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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第七節
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96.為政者の心

 城の鐘楼が鳴らす、時を知らせる鐘の音が聞こえてくる。いつもなら、街のすべてが寝静まる時間。しかし今日は、年に一度の特別な日だ。舞踏会は続いている。街の灯りも消えていない。

 客人は、もう出て行った。取り残されたユリアンは一人、椅子の背もたれに寄りかかって瞑目している。


「どうでしたか? プロポーズの結果は」


 音も無く陰から出てきた男が、ユリアンに声をかけた。オスカー・フライケル。――魔術研究所の所長にして、ユリアンの秘書だ。


「ふられたよ。……どうした。妙な顔をするな」

「いや、あなたがそういう冗談で返すとは思わなかったもので」

「ふん……」

「その顔は、気付いていましたか?」


 アルフェがここに入ってくる前から、オスカーはずっとこの部屋の中にいた。幻術によって背景と同化し、ユリアンとアルフェの会話を聞いていた。


「当たり前だ」


 突然現れれば驚くかと思っていたが、ユリアンには、そういう可愛げは存在しない。


「姿を見えなくした程度ではな」

「“程度”、ですか」

「ああ」

「それを“程度”と言えるのは、あなたくらいだと思います」


 桁外れを当たり前のように言う主人の前で、オスカーがやれやれと首をすくめた。


「ふ――」

「なんです? 気持ち悪い」

「あの娘も、気付いていた」

「え?」


 そう言われてオスカーは、娘が去った扉の方を振り向いた。

 彼には、どうして主人が、ここまであの娘を気にかけるのか、いまいち納得がいっていない部分があった。

 突然領内に現れた、亡国の姫君。それが冒険者をやっていて、しかもかなりの凄腕だという。まるで、怪しさを煮詰めて蒸留したような存在ではないか。

 あの娘が妙な動きをするのなら、ユリアンが手を下す前に、自分が処分する必要がある。そう思って待機していたのだが――


「その前に、お前があの娘にやられていたさ」

「人の思考を読まないでください。――ちなみに、あなたがいてもですか?」

「俺があの娘の首を落とす前に、お前の首が折られていた」


 こともなげにユリアンは言う。


「ああ、そう――」


 少し寒気を感じた己の首筋を、オスカーはなでた。


「次からは、もう少し高度な魔術を使うことにします」


 化け物同士、ひょっとしたら本当にお似合いだったのかもしれませんね、とは、さすがに悪洒落が過ぎる気がしたので、オスカーは口にしなかった。


「そうしろ」

「しかし、気付いていなかったのが私だけなら、なんだか私がバカみたいじゃないですか」

「ああ、バカだな」

「はいはい」


 そう言ってまた首をすくめつつ、オスカーは思った。


 ――ずいぶんと上機嫌じゃないですか。


 ユリアンとオスカーの主従関係は長い。

 物心つく前、ユリアンが存在を父の伯に認知され、この城に呼ばれる前から、彼らは一緒に育ってきた。主従である以前に、幼なじみ、と言ってもいい間柄だ。だからオスカーは、周囲からまるで、鋼か石でできているかのように言われているユリアンが、時たまこんな冗談を言うことも知っている。だがそれは、本当にまれなことだった。

 深く刻まれたユリアンの眉間のしわは、相変わらず消えていない。しかしオスカーには、ユリアンの微妙な機嫌の変化が読み取れた。今は、とても機嫌がいい。こういうことは珍しい。


「改めて拝見しましたが、本当にあれが、ラトリアの公女殿下なんですか?」

「ああ、間違いない。あの娘だ」


 そのラトリアの公女殿下が、ユリアンの機嫌を良くしたことも間違い無い。あの奇妙な娘の何が、この堅物の心の琴線に触れたのだろう。考えを表情に出さずに、オスカーは話を続けた。


「それがなんで、冒険者なんかになったんでしょうね」

「それを調べるのは、お前の仕事だろう?」

「相変わらず人使いが荒いですねぇ……」

「お前ならできるさ」

「はいはい」


 照れ隠しか、オスカーは芝居がかった手振りで肩をすくめた。


「でも、情報が足りないんですよ、本当に。この件には相変わらず、分からないことが多い。ラトリアが陥落した時に、侵攻したドニエステ軍が、“二人の公女“の確保に失敗した、というところまでは分かりましたが……。それがどうやって生き残って、しかもこんなところを歩いているのか――」

「脱出を、手引きした者がいたはずだ」


 ユリアンの言葉は、断定的だった。


「残念ですが、そちらも見つかっていません。ユリアン様、あなたこそラトリアに遊学に行ったんでしょう? そういうことをしそうな……、できそうな人物に、心当たりはないんですか?」

「……無いな」


 そう答えながら、ユリアンはラトリアを訪れた時のことを思い返していた。

 彼がラトリアの城で大公妃に謁した後、引き合わされた娘。

 自分よりずっと年下の、しかも女が、あれほどの剣の腕前を持っているとは思わなかった。その時はたたき伏せたが、あれから数年経っている。その後はもっと腕を上げただろう。

 その娘なら、陥落する城から自力で脱出し、独りで今日まで生き抜いていても、何ら不思議とは思わない。

 しかし今日現れたのは、その娘――“姉姫”の方ではないのだ。


「その顔は、やっぱり何か、知ってるんでしょう?」

「さあな」

「私にだけ肝心なことを教えてくれないのは、ずるくないですか?」

「俺も、話せるようなことは知らん。……この話はもういい。終わったことだ。それより、もう一つの方は?」


 仕事の顔に戻ったユリアンが、オスカーに別件の成否を聞いた。


「ああ、それはバッチリですよ」


 そこからオスカーが説明しだしたのは、主に領内における内偵の結果である。貴族や商人たちの関係、行動、財産の状況、その他諸々。そこには今日の舞踏会での、密談の内容まで含まれていた。


「証としては、これで十分だな」


 ユリアンのつぶやきに、オスカーもうなずき返した。

 二人が今考え、実行しようとしているのは、領内の大掃除である。――粛正、とも言う。

 この領邦は豊かだ。それに裏付けられて、エアハルト伯も表面上は強大な力を有しているように見える。だが、実態はそれとはほど遠い。ここ数代の伯の失策がたたり、本来伯が持つべき権力の多くを、地方領主が握っていた。その中には、主を主とも思わない者も多い。

 ユリアンが伯の座につくにあたり、それは一掃しておくべき障害だ。これまでも、彼は緩やかにその権力を取り返してきたが、完全に伯の力を固めるには、どこかで一度、大きく動く必要があった。

 それら地方領主の始末と、伯の座を争う弟の始末を、同時に行う。

 継嗣争いに絡んで暴走した領主の一人が、血迷って伯の次男を暗殺――。そういう形をとれば、連座して多くの邪魔な貴族を排除できる。

 それに必要な証拠など、いくらでも作れる。それだけの手はずは整えてきた。


「一緒にするな……、か」

「は?」

「いや、気にするな」


 ユリアンの口に自嘲の笑みが浮かんだのは、生涯で初めてかもしれない。

 自分の薄汚さは自覚している。だが、彼がアルフェに語った目的は真実だ。

 この帝国は荒れている。領邦同士の争いは数えきれず、あちらこちらに野盗が出没する。貴族は皆横暴に振る舞い、弱い者は虐げられる。富める者がさらに富を独占し、才有っても、貧しい者は貧しいままだ。

 誰かが治めなければ、いつまでも変わらない。薄汚いと思われようと、より多くの民の安寧を求めるためには、この程度のことは平然と行う必要がある。

 手を汚すことをためらう心。家族に対する情。統治者に、そういう感情は不要だ。


「あとは、ことをいつ起こすかですが」

「……あれが進めている“聖堂”の計画は、どうなっている」

「クルツ様の別荘の名目で、辺境近くで建設工事が進んでいます。我々の予定通り順調に。また、ウルム大聖堂の助祭長シンゼイが、数日前に帝都を発ったという情報が入りました。彼が戻れば、状況は動くかと」

「……新しい結界、か」

「眉唾ですけどね」


 そう、眉唾だ。だが、余計なことを考える輩が集まる、これが最も大きな機会だというのは間違いない。

 巻き込む貴族は多い方がいい。上手くいけば、教会権力に手をつける、またとないきっかけを作ることもできるだろう。


「……」


 あの娘も巻き込むことに、なるだろうか。


「ふっ」


 弟を手にかけようとしている男が、そんな心配か。

 自嘲というのは、したくなる時は、とことんしたくなるもののようだ。

 ユリアンはもう一度心を固める。クルツ――、“あれ”も自分を、兄だとは思っていない。仮に思っていたとして、そんなものは、自分の立場には不要なものだ。


「――フロイド・セインヒルと連絡を取れ」


 ユリアンは、冷たい声で、短い指示を出した。



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近衛の人は恐ろしく優秀だったのか 別れた後も生活費を送ってきたりしたし
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