社畜
パソコンに向かいながら、3パターン目の旅行計画書に海の写真を貼り付ける。隣では、俺の肩で赤い顔を隠している葉月。そして部屋の隅で立っているのは、気まずそうな監視の人。
「か、和臣.......ごめんなさい」
「いや、今回も俺が全面的に悪い」
「で、でも.......思い切り殴っちゃったわ。気絶するくらい」
「むしろ歯が折れなかったことを喜ぼう」
ぎゅ、と葉月がまた顔を俺の肩に押し付けて隠した。そのままもじもじと動いて反省している葉月、可愛いのでオールオッケー。地球温暖化すら解決するレベル。
「.......あなたが勉強のために家に帰らないなんて、信じてなかったの」
「日頃の行いってやつだから気にしないでくれ」
「そしたら、女の人を連れて家に帰ってきて.......」
「3万パーセント俺が悪いな」
「.......本当にその人とは何も無いのよね?」
「ある訳ないだろ?」
肩口にある小さな頭へと顔を向ける。久しぶりの葉月は、やっぱりいい匂いがした。
そのまま葉月の手を取ったところで、はっとしたように葉月が俺から離れた。うわ、泣きそう。
「ひ、人が見てるわ」
「え? あぁ、大丈夫この人は監視のプロだから」
「何が大丈夫なのよ」
「風呂からトイレまでついてきてるのに、彼女とイチャつくくらいなにを今更.......」
俺のノートの書き間違いまで記録されてるんだ。今更部屋でいちゃついてましたと記録されようが屁でもない。嘘だ、ちょっと恥ずかしい。しかしそれより葉月とイチャつく方が重要だ。
「.......お風呂から、トイレまで?」
「昨日なんて着替えが無かったことまで記録されたんだ」
部屋の隅で、「ん゛ーー!!」と髪をにぎりしめている監視の人が居たが、何かあったのだろうか。そして毛根が心配だからその感情表現はやめた方がいい気がする。
「.......なによ! 随分仲良しじゃない! 私のこの1週間が馬鹿みたいじゃない!」
今朝から敷きっぱなしにしていた布団の上から、葉月が枕を取って俺に投げつける。柔らかいはずの枕なのに異常な衝撃。鼻取れてませんか。
「.......え? なんで?」
「知らないわ!」
葉月がスタスタと出て行ってしまった。え?
「え? フラれた?」
どっと冷や汗が出た。慌てて葉月を追いかけようとして。
「七条和臣様」
「くそおおおお!! どけええええ!!」
なぜか家に上がり込んでいる白い女を押しのけた。家に上げたのは妹らしい。後ろでオロオロしていた。
「立場を考えなさい! 今総能に逆らったらどうなるのか分かっているのですか!」
「いやだああああ!! 葉月ぃーーー!!」
監視の人に襟を掴まれ、無理やり総能の式神に黒い封筒を握らされる。
「葉月いいいい!!!」
「早く確認を!!!」
思い切り黒封筒の中身を床にぶちまける。
「ん゛ーー!!」
監視の人がそれを拾っている隙に、窓から飛び出して庭の端にある父の盆栽スペースの隅で、ぐっと眉を寄せて立っていた葉月に駆け寄る。
「葉月! 葉月ごめん! 捨てないで!」
「.......あなたが、私を捨てたのよ」
「そんな訳ないだろ!? そんな訳ないだろ!? は、え、そんな訳ないだろ!?!?」
大混乱だった。
「.......だって、あなた温泉の後から目を合わせてくれないじゃない。それに、ここ1週間は帰ってもこないじゃない」
「ごめんなさい実力不足が心に痛くて師匠ヅラするのが気まずかっただけです!! すみません女々しくて!! 葉月さんがいないと俺多分死にます!!」
「なら連絡しなさいよ! 嫌がられると思って黙っていたけど、会えないなら電話ぐらいしたいわよ!」
「今からかけまあああああす!!」
通話ボタンを押した。当たり前のように目の前の葉月のポケットから着信音がなる。眉を寄せたまま、葉月が電話を取った。
「.......もしもし?」
「もしもし葉月さんですか!? 僕あなたが好きなんですけど捨てるの考え直して貰えませんか!?」
「.......わ、私も、好き.......だから、考え直して、ちょうだい」
思わず携帯を放り投げた。ぼちゃん、と池に落ちた音がした。
「ちょっと!」
「抱きしめていい?」
「早く携帯を拾いなさいよ!」
「完全防水」
ぎゅっと葉月を抱きしめた。みーんみんみん、と蝉の音が聞こえる。眩しすぎる日差しに、夏を感じた。
「.......暑いわ」
「そうかな? まだまだ夏はこれからだぞ」
耳を赤くして俯いた葉月を離して、池の中に手を突っ込んで携帯を拾った。鯉は相変わらず俺をエサだと思って寄ってきた。お前達、毎日父さんにエサ貰ってるだろ。どんだけ腹ぺこなんだ。
「ふんふんふーん」
「.......不安になる音程とリズムね」
大きな問題が解決して、気分が軽い。鼻歌を歌いながら家に入った。あれ、でも俺何か重大なことを忘れている気が。
「.......か、和兄! お姉さんに謝りなよ! 怒ってるよ!」
「へ?」
慌てた妹がよってきて、廊下の端を目で示す。そこには、髪を乱して息を荒くした監視の人が。微かに震える手で黒封筒の中身を持ち、ブツブツ何か呟いている。怖。
「す、すみません! さっきはちょっと慌ててたというか.......仕事ならやるんで」
「わ、私、私は、あなたを監視、するのが仕事で、」
怒りのあまり言葉に詰まる監視の人。申し訳ない。
「ほ、本来なら助言や接触は、しないのが監視者の適切な姿勢です」
「は、はあ.......」
「ですが! あなたが! あの時のあなたが! 忘れられないから! あなたに不利にならないよう、上に公私混同で注意されるのを覚悟で! 助言をしているのに!! 全然!! 聞いてくれないっ!!」
半分以上何を言っているのか分からないが、何やらとんでもなく申し訳ないことをしたことはわかる。そっと廊下に正座した。
怒り冷めやらぬ監視の人は。
「あの時のあなたは別人ですか!? 普段のあなたはおかしい!! なんでそんなに情けないんですか!? あと服を着なさい!! 仮にも妙齢の女性である私に対して恥じらいがゼロ!!でもいっつもパピコ半分くれる!! 監視なんて居ないものとして無視すべきなのに!! 飲み物も絶対自分と同じものをくれる!! 私達はあなたにひとっつも有利な事などしないのに!!」
監視の人の髪はもうボサボサだ。
2週間一緒にいただけであんなに冷静だった人をここまで感情的にしてしまうとは。七条和臣、死刑。ところで、さっきから言ってるあの時ってどの時ですか。初めてパピコ買った時ですか。
「私が、監視を下ろされたら! 違う人が監視についたら!!あなたは確実に軟禁生活ですからね!! みんな都合よくあなたを好きになるなんて思わないでください!!」
「ちょっと、どういう事よ」
葉月が拳を握りしめて前に出ようとしたのを取り押さえる。どうどう。
「ん゛ーーーーもうっ!! なんで監視なんてされてるのよ!! 仲のいい家族も恋人もいるんでしょ!! なんで私なんかに一日中付きまとわれて記録付けられてるのよ!!」
これがキャラ崩壊ってやつか。今まで俺に対し無表情で、あなたは監視対象以外の何者でもありません、としか言ってこなかったこの人が。
「こんな人の幸福にひとっつも繋がらない粗探しの仕事やめたい゛ーーーー!!!! 幹部直属だかなんだか知らないけど!! 調査記録委員になんて入らなきゃ良かったぁーー!!」
とうとう泣き出した監視の人。葉月も妹もドン引きしていた。そりゃあそうだ。俺だってちょっと怖いもん。本当に仕事は人を狂わせるんだ。
そっと、監視の人を刺激しないよう声をかける。
「.......俺のせいで嫌な仕事させてごめんなさい。大丈夫ですか?」
「.......あなたは自分の心配をしてください。早く封筒の中身を確認してください、私はあなたに助言はしますが、報告内容を歪めたり提出しないことは決してありません。昨日の事も、既に報告済みです」
渡された黒封筒の中身は。
「うわあああああ!! 思い出したあああああ!!」
「妖怪と、勝手に約束なんてするからです。しかも、人手が足りない百鬼夜行の初日に」
本部からの、呼び出しとお怒りの文書だった。




