豆腐と傘
お久しぶりです。久々に投稿しようとしたら投稿の仕方が難しくなって困っています。
とある地方の中高一貫校。
俺はそこで家庭科教師をしている、ごく一般的なアラサー独身男性だ。
だから。
霊だなんだオカルトだなんて、微塵も信じていないってのに。
「あー先生、それは取り憑かれてるよ」
「……はい?」
最近毎日悪夢を見るのだと、飲み会で教頭に愚痴ったのが間違いだった。思いのほか真剣に詳細を聞いてきた教頭は、難しい顔でそう言って、1枚の紙切れを渡してきた。そして、そこに行くように、とだけ告げてまた飲み会の輪に戻ってしまった。
たかが夢見が悪いだけで大袈裟な、とは思ったものの、上司が紹介してくれたのだから無碍にもできない。どうか近場の睡眠外来であれ、と願いながら、貴重な休日を潰し、向かった先には。
「……城か?」
バスの終点から、さらに山の方へと登った先にあった、どこの殿様の屋敷だというほど重々しく大きな門。終わりが見えない塀。
ここが有名な睡眠外来なのだろうか。儲かっているんだな、やはり現代人は睡眠不足だからな。……いや、本当は分かっている。
デカデカと掲げられた表札。なんだか見覚えのあった住所。
ここは。
「あれー? どちら様……って先生!」
門の中からひょっこり現れた、だぼついたトレーナーを着た、裸足にサンダルの若い男。男は、俺を見た瞬間嬉しそうにこちらへよってきた。
「卒業式以来っすね!」
「……七条」
俺の元教え子。七条和臣の家だ。
いや、実は来る前から気がついていた。教頭に渡された住所は、ここらに住む者なら知らぬものはいない大地主の家、つまりは七条家のものだった。俺はここらの出身ではないので詳しくはないが、俺の勤める学校の土地もほぼ七条家のものらしく、新任のころ先輩教師に七条家の息子の相手はさんざん注意するよう言われた。
実際には、七条和臣は別の意味で注意せざるを得ない生徒だった訳だが。目の前で誘拐されかけるわ修学旅行で迷子になるわ職員室の窓を割るわその他諸々大変だった。本当に、大変だった。
「どうしたんですかこんなところで。こっちの方には何も……って、もしかして迷子?」
「んなわけあるか」
「え、じゃあ本当に何してるんですか。まさかウチに用があるわけでもないでしょうし……」
「……」
「……え、ガチ?」
しぶしぶ頷く。こんなこと、元教え子になんて言えばいいんだ。俺は夢見が悪くて幽霊に取り憑かれてるからお前ん家に助けてもらいに来ましたってか。馬鹿げてやがる。
「ま、まじすか先生。今ウチ誰もいないんですよ。どうしよう、困ったな……。ウチに用ってことはあれですか、土地借りたいとか? それだったら駅の方にある七瀬さんって家の人に言えば大体は……」
早口で言いながら目が泳ぎまくっている七条。タイミングが悪かったのか、良かったのか。
「いや、土地なんて大層な話じゃねえ。俺も半信半疑でな、帰ろうとしてたとこだ。悪かったな。お前は本当に色々気をつけて、大学でもしっかりやれよ」
「いやぁ、中高では本当に色々お世話に……って、半信半疑? 先生、本当は何しに来たんですか?」
流されると思ったところを流さなかった七条は、眉を寄せ顎に手を当てて首を傾げた。俺は、ぐっと喉を詰まらせたものの、ここまで来て言わないというのも無理そうなので、仕方なく口を開いた。
「……夢見が、悪くてな。ここに行くように言われたんだ」
「んえぇ!?」
突然アホみたいな声を出して固まった七条。やはり、あまりにバカバカしい話だ。元とはいえ教え子に、こんなことを言うなんて。
「……七条和臣をご指名ですか?」
「は?」
今度は俺が固まる番だった。突然、見たこともないほど静かな表情になった元教え子は、聞いたこともないほど静かな声でそう言った。
周囲の音が消えるような錯覚。
見知ったはずの顔が、まるで別人のように見える。こちらを見る瞳が、そこに写った自分が。
思わず、一歩たじろぐ。
「ご指名ありがとうございます。今夜、伺いま……ってもう日が落ちますね。どうします? 泊まってきます? それとも一緒に先生の家行きます?」
急にいつもの気の抜けた顔に戻った七条は、なにやらとんでもないことを言い始めた。はっと、宙に浮いていたような意識が戻って。
「……な、なんでだ! 俺はただ、教頭に憑かれてるからここに行けと言われただけで……!」
「え、先生憑かれてるの? それとも疲れてるの?」
「何言ってるんだお前」
「うーん見た感じ憑かれては無さそうだけど……ってあ、」
じろじろと俺のつま先からてっぺんまでを見回して、なにやら遠くの方を見て声を上げた七条。相変わらずちょっと変な奴だな。いや、この状況じゃ俺も人の事言えねえか。
「先生、夢見が悪くなったのはいつ頃からですか?」
「2ヶ月ぐらいま」
「2ヶ月!? 先生耐えすぎですよ!! よく見たらめっちゃ疲れてますね!?」
俺の話の途中で突然慌て始めた七条は、また訳の分からないことを言ってぺたぺたと俺の肩や背中を触り始めた。何してやがる。というか話聞けよ、こっちも恥捨てて話してんだぞ。相変わらず聞かねえ野郎だな。
「はあ……先生、傘あげたでしょ」
「はあ? 急になんだ」
「傘。黒い傘、先生のでしょ」
「何言ってる。今日は晴れだぞ」
「2ヶ月前の話ですよ」
七条は、やれやれと言ったようにため息をついた。なぜ俺が悪いと言わんばかりなんだ、とカチンとくるが、そこは耐える。それに、思い当たる節があった。
「確かに、2ヶ月前……雨の日に、傘やったな」
「はぁ〜〜」
七条は今度こそ盛大なため息をついて額を押えた。なんなんだこいつ。
「……一応聞いときますけど、なんであげたんですか。その傘、結構いいやつだったでしょ」
「そりゃ……」
2ヶ月前。酷い雨の日だった。
仕事を終え帰路に着くと、街頭の下にぽつんと子供が立っていた。傘もささずずぶ濡れで、思わず声をかけたのだ。すると、予想以上に驚いた様子の子供は、急にくしゃっと泣きそうな顔になって、両手で持った皿を見せながらこう言った。
『豆腐が溶けちゃう』
おぼろ豆腐か、と場違いに思ったのを覚えている。
とうとうしくしく泣き出した子供が言うには、どうやら傘を落としてしまったらしい。こんな雨の日の夜に子供ひとりでお使いに出す親はどこのどいつだ、という言葉を飲み込み、泣いている子供に傘を差し出した。俺が家まで送る、と言い終わる前に、丸い目をした子供は傘を持って走って行ってしまった。しばらく辺りを探してみても、子供も傘も見当たらなかったので、当時は釈然としないまま家に帰ったのだが。
「……おい、なぜそんなこと知ってる」
2ヶ月前の出来事は、一応交番の警察官に相談はしたものの、七条が知っているはずがない出来事だった。しかも、俺の傘の特徴まで当ててきやがった。
目の前の元教え子の目がどこを見ているのか分からずに、薄ら背中が寒くなるような、そんな心地がした。
「え? あー、なんかその子がうちの知り合いで。傘くれた優しい人がいたって聞いてたんすよ。それで、先生だなって」
「あの子知り合いだったのか! おい、あの子無事か!?」
「無事です無事、めっちゃ元気」
ほっと胸を撫で下ろす。無事ならいい。今どき物騒だからな、なにかあってからでは遅いんだ。目の前のコイツだって、中学の頃怪しい車に引きずこまれそうになっていたし。
それに、あの子供から話を聞いていたのなら七条が事の顛末を知っていても合点はいく。
「……先生、どうして口だけそんなに悪いんですか?」
「あぁん?」
「相変わらずっすね」
少し笑った七条は、俺にここで待つように言って屋敷の中に入っていった。改めて見ても、なんてデカさの家だ。立派な日本家屋だということしかわからないが、きっともっと別の価値がある家なのだろう。それくらい重々しい雰囲気があった。一体どれくらい古い建物なんだ。
「お待たせしましたー。ちょうどいいのがあって良かった」
右手になにかを持って戻ってきた七条は、はい、とそれを俺に渡してきた。渡されたのは。
「番傘?」
普段使うものとは違う、和風の傘。濃い紫をしたそれは、ぐるりと白い円を描くような模様が入っていた。
「蛇の目傘ってやつっすね。先生、傘あげちゃったしちょうどいいでしょ」
「はぁ?」
「雨の日は視界が悪いから。見えないものが視えたんでしょう」
七条はまた、あの静かな表情になって、そっと目線を紫色の傘に落とした。伏し目がちになった七条の顔は、本当に、見たことの無い人のようで。どこか、触れてはいけないような。
「まあこの傘があれば大体解決ですよ! ヘビの目は強いですからね!」
「……何言ってるんだ、七条」
「それ、俺が着物着る時に使ってたやつなんで大事にしてくださいね」
「あ? そんな大事なモンいらな」
「大丈夫。お代は別の方から頂戴しますので」
イタズラっぽく笑った七条は、そろそろバスが終わる時間だから、とぐいぐい俺の背中を押した。分かったから押すな、と言ってもにこにこ笑ったままの七条は、なぜか俺と一緒にバス停までやって来て。
「先生。先生は、俺の事なんで助けてくれたんですか」
「なんの話だ」
「中学の頃とか。修学旅行の時も、夜まで探してくれたでしょ。それに、窓割った時も」
「はあ? 当たり前だろ。生徒だぞ」
「ひひひ。先生、その傘捨てちゃダメですよ」
「捨てるか」
なぜかずっとにこにこしている七条は、俺が乗ったバスが見えなくなるまで、手を振っていた。
七条は、変なヤツだと思う。まあどこも変じゃない生徒なんて見たことないが、気怠いと思っていた朝の見回り中に誘拐されかけたヤツのせいで、1年目の俺は大きなトラウマを抱えた。今だに見回りの日は竹刀を持っている。俺は家庭科教師だ。
でも、七条は多分良い奴だった。新人の頃の俺が忙しかった理由は間違いなくアイツだが、俺が教師を続けようと強く思った理由もアイツだった。アイツにとって俺は、すぐ忘れてしまうような大人のひとりに過ぎないだろうが。
「あ! 先生ー! 何してんのー?」
「ちっ。休日に俺を見かけても話しかけるなって言っただろうが」
「えー、いいじゃん1人なんだし! ケチー」
「あぁん?」
きゃはきゃは笑って消える女子生徒の背を見ながら、俺も家路につく。
その日から、悪夢は見なくなった。
次の日のポストには、2ヶ月ほど前から屋根裏に巣を作っていた野生動物を発見・捕獲したということと、今まで夜間の騒音があったことへの大家からの謝罪のプリントが入っていた。ほらな、やっぱり霊だオカルトだは関係ない、俺の夢見が悪かったのは野生動物による騒音のせいだ。騒音なんてまったく気が付かなかったが、騒音のせいに違いない。
しかしまあ、七条から貰った蛇の目傘は、今後雨の日に使ってみようと思う。
そして、数日後。
なぜか、七条家から俺宛に大量の豆腐が届いた。
「なんで着いてっちゃったんだよ。先生一般人だから、キミが着いてったら弱っちゃうよ」
『……お礼』
「お礼? その傘の? 先生に、豆腐渡したかったのか?」
『うん。……あなたの魔よけ傘のお代は、絹ごし豆腐でいい?』
「もちろん。……ちなみに、ジーマミー豆腐なんてあったり?」
『あるよ』
豆腐小僧と傘の話。




