逃走
ごぎん。
首が折れる音は、きっと。
「【滅糸の七・追式・至緻助雨】!!」
花田さんの拳が割れる音より、軽い音だと思う。
花田さんに殴り飛ばされた赤黒いそれにハリボテの術をかけて、一気に花田さんと階段を飛び降りた。軋む首に手を当てて咳き込みながら車に走り寄って、全員に向かって叫んだ。
「一般人を! 人払いをしろ!!」
東京タワー内なら、既に管理部が人払いをしているはずだ。ただ、その外はいつも通り、一般人の東京だ。
「「「「了解!」」」」
ダラダラと血を流す花田さんの拳を治療しながら札を撒き散らす。その間にも花田さんと中田さんが電話をかけ、連絡を入れる。
みしり。
嫌な音がした。
まずい。もう術が持たない。当たり前だ。なんせ中身がない。ハルの真似をしただけの、音と雰囲気だけのハリボテだ。俺はハルのあの術の仕組みを、きちんと理解していない。だからこんなものしか使えない。
「全員よく聞け!! あれは悪魔だ! 沖縄の時の奴じゃないが、本物の悪魔だ!」
「隊長! 1番近くの隊長は四条隊長です! 1時間程で到着予定で、五条隊長は到着まで1時間半ほどです!」
1時間半。
「聞け! これは命令だ!! いいな!」
全員がぎょっとしたように俺を見た。
「全員花田副隊長と退避!! その後の指示は全て副隊長に従え! 副隊長、分かってるな!!」
「反対します! 副隊長として、反対します七条和臣特別隊隊長!!」
ぐっと怒鳴り声を抑えて。バクバクと鳴る心臓も、湧き上がる焦りも全て無視して。
「.......大丈夫ですよ、俺一人で。ハルが来るまでの時間稼ぎですから」
笑った。俺が取り乱してはいけない。全員、落ち着いて逃げられるように。
「ほら、命令ですよ? 実は俺も隊長ですからね。皆さん命令には従ってください。クビにしちゃいますよ?」
まだまだこれからなのに。これから、1人でやらなくてはならないのに。もう変態は来ないのに。
ばきばきっと、指環が割れていく。
「.......ほら、路駐ですし。早く移動しないと、ゴールド免許じゃなくなっちゃいますよ?」
俺は変態のように、悪魔を抑え込みながら儀式の手順を踏むなんてできない。恐らく、真っ向からやり合ったら長くは持たない。だから、逃げなければ。悪魔が俺へと興味を持っているなら、1秒でも長く逃げなければ。
「.......んなこと言ってるんじゃない!! 反対してるんだ!! 信頼して貰ってると思ってるから!! 俺は反対してんだよ!!」
花田さんに胸ぐらを掴まれる。
「時間がないから簡潔に言う!! 俺らを使え!!俺の心臓でもなんでも使って1秒でも長く時間を稼げよ!! それが俺の仕事なんだよ!! 」
そんな1秒、いらない。
そんな1秒より、花田さんが奥さんと娘さんと、ぼーっとテレビを見る1時間が欲しい。
そんな1秒より、中田さんが優止とデートをする1日が欲しい。
そんな1秒より、ゆかりんがレギュラー番組を持つ1年が欲しい。
そんな1秒より、葉月が。葉月がただ生きている一生が欲しい。
だから。全員、そんな目で見ないでくれ。
「.......本当に」
胸ぐらを掴む花田さんの手を外して、まっすぐ全員の顔を見返した。
「1秒のために死ねるか!?」
「「「「もちろん!」」」」
「よっしゃあああ!! 全員よく聞けよ!!」
全員、呼吸もせず俺を見つめている。花田さんが、ゆっくり舌をだして唇を舐めた。
「花田さんと中田さんとゆかりんは、俺と一緒に。時間稼ぎをしてもらう。東京タワーでな。葉月は、」
にぃ、と。唇が上がったのは。
「葉月。沖縄の時の術、覚えてるか。1人でできるか。血はこれから来る四条隊長に頼め」
花田さんと。
「葉月。覚えてるな。1人でやれるな。ハルが来るまで頑張れるな」
中田さんと。
「葉月。思い出せ。1人でやれ。待っていろ。俺が行くまで」
ゆかりんと。
「やれ。水瀬葉月」
葉月。
『舐めるな狂人ーーーー!!! もう2人の狂人もなあああああ!! いくら狂った人間だろうと私は負けぬぞおおおおおお!!』
赤黒い何かを撒き散らしながら、ハリボテの術から出てきた悪魔は俺へと目を向ける。それを、無視して。もっと大事な物を、まっすぐ見つめた。
「特別隊!! 全員俺と心中してもらう!! ただ!!」
びっと札を投げる。無駄なのはわかっている。
「俺来週模試なんで!! 死んでる場合じゃないんですよね!! 悪いけど全員生き抜いてもらうぜ!」
「「「「了解!」」」」
「よっしゃあああああ!! 覚悟しろ悪魔あああああ!! 【七撃・重襲・御累・百歌】!!!」
「っ! すっご.......!」
ありがとうゆかりん。こんな術、実は山の外では1回使うだけで吐きそうなんだ。それでも悪魔にはほとんど効かないって言うんだから笑えるよね。でも、君が。俺のアイドルが褒めてくれるなら。
「【結引】!! 【六壁・守護・百歌】!!」
みんなを守れるのなら、何度だって俺はやる。
『いやはや。この理屈は私には効かないんですが.......いいでしょう! 契約とは何か教えるために、繋いで差し上げましょう!!』
ぐんっと何かに腕を引かれる。指も腕も抜けそうなほど強く。俺の知らない理屈で繋げられた悪魔が、笑いながら俺を引く。それでも。
「悪魔ーー!! お前、口調ブレブレなんだよおおお!! キャラ立て失敗してんのかあああ!! 」
死ぬ気で腕と指に力を入れて。それでも引きずられる体を、花田さんが掴んだ。
「「悪魔inジャパン」は、打ち切りじゃああああああああ!!!」
「次週から、「妻と娘〜結託〜」が新連載ですね!」
さあ。
鬼ごっこは得意だろう?
この赤い塔を。ーーへの階段を。
『では、始めましょう!』
「終わりだバカ悪魔!」
駆け上がれ。




