食事
「葉月!! 葉月どこ!! 葉月ー!!」
「.......ここよ」
居間で札を書いていた葉月が俺を見る。
「見て!! 葉月これ見て!!」
じっとりとした視線を受けながら、輝く1枚の紙を見せる。
「イングリッシュが!! 78点!! なあなあ、すごくない!? 」
「!? 和臣、まさかカンニング!? あなたそういう事だけはしないと思っていたのに.......」
素直に信じて貰えない悲しみ。しかし輝く78点が一気に心を持ち上げる。
「実力!! 頑張ったの!! なあなあ、すごくない!?」
「.......ほんと?」
「ほんとほんと!! 他も見て!!」
「あら、全部悪くないじゃない! B判定出てるわ!」
「ふははは! 俺はやったぜぇ!!」
夏休み最後の模試で、俺はやり切った。この成績表は額に入れて飾ろう。姉に褒められるかもしれない。
「このまま行けば秋までにはA判定ね。気を抜かずに合格まで持っていくわよ!」
「おう! ふははは! 宴じゃあああ!!」
麦茶を掲げ叫んだ。
「和臣うるさい!! ご近所さん迷惑でしょ!!」
姉がずぱんっと障子を開けながら言う。
「姉貴! 見て! B判定! 見て!」
黄金の成績表を渡せば、一瞬姉が止まる。
「.......B判定ね。喜ぶ判定でもないわ。理科が上がれば、まあAになりそうだけど。調子乗るんじゃないよ」
厳しい。
と思ったら大間違い。だって姉の唇はちょっとだけ上がっているし、忙しなく指が動いている。姉は嬉しいのを隠そうとすると指に出る。
「.......ま、気を抜かずに頑張んな」
姉は成績表を握ったまま消えた。
「.......お姉さん、よろこんでたわね」
「ふははは! 俺が姉貴をあそこまで喜ばせたのは10年振りだ! やったぜ!」
喜びの舞でも舞うか。
先程受け取った仕事の封筒を両手に持ち、全身で喜びと悲しみと宇宙の真理について表現しようとした時。
「和兄! 和兄.......!」
妹が走ってきて勢い良く俺の後ろに隠れた。
「お?」
とりあえず両手の封筒を投げ捨てた。葉月が慌てて拾って、俺の脛を叩く。すいません白い封筒だったから見なかったことにしようと思って。
「どうした?」
「だ、台所、台所」
「なんだ? ゴキブリなら姉貴か葉月.......」
葉月がギロりと睨みつけてきた。すいませんでも俺アレ嫌いなんです。なんか薄くてカサカサして気持ち悪い。
「ち、違う! 台所! 台所に!」
「清香、ゆっくり話せ。どうした?」
「わ、私の、プリン食べてた!」
「ん? プリン? 昨日作ったやつ?」
あまりにも滑らかに出来た最高傑作だ。父にでも取られたのか。こんなに慌てるとは。俺にはパティシエの才能があるかもしれない。
「お、お」
慌てすぎて言葉が出ていない。葉月がゆっくり妹の背中を叩いても、意味の無い音しか出てきていなかった。
「清香。どうした? プリン、兄ちゃんの分やろうか?」
「.......おじさんがいた!!」
「「ん?」」
とうとう震えだした妹は、ぎゅっと俺の後ろに隠れる。
「.......え? おじさん?」
「清香ちゃん、知らない人がいたの? 何もされなかった?」
「わ、分かんな.......し、 知らない人! プリン食べてた!」
ウチの台所に、知らないおじさんか。
これは、不審者か。そうか。うん、そうか。
「え? 警察?」
どきんと心臓が跳ねる。冷や汗も止まらない。
「.......和臣、清香ちゃん。大丈夫よ。おじさんに負ける気はないわ。たとえ素手でもね」
そう言いつつ葉月が貰い物のりんごジュースの瓶を持って立ち上がった。
頼もしいのか怖いのか。
「ま、待て.......ここは俺が.......」
今家にいる唯一の男は俺だ。さすがに女子達を知らないおじさんに晒せない。あとウチを殺人現場にしたくない。
「ダメよ。相手は不審者よ? 何されるか分からないもの」
なら余計に彼女さんを向かわせるなんて出来ないんですけど。
「.......俺が行く! 2人は姉貴の部屋行ってろ!」
覚悟を決めろ七条和臣。お前は漢だろう。ここで立ち向かわねば漢が廃る。これは討伐だ。おじさん討伐。大体土蜘蛛みたいなもんだ。余裕。余裕だよ和臣くん。大丈夫出来るよ和臣くん。
「和臣、ダメよ。あなたがおじさんに勝てるの?」
やめてせっかく気持ち作ったのに。というか俺はピチピチの18歳だぞ。おじさんに負けるなど.......。
「ちょっと何バタバタしてるの? 」
姉がやって来た。
「.......全員待機! 俺が行く!! いいな!」
「はぁ? あんた急に何言ってんの?」
葉月の手から瓶を取って台所へ向かう。大丈夫本当に知らないおじさんだったらすぐ警察だ。携帯電話を握りしめ、ジュースの瓶を握り、そっと台所を覗いた。
「お? お邪魔しとるぞー」
「あ、どうもー」
あまりにもナチュラル。思わず会釈までしてしまったが、誰だコイツ。
派手なアロハシャツに、ビーチサンダル。サングラスまでかけた白髪のじいさんだった。
「うむ、こりゃ美味い。チョベリグじゃ」
じいさんはご丁寧に皿に乗せたプリンを食べている。
「あ、どうも。自信作なんで」
「ん、これはお主が作ったのか。ナウなヤングは違うのぉ」
「いやぁ、照れますね」
さて。
「どなたですか?」
「.......てへぺろ」
こつん、と自分を小突いたじいさん。ちろりと赤い舌が覗いた。
「.......うわあああああ!! 不審者だあああ!!」
やっぱり不審者だ。警察、警察だ。大丈夫ボタン1つで繋がるはず。
「落ち着けい! ワシはただシャレオツな食べ物をちょうだいしに来ただけじゃ!」
「ぎやあああああ!! 立ったー!!!」
「そりゃ立つじゃろ! 歩いて来とるんじゃから!」
瓶を向けて距離をとりつつ、携帯のボタンを押す。
「待て待て待つんじゃ! お主術者じゃろ!? ただの人間呼んでどうするんじゃ!!」
「うわあああああ!! 個人情報ーー!!! ストーカーだあああああ!!」
「落ち着けぇい!! 落ち着くんじゃああああ!!」
「わああああああああ!!」
「うおおおおおおおお!!」
ひとしきり叫んで、なぜか圧力鍋の購入ダイヤルに繋がった電話を切った。
お互い荒れた息で、じいさんと向かい合う。
「「.......」」
じいさんは両手を上げて胡座をかいた。
「わ、わしは.......別に、お主を、どうにかしよう、なぞ、思っとらん」
ゼェゼェ言っている。
「い、いや.......他人の家で、プリン、食ってる時点、で、不審者だ」
俺だって息が切れている。
「いやいや、ワシそういうモンじゃから.......」
「なに言ってんだじいさん.......」
ここで、違和感。なぜここまで叫んで誰も来ないんだ。見捨てられたか。
「.......はぁ、覇気がないのぉ。ホントにお主か?」
「何がだじいさん.......」
「茨木の鬼っ子を倒したのはお主じゃろ。前々から気になっとったんじゃが、運がええのう」
「!?」
どきりと胸が跳ねる。こんな知らないじいさんまで噂が広まっているのか。
「1度見てみたかったんじゃが.......お主の周りに神もどきがおったじゃろ? なかなかグッドなタイミングがなくてのぉ。あと普通に忘れとった。今日はプーリン食いに来たついでじゃ」
「.......ん? じいさん、あんた人間か?」
「おお! 気づいたか! 勘は良さそうじゃな!」
はっはっは。と腕を組んで笑うじいさん。なんだコイツ。
「.......え、退治していいの? ていうか何か変じゃないかあんた?」
「そりゃそうじゃ。わしナイスなガイじゃし。他の奴らと一緒にするんじゃないぞい」
全く強そうな感じもしないし、本当に気をつけないと人間にしか見えない。今でも半信半疑だ。
「.......?」
「はっはっは。まいうーなプーリンじゃったぞ。では、そろそろアッシーが来るのでな」
よっこらせ、っと立ち上がってじいさんが歩き出す。何となく俺もついて行って、玄関まで見送る。
「じゃあの。またシャレオツなもの作ったらお邪魔しようかのぉ.......バイナラじゃ!」
とりあえず手を振りあって。じいさんが開けた玄関の扉の向こうに広がった景色を見て固まった。
「なっ.......!」
「アッシー、次は沖縄がええのう。めんそーれじゃ」
じいさんがぺしん、と叩いたのは大きすぎる鱗。扉からは1枚の鱗しか見えないほど大きい。俺の胴体程ある太い髭がゆらゆらと見えた。それは。
「龍!?」
ずるりと鱗が動いて。俺の身長より大きい金色の瞳が、ゆるりとこちらを見た。
そして、そのまま。じいさんを乗せて、飛んで行った。
「は.......」
腰が抜けた。あれは、あの龍は。
「神だ.......」
完全にそうではなくても、もうそれに近い。上に上に登って、何かを超えたのだ。なぜ気づかなかった。なぜここに居た。
あんなものに乗って行ったじいさんは何者なのか。
しばらく呆然と開いた扉を見ていると。
「和臣! あなた台所に行ったんじゃないの!?」
「不審者って何!? どこ!!! 警察呼んだから!」
「和兄ー.......」
バタバタと全員走ってきて。その後すぐお巡りさんがやって来て、事件にするか聞かれた。それを断って、妹に俺のプリンをあげた。
しばらくプリンは作らなくなった。
バブリーぬらりひょん




