助力
「帰るーーーー!!!!」
叫んで暴れた。車内は軽いパニック。
「ど、どうした和臣! 山が怖いのか!?」
「ペアで回るから大丈夫だぞ! 俺が守る!」
「警備って言っても山の入り口見るだけだから、中には入らないぜ.......?」
一通り暴れ、シートに突っ伏し泣き出した俺に3人が声をかけてくるが、それどころじゃない。それどころじゃない。
「.......狂ってる、総能.......」
「「「へ?」」」
目の前の山。大荒れなのは天気だけではない、どす黒とぐろを巻いたあの山は。
明らかな、霊山である。
なんでアルバイトにこんな状態の時に警備させてんだ。そもそも一般人近づかせるなよ。狂ってる総能。
「和臣、悪かったって.......まさかそんな嫌がるとは.......山の警備とか、珍しいから驚くかなって思ってたんだよ」
我が家の家業を教えてやりたいよ。
「和臣、お前車で待っててもいいぞ? 俺たちだけで」
「ダメだ! 全員で帰る! 帰るったら帰る!」
「いや、これバイトだし.......」
いつの間にか山の近くの駐車場に停止していた車の中で、俺とあほ3人の押し問答が始まる。帰れ、この際もう俺を置いていってもいいから帰れ。近づく前に帰れ。
延々と続くと思われた帰る帰らないの言い争いの中、俺たち全員いつの間にか雨合羽を着て大荒れの車外に出ていた。しまった、いつの間にか行く方向に流され始めている。だが、これ以上は本気で進ませてはいけない。
別に、霊山の周りを何もせずうろつくぐらいなら、普段なら何ともないだろう。しかし、今日はダメだ。今だからダメなのだ。
山自体が危険なのではない。問題は、そのどす黒い周りだ。
「お前ら、いいから帰っ.......」
「すみませーーんっ!!」
怒鳴りつける途中で、男の声がした。視線を向ければ、見覚えのある紋の書かれた黒い雨合羽を着た2人が雨風の中走ってきている。
思わず目が点になる。なぜここに。
「も、もう、申し訳ありません! 連絡が、い、行き違いましたが、本日の警備は不要です! お帰りください!」
ラグビー部3人はぽかん、と頭を下げる黒い雨合羽の小柄な女性と、若い男性のペアを見ている。
総能の管理部、それも本来京都の本部に務めているはずの、本部管理部の2人を。
「そ、そちらの警備会社様には、ほん、本日の警備は、不要.......と、との連絡を入れたのですが、本来ならば、担当の事務所へご連絡す、すべきだったようで.......ど、どうか、ご確認ください」
「え、はぁ.......」
そんな坂田の携帯が突然鳴り響く。慌てて電話に出た坂田は、しばらくしてから携帯を耳から外して、本当にキャンセルだ.......と驚いたように呟いた。
その間、「すみません、牧原先輩.......俺のミスで、こんな.......」としゅんとしていた男性を、小柄な女性が真っ赤な顔で一生懸命慰めていた。それから、女性は慌ててこちらを振り向いて。
「お、お気をつけてお帰りください! 今後とも、よろしくお願いします!」
ぺこりと小柄な女性がお辞儀し、それに続いて男性も頭を下げた。ラグビー部3人は理解が追いついていないような顔のまま、車に乗り込んで。
「.......おい、和臣。今日キャンセルだって。バイト代は出るってさ」
「和臣の言う通り、こんな天気危なすぎたのかもな。やっぱ山の近くに住んでるやつの言うことは聞くもんだったなー」
「悪かった和臣! お前が正しかった!」
どうやら俺が天気を気にして帰りたがっていたことになっているらしい。まあ半分当たっているが、もう半分は別の理由だ。
背後の山が、ぎりりと悲鳴を上げる。締め上げられたことへの悲鳴か、そもそもあんなモノが我が物顔で居座っていることへの怒りか。それは分からないが、良くない状況というのだけはハッキリしていた。後ろで牧原さんともう1人が腰を抜かして震えながら山を見上げているし。
「.......」
「和臣? 早く乗れよ、帰るぞ」
「.......」
帰る。そう、帰るべきだ。管理部がいるということは、総能がきちんとこの山に対応しているということ。恐らくどこかの部隊も来ているだろうし、何も問題はない。そもそも俺には連絡も来ていない。総能の判断では、俺は不要なのだ。
俺は何も見なかったことにして帰ればいい。むしろきちんとした対応の中にいきなり飛び込んだところで邪魔なだけだろう。
「わ、あぁ.......!!」
「ま、牧原先輩.......!! これ、これどうす.......俺、こんな現場、初めてで.......! 安定職だと思ってて.......!!」
だけど。
「悪い! 先帰っててくれ!」
車の中の3人に向かって叫んだ。今持っている札は最低限、指環と手袋は一応ポケットに突っ込んである。
「「「はぁ!?」」」
「あの人達俺の知り合いだった! 俺のあの人達と話してから帰るから!」
「待て! 和臣制服!!」
「後で返しに行くから!! じゃあな!」
ばん、とドアを閉めて戸惑いながら発車した車を見送る。それから、座りこんだ管理部の2人の前に立って、ぐい、と腕を引いて立たせた。
「立ってください! ここに管理部が居るってことは人払いでしょう!? これ以上一般人通しちゃダメだ! 早くやりましょう!」
そう。なぜ本部管理部がここに居るのか。恐らく、人手が足りなかったのだ。これだけの山、あれだけの大きさの妖怪に対する人払いを、この悪天候の中執り行うには地元の管理部では、数と実力ともにとても足りない。だから、わざわざ本部から優秀な管理部がやって来ているに違いないのだ。それにも関わらず、先程の俺たちはここまで来てしまった。
それは、つまり。
本部の術者達をもってしても、未だ人払いは済んでいないということで。
「俺も手伝いますから、早く人払いを! それが済まないと部隊も派手に動けない! あんなデカブツ相手にコソコソやるよりさっと倒した方が楽にすむ!」
びくん、と牧原さんの小さな肩が跳ねた。
あの、妖怪。
山を締め上げる、とぐろを巻いた巨大な黒。
がさりがさりと、明らかな質量と体積を持った数えきれないほどの足を動かす妖怪。
大ムカデ。
あれは山を抱いて余るその巨大さ、本物のムカデもかくやという生命力ゆえに、討伐には100人以上の隊を組むのが推奨される妖怪だ。
なら、今現在確実にどこかの部隊と、隊長が来ている。それにも関わらず未だあの山が大ムカデに巻き付かれているのは、人払いが済んでいない今、100人単位の部隊が派手に動けないからに違いない。ここに呼ばれた隊長はさぞ歯がゆいだろう。
「あ、あなた、は.......!?」
牧原さんが、俺を見上げて驚いたように胸に手をやった。
そう言えば、まだ名乗っていないし気絶させていない。雨合羽と帽子で顔が見えていないのか。雨風が酷くて声も良く聞こえていないのかもしれない。
黙っている俺に、若い男性の方が怯えたように牧原さんの影に隠れたが、体格差がありすぎて全く隠れられていない。
「.......はぁ。どうも、警備アルバイトの七条和臣です」
ぱ、と雨合羽と警備会社の帽子をとって顔を見せた。もうどうにでもなれ、気絶するならしてくれ。嘘だ気絶しないで仕事して。
「ひいぅっ.......っ!!!」
「.......ま、牧原先輩.......俺、夢見てます? だって、あの七条特別隊隊長が、深夜警備のアルバイトしてるようにみえるんです」
予想外にまだ2本の足で立ってくれている2人。そこへ、少し手前でタクシーを帰らせてびしょ濡れになって走ってきた監視の人が。
「か、和臣様! これは.......!」
「すみません! 人払い手伝ってください!」
「っ! しょ、承知しました!」
びしょ濡れのスーツ姿の監視の人が走り出したのをみて、管理部の2人がはっと肩を揺らした。
「.......し、七条特別隊隊長!」
「はい? あ、牧原さん達って防水の札持ってますよね? 俺今紙しか持って無くて.......」
雨合羽の下から、トカゲのランプに温められていた札を取り出す。一瞬で雨と風にビタビタにされた。
この雨の中、紙の札はすぐにダメになる。後片付けは面倒だが、地面に直に書く方法もある。しかし、この雨で流されないような塗料や書く手段がない。なら、使いずらさを無視して他人の札を借りるのが1番早い。
「七条隊長なんですっ!」
「.......はい?」
ぼろり。牧原さんの大きな目から出た涙は、雨粒と混じりあって頬を滑り落ちた。
え、なんで。
思わず硬直する。まさか、まさか俺か。俺が泣かせたのか。あまりの衝撃にただ突っ立っていることしか出来ない。助けを求めるように目を向けた牧原さんの隣りにいた男性職員は目が虚ろだったので、意識がないのかもしれない。
涙を流しながら、顔中を雨と涙で濡らしながら、それでも顔を拭うことなく拳を握って、牧原さんは叫んだ。
「し、七条隊長が.......! 一条隊長と、二条隊長と、い、いま、今、あそこにいらっしゃる、んですっ! わ、私、私.......!! 私が! ひ、人払いが、遅いから! 七条隊長は、大変で!」
「へぇ.......兄貴、虫苦手なのに良く来たな.......」
「え?」
「あ、すみませんこっちの話です。なんだ、3人も来てるなら大丈夫ですね」
慌て過ぎた。隊長が3人とは、総能は今回、相当余裕を持って対応しているらしい。そりゃ俺いらないわ。
「和臣様.......周囲の人払い、済ませました.......」
「え!?」
ずぶ濡れ、髪を乱した監視の人がよろよろとやってきた。嘘だろ、早すぎる。
「.......当然です。調査記録委員にとって、これは必須技能ですから」
素直に関心した。この速さの人払い、ウチの隊に欲しい。
俺は毎回、人払いの時にはアホみたいに札を撒いてスピードをカバーしていたのだ。正直に言って力技。みっともないのでやりたくないのだが、人数の問題で質より量で押すしかなかった。
「.......すみません、不定期な仕事なんですけど」
監視の人を勧誘しようと声をあげた時。
びしゃん、と。
裂けるような音と光が、当たりを染めた。




