耽溺
たまに痙攣するようにびくりと跳ねるだけになった、頭を落とされた大ムカデ。
酷い雨風の中、その巨大な妖怪に立ち向かっていた術者達は、皆表情を緩めることなく、決められた位置について糸と釘に囚われた妖怪の死骸を見ていた。その死骸も、もう直にあの糸と釘の霊力に耐えられず消えることだろう。
「...................孝臣弟」
「ひっ」
いきなり背後から声をかけられ、情けない声とともに足場から落ちかける。俺が背負った隊員ごと、一条隊長に掴まれた。
「...................助かった」
ぺこり、と一条隊長は頭を下げてくる。慌てて俺も頭を下げた。一条隊長は、どこもかしこも一条さんとそっくりだ。一条さんと違うところと言えば、目がすこしくり、と大きいところくらい。コミュニケーションの難しさは同レベルだ。
「.........................?」
こてん、と首を倒しながら、俺のことをてっぺんからつま先までそのくりりとした目で見てくる一条隊長。何がそんなに気になるんですか。と思ったら俺は今警備員の格好なんだった。そりゃ気になるわ。
「おーい! 一条ー! ウチの隊員がすまなかった! 助かった!」
「.............ん」
すこし上の位置から兄貴の声がする。一条隊長はその場ですこし唇を緩めて、こくん、と頷いた。目はキラキラとしていて、もっと褒めて欲しいと言わんばかりに兄貴を見ている。
「おい一条! 七条! さっさと後片付けすっぞ! 早ぇとここんな天気の山から出ねぇとな!」
「.............」
一条隊長は急に斜め下を向いて上唇を尖らせ、つまらなそうにこん、と足場を蹴った。
待て。一条さん息子、めちゃくちゃ表情と仕草で気持ちがわかりやすい。会話はままならずとも、考えていることは分かるぞ。お父さんとは大違いだ。
「...................孝臣弟」
「は、はい! 俺も片付け手伝います!」
無表情。しかし、ぱあ、と目が輝いた。めちゃくちゃわかりやすい。
なんで今まで気が付かなかったんだ。答えは分かっている、一条隊長と接点がなかったからだ。いつもお世話になっているのはお父さんの方なのだ。
「一条、すまない。隊員は俺が.......って、警備員?」
新しく足場を作ってこちらにやってきた兄貴は、俺が背負っている隊員と俺を交互に見て表情を曇らせた。実の兄にすら気づかれないのか、この格好。
「.......ん? ま、まさかお前和臣か!? は!? なんで、何してるんだ!!」
「あ、気づいた」
「「あ、気づいた」じゃないこのバカーーー!! 何してるんだそんな格好でこんなところでーー!! 兄ちゃん仕事中なんだよ!! 霊力出し切って疲れてるんだ!この、このバカ!」
「ばか兄貴、見て分かんないのかよ。俺も仕事中。バイトだよ、バイト」
「余計に理解できるかぁーーーー!!」
べしん、と頭を叩かれる。帽子の上からだったので大して痛くなかった。この服万能かも。
「まあ、とりあえず片付け手伝うよ。.......あとさぁ」
「なに勝手に話を終わらせてるんだこのバカーー!! バイトってなんだ! お前何した! 詐欺か!? 詐欺なのか!?」
「今度さ、もう1回さっきのやってよ。先輩の釘と一緒にやったやつ。.......今度、俺にも教えて」
「話を聞けーー!!!」
鼻をつままれる。しまった、この服でも顔面の防御は手薄だったか。
「あ? てめぇら何して.......警備員?」
怪訝な顔でやってきた先輩も、その警備員が俺だと分かると爆笑し始めた。俺が割と本気でさっきの教えてください、と頼んでも笑いすぎて聞こえていないようだった。ひっそりと心が痛い。
「...................孝臣」
「ん? どうした、一条。.......ああ、下に管理部が出てきたのか。俺たちもそろそろ行かないとな」
大ムカデの死骸が消え、荒れた山にわらわらと管理部の人達が出てきて後片付けをしていた。俺も下に降りようとして、雨に濡れた足場で滑って転ぶ。
「いだぃ.......」
「バカ! 雨も風もまだすごいんだから気をつけろ! だいたい空中にいたら風が強いの分かるだろ!? なんでお前は昔からそんなに不注意なんだ!」
「ぶははは!! か、和臣が、警備員で、警備員が、コケてやがる! ぶはははは!」
先輩はツボってしまったらしく、雨風の中腹を抱えて笑っている。一条隊長はさっきからひょい、と足を上げて足裏を確認したりしている。靴が濡れるのが嫌なのだろうか。
「.............雨」
「ん? 雨がどうした、一条」
「.............止ま、ない」
「「え?」」
思わず兄貴と同時に空を見上げる。どす黒い雲は相変わらず大粒の雨を吐き出しているし、風は変わらず人を飛ばしそうなほど強い。
いや、先程より確実に、天気が荒れている。
「.......本格的に崩れだしたか。早めに撤退しないとな。おい、二条。笑ってないで行くぞ」
「お、おう.......く、くく。警備員.......!」
先輩がそんなに笑ってくれるのなら最早良かったです。
今度こそ慎重に足場を降りながら、ちらりと横に目を向ける。100人以上の隊員達は、どこか清々しい顔で俺たちのあとから地上へと向かっていた。こんな空中戦、慣れっこなのだろうか。
「.......孝臣」
「さっきからどうした、一条」
「.............変」
ビタビタになった着物の袖を見せながら、一条隊長がくりりとした目で兄貴を見た。その様子に、兄貴が眉を寄せた時。
頭上。どす黒い雲の中。
何かが泳ぐ、音がした。
「「「!」」」
瞬間、突風。
恐ろしいことに、その風によって男子大学生である俺の足が浮いた。
「バカ!!!」
兄貴に胸ぐらを掴まれ、無理やり足場に伏せる。人ひとり吹き飛ばすことも難しくないほどの強い風は、決して瞬間的なものではなかったと、地上に目を向けた今更気がついた。
地上から悲鳴。空から悲鳴。
1人。地上から、人が巻き上げられた。
空にいる隊員達のように、風に飛ばされないような姿勢を知らない地上の管理部。その中でも一際小柄で、たまたま踏ん張りの効かない場所にいた、管理部の女性職員が。
あまりに非現実的な状況に、それを見ていたこの場の全員が悲痛な叫び声をあげた。
「かず」
「【七壁・守護・御衛・百歌】!」
兄貴か先輩かの叫び声に被せるように、空に壁を張った。イメージするのは、数年前の富士山頂。小さな彼女がやって見せた、あの強固な守り。
その壁に、溺れたそれが落ちる前に。
「七条!?」
ぱ、と。俺の背中から、大きな手が離れた。足場から、背の高い男が飛び降りる。その男は、空に舞った、小柄な女性を抱きとめて。
「ちっ!! 【三壁・守護・三歌】!」
先輩の舌打ちの意味。
俺たちが使うのは、壁だ。本来、外敵を通さぬための、守りの壁だ。
落下する人間を受け止めるには、硬すぎる。
「.............孝臣」
鈍い音とともに、牧原さんを抱いた兄貴が壁に落ちる。というより、激突する。先輩が張った壁の上で、2人はぐったりと動かない。
本来、あの壁を出すべきは俺だった。俺だったら、もっと早く、もっと衝撃が少ない時に壁を張れた。
しかし。
そちらに壁を張れば、ここにいる全員が死んでしまう。
「あああああああああ!!!!」
ぐちゃぐちゃの感情のまま、張った壁に力を込める。
『ーーーー』
落ちる。
溺れたそれが。
空に溺れた龍が、落ちてくる。
「だあああああああ!!!」
大きな龍だった。先程兄貴達が倒したムカデと同じほどの大きさの、薄青く美しい、赤い瞳の龍だった。
身体中に、赤黒い傷を受け。ムカデに噛まれた跡を、痛々しく残した。
「耐えろ和臣!!!」
「あああああ!!!!!」
100ある壁の半分は砕け散った。理由は単純。
重いものを真正面から受け止めたから。
落ちてきた龍が、面では無く点として壁にぶつかったから。
傷ついた龍が、この山の主が。自分の世界に帰って、我を忘れて全てを蹂躙せんと暴れだしたから。
この山にいる限り、あの龍は神に等しい。
人は、神には敵わない。
「和臣っ!!」
先輩の叫び声。腰元のランプがじわりと熱を発する。
耐える。耐えられる。耐え抜ける。この程度、霊力がほぼ万全の俺に、糸すら出していない、兄貴に壁すら張らなかった俺に耐えられないはずがない。
だって。
下には人が。先程あれだけ美しい繋がりを見せた、人々が。
「.......っ!!」
でも。
あの、龍。
俺は、あの生き物の美しさを知っている。その大きさに関わらず、美しく気高い生き物だと知っている。
そんな生き物が、痛みに我を忘れのたうつ様は。
「.......戻、れ.......!!」
正気に、あの美しい姿に、戻ってくれ。
壁は、残り20枚。
「.......なんだありゃあ!?」
「...................龍」
先輩と一条隊長の声は。
高い高い、空に向けて。
『.......』
位が違う。
この土地に限定された、狭義の神であるこの龍とは違う。
金の瞳の、神が来た。
暴れのたうつ傷だらけの龍とは、大きさも存在の位も何もかも桁違いの龍。惚れ惚れするような、俺が焦がれる大きな龍。
その龍は、今日は背に食い逃げ犯を乗せていなかった。
『.......』
ゆらり、と。あくまで優雅に、暴れる傷だらけの龍を見て。
お前なぞ、1口で喰えるのだぞ、と。その金の瞳だけで見せつけて、空を乱した小さな龍を黙らせる。
また、ゆらりと金の瞳が前を向き。高く高く登りつめた龍は、どす黒い雲の中へ消えた。
どす黒かった雲は、あの龍に毒を抜かれたように、大人しい灰色の雲へと変わっていく。
「.......」
か細い雨粒が落ちる壁の上には、ぐったりとした龍と、2人の人間が乗っていた。




