36.医師の交代
36.医師の交代
”聖職者の女なんて来た日には終わり”
何故なら、治癒の力を持つマーサと完全に一致するから。
マーサがエリザベートたちをジロジロ見ていたのは
”聖職者の女”かどうか確認していたのだ。
二人とも魔獣討伐用の戦闘服を着ていたから
彼女は油断して、俺たちを家に入れてくれたのだ。
「あなたは治癒の力をお持ちなんですか?!」
ジェラルドが身を乗り出して尋ねる。
フィオナは目を見開き、両手で口を押えている。
それを喜んでいるのだと思ったらしく
「ええ、できますわ。幼い頃から”治癒の力”があり、
聖職者か医師かで迷って、こちらにしましたの。
皆さんのお役に立てるんじゃなくて?」
マーサは頬を染めながら、すまし顔で返す。
……何という事だ。
俺たちは取り返しのつかない大失敗を犯したのだ。
すでに、来た時より部屋の温度が下がっていた。
馬車が通る音も、鳥の鳴き声すら聞こえてこない。
そしてまだ午前中だというのに、ゆっくりと暗くなっていく。
俺の横でエリザベートが印を結んで攻撃に備えている。
ジェラルドは腰の剣に手を添え、
微動だにせず警戒している。
俺は立ち上がり仲間たち、そしてマーサに、
レベル9の補助魔法を付ける。
防御と、攻撃、そしていくつかのアビリティを。
「な! なに! なんなの?!」
ぼわっと光った体を見て、マーサが声をあげる。
「話は後だ。何かがこちらに向かっている」
正確には”向かっている”というより、
”動き出した”、のほうが正しい。
魔人は近くでずっと、マーサを狙っていたようだ。
部屋の中がどんどん暗くなっていく。
マーサがキョロキョロしながら震えている。
エリザベートが闇のバリアを張ったのを見て悲鳴をあげた。
「私は闇と炎の魔力持ちよ」
その言葉を聞き、いったん安堵したようだが。
マーサを中心に、俺たちは四方を見守った。
部屋の中はすっかり暗く、いや、黒く塗りつぶされている。
俺たちは漆黒の空間に立っていた。
「……来るわ!」
エリザベートの声とともに、
その暗闇から、無数の真っ黒な手が伸びてくる!
たくさんの黒く長い腕が、俺たちに向かって。
ジェラルドが剣で切ると、それは瞬時に消える。
しかしまた違う腕が伸びてくるのだ。
これではキリがない。
フィオナに向かってきた腕に対し、
彼女は反射的に聖句を唱えて撃退する。
生じた光にぶつかり、バチン! と跳ね返る黒い手。
それを見たマーサが叫んだ。
「あなた?! まさかっ?!」
フィオナが振り返り、泣きそうな顔で詫びる。
「……ごめんなさい!」
オオオオオオオオオオオ……
その瞬間、轟音とともに女性の低い声が響いた。
何かを呪うような、低く、悲しい怨嗟の声。
「きゃあああああああ!」
マーサの悲鳴が聞こえると同時に、俺たちは弾き飛ばされる。
そして4人とも、床に倒れ込んでしまった。
真っ暗闇の中、ふらつく頭を押さえながら、
俺たちはよろよろと立ち上がる。
部屋は徐々に明るく、元の状態に戻っていったが……
やはりマーサの姿は消えていた。
代わりに、彼女がいた場所に座り込んでいたのは。
「どうしましょう、私。
この村の”医師”になってしまいました!」
両手で頭を抱えたフィオナが涙声でそう言って、
肩を震わせていたのだ。
************
マーサは魔人にさらわれ、
フィオナが代わりに、”ガウールの医師”として
呪縛されてしまった。
「失敗したな。まさか交代には条件があって、
それがフィオナに適合するとは」
俺は床に散らかったティーカップを見て唇を噛む。
「ごめんなさい……私が最初から正直に、
元・聖女だって伝えていれば」
泣きながらフィオナが縮こまるようにしてうつむく。
その背に手をまわしながら、エリザベートが慰める。
「私たち全員の選択だわ、あなたのせいじゃない」
「ああ、悪いのは魔人だ。
勝手に他人の人生を変えやがって」
俺は恐怖より、怒りが勝っていた。
そうまでして、この地に縛り付ける目的は何だ?
お腹が空いた時のための備蓄か、それとも。
ジェラルドが部屋の中を見渡してつぶやく。
「どうやって人間を運び出したんでしょうか」
物理的に、人の体が床や壁を抜けることは不可能だ。
「見てみろ。魔人は案外、常識があるらしいぞ」
俺は大きく開かれたドアを指し示す。
光を遮断し暗闇にして、
触手のような手で俺たちを弾き飛ばし、
マーサを引っ張り出したのだろう。
そうなると……俺は自分の手のひらを眺める。
そこには一筋の光の糸が、外に向かって伸びていた。
大丈夫、成功している。
俺はそれをかかげ、みんなに言った。
「さっき補助魔法を付けた後、マーサに付けたんだ。
追跡用の魔法”マーキング”を」
************
外に出て、俺が手をかざすと、
グリーンの光の筋が一方向に向かって流れていく。
俺たちは走りながらそのラインを追っていった。
すれ違う村人は不思議そうに俺たちをみるが、
構っている時間はなかった。
マーサはまだ、生きている。
死人に補助魔法は付けられないからだ。
この”マーキング”が有効なうちは
彼女を助け出せる可能性があるのだ。
俺は走りながら、ふと思いついたことを尋ねる。
「そういえば、医者になって何か変わったか?」
フィオナが首をかしげながら答えた。
「そうですね……ああ、確かに!
いろんな知識を得たようです!」
そういって薄目を閉じて、つぶやく。
「人体の構造から、いろんな病気についてとか……
診察の仕方とか……治療法とか……
それから……オペがうまくいかなくて焦っていたら
天才外科医が代わりにオペを」
「落ち着け。それは現実世界のドラマの記憶だ」
「あ、そうかも」
……やはり、早く魔人に伝えなくては。
フィオナを”ガウールの医者”にするのはミスキャストだ、と。
やがて俺たちは、丘へとたどり着く。
ガウールのほぼ中心にある、のどかに広がる丘陵地だ。
光の筋は、ゆるやかに盛り上がったその地へと伸びていた。
そして真っ直ぐに、地中へと突き刺さっていく。
「どこかに入り口がないか探すんだ!」
地中へと通じるような、洞窟があれば良いのだが。
もし無ければ、横穴を掘りまくるしかないだろう。
丘の上には小さな森が見える。
俺はそこを見上げて、なんとなく違和感を感じていたら。
「いかがされましたか?」
と知った声が後ろから聞こえた。
振り返るとそこには、
俺たちが滞在している別荘の執事が、
馬車の御者台に座っていた。
……俺はいつでも”単刀直入”を選ぶ。
大きく息を吸い込み、彼に告げる。
「俺たちはこの地の秘密を知っている。
そして医者のマーサが、俺たちの目の前で魔人にさらわれた。
追跡魔法によると、この丘の地中にいるらしいんだ」
彼はだまって動かない。
じっと俺たちを見ていた。
そしてふう、と息をついた後、丘の上を指さす。
「あの頂上に、石碑があります。
その近くの古井戸を降りれば、
地中近くには行けるでしょう。
しかし、それは大変危険な行為です」
「つまり魔人に会えるってことだな?
オーケーありがとう!」
笑顔で立ち去ろうとした、その時。
執事が強い口調で叫んだのだ。
「お待ちください! あの方は……
この地の恩人であり、この地の悔恨そのものです」
俺たちは驚いて一瞬、振り返る。
執事は魔人に対する恐怖など微塵も感じさせない、
悲しみに満ちた表情でこちらを見ていた。
************
小さな森の中には、確かに石碑があった。
ただし切り出した石を置いてあるだけで、
何も刻まれてはいない。
「……何のための石碑なんだ?」
俺がそう言うと、エリザベートは両腕をさすりながら言う。
「恐ろしいほどの邪悪な魔力を感じるわ」
しかしフィオナが困惑したように言う。
「でも私、感じたことが無いくらい大きくて強い
”聖なる力”も感じるんです、この石碑の下から」
聖と邪、その両方が同時に存在しているとは。
地中はいったい、どうなっているんだ?
俺は自分の手のひらを見る。
緑の光の糸は、石碑の下方へと吸い込まれていく。
「見てください、これ」
ジェラルドが石碑のすぐ裏にある、古井戸を指し示す。
それは姿がほとんど隠れるくらい、大量の石が積まれていた。
「……石をどけよう」
ジェラルドが大きな石に剣を刺し込み、テコの原理で転がす。
俺も手伝おうと素手で石を持ち上げたら。
「あ、痛え」
ゴツゴツしたその表面で手の平に傷が出来てしまった。
「はいはーい、お医者さんですよー」
フィオナが小走りに来て俺の治癒を始める。
「早いな、もう運命を受け入れたのか」
「すぐに転職するつもりですけどね」
”聖なる力”を注ぎながら、フィオナは笑った。
みるみる傷は消えていき、元通りになる。
「おおサンキュー」
お礼をいう俺に、フィオナがニヤリと悪い顔をして言う。
「3000万円いただくが…」
「ブラックジャックか!」
などと返事をして気が付いた。
地面が……揺れている?
ジェラルドがあたりを見渡し、古井戸で視線を止める。
ドドドドドドド………
揺れはどんどん強くなり………何かが近づいてくる!
「魔人か?! なんで……」
俺が驚くと、エリザベートが答える。
「いまの治癒で、均衡が崩れたんだわ。
”邪悪な魔力”と、”聖なる力”の」
そうか……!
この場でフィオナが俺に聖なる力を使ったことで
聖と邪のバランスが崩れてしまったのか!
「下がって下さいっ!」
ジェラルドが叫び、俺たちはダッシュで古井戸から離れた。
ほとんど同時に、井戸に乗せられた石が吹き飛び
土煙をあげで、それが顔を出したのだ。
真っ黒で、奇怪な姿をしていた。
出ているのは頭部だけであり、
下の部分はまだ地中に埋まったままだ。
カブトムシの幼虫のような形状をした頭に
胸元にはたくさんの触手が生えている。
その先は人間の手のようになっており、
マーサをさらった”黒い手”によく似ていた。
両目が頭の左右についており、
中央の赤黒い点は、ぐるぐるとせわしなく動いている。
そして額にあたる部分には。
「あ、あれが……”禁忌の印”!」
古代の文様で描かれたそれは、
みるからに禍々しい図案をしていた。
「つまり、こいつはもともと、
”禁忌の印”が付けられた妖魔だったということか」
「それがどうして、魔人になったんでしょうか」
ジェラルドの問いに応えるかのように、
魔人は地面を震わせながら、
振り向くようにぐるりと頭部を回転させる。
俺たちは恐怖で息をのんだ。
妖魔の後頭部には、女の顔が浮き出ていたのだ。
ミイラのように干からびた、ものすごい形相の。
そのしわがれた口は絶えずモゴモゴと動いていた。
女が何を言っているのか気付いて、思わず鳥肌が立つ。
”許さない”
そう、繰り返していたのだ。




