16.聖女の引退劇
16.聖女の引退劇
俺たちは綿密な計画を立て、
準備を進めつつ過ごした。
ディラン公爵子息の”溺愛”ぶりは
日に日に拍車をかけていった。
何着もの高級ドレスと靴、珍しいお菓子や果物。
たくさんの宝石で作った指輪とネックレス。
美味しいものを食べさせ、観劇や音楽鑑賞などに連れ出し、
彼女を楽しませたり喜ばせるのに一生懸命だった。
もちろんフィオナは水を差すことを忘れない。
「”何を着ていても野暮ったい”っておっしゃいましたよね?
以前の私と今の私、何が違うのでしょうか?」
ディランは余裕の笑みを見せて笑う。
「あまりに美しいから、地味でいて欲しかったんだ。
他の男に取られるのが心配だったんだよ」
「私の使命は教会の仕事です。
ドレスをいただいても着て行く場がございません」
フィオナが贅沢に困惑したように言っても
ディランは軽く受け流す。
「もちろん、君は国にとって重要な聖女だ。
でもこれからは、俺の大切な妻になるんだよ。
時には一緒に、食事や観劇を楽しむくらい良いだろう」
それはディランの本心なのかも、と思えるほど
彼はフィオナに対し、誠実に、愛情深く振る舞っていたのだ。
************
実行する日の前日、4人で通話している時、
俺は念のためにフィオナに確認してみる。
「どうだ? ちょっとは心が動いてきたか?」
「いえ、全然。むしろキツイです。
なんというか、その……
”違う、そうじゃない”感が半端なくて」
フィオナの苦し気な言葉を聞き、
エリザベートがいたずらっぽく尋ねる。
「”優しくしてほしいのも、一緒にいたいのも
あなたじゃない”、って感じかしら?」
フィオナは、え? と驚いた声を出した後。
「いや、相手どうこうじゃなくて。
もはやディラン様の存在は気にしてませんから。
それよりも、どんなに美味しいものを食べても
思い浮かぶのは”これに醤油かけたい!”なんです」
絶句する俺たち三人。食い物のことかよ!
フィオナはため息交じりにつぶやく。
「最初は珍しさもあって、大喜びだったんですけど
どんどん回を重ねるに連れて、
やっぱり醤油と味噌が一番だなって感じるんです」
「……確かにそうですね。僕も食事がただの義務になってます。
贅沢なことなのですが」
ジェラルドが沈んだ声で言うと、エリザベートも同意する。
「わかるわ。なんの楽しみも見いだせないというか。
塩も香辛料もあるし、バターは美味しいのにね」
「バターが美味しいから、こそです!
”バター醤油”に出来たらって、ホント毎回思うんです!」
フィオナが涙声を出す。そんなに切実か? それ。
「わかったわかった。
この問題が解決したら、次は食生活の改善だな。
無いなら作ろうぜ、醤油」
急にフィオナの声に活気が戻る。
「ええっ?! 醤油って作れるんですか!」
俺は記憶の糸をたどりながら答えた。
「ああ、最初は試行錯誤だろうけどな。
……ガキの頃に社会科見学で工場に行くのって、
異世界に転生した時のためだったんだなあ」
ジェラルドも明るい声を出す。
「この世界にも豆はありますからね。
きっと醤油の原料になる品種が見つかるはずです」
「うちの農園からいくつか運んでもらうわ。
みんなでトライして、うまくいけば流通させられるかも」
そこから俺たちは
”海沿いのリゾート地に移住し、
凶悪な魔獣の動きを抑えつつ
たくさんの動物を飼育し、
醤油と味噌の製造・販売を行う”
というプランで盛り上がった。
だからついつい、次の日の決戦に対する確認が
いまいち不十分になってしまったのだ。
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「皆さん、落ち着いてください」
白い聖女の衣をまとったフィオナは、
慌てふためく人々に、威厳と落ち着きのある声で言った。
「ああ! 聖女様っ!」
「良かった! 聖女様がいてくださって!」
フィオナはフフフと笑い、みなに言う。
「皆様のお心がそれだけ清らかであり、
神に守られているということでしょう」
ちがうよ、偶然でもない。
”検索”の結果だ。
なるべく近日に、しかも国境の近くで
妖魔が高確率で出現する場所を探し出したのだ。
そうして緑板の検索結果通り、
きちんと妖魔クルムデルスが現れてくれたのだ。
デコボコのどす黒い体をした、ウミウシのような姿。
口から緑色の粘液をグジュグジュとまき散らせている。
グロテスクなそいつは結構デカくて、
全長3m、高さは150cmくらいありそうだった。
「このままではこの地が毒で汚染されてしまいます!」
「この方に何かあったら、公爵に顔向けできません……!」
そういってどこかの貴族の侍従らしき男が
可愛らしい少年に覆いかぶさるようにして嘆く。
聞けば隣国の公爵の孫が、
数多くの従者を連れての旅行中だったのだ。
よしよし、これも計画通り。
国境沿いを選んだのはこれが狙いだ。
「皆様、お下がりください」
フィオナはみんなを退避させ、俺とジェラルドを連れて
妖魔クルムデルスの背後に回った。
俺とジェラルドはかがみ込み、妖魔の体に完全に隠れる。
フィオナが祈りを捧げ始める。
俺は彼女の背後に隠れ、緑板の光源を最大限にし
フィオナの頭の後ろに掲げた。
「おお! 光っているぞ!」
「きっと聖なる光だ!」
違います、緑板のライト機能です。
俺たちは深夜のグループ会話を重ねるうちに、
画面が強く光るボタンを発見していたのだ。
フィオナは次に、妖魔クルムデルスに向かって高く手をあげた。
俺は光を、フィオナの左横から妖魔の体に当てる。
「おお~」
逆光を浴び輪郭の浮き出た妖魔は、
人々の目にはフィオナの浄化を受けているように見えるはずだ。
そこですかさず、ジェラルドが右横から妖魔を剣で突き刺す。
ギュルルルルルルルルル……
奇妙な叫び声をあげ、体をくねらせる妖魔。
「浄化が効いているぞ!」
誰かが叫ぶ。よし、ここまではOK。
「きゃああああああああ?」
フィオナが突然、悲鳴をあげた。
……ものすごい棒読みじゃねえか。
妖魔の向こうで誰かが叫ぶ。
「聖女様っ!? どうされました?!」
「皆様っ! 近づいてはなりませんっ!
これはただの妖魔ではありませんわっ」
人々が驚愕と恐怖の声を漏らし、
フィオナも苦し気に叫ぶ。
「力を……聖なる力を吸われていきます!
この妖魔は、”禁忌の印”をつけられた妖魔のようですっ」
「な、なんだってえええ!」
「嘘だろ、まさか! こんなところに!?」
はい、嘘です。
禁忌の印をつけられた妖魔。それは聖職者の天敵で、
聖なる力を封じてしまう力を持った特別な妖魔だ。
ごくまれに存在するのだが、これは違う。
俺はライトを点滅させ、ジェラルドは妖魔をつつきまくる。
「ああああああ! 力が! 力がっ!」
フィオナが叫んだこの言葉は、合図だった。
俺たちのさらに後方から、
エリザベートが妖魔に向かって魔弾を打ったのだ。
彼女が大得意とする闇魔法、それも腐滅する攻撃だ。
バコン! と一瞬大きく膨れ上がる妖魔。
そして俺とジェラルドは緑板の光を最大限にした後、
徐々に弱めていく。
そして粉々に崩壊していく妖魔。
俺は彼女を抱きおこして叫ぶ。
「フィオナーーーっ!」
ジェラルドも片膝をついて頭を下げる。
「な、なんということだ……」
あぜんとして動けない人々。
しかしフィオナが目を開いたことで、安堵の色が広がる。
「……大丈夫です」
彼女はつぶやき、ゆっくりと体を起こす。
そして悲し気に、自分の手のひらを見る。
「しかしどうやら、私の力は失われたようです……」
「えええ! なんだって!」
「な、なんということだ!」
俺たちは立ち上がった。
フィオナは両手の平を見つめる。
じわっと、治癒の光を放っていた。
「……もはや、簡単な程度の治癒の力しか持たないようです」
「そんな! あの非凡な聖なる力は失われてしまったのか!」
「な、なんということだ」
ジェラルド、それしか言ってねえ。台詞忘れたな。
フィオナは顔をあげ、儚げに微笑んで言った。
「でも、良いのです。皆さんを守れましたから。
これからは、この力で出来ることを頑張ります。
たとえ、聖女でなくなっても……」
「せ、聖女様……」
「ありがとうございますっー!」
「なんとお礼を言ってよろしいやら……」
涙ながらに感激する彼らを見て胸をなでおろした。
……良かった! あんなに杜撰で穴だらけの台本だったのに
なんとかなるもんだなあ。
チャララララ~と音楽が流れそうなエンディング。
俺たちは三文芝居を終え、顔を見合わせて笑う。
フィオナに力があることを充分に見せつけた後、それを失わせる。
多くの民を救ったかわりに力を失ったのだ。
誰が彼女を責めることができるだろう。
それも他国の人も巻き込むことで
教会のもみ消しや、王家の非難も避けることができるのだ。
うちの王家は、たかだか平民のために
聖女の力を失ったなんて聞いたら激怒するだろうからね。
他国の、それも公爵家を救ったとあれば、
フィオナを罰することはできないだろう。
「ありがとうございます、聖女様」
隣国の公爵家の孫が、キラキラした目でお礼を言ってくる。
頼むよ、おじいちゃんにちゃんと伝えてくれよ。
俺は妖魔の体の痕跡が
少しでも残っていないか確認しようと振り向く。
ジェラルドがすでに済ませていたようで、
俺を見てうなずいた。……これで完璧。
その時、信じられない声が響いた。
「……力を失ったのか。フィオナ」
向こうからやって来たのはディランだった。
嘘だろ、ここまでやって来たのか。
どうりでおとなしく、
フィオナが視察に出ることを許可したわけだ。
「君はもう……」
「はい。かつての力はほとんど失いました。
私はもう、聖女ではいられません」
呆然とフィオナを見ているディラン。
全てがうまくいった、そう思った時。
ディランはいきなり、美しい微笑みを見せた。
そして信じられないことを言ったのだ。
「フィオナ……良かった、嬉しいよ。
これで君は聖女ではなく、俺だけの公爵夫人だ」
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