◆初陣◆
書籍化記念。
小学五年生の和臣が初めてプロとして仕事をした日。一応書籍版の過去話ですがWEB版でも同じです。
名も知ぬ山の中。
つるりとした大きな岩の上で一人、じっと膝をかかえて座っていた。
「はあーー」
辺りには、ピリピリとした雰囲気を隠そうともしない大人たちが大勢いる。黒い着物を着た大人たちは、ささいな物音にすら過剰に反応し、腰を落として札を構え続けていた。それ鳥の声だよ。
こんな辺鄙な場所に大勢の人がいるのは、とある妖怪を退治するためだ。妖怪の危険度がAと判定され、総能によって二十人ほどの討伐隊が編成された。メンバーはどこかの家の門下生から完全フリーの術者まで様々だが、ここにいるのは全員特免を持った、プロの術者だ。
もちろん俺だって、討伐隊のメンバーに招集されたプロの術者である。小学生だけど。
「……飽きた」
この岩の上に座り続けてかれこれ1時間。初めは初陣とやらにワクワクしていた俺も、もう完全に飽きていた。もう夜も遅いし、帰らせてくれ。
「……和臣様、もうしばしお待ちを」
この隊にいる唯一の知り合い、というか親戚である分家のおじさんが声をかけてくれた。ずっと一人で暇だったので嬉しい。
俺に術を教えてくれた婆さんからは、初陣なのだから知り合いに甘えず一人でしっかりやるようにと念をおされていたが、こうも暇では仕事どころではないだろう。よし遊ぼう。
「ねえおじさん、オセロしようよ。妖怪全然でないし、暇でしょ?」
「……和臣様は、オセロ板をお持ちなのですか?」
「あ。なんも持ってない……」
今日は仕事道具ぐらいしか持ってきていない。あと兄に貰ったお菓子。兄は、静香には内緒だぞ、と言ってたくさんチョコをくれた。道中で半分ほどたべたが、まだまだ残っている。
「じゃあチョコあげるよ。一緒に食べよ?」
「いただけません。私は分家の者ですので、お気遣いは不要でございます」
「あ、チョコ嫌い? ならおにぎりもあるよ。姉ちゃんが、ほんとうにお腹が空いたときに食べなってくれた」
二個あったおにぎりのうち一つをおじさんに差し出せば、おじさんは受け取らなかった。お腹が空いていないらしい。
リュックの中におにぎりをしまう。先程食べた胃の中のチョコが消化されたら食べよう。
「和臣様」
「なに? やっぱり食べる?」
おにぎりを両手に持ったまま、おじさんを振り返る。
おじさんは、なんだかとても怖い顔をして、じっと立ってこちらを見ていた。
このおじさん、昔は毎日一緒に遊んでくれた。
なんとこのおじさん、実はちょっと前までは俺と一緒の家に住んでいたのだ。別にこのおじさん一人だけというわけではなく、俺の家には、俺の家族以外にもいくつかの家族が住んでいた。そのなかに、このおじさんの家族もいた。でも、いつのまにかみんないなくなっていた。そのせいで、今ウチは部屋が余りまくっている。
「おじさん、なんでいなくなっちゃったの? みんなで戻ってくればいいのに。また遊ぼうよ」
「……ご当主様の決定ですので」
「ふぅん」
あまり聞いていなかったが、おじさんがあまり楽しくなさそうなのでもうこの話を話すのはやめた。
そうなると、暇だ。妖怪全然でないじゃん。俺の初陣失敗じゃん。帰ってやり直していいかな。
「……怖くは、ないのですか?」
「へ?」
今日のおじさんはよくわからない。顔も怖いし。
「怖いって何が? 他のみんなピリピリしてること? 普通に怖いよ。何かしたら怒られそうじゃん」
「妖怪がです。危険度Aですよ」
おじさんもピリついているのか、声が硬い。
怒られるのはやだなあ、と首をすくめながら、おじさんを見上げた。
「怖くないよ」
ひゅう、と風が吹いた。
あたりにいた大人たちが一気に臨戦体制に入ったが、今のはただの夜風だ。本当に、ピリつきすぎだろう。俺の方が疲れてきた。
「……あーあ、こんなんならおじさんと二人で来た方が良かったなあ」
「……」
「ねえおじさん、帰っちゃわない? 俺、眠い」
おじさんは返事をしてくれなかった。
仕方なく、また岩の上で膝を抱える。少しうとうとしてきて、ぼんやりと木々の間から見える夜空を見ていた。早く帰って、妹と遊びたいなあ。でも今帰ったら姉は怒るだろうか、いや、がっかりするかも。それは嫌だ。だって。
喜んで欲しくて、来たのに。
そんな、微睡の思考のなか。
「逃げろおおおお!!」
「!!」
背後で聞こえた男の叫び声に、バネのように飛び起きる。座っていた岩から降りて、腰に下げた札入れから一枚札を取って構えた。
次の瞬間。
『……』
巻き上がる突風とともに、夜空に現れたソレ。
黒々と光る鋭い嘴に、こちらを睨め付ける捕食者としての瞳。片手には、一振りで人を刻めるほどの風を起こせると言う扇があった。
「皆落ち着け! 事前に話し合った作戦通りに行くぞ!」
一人の指示によって、大人たちが動き始める。
二手に分かれて、片方が天狗の気を引いている隙にもう片方が扇を奪うつもりだろう。たしか、あの扇さえ奪えば遠距離の攻撃の心配がなくなるから、そこをじっくり全員で倒すとか言っていたような。あまりちゃんと話を聞いていなかったので確信はないが、多分こんな作戦だった気がする。
「はっ!!」
「和臣様!?」
俺が突然声を上げて固まったので、おじさんが慌てて俺を庇うように身を寄せてきた。まずい、だって。
「お、俺、どっちに行けばいいんだっけ……?」
気を引く方が扇を奪う方か、どちらの集団に入るか聞いてなかった。しかもこうしている間にも他の人たちはどんどん鴉天狗と距離を詰めている。
「うわあああ失敗したあああ!! 兄ちゃんごめんー!!」
泣いた。
俺はなんでちゃんと話を聞いていなかったんだ。
「もうダメだ……俺なんもしないまま終わっちゃう……」
絶望していれば、なにかがひゅ、と頬を掠めた。ひりつく頬の方へ目線を動かせば、先ほどまで座っていた岩が真っ二つになっている。
「あれ?」
もう一度目線を戻せば、なぜか鴉天狗が扇をこちらに向けたまま宙を飛んでいた。なんでまだそれ持ってるの。
「……逃げましょう!」
いきなりおじさんが俺を抱えて走り出した。鴉天狗の下をよく見れば。
「あれ! 全滅してる!!」
「あれだけ怯えていれば負けるでしょう! やはり寄せ集めの集団では危険度Aは難しい! 正規の隊に救援を!」
俺とおじさん以外の術者たちは皆、地面にへたり込んでいた。その中で、先ほど作戦を指示した術者が一人、痛みに顔を歪め、血を流して倒れている。
「おじさん、なんで逃げるの? 怖がったら負けだよ、習ったでしょ?」
「冷静さを欠いても負けるのです。二人だけで天狗を相手取るのは」
「なんで?」
おじさんが立ち止まる。見れば、大量の妖怪が俺たちを囲んでいた。おそらく他の人たちの恐怖心に煽られてやってきたのだろう。
「あーあ。いっぱい来ちゃったね」
「……私の命に変えても、あなた様だけは……!」
札を構えたおじさんの腕を抜け出し、とんと地面に着地した。
そのまま、足を肩幅に開く。
「ねえ! 怖くないよ!」
俺の大声に、向こうでへたり込んでいる大人たちが顔を上げる。それに、迷わず笑いかけた。
「だって怖がったら負けちゃうし、」
胸を張って、相手を見つめた。もう、目は逸らさない。
「負けないからね!」
サン、と軽く澄んだ音が鳴る。
地面から垂直に、月明かりに銀色に光る糸が時を巻き戻した雨のように天に向かって伸び上がる。それに串刺しにされ、寄ってきた妖怪はすべて塵になった。
ついでのように、一本の糸が烏天狗の扇に結びつき、釣り上げる。扇を失った鴉天狗は、俺に近づこうと高度を落としたことで、また垂直に上がった俺の糸に貫かれて消えた。
あたりに、静寂だけが残る。
「ほら、怖くないでしょ?」
扇を拾って、怪我をしている術者のところまで持っていく。肩にあった傷は浅かったので、縫わずに治療した。
「お兄さん、痛くない? 痛み止めの札いる?」
起き上がって、自分の肩に触れたお兄さんは、ぼうっと熱に浮かされたような表情で俺を見た。
「……これが、七条家の」
「天才だ!!!」
がくん、と肩を掴まれた。見れば、おじさんが。
目をぎらつかせ、頬を染めて歯を見せるほど笑ったおじさんが、俺の肩を強く強く抱いて、目玉が触れそうなほど顔を近づけて、声を振るわせていた。
「やはり!! あなた様は格が違う!! 本物だ!! 本当の、五条にだって負けない天才だ!!」
「お、おじさ、痛い」
ギリギリと肩に指が食い込む。煮えたぎるように熱いおじさんの吐息がかかって、ガラス玉のようにびかびか光って俺を映す瞳がぎょろぎょろと動く。
「見たか!! おまえたち!! これが本物だ!!この傲慢も不遜も倨傲も!! 全て許される。なぜなら、この方こそ」
おかしい。
この人はおかしくなっている。だっておじさんは、いつも遊んでくれた優しい親戚で、いつも俺と一緒にいてくれて。
好き、だったのに。
「この方こそ! 七条の当主に相応しい!」
この人。
「あなた様さえいればいい。あなた様さえいれば……ほかの何が欠けようと! 誰が欠けようと! 七条家の栄華は約束される!」
怖い。
「やはり、戦わなければ。現当主と長男長女側につく分家衆は少なくないですが、問題ない。たとえ全員消えても、あなた様さえ残れば」
「……ど、どういう、こと?」
「あなた様が当主になることを阻む者には、消えてもらいましょう。たとえ、肉親であっても……邪魔なら、いらないでしょう? だって、あなた様以外は、どこにでもいる、普通の、紛い物ですよ?」
助けて。
そう思って先程治療したお兄さんに目を向ければ。
おじさんと同じ、おかしく光る目玉で、俺の前に跪いていた。他の人たちの目も、みんな、変だ。
ぞわぞわと、背筋が凍える。泣いて誰かに助けを求めたいのに、体のどこもかしこも固まってしまって、涙の一滴も出ない。
「私たちの山が、あなたを選ばれたのです。あなたは特別だ。あなただけが特別だ。ああ、本当に」
愛おしい。
どうやって家に帰ったのかは忘れた。ただ、多分おじさんと一緒に帰ったのだと思う。
早朝の玄関で靴を脱いでいれば、足音が近づいてきた。姉のものだとすぐに分かったが、振り返らなかった。
だって。
もしかしたら姉も、兄も。ずっと前から、あのおじさんみたいな人たちに、あんなことを言われていたのかも、しれない。
もしかしたら。
この家は、この世界は、俺が思っていたよりずっとドロドロしていて、澱んでいて。そんな汚いものを、俺の代わりにかぶってくれていた人が、いるのかもしれない。
「おかえり、和臣」
「……姉ちゃん」
背後で、ん? と優しく姉が言う。
それを聞いて、どっと体が重くなった。そうだ、俺は、喜んで欲しくて。
「……和臣? どうしたの、勝ったんでしょ? 眠い?」
「……俺」
じゃあ、どうすればいいのか。
「……術者、やめる」
俺は、普通の弟に、なりたい。
【七条家の糸使い よわよわ男子高校生のあやかし退治】
KADOKAWA富士見L文庫さまより3月14日発売。
◆サイトリンク
https://www.kadokawa.co.jp/product/322411000464/
◆ISBN
9784040758268
書籍の目次の部分が作者にめちゃくちゃ刺さったので、ぜひ試し読みで一度ご覧になってみてください。




