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七条家の糸使い(旧タイトル:学年一の美少女は、夜の方が凄かった)  作者: 藍依青糸
シン・ホーンテッドマンション

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日当たり良好

 私の仕事ってなんだったっけ。

 仄暗いマンションの階段を駆け上がりながら、少し前を走る黒髪の少女を見て思った。


 私は総能の調査記録委員。主に、罰則規定に違反した術者の監視と記録が仕事だ。

 そこに監視者の私情は一切あってはならず、ただ上司が決めた期間、違反者の行動の全てを記録し、報告する。誰の役にも立たない、ただ他人の日常を踏み躙るだけの仕事。

 それなのに、私は今、監視対象を放ってのその彼女を追いかけている。

 私の仕事って。


「止まりなさい水瀬葉月! まだ相手が何かわからない以上、無策に近づくのは危険です!」

「いたわ!」


 四階まで上がったところで、監視対象の彼女、水瀬葉月が立ち止まる。

 それに対するのは、先ほど見た人影。

 その姿を見て、思わず頭を抱えたくなるのをグッと堪えた。


 こちらを見てニコリと笑った若い男。

 平均的というには少し細身で、地毛である髪は少し明るい色をしている。

 こちらまで気の抜けるような表情で、いつものように丸い目を細めて笑うのは。


「【(れつ)】」

「ええっ!?」


 私の監視対象、七条和臣と全く同じ見た目をしたナニカに、水瀬葉月が術をかけた。

 和臣様と同じ見た目のナニカは、笑顔のままぼん、と煙になって消えた。

 明らかに怪異であるとはいえ、自身の恋人と全く同じ姿のそれを消すことに一瞬も躊躇しなかった彼女に唖然とする。そんな私の横で、水瀬葉月がツンと澄ました顔で言った。


「気持ちが悪かったんだもの」

「そ、それにしても、いきなりすぎです」


 色々言いたいことがありすぎて、もう言葉がでない。私の監視対象は多々問題のある人物だが、その周辺人物までこうも問題があるともう手に負えない。頭が痛くなってきて、思わず右手で頭を押さえた。


「なんの妖怪だったのかしら。和臣に化けるだなんて」

「だから、それを調査してから、消すべきだったんです」


 下で見かけた瞬間、和臣様の姿をした怪異だということはわかった。それで怪異を追いかけることを優先してしまったのだが、何も調査しないまま消しとばしてしまうなど、監視の仕事を放ってきた意味がない。


『なあ』

「「!?」」


 水瀬葉月と同時に、背後からの声に振り返って腰を落とした。

 そこには。


「増えたわ」

「……どういうことですか」


 和臣様が二人立っていた。にこにこと、何が楽しいのか笑っている。

 思わずため息が出てしまった。二人とも気配が薄く、そこまでの脅威ではないのはすぐにわかった。しかし、この完璧な擬態は気に掛かる。いったいなぜ、和臣様の姿を真似ているのだろうか。ここ最近の彼の行動を思い出しても、妖怪との接触はなかった。いや、馴染みの狐に餌付けをしていたり河童を探して橋の上からきゅうりは吊るしていたりしたが、こんな妖怪との接触はなかった。二十四時間監視しているのだ、断言できる。


「【寒烈(かんれつ)】」

「ま、またですか!?」


 私が何かする前に、二人の和臣様をまとめて術で消し飛ばした水瀬葉月。流石に二度目とあって、思わず澄ました無表情の彼女に詰め寄った。


「なんで消すんですか!! 先ほど調査をと言ったばかりでしょう!」

「気持ちが悪いんだもの」

「ん゛ーーー!! こういったものの対処は、治安維持部隊のあなたの仕事でしょう!!」


 しかし水瀬葉月は眉のひとつも動かさない。


「だから消したのよ。さあ、戻りましょう。和臣と不動産屋さんが泣いているわ」


 スタスタと歩き出した水瀬葉月。私は、私の仕事は、一体。


『なあ』


 もはや反射で振り返った先には、三人の和臣様。

 困惑する私の横で、水瀬葉月からぶちん、と何かが切れるような不穏な音が聞こえた、気がした。


「【空縛(そらしばり)】」

「ああ、また!」


 明らかに過剰な術で、また和臣様に化けた怪異は煙になって消えた。無表情の水瀬葉月は、温度のない目で煙を見下している。


「気持ちが悪いと言ったのが、わからないのかしら」

「いえ、そんなことより、これは異常事態です。合計六体もの妖怪が出るなど。それぞれはたいしたことがなさそうですが、正体がわからない以上、支部に報告し応援を呼ぶべきです」


 すぐ下に特別隊隊長という最高峰の術者がいるが、擬態されている以上直接の接触は避けた方が良いだろう。すぐに彼と合流し、ここを出るべきだと判断する。


『なあ』


 今度は、四人。

 四人の和臣様が、階段への道を塞ぐように立っていた。

 ここでようやく、これは単純に人に化ける妖怪の仕業ではないと理解した。百鬼夜行期間中でもないのに八体もの妖怪が同時に出るなど、異常である。そもそも、こんな薄い気配の妖怪が私たちを化かすほどの力を持っているはずがない。

 背筋を、得体の知れない怖気がかける。


「退きますよ。和臣様の判断を聞くべきです」

「……だめよ」

「え?」


 水瀬葉月に耳打ちすれば、予想外の答えが返ってきた。彼女とて術者だ。この状況の異常さはわかっているはず。

 そういえば、今日の彼女はずっとおかしい。この異常なマンションの内見に強引に向かう時点で、いつもの聡明さからは考えられないのだ。まさか。


「あなた、すでに取り憑かれて……!?」

「ドッペルゲンガーだったらどうするのよ!!」


 びゅ、と水瀬葉月が札を放つ。四体の和臣様が消え去り、残されたのは強く拳を握り俯く水瀬葉月と私だけ。


「……は?」

「和臣のドッペルゲンガーだったらどうするのよ! 和臣と会ったら和臣が死んじゃうじゃない!!」


 不安げに眉を寄せ、口をへの字に引き結んでいる水瀬葉月。……は?


「ど、ドッペルゲンガー、ですか?」

「和臣に聞いたの。世界には自分にそっくりなドッペルゲンガーが三人いて、出会ったら死んでしまうって」


 水瀬葉月が、悲壮な声でそう言って目をふせる。そういえば、監視対象の愛読書の中に一般人が発行しているオカルト情報誌があったことを思い出した。


「ん゛ーーー!! それは、都市伝説です! 総能の記録に、そのような怪異の遭遇例はありません! 似た妖怪でしたら、海にいるトモ」

「だから、全部消すわ。和臣に会わせる前に」


 私の話を聞かずに、新たに現れた五人の和臣様に札を放った水瀬葉月。

 この状況も、都市伝説を自分の弟子に吹き込んでいた監視対象も、考えるだけで頭が痛い。


「ああもう!! とにかく落ち着きなさい! これはドッペルゲンガーなどでなく、正体不明の怪異です! 我々だけでの対処よりも、応援を呼んで慎重に対処すべきだと言っているんです!」


 そう言う間にも水瀬葉月は新しく出た和臣様を七体まとめて消し、それらは全て煙とともに消えた。

 そして視界が晴れる頃には、廊下を埋め尽くすほどの和臣様が現れた。

 流石に多すぎる人数と、全て全く同じ和臣様の笑顔が不気味で、思わず後ずさってしまう。一体一体を消すのは難しくないが、この量では物理的に間に合わない。

 水瀬葉月もこのまま消し続ける作戦では根本的解決にならないとわかっているのか、札を構えつつ私を守るように前に出た。


 ああ、もう。

 早くここを出て、仕事に戻らなければならないのに。私は今、何をしているのだろう。


 私の仕事は監視と記録。監視対象のプライベートを踏み躙り、上司が求めるような報告をあげるのが私の仕事。ただ、人を陥れるただけの仕事。誰も守らない仕事。誰も幸せにしない仕事。


 やはり私は、この世で一番醜い。


 それでも。


「【六面(ろくめん)守護(しゅご)】!」

「え?」


 私の張った壁の中でポカンとしている水瀬葉月。


 彼の隣で、光の当たる場所で。誰かを守るために戦えるこの子が、妬ましくて妬ましくて。恨めしい。


 それなのに、この子との何気ない会話を記録しないで済むことに、ひどく安心している自分がいる。真っ直ぐな正義感を捨てずにいられるこの子が、暗く寒い場所で一人になることがないようにと、強く願ってしまう。


 そんな私の醜い心を知ってか知らずか、目を丸くしてこちらを見上げる水瀬葉月を見て、どっと肩から力が抜けてしまった。


「……はあ。私の仕事って、なんだっけ」

「ねえ。あなた、もしかしてすごく優秀な術者なのかしら?」

「……あなたは私を何だと思っていたんですか? とにかく、このまま少し様子を見ましょう。寄り集まっても壁を破る力もないようですし」


 私は総能幹部直属の、管理記録委員。

 そういえば、ここに配属が決まったときは、自分の実力が認められたと喜んだんだったな、と昔のことを思い出した。あの荒れた部屋も、当時はまだ借りたばかりで物がなくて、段ボールを机に慣れない酒を買って一人でお祝いをした。

 でもすぐに、あの部屋は北向きで、光が入らないことがわかった。部屋が荒れるのに、そう時間はかからなかった。


「水瀬葉月。北向きの部屋は、やめた方がいいですよ」

「急ね」


 大量の監視対象の顔をした怪異に囲まれながら。美しい少女に見つめられながら。私は、本当に久々に、笑ったと思う。


「……ねえ」

「なんですか?」

「ごめんなさい。勝手なことをして」


 水瀬葉月が、ぽつりと言って私のスーツの裾を掴んだ。なぜか急にしおらしくなっている。


「……嫌だったのよ」

「わかっています。ですがドッペルゲンガーは未確認の怪異で、コレが和臣様を害せるほどの力を持っているとは思えません」

「違うの」


 きゅ、と水瀬葉月が口をつぐむ。

 どうしたの、と腰を折って顔を覗き込みたくなる気持ちが、自分にまだあることに驚いた。でも、私にそれはもう許されないことなのだから、ただ前を向いていた。


「……和臣の幽霊みたいで、嫌だったのよ」

「……そうですか」


 それ以上の言葉はなかった。

 でも。この沈黙は、記録に残らないから。




「「!!」」


 いきなり。廊下の真ん中で。エレベーターのランプが光り、ちん、と間抜けな音が鳴った。

 すでに廊下を埋め尽くすほど大量の和臣様がいるのに、まさかまだ増えるのかと身構えたとき。


「うわなんだこれ! きめえ!!」


 本当に一人増えた。

 驚く私と水瀬葉月をよそに、増えた一人は騒がしく自分の群れに割って入っていく。


「え、何で俺!? ていうか俺こんな間抜け顔じゃなくない!? 【律糸(りっし)】」


 和臣様はボンボンと躊躇いなく自分を消しながら、階段がある方とは逆の廊下の突き当たりへと向かっていた。

 そして、レバーを引いて。内廊下の窓を、開け放つ。

 もう外は夜で、陽の光は入ってこなかったが。



 ここは、明るい。


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