91.今度は間違えない
91.今度は間違えない
キースは俺たちに目もくれず、
信じられないくらい優しいまなざしで
自分の腕の中のエリザベートを見つめている。
やがてゆっくりとエリザベートが身を離し、
ハンカチで涙を拭った後、美しいカーテシーをみせて挨拶した。
「ご無事で何よりです、キース叔父様!」
キースはそれを目を細めながら眺め、ゆっくりとうなずいた。
そして感極まった様子でつぶやく。
「……なんと美しく、気高く、強く、育ったことか。
兄上は”暗黒の魔女”などと謙遜するが、
エリザベート、君はもはや”聖闇の女神”だな」
昔からキースはエリザベートを”叔父馬鹿”で溺愛していたが
それはどうやら現在進行形だったらしい。
あごに手を当て、美術品を眺めるように言う。
「濡烏の髪、炎を閉じ込めた紅玉の瞳。
まさに”黒の女王”ではないか!」
「まあ叔父様ったら! 嫌ですわ。
私なんて、そこまで黒くはありませんもの」
そう言ってエリザベートは両手で頬をおおい恥じらう。
”黒・至上主義”の一族が理解できない俺たちは
ただただ、そんな彼らを見守るだけだったが、
やっと彼に問いかけることができた。
「……今まで、どこにいたんだ?」
俺は”どこに潜んでいた?”という意味で聞いたのだが。
彼の返事は、死を偽装してからの経緯だった。
「体の転移と再生に時間がかかっていたからね。
……兄上、本気でやるんだから。
まあそうでもしないと、王族を欺くことなんてできなかったけど」
”キース死亡”を偽装するのに
ローマンエヤール公爵は中途半端なことをしなかったのだ。
それは弟の実力を信じていた、とも言えるのだろう。
「身体を動かせるようになったらすぐ、ダンのところに行ったよ。
この国より、あっちのほうが切羽詰まっていたからね。
こっちはほら、兄上に任せておけば
ほおっておいても大丈夫だから」
俺を見ながら笑うキースの物言いに、
エリザベートが悲し気に抗議する。
「まあ、叔父様。生きる上では問題なくとも、
レオナルドはとても辛く、大変な思いをしたのよ?
……私もとても悲しかったのですわ」
キースは前半はどうでも良い、という顔で聞き、
後半の言葉には申し訳なさそうな表情でエリザベートに詫びた。
「俺も可愛いエリーを泣かせたくなかったよ。
でもしばらくは王家からの監視が厳しかったからね。
すまなかったね、エリー」
俺の苦労は丸無視される。
まあ俺がこの国にいる限り”神に対する誓約”により、
国王は俺に手出しが出来ず、誰にも殺させないから安全なのだが。
ジェラルドは尋ねた。
「どうしてダルカン大将軍とは合流されなかったんでしょうか?」
「そうだよ、あいつも絶望してたんだぞ」
俺が抗議すると、キースは口をまげて反論する。
「ダルカンはずっと、シュニエンダールから監視されてたからな。
何より、あいつに隠し事は無理だから」
確かにあの性格では、
勇者が生きていた喜びを周囲に隠すことは無理だろう。
「ユリウスは最初、居場所がわからなかったんだよ。
自分の成した婚姻が隠ぺいされたからってイジケ過ぎだろ。
まあ、教会のやり口があまりにも酷かったからね、
気持ちはわからないでもないが」
キースはそう言ってソファーにドカッと座って肩をすくめる。
「後はまあ……忙しかったよ、ホントにさ」
そうだ。恨み言よりも、感謝の念の方がはるかに多い。
国王に”神に対する誓約”をさせることで、
俺は生き延び、母も自害することなく、
実質わずか一か月足らずで
”第三王妃”としての責務から解放されたのだ。
俺は彼に尋ねる。
「母上を逃がす計画のために、自分の死を偽装してくれたんですね。
その為にあなたが持っていたものを全て失うことになってしまった」
頭を下げる俺に彼は、ああ、そんなこと、と呟いて笑う。
「欲しいものは別に、いつでも手に入れられるし。
それに、この国の爵位はもうじき意味が無くなるだろうし」
その言葉の重みをかみしめ、俺は黙り込む。
「聞いただろ? 天啓」
第二王妃から聞いた、俺の秘密。
”もしこの者が国を去れば、シュニエンダールは滅び、
この者が国に留まれば、シュニエンダールは破壊される”
「国王や王妃はお前の母に
”天啓”自体を抹消すると言っていたそうだ。
なんとか王妃の聖なる力で封じ込め、
この天啓を無かったことにするつもりだったらしい」
その点では母上も合意したのだろう。
おちおち外国に遠征できないようでは、不自由で仕方ないし、
しかも居たら居たで破壊、だもんな。
キースはニヤッと笑って言う。
「でも、どうやら失敗だったようだね。
お前が出国後、この国は荒れに荒れたから」
フィオナがキースに向かって言う。
「王子を連れていかなかったのはこの国のためですか?」
キースは軽く首を横に振った。
「まあ、それもあるが、
お前はこの国に居たほうが安全だったんだよ。
”二人同時に事故死”で、”二人とも遺体は見つからず”は、
どう考えても国外逃亡を疑われただろうからな。
……ブリュンヒルデはただ、
”この子のために、連れては行けない”、そう言っていたが」
「この国のために、ではなくて?」
エリザベートが問いかける。
するとキースがほんの少し笑みを浮かべて言った。
「レオナルドのため、だよ。
もしこの国が滅んだとしたら。
たとえ自分がこの国を出たせいだと知らなくても、
お前はひどく悲しんだだろう」
俺は反射的にエリザベートを見た。
この国が滅んだとしたら、彼女も無事ではいられなかったろう。
「……ああ、確かにそうだ」
キースは俺に言う。
「当然だ。お前は、勇者の子だからな。
どの国が滅ぶのも望まないし、
どの民が困難に面していても助けるだろう」
「……この国の王族が困っていても放っておくけどな」
俺の言葉に、キースは笑った。
「そんなこと言って、まだどこか躊躇してるだろ?」
いきなり図星を刺され、俺は絶句する。
さっきフィオナに”これから一緒に殴りに行こうか”宣言されて
とっさに思ったのは、俺に国王や王妃が倒せるか、だった。
……特に、俺の父親だと思っていた国王を。
キースは見透かしたように言う。
「いっとくけど国王には元々、
お前に対する愛情なんて無いよ?
たとえ君が実の息子だったとしてもね」
「しかしブリュンヒルデ様が意識不明になった時、
”絶対に死なせるな!”って命令を出したんですよね?」
フィオナの言葉に、キースは笑い出す。
「ははっ、あの妊娠期間を誤魔化したやつね?
国王が死なせるな、と言ったのはブリュンヒルデだけだよ。
それはもうハッキリと医師に言い放ったからね。
”後継はカーロスやフィリップがいるから、もう必要ない!
子どもはどうなってもかまわない”って」
キースはさらに冷たい口調で言う。
「国王は異常なほど、ブリュンヒルデに執着していたからさ」
そうか、そういうことか。
母上への気持ちが、彼を人間たらしめる最後の繋がりだったのだ。
だから母が消えてから、彼は完全に魔属性へと変わったのだろう。
キースは、やりとりに飽きたように立ち上がる。
「まあ俺たちも、やーっと集合したけどね。
ダルカンもユリウスも大忙しさ」
俺は前のめりになって尋ねる。
「親父たちはどこにいる? 何をしている?」
その問いにキースは笑いながら答えた。
「何って……彼は勇者なんだよ?
勇者がやることといえば一つだろ」
勇者は、巨大な悪と戦い、世界を救おうとするものだ。
キースは帰り支度をしながら、軽い調子で俺に言う。
「そう言えば国王の首を取ったら、って言っていたが。
なんか先になりそうだし……お前の母親に会わせてやろうか?」
母が亡くなったと思っていた頃に聞いた時は
恐ろしい死刑宣告に聞こえた、この言葉だが。
今度は間違えないぞ。
俺は力いっぱい答えた。
「はい! 会わせてください!」




