染を浄化してくれたりと利点も多い。
なのでカレンダーでは今日はお休みなのだが、あえて二人だけで調査に行くことにしたのだった。
「日帰りでぱっと行って帰ってくるなんてね……皆が休みの時に行かなくちゃいけないだなんて」
「それは仕方ないよ。あまりここを空けるわけにはいかないんだし」
「まー、それもそうね……私は精霊とは相性悪いし、留守は任せてよ」
手を止めることなくワインと炙り肉を食べ続けるシエラ。彼女の婚期も遠そうだ、うん。
「私も一段落したら保存庫の改良に乗り出そうかしら。んーむ……小屋くらいには大きくしたいわね。錬金術師の腕がなるわ」
「……シエラも大概……」
「何か言った?」
「うーん、お互いにワーカーホリックだねってこと」
それを聞いてシエラは笑う。なぜ笑うのか、その理由はシエラの台詞にあった。
もう数えきれないくらい、シエラは似た言葉にこう答えているのだ。
「男を作ったりするよりは仕事の方が、ずっとましだからよ」
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