69.得る者、失う者
69.得る者、失う者
多額の利益をもたらし、
人々に大人気の”ショーユ”を作る工場を
王太子である長兄カーロスは俺から強引に取り上げ、
”自分のものにする”、と通告してきやがった。
まあ、王族が取り上げようとしてくる事など
俺たちにとっては”想定の範囲内”だったが。
その日のうちに、俺は緑板で他の仲間に連絡し
あっという間に撤退の手順を整えた。
それでもエリザベートは緑板の向こうで
「ほんっとうにあの男、大嫌いだわ!」
と、めずらしく感情を露わにムカついているようだった。
常に冷静で抑圧的だったあの頃より、ずっと良い。
俺は彼女をなだめるべく、笑い声で言う。
「いや、むしろありがたいじゃないか。
おかげで俺たちは、アイツの資金を元手に
理想の工場を手に入れられるんだから」
************
まずは経営権の移行をするため、
王太子や王家の経理を担当する侍従は、
ローマンエヤール公爵家からの”融資者代表”と謁見し、
借用書の確認と、融資金の一括返済を行った。
その時の様子を、
”融資者代表役”だったエリザベートの侍従に聞いたところ。
各書類を広げる直前に
「買い取りとなれば、かなりの高額となりますが……」
と薄笑みを浮かべ”払えますかね?”という表情で見ると
カーロスは鼻で笑い、
「王家を舐めるな、どんな額でも払える」
と放言したんだと。
しかし書類に書かれた目玉が飛び出るような金額を見て
カーロスは一瞬、その場で硬直していたらしい。
「……やはり、お支払になるのは難しい金額でしたか」
と書類を片そうとしたら、彼は大慌てで
「待て! 思ったより安くて驚いただけだ!」
と言い、彼は冷や汗を流しながらも捺印したそうだ。
さらにカーロスは横に立つ侍従が困惑しながら見守る中
「ショーユは大人気だ。こんな額、すぐに補填できる」
などと言って、カラ笑いしていたそうだ。
しかし、そんな高額を支払って手に入れた工場だったが。
「どんなにやっても、ショーユが出来ないのは何故だっ!」
カーロスは激怒して、働く人々を問いただしたそうだが
工場の人たちには理由などわかるはずもない。
彼らの作業は豆を煮ること、
出来上がった醤油を瓶に詰めることだけだ。
王太子が事前に自分の侍従に視察させた際も、
”豆を煮る→樽に移す→醤油が出来る”という手順を見て
それを報告していたのだ。
彼らが嘘をついていないのは間違いない。
工場を辞めた人に聞けば、その後もカーロスは製法を探るため
いろんな人に聞きまくったが、
誰からも手掛かりは得られなかったそうだ。
ま、そりゃそうだ。
工場で働く彼らは、たまに訪れるエリザベートとフィオナを
経営者である俺に連れられた、
ただの”見学で来ている人”だと思っていたのだ。
彼女たちこそ、重要な役割だったのに。
そしてとうとう数日後、
カーロスは俺の宮殿に駆け込んできて怒鳴った。
「どんなにやっても煮豆しか作れない! どういうことだ!」
「さあ、煮方が足りないんじゃないですか?」
俺は首を傾けて考えるフリをする。
「それはもうやった! 焦げ付くまで煮たが……」
ただの焦げ汁を”醤油だ!”と思い販売したが、
まったく美味しくないから売れなかった、と。
俺は思わず吹き出してしまう。
長兄はイライラしながら俺の胸倉をつかんで叫ぶ。
「さっさと作り方を言え! レオナルド!」
「俺も知りませんよ。
兄上だって言ってたじゃないですか。
”経営者が知る必要など無い”、って。
……ショーユ工場を見学に来た元・聖女は
神の奇跡だって感激していたけど……」
「何が奇跡だっ! 馬鹿にするなっ!」
俺の言葉にカーロスは激昂し、こぶしを振り上げる。
が、そのこぶしはスローモーションで俺に近づいてくる。
俺が補助魔法で兄に”スロウ”をかけたのだ。
自分のこぶしを信じられないものを見るような目で見ていた兄は
それが俺の顔面にゆっくりと到着すると同時に、
ジェラルドによって腕をつかまれた。
「……なんだ、お前! 王族に対する不敬だぞ」
「ローマンエヤール公爵の命により、
殿下の身をお守りしています。
どうかこれ以上はお控えください」
ジェラルドはにこやかに笑うが、その力は半端なものではない。
兄の腕は強制的に引き離される。
それなのにカーロスは怒る以前に、驚いていた。
正直、俺も。
「……公爵令嬢の命ではないのか?!」
「はい。ローマンエヤール公爵直々に命じられました。
幼い頃から殿下はさまざまな事故により命の危険に晒されたため
たとえ相手が王太子であろうと、その身をお守りするように、と」
カーロスは目を見開き、その後、顔をゆがませた。
幼い頃、カーロスが水魔法で俺を溺死させようとしたことを
公爵が未だに激怒していることを知ったのだ。
公爵家は、誤った魔力の使い方を厳しく禁じている。
幼い弟を遊びで苛むために使うなど言語道断だろう。
王族としての資質を問われかねない暴挙だ。
カーロスはゆっくりと手を降ろし、下方に視線を落とした。
その様子を見て、俺は意外に思う。
確かにローマンエヤール公爵はわが国最強の男だ。
しかし今のカーロスは、恐れているというより
ショックを受けており、どこか悲し気に思えたのだ。
……もしかして、公爵に認められたいと思っているのか?
エリザベートを得るために。
急にカーロスはどうでも良くなったかのように部屋を出て行く。
「……もう良い。お前になど頼まない」
そう言って出て行く姿は、
来た時からは比べられぬほど落ち込んでいた。
************
「では、新しい工場にカンパーイ!」
俺たちは手に持ったグラスを合わせる。
「結局、兄上はどうしたんだ? あの煮豆工場を」
俺がそう言うと、エリザベートが含み笑いをもらして答える。
「いろいろ試行錯誤の上、深みにハマっているそうよ」
ソース作りに詳しい職人を外国から呼び寄せたり、
何十種もの豆を購入し試したり、
高額な機器を投入したりで、
さらに資金を費やしたらしい。
そうなると、どうなるか。
今までかけた費用を回収するために、
さらに投資を続けてしまうのだ。
”サンクコスト効果”というやつだな。
緑板で調べたところ、
兄の個人的な資産などとうに底をついたようだ。
どのくらいで周りの侍従たちが止めるかわからないが、
おそらくかなり巨額な損失になるのは間違いない。
戦争をするにあたり、敵の財布を軽くするのは重要な事だ。
「ほっておけば、納豆くらいはできるかもしれませんね」
フィオナが苦笑いで言うので、俺は首をかしげた。
「この異世界であの食品が受け入れられるかは謎だがな」
「醤油はこれからも、私たちの専売ですけどね~」
フィオナは念願の、理想的な工場を手に入れてご満悦だ。
とはいえ、それは建物なんかではない。
馬に引かせた移動式の店舗だ。
内部にある大きな3つの樽で製造し、
そのまま国内を歩き回って販売する。
この樽で大豆や小麦を加熱、種麹を入れ発酵・熟成、
そして圧搾までを行うのだ。
もちろん魔力を使って。
前の工場でやっていた”豆を煮る”や”樽に移す”などは
単なるパフォーマンスだ。
いかにも”作ってる”という感じを出すための。
絶対、王族に取り上げられると判っていたからな。
そもそもこの異世界、そんな手順は必要なかったのだ。
転移したのだから、元・世界のやり方を踏襲する必要はない。
「でも、これ良いのかしら?」
移動式店舗の横に大きく描いてある、”ガウール”という文字を見て
エリザベートが首をかしげる。
これを見れば誰もが、このショーユを”ガウール産”だと思うだろう。
他国からの輸入品となれば、王家が取り上げることはできないのだ。
「……詐欺じゃないですか?」
ジェラルドが眉をしかめるが、俺は開き直って答える。
「旅行で買った土産物の産地が全然違うケースあるだろ?」
「違います、”ガウール発案の”って意味です。
メアリーががんばったのだから」
フィオナが嬉しそうに反論する。
これで俺たちは誰にも邪魔されることなく、
水面下で資金を得つつ、醤油をこの異世界に広めることができるのだ。
俺たちは顔を見合わせる。
「とりあえず、醤油はこれでひと段落だ」
俺がそう言うと、ジェラルドが真剣な面持ちでつぶやく。
「この先は、困難な道になると思いますが……」
エリザベートも憂い顔で視線を落とす。
「ええ、かなりの覚悟が必要ね」
するとフィオナが前のめりになって強い調子で言う。
「そんなことありません! 私たち、強くなりました!
いろんなことも、出来るようになったんです!」
紫色の瞳を輝かせ、みんなを見渡しながら嬉しそうに笑う。
「仲間も、たくさんの協力者だっています。
……だから、次は!」
そして両手を組み合わせ、目を閉じて叫ぶ。
「味噌を完成させましょう!」




