物件
絶望と共にやってきた幽霊マンションの内見。
やけに笑顔が固い不動産屋の男性社員の案内で、住宅街を進む。
「こ、こちらが本日の内見物件になります」
不動産屋の男性が指差した建物を見て、俺と監視の人は春の日差しのような穏やかな微笑みを浮かべた。
目の前の建物は、六階建の小綺麗なマンションだった。入り口はガラス戸で、小さいながらもきちんとエントランスがあり、オートロックのインターホンが見える。駅前とあって近所には店も多いし、これが家賃二万は詐欺すぎる。
絶望する俺と監視の人とは打って変わって、葉月は目を輝かせてマンションを見上げていた。俺はこの子が心配です。
「本日は何階のお部屋を内見されますか? 全室内見できるように手配してあります」
「二階以上が良いわ」
もうだめだ、このマンションに入ったが最後、マッドなサイエンスを生業とする博士にエラを取り付けられてしまう。俺泳げるんでエラいらないです。
不動産屋の男性がエントランスの鍵穴に鍵を差し込み、自動ドアが開いた。しかしなぜか不動産屋さんは動かず、その場に立ったまま。
「あの、どうかしま」
「うわあああああ!!」
「えええええええ!?」
ただ声をかけただけなのにいきなり叫び出した不動産屋さん。それに怯える俺。それをみてドン引きの二人。エントランスは軽いカオス。
俺はもう泣きそうだったが、不動産屋さんはハッと我に返り、慌てて腰を折った。
「す、すみません!! その、少し驚いてしまって……」
「い、いえ。俺も急に声かけちゃって……」
「い、いきましょうか」
震える声で中へと入っていた不動産屋さんに続いて、俺たちも中へ入る。俺はもうどっと疲れてしまって、住民のいないマンションの静けさだとか薄暗さだとかは気にならなくなっていた。もう帰っていいですか。
エレベーターの中でもやけにキョロキョロと辺りを気にしている様子の不動産屋さんがはじめに案内してくれたのは、二階の角部屋だった。先に部屋に入った不動産屋さんが、パチンと電気をつける。
「おおー綺麗」
「七畳のお部屋ですが、収納が多いので広く使えます」
部屋には物がなくがらんとして見えたが、クセのない間取りで生活しやすそうだった。
「お風呂は自動お湯はり機能付きです」
「あら、素敵ね」
洗面所周りを見ている葉月たちを横目に、俺はキッチンを観察する。作業スペースは広くないが、普通に料理をするのならば困ることはないだろう。シンクも広めだし、収納スペースも多い。
換気扇の中をのぞいていると、笑顔がぎこちない不動産屋さんが声をかけてきた。
「コンロはIHで2口備え付けです」
「なに!? 葉月、絶対ここがいいって! 葉月は強火か最大火力しか使えないんだから、ガスコンロじゃないほうが安全だ!」
「失礼ね」
なかなかいい部屋だなあ、と一人で奥まで行ってクローゼットを開けていると。
「……和臣様」
「ひいっ」
後ろから突然かけられた、やけに平坦な監視の人の声に飛び上がる。振り返れば、髪を乱した監視の人が表情もなくこちらを見ていた。しまったしっかり内見していて幽霊だとか激安家賃だとかの怪しさ諸々を忘れていた。
「……なぜ、あなたまで普通に、内見なさってるんですか」
「ははは、結構いい物件だなって」
笑って頭を掻けば、ん゛――!! と監視の人が髪をかき乱しながらくぐもった声を上げた。
「これは! 詐欺です! こんな条件の物件が2万円で借りられるはずがありません! 何か悪質な契約を求められますよ!」
「でもキッチン綺麗だし……」
「ん゛―――!! あなたも! 絶対に! 詐欺にあう!!」
不吉な予言を残し監視の人が静かになった。両手で顔を覆ってしまったともいう。
「和臣、上の階のお部屋も見せてもらいましょう。間取りが違うらしいわ」
「おう」
ご機嫌な葉月と一緒に不動産屋さんの後に続いて、部屋を出た瞬間。
「ぎゃあああああ!!」
「なああああああ!?」
いきなり不動産屋の人が叫びながら飛びついてきた。もちろん俺の足腰では勢い付いた成人男性は支えきれずひっくり返る。しかし床に転がってなお、不動産屋さんは俺にひっついて離れない。
「なになになになんですか!?」
「で、でたぁーーーーー!!」
不動産屋の人が指差す先。
廊下の端。階段のある方に、人影があった。
中肉中背、というよりは少し細身の男。後ろ姿で顔は見えなかったが、そこそこ若いのではないかと思う。
男は階段を登って行ったのか、足音を響かせつつすぐに見えなくなってしまった。住民のいないはずのマンションにいる不審な男に、葉月も監視の人も目を見開き固まっていた。
しかし、次の瞬間。
「あ、待て葉月!!」
葉月が人影が見えた方へと駆け出した。
もし危ない不審者だったらどうするんだ、と慌てて葉月を止めに走り出そうとした瞬間。
「だから嫌だったんだここの内見なんかー!!!」
「うおおおお!? 離せええええ!!」
後ろからまた不動産屋さんが俺に飛びついてきた。当然支えきれず顔面から転ぶ。
俺より先に、葉月を追いかけるため走り出していた監視の人が、急ブレーキをかけこちらを振り返った。
「な、何をしているんですか!」
「重いぃ……!」
「いきなり入居者が全員退去するなんておかしいんだよ!! このマンションはおかしいんだ!!」
不動産屋さんが俺の上で叫び出す。俺は葉月を追おうともがくものの、成人男性の重みに耐えられず全く身動きが取れない。監視の人が俺を引っ張り出そうとしてくれているが、それがより不動産屋のパニックを煽ったらしい。
「不審者騒ぎの方がまだ良かった! でもおかしいんだよ!! 監視カメラには何も映らないし警察も痕跡を見つけられない!! でも毎晩毎晩新しい不審者の目撃情報ばかり!! しかも住民たちが見たのは全員違う人物!!」
「……! 和臣様! やはり、先ほどの人影は」
不動産屋が俺の背中にしがみつきながら叫び続ける。頼むからどいてくれ、葉月が不審者にバトルを挑む前に止めねば。
深刻な顔にをしている監視の人に、先に行って葉月を止めてくださいと目線を送れば、「ん゛ー!! ややこしくなるのであなたはそこを動かないでください!」と言い残し走って行った。
監視の人に全く信用されていないのはさておき、監視の人ならば絶対に葉月を止めてくれるだろうと安心していると、背中の不動産屋が涙声になりはじめた。
「上司は今すぐ新しい入居者探せっていうけど、こんな幽霊マンション誰が住めるんだ。最近じゃあガスも止めてるのに火災報知器までなるんだぞ! 幽霊なんていないって言うなら、この状況説明しろよ!!」
叫び終わったのか俺の背中の上ではあはあと息をしている不動産屋さん。その下からなんとか這い出し、不動産屋さんの肩に手を置いた。
「とりあえず、警察に連絡を」
「……もう相手にしてくれませんよ。ここ最近何度も通報しては、何も無いんですから。さっきの人影も、近寄ると急に消えるんです」
「それは怪盗的な不審者ってことですか?」
「幽霊だって言ってるんですよ!!」
めちゃくちゃ怒られた。これ俺が悪いのか。
もうよくわからないので、自分で110番に電話をかけようと、携帯を取り出した時。
「え?」
背後から、いきなり。
生白くやけに指の長い女の手が、俺の手首を掴んだ。




