風邪
「はっくしょん!!」
風邪だ。
「.......さむー.......」
見知らぬ病室で1人、毛布を被りトカゲのランプを抱えて横になっていた。
かなり驚きの井戸ぼちゃん事件in十条家からまる1日。低体温と貧血で強制シャットダウンされた俺は、病院に運ばれた後割と早くに目が覚めていた。応急処置が的確でした、と神経質そうな医者に言われた。応急処置してくれた皆さん、どうもありがとうございました。おかげで生きてます。
「.......」
調唄さんと八条隊長がいたのだから当たり前と言えば当たり前だが、特別隊はみんな怪我はなかったらしい。俺がぶん殴られた後の女子達が心配だったが、流石というかなんというか何ともなかったらしい。だから、俺だけ後片付けをサボり風邪で入院なんて大げさだと思う。
こんこん、と静かな病室に、控えめなノックと共に男が入ってきた。
「七条くん、この書類だけは君がサインしておいてくださいね。私はそろそろ現場に戻りますから。君は明日の午後退院ですよ」
「.......はーい」
ガサツいた声で返事をすると、書類を持ってきてくれた八条隊長はさっさと部屋を出ていった。と思ったら若干眉を寄せて戻ってきた。忘れ物だろうか。
「寒いのなら布団を足したらどうですか」
八条隊長はどこから持ってきたのか、こんもりとした布団と毛布を俺の上に置いた。
「.......ありがとうございまーす.......」
「.......」
八条隊長はなぜか椅子に座って腕を組んだ。それからティッシュを渡される。ありがたく鼻をかんだ。本格的に、風邪だ。
「七条くん、君は今回の件、どこまで理解していますか? あぁ、今は君に張り付いていた女性に少し離れてもらっているので、安心して話してください」
「うーん。憑きもの筋の人が.......気持ちががーってなって、やばい行動に出ちゃった感じですか?」
「ざっくりしすぎですね。君の脳みそははんぺんですか?」
はんぺん?
「確かに、あの憑き物がついた女性が今回本部へ脅迫文書を書いた本人です。元々憑き物のせいで感情が不安定な中、数十年前からかなり機嫌が悪かった主に怯え、感情の矛先が零様、ひいては総能に向いたのでしょう。しかしその女性に怯えた若い当主が、隠れて総能に助けを求めたのです。あの女性は当主を守ろうとヒステリーを起こしていたのに、皮肉なものですね」
「はぁ.......はっくしょい!!」
またティッシュを渡される。
「それから、零様が安倍晴明の血筋で、我々を食い物に1人利を貪っているという話ですが」
ベッドから落ちた。
「あれは嘘です」
八条隊長は完全に俺を無視して続ける。俺も寒かったので、さっさと布団に潜った。
「一部の術者の間で似たような噂話が広まっていますが、どれも全くの虚偽です。低俗なので忘れてください」
「.......元々、信じてないです」
「君の隊員達にも忘れるよう言っておいてくださいね」
八条隊長は、なんで俺にこんな丁寧な説明をするのだろうか。わざわざ直接言わずとも、書類だけ渡せば仕事は終わりのはずなのに。俺のこと嫌いだって言ったじゃん。
「それから。君は知らないと思うので、教えてあげようと思いまして」
「はぁ.......?」
「私達の家が零の家に従う理由です。昔、私達の家は救われたそうですよ。現在、私達を含めた人間の管理者が主と契約を交わせるのは、零の家のおかげなんです」
「?」
「それ以上詳しくは当主も知りません。あぁ、今の話は9つの家の当主以外知り得ない事なので、どうぞ内密にお願いします。漏えいでもした場合、君も私も首が飛びます」
いきなりなんて爆弾抱えさせてくれてんだこの人。ただの嫌がらせかよ。お願い帰って、俺熱あるの。
「.......零の家無くして、今の管理体制は成り立たない。私達は、どこまで行っても主の奴隷だ。.......私達は、これだけ覚えていれば良いそうです」
「.......」
「あぁ、それと今回、君の働きは最悪でしたね。勝手な行動の末、相手が人間だからと甘さを出して負けて、井戸に捨てられ戦線離脱です。隊長うんぬんの前に、社会人としてどうかと思います」
「うっ」
唐突にお説教タイムが始まった。確かに耳が痛いし反論出来ない。
「残った君の隊は言うことを聞いてくれませんし、無茶をしようとするので大変でした。大人しく指示に従ってくれていたら、私ももう少し楽に動けたんですが。君の教育の成果ですかね?」
「ぜ、全員優秀なんで.......」
「君に似たんですか?」
皮肉の切れ味がとんでもないな八条隊長。
「そろそろ本当に戻ります。君の分まで仕事があるので」
「うぅっ」
「.......はぁ。やっぱり、私は君が嫌いです」
八条隊長が席を立って、そのまま出ていこうと病室の戸を引いた。しかし、そこで動きを止める。
何かごそりと胸元から取り出して、こちらに目も向けず後ろ手に放ってきた。ノールックにも関わらずかなり正確に俺の手の中に落ちてきたのは、やけに安っぽい緑色のライター。
「君にはそれで十分でしょう。タバコ自体は自分で買ってください、未成年くん」
結局顔は見えないまま、八条隊長は帰ってしまった。
「.......」
ライターを見つめていたらトカゲがごうごう燃えだしたので、慌てて既に書類で溢れかえっている鞄の中にしまう。八条隊長はどんな気分でタバコを吸っているのか、ほんの少しだけ気になった。
それから、いつの間にか寝ていて。
気がついたら、特別隊の4人がいた。居たなら声かけてよ、心臓止まるかと思った。
「え、すみません皆さん色々ぶん投げて。大丈夫でしたか? 怪我は無いって聞いてますけど」
「和臣隊長っ! 起こしてしまいましたか?」
「隊長! 我々は問題ありません! 事後処理も順調です!」
「七条和臣、あんた今回、すごく災難だったわね。大丈夫? あんた、1個も悪くなかったわよ。話聞かなかったのはあっちだから」
中田さんがぺたぺたと俺の首やら額やらに手をやってくるが、冷たくて気持ちいいので黙ってされるがままになっていた。花田さんはなぜか俺を温めたくて仕方ないようで2つもカイロをくれて、ゆかりんはそのカイロをしゃかしゃかふってくれた。なんて優しいアイドル。
対して、葉月は少し離れた位置で俺を見て黙っているだけ。まさか、まだ喧嘩は継続中なのだろうか。そろそろ俺は泣く。でもチャラ男に屈したくない。
「和臣様」
入り口の方から、監視の人が声をかけてきた。珍しい、と思って目を向ければ。
「「っ!」」
花田さん達4人が腰を落とし印を結ぶ。全員がすぐにでも戦える姿勢を取ったことに、思わず苦笑いしてしまった。
「どーぞ」
監視の人のスーツの端を握りしめ、ボロボロと泣いている女の子。十条の当主、翠ちゃんだ。
さらにその後ろに、第八隊の隊員さんに両脇を固められた、1日で急に窶れたように見える黒い着物の中年女性も。
「隊長!」
「大丈夫ですよ花田さん、2人とも何もしてきませんから」
「あんた、なんでそんな信用してんの!? 女の子はともかく、その人が全部悪いんじゃない!! あんたは助けるって言ったのに、殴ってきたのはこの人だから!! あんた死ぬとこだったのよ!?」
「そうですよ、和臣隊長。この人は術者としての罰則を受けたあと、警察に引き渡されます。一般の傷害罪が適用されるんです。つまり、犯罪者ですよ」
「うーん、そんな難しいことは後でいいじゃないですか。翠ちゃん、こんにちは。おばさんと一緒に話しに来てくれたの?」
監視の人に連れられて俺の前までやってきた女の子は、ボロボロと泣いていた。監視の人のスーツを握りしめて、何度もしゃくり上げながら何かを話そうと必死になっている。そして、やっと聞こえた言葉は。
「ご、ごめ、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「うん、いいよ」
「えっ」
翠ちゃんはぽかん、と口を開け、涙を止めた。その頭を撫でて、空っぽの左手にメモを握らせる。
「今度から困ったら、ここに電話してね。総能の番号だから。翠ちゃんが助けてって言ってくれたら、俺たちは絶対に助けに行くからね。今回は助けてって言ってくれてありがとう」
「.......」
何かが漏れるような音とともに、翠ちゃんの目からぼたぼたと涙が零れた。それから監視の人の背中にしがみついて、わぁあ、と泣き出した。
「.......あなたも、言うことは同じです。今度からは、抱え込まず助けてって言ってください。憑き物落としならお近くの支部でも受け付けてますから」
中年女性にも総能の電話番号を渡す。
「.......あ、ありがとう、ございました、この子、助けていた、だいて」
憑き物が落ちた女性は、生気の抜けた顔と表情で、どこか遠くの床を見ながらそう言った。言ったあと、音もなく涙が溢れる。この人と翠ちゃんの間に血縁関係はないそうだが、親子のようなものなんだそうだ。だから、どうしても生け贄に差し出すだなんて、耐えられなかったのだろう。主に殺されることが正しいなどと言っていたこの人だ。きっと色々辛かったのだろう。
「まあ、あなたは罰則頑張ってくださいね。.......それから、あの土地は残念ですが、総能の管理となります。あの屋敷にいた人達も、全員罰則のあとも監視がつきます」
あの場にいた隊長として、この人達の処遇を告げる。もう既に色々な人から言われているだろうが、俺も一応伝えておいた。
「我々総能は、いかなる時も責任を持ってあなた達を罰し、保護します。どうか、安心してお過ごしください。.......では、またいつか」
泣いている2人は、一緒に病室を出ていった。
それを見送っていると。
「.......和臣」
くい、と裾を引かれる。葉月からの接触に思わず泣いた。ゆかりんがめちゃくちゃ慌てて俺の顔をティッシュで拭いてくれたが、痛い。拭き方が雑だよゆかりん。
「.......仲直り、して欲しいの。どうしたら、いいかしら」
思わず、俯いた葉月の頭を抱きしめて撫でくりまわした。何この子可愛い。ぎゅう、と俺の裾を握る葉月の手に力が入った。
「.......私、うざったくて、可愛くなくて、女の子らしくなくて、ごめんなさい。まだ、隣にいても、いいかしら.......」
「はぁーーーー??? 全部可愛いしすごく好きー? 泣かないでくれーー?」
もう抱きしめてよしよしと背中をさする。肩口に頭を擦り寄せてきた葉月に感情がバグってきていた。中田さん達か見てるとかはもうどうでもよかった。
「なあ、葉月。俺と仲直りしてくれるんだったら、合コン行かないでチャラ男のところも行かないで。お願い」
「行かないわ。私、あなた以外の男の子とお喋りするの、得意じゃないもの。.......行くって言ったら、あなたが止めてくれるかしらって思っただけだもの」
危うく婚姻届出しちゃうところだった。
「はぁー、良かった。七条和臣、思ったより元気じゃない。普通あんな事されたら人間不信で病むっての」
「私は今回で軽く人間不信になりましたっ! びっくりですねっ!」
「隊長、お体が冷えますのでそろそろお休みください。我々ももう退室しましょう」
それから、次の日にはみんなで車に乗って家に帰った。今回は人間が深く関わっていたため事後処理が大変だったのだが、ほとんど花田さんと八条隊長がやってくれたので俺は判子を押すだけだった。ずっと姿が見えなかった調唄さんからは、絵文字たっぷりの長文謝罪メールがきた。
それから、家に帰って大変な事がひとつ。
「和臣」
「おー、どうした葉月ー」
「看病しにきたのよ」
まだ風邪が治りきっていない俺に、葉月が常にぴったりと着いてきて看病してくれた。しかし俺は寝ているだけなので特にすることもないのか、たまに俺の指をいじったりしてひとり遊びまでしていて、今までにない距離感だった。
全部が可愛いすぎて混乱していたら、風邪が中々治らず1週間引きずった。
本望だった。
ここまでが前説。




