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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第六節
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88.傭兵と少年

 アルフェとリーフはもちろんのこと、リグス傭兵団の面々にも、大角牛程度にてこずるような練度の者はいない。領主からあてがわれた民兵は、戦闘とは関係のない土木作業に従事しており、怪我人の一人も出さないまま、彼らは農園の魔物を狩り続けた。

 それでもさすがに敵の数は多く、それに加えて農地は広大だった。数十人の傭兵たちが手分けをしても、魔物はさほど数を減らした様子がない。


 それもそのはず、まだ補修が済んでいない土塁や柵の間からも、ちらほらと新しい魔物が侵入しているようで、結局その日は夕方までかかっても、魔物を完全に駆逐するには至らなかった。

 日が落ちる前に、散らばっていた傭兵たちは村に戻ってきた。そして今、クルツとリグスが村の中央の広場で、何やら議論をしている。


「……ここしかないのか? 隊長」


 そう言いながらクルツが押した木の扉は、今にも外れそうに傾いている。


「狭い村ですから仕方ないでしょう。多少ボロくても、贅沢仰らんでください」

「むぅ……」


 眉をひそめたクルツが、建物の中に一歩足を踏み入れる。彼の足が床についた瞬間、床板がばきりと悲鳴を上げた。


「……多少?」

「……鎧は脱いでお入りになった方がよさそうですな」


 ねめつけるクルツの視線に、リグスはばつの悪そうな顔をした。


「それとも、テントにしますか?」


 道中一行が使っていたテントは宿舎の周囲に張られ、武具などの物置場となっている。


「ここまで来てか? そろそろ床のある場所で休みたい」

「ごもっとも」


 二人が問答をしているのは、クルツが今夜の寝床に文句をつけたからだ。

 村人が一行の宿として提供したのは、村が集会所に使っている木造のログハウスで、大きいことは大きいが、お世辞にも立派とは言い難い。そして建物に対する不満ともう一つ、クルツには我慢ならないことがあった。


「百歩譲って、この馬小屋で寝ることは我慢しよう。だが、どうして貴公らと枕を共にせねばならんのだ……」

「枕を共にって、気持ち悪い言い方をせんでください。一緒の部屋で寝るだけでしょうに」

「だから、それがなぜだと聞いている」

「ここが村では一番ましな建物で、しかも我々は旦那を守らなければならんからです。警護の兵がいるお屋敷とは違うんですから、お一人にはできませんよ」

「そうだ! ならば、アルフェさんと私が一緒の小屋に泊まればいいだろう」


 良い思い付きだとクルツが言った。

 男たちは、この倉庫のような建物でまとめて雑魚寝することになっている。しかし流石に年頃の少女が相手だ、アルフェだけには、ここと負けず劣らずの粗末なものながらも、別に小屋が用意されていた。

 この提案に対し、リグスはこれ見よがしにため息をついた後、クルツに顔を近づけてささやいた。


「旦那、ウチの連中は正直、女に節操のない、だらしのない奴も多いです。ですが、あの娘にだけは、絶対に手を出しません。絶対に、です。金を積まれても断るでしょう」

「な、何だ、いきなり。汗臭いぞ隊長。ちゃんと風呂に入っているのか?」

「その理由がお分かりですか?」

「――? 分からん」

「……以前に、知り合いの冒険者で、アルフェに夜這いを仕掛けた奴がいるんですが――」


 男ばかりで血気も盛んな冒険者の中に若い娘が混じっていれば、普通はそういう標的にされる。


「どうなったのだ……?」

「どうなったと思います?」


 思わせぶりな顔をするだけで、リグスは答えない。ただ一つ言えば、その男がどうなったかを知るリグス傭兵団の者たちにとって、アルフェにその手のちょっかいを出すことは、以来タブーとされている。それはそうだ。猛獣の檻に、自分から裸で飛び込む馬鹿がいるだろうか。


「……冗談だ。やはり、このような状況で、男女がみだりに同衾するべきではないしな」


 リグスの雰囲気に、クルツも何かを察した様子でそう言った。


「ついでに言うと、例え冗談でも、本人にそれは言わんほうがいいですよ」

「分かっている!」

「ご理解いただけたようで良かったです。それじゃあ、今から飯を用意させますんで、しばらくお待ちください」


 大げさにうなずいたリグスが、部下に命令を出すためにクルツから離れる。

 観念した御曹司は、まだ少し文句を言いながらも、鎧を脱ぐためにテントに入っていった。


「諸君、ご苦労だった。魔物の殲滅にはまだ時間がかかるだろうが、引き続き任務に精励してもらいたい!」


 そしてしばらく後、料理番の手によって整えられた晩餐を前に、クルツがまたも演説をぶっていた。


「ささやかではあるが、酒もある。明日に向け、英気を養ってくれたまえ!」


 クルツの演説好きには辟易していた傭兵たちも、酒という言葉には敏感に反応した。三々五々にテーブルを囲む彼らの中から、口笛や歓声が漏れた。


「坊ちゃんにしては気が利くじゃねぇか」

「エールか? 葡萄酒か?」

「二杯までだ! それ以上は飲むなよ!」

「そんなこと言って、団長はもっと飲む気でしょう」

「うるせぇ!」


 食卓は彩り豊かとはいかなかったが、酒があり、昼間倒した魔物の肉が大量にある。傭兵たちは賑やかに食事を進めている。その中に、真面目な顔をして今後について話し合うリグスたちの顔があった。


「グレン、補修の方は順調か?」

「はい、柵はかなり破壊されていますが……、領主の兵の手際が思ったよりいいです。四日もあれば、一通りの修復はできるかと」

「まあ、あいつらはもともと農民だ。そういうのの方が得意だろうしな。ウェッジ、お前の方は?」

「村人の話だと、大角牛がもといた北東の草原は、この辺りよりも肥沃な土地だそうです。草も多くて、魔物が餌に困るようには思えません。結界にも近いので、いつもは他に強い魔物もいないそうで、たまに腐肉漁りが飛んでくる程度だと言ってました」

「……じゃあやっぱり、何か流れ者がやって来たのか」


 リグスが“流れ者”と言ったように、本来そこに生息するはずのない魔物が、何かの拍子で紛れこんでしまうことがあった。そしてその場合には、概して非常に強力な魔物が現れる。


「それはまだ……、少なくとも俺は見ていません」

「ふむ……」


 無言になり考え込んだリグスを、グレンとウェッジが見つめる。


「……よし、俺たちの方針は変わらない。とにかく農園に入り込んだ牛を殺して、柵を補修する。補修が完了したら引き上げだ。ウェッジ、流れ者の捜索は続けろ。だが、見つけても絶対に手は出さない。牛が結界を越えた原因がそいつでも、そいつ自体は結界を越えようとはしないはずだ。放っておけ」


 結界は、それを越えようとする魔物の力が大きくなるに比例して強く働く。それを踏まえたリグスの指示に、グレンが答えた。


「了解しました。クルツ様の方はどうしますか?」

「例の暗殺者か」


 リグスの言葉にグレンがうなずく。


「念のため、ガスパルたちには村に近づく者を警戒するようには言ってありますが」

「こんな所まで、刺客がのこのこ歩いて来るとも思えんがな……、あの晩餐会以来動きが無いのも、気になるっちゃあ気になるが」

「そう言えば、俺とアルフェが逃がした奴については、何か分かったんですか?」


 ふと思い出したように、ウェッジが問いかけた。彼が言っているのは、クルツが襲撃された晩餐会の夜に、アルフェと戦った剣士のことだ。


「フロイドとかいう野郎の事か」

「はい」

「一応、情報屋からそれらしい名前は聞いた。何年か前まで、ハノーゼス伯領にフロイド・セインヒルって剣士がいた。伯の近衛までやってたらしいが、女のことか何かでモメて、裏稼業に身を落としたって話だ」

「そいつが、あの男だと?」

「さあな」


 リグスが肩をすくめる。そもそも、相手の情報が分かっただけでは大した意味は無い。


「そっちの方も、元を絶たなきゃ同じことだ。坊ちゃんを襲わせてる奴が誰かってことが問題なんだからな」

「やはり、クルツ様の兄君が?」

「ユリアン・エアハルトか……。坊ちゃんもずっとそう言ってるが……」


 グレンの言葉に、リグスはあまりピンとこない顔をしている。性格的にも立場的にも、ユリアンにわざわざクルツを襲わせる理由は無い。黙っていても次の伯はユリアンに決まっているのだからというのが、リグスがそう考える理由だ。


「領主連中の誰かってことは?」


 ウェッジの指摘もまた、あり得ないと言うほどではないが飛躍している。

 この仕事からも匂ってくるように、クルツ支持をうたっている地方領主たちは、実際には彼を軽んじている。それこそ今以上にクルツの旗色が悪くなれば、いつでも兄の方に鞍替えできるよう、そつなく立ち回っている者がほとんどのはずだ。しかしいくら領主連中がクルツを軽んじても、殺したいほどあの坊やが邪魔だと思う者がいるだろうか。


「あいつを殺ってどうするんだ。兄貴への手土産にでもするか?」


 そんなことをしても、あの兄が相手では領主たちの得にはなるまい。

 この話題は、毎度のことだがこんな調子で堂々巡りになる。――本当に自分は考えるのが苦手だ。リグスは頭を左右に振り、言った。


「この話はもういい。それよりも、目の前の仕事について考えるぞ」



 ――ふぅ。


 夜風が肌に心地良い。

 星明かりの道を、リグスは一人で歩いている。酔っているのか、その足どりは少し不安定だ。


 ――そんなに、飲んでねぇのにな。


 宣言通り、葡萄酒を二杯まで。その杯が小さな樽だったとは言え、彼が酔う酒量ではなかった。飲む前にした話が暗かった分、少し悪い酒になったのかもしれない。

 後方にある宿舎からは、依然として明かりと賑やかな声が漏れている。手下たちはまだ騒ぎ足りないようだが、リグスは少し疲れていた。


「俺も……、歳かな」


 リグスは既に四十を超えた。グレンを除けば、自分が団で一番の年寄りだ。肉体の強靭さも、精神の荒々しさも、年々衰えてきている気がする。この稼業を続けられなくなる日も、そう遠くないのかもしれない。

 酔い覚ましに歩きながら、そんな彼らしくない感傷に浸っていると、薄闇の中から若い少年の声がした。


「今晩は、隊長」

「……ああ、やあ、リーフの坊ちゃん、今晩は。用足しですか?」

「うん、そんなところだよ」


 リグスは魔術士の少年が、向こうから歩いてくるところに行き会った。


「どうです、調子は」

「ひどい目にあった」

「ははは」


 笑わないでよと、リーフは指で眼鏡を押し上げながら憤慨している。さっきまで彼は、彼という良い玩具を見つけた傭兵たちに囲まれて、大量の肉を食わされ、肩を組んで歌わされていた。


「葡萄酒なんて、初めて飲んだよ」


 そう言って手で仰いだ彼の顔は、少し紅潮している。


「あいつらも悪気は無いんです。許してやってください」

「うん」


 部下に代わって謝罪するリグスに対して、リーフは素直にうなずいた。

 それで話は終わりとなっていいはずだが、少年はまだ何かを言いたそうな顔をしている。どうしましたかとリグスは問いかけた。


「……あのさ隊長、頼みがあるんだけど」

「なんです?」

「その喋り方だよ。隊長は身分とか、そういうのを気にしてるんだろうけど、あまり気を使わなくてもさ」

「ああ、そういう話ですか。また、何を言うかと思えば……」


 リグスは指で頬を掻いた。彼の言いたいことは理解できた。倍以上も年の離れたリグスが、リーフに対して敬った話し方をするのを、この少年は改めて欲しいと言っているのだ。

 しかしリーフは貴族の末席にいる者で、リグスは姓こそあるものの平民だ。年長とはいえリグスの方が丁寧な言葉遣いになるのは、特におかしな話ではない。それにリグスとしては身分以上に、リーフに何度か雇われたことがあるという、彼自身の職業上のケジメから、あえて丁寧な物言いをしているつもりだった。


「別に、気にしなくてもいいですよ」


 それに、態度でへりくだったからといって、心までへりくだっているわけではない。リグスは苦笑した。


「でも、なんでまた急に」

「いや、別に、前から思ってたことだけどさ。本当にもっと――、隊長がアルフェ君にするみたいに、砕けた喋り方でいいんだ」

「ああ……」


 リーフのその言葉で、合点がいったという気がした。すなわち、“彼女と同じ”というところに、このある感情で盲目になっている少年の、何かのこだわりがあるのだろう。そこまで言われれば、特に拒否する理由もなかった。


「……まあ、坊ちゃんがお望みならね。これでいいか?」

「うん。その“坊ちゃん”っていうのもやめてくれたら、もっといいね」

「ははは、それはまあいいじゃねぇか」


 リグスが愉快そうに声を上げて笑い、リーフも笑った。この交渉の結果について、リーフもそれなりに満足したようだ。そして次にリーフは、さもついでとでもいうように、彼にとっての本題を切り出した。


「そういえば、アルフェ君はどこに行ったんだろう。隊長は知らない?」

「さあな、もう寝たんじゃないのか?」


 食事が終わると、いつの間にか姿を消す。しかし、どこか近くにはいるはずだ。あの娘の行動は、この村に来るまでも同じだった。


「ふ~ん」


 そう言いながらも、きょろきょろと辺りを見回すリーフ。用を足しに来たのではなく、アルフェを探しに来たというのが本当のところだろう。次に彼の口から出た言葉も、ここにはいない少女に関するものだった。


「隊長、さっきクルツ様と、アルフェ君の話をしてた?」

「さっき? ああ、聞いてたのか」

「い、いや、別に盗み聞きしたわけじゃなくて。アルフェ君の名前が聞こえただけなんだけど」

「別に怒ってねぇさ」


 しどろもどろになって弁解するリーフを見て、リグスは言った。興味本位というよりも、その瞳には真剣な色が浮かんでいる。


「……坊ちゃんは、あいつに惚れてるのか?」

「――なっ、惚れっ、――ち、ちがっ」


 あからさまな反応を見せられて、リグスは思わず苦笑する。まるで、自分もかつてはこんな時代があったと、懐かしむような表情だ。


「そうか……」


 それからしばらく、沈黙が流れる。宿舎の方からは歌声や笑い声が響いてくるが、村は寝静まっているようだ。


「――悪いことは言わん。あいつはやめとけ」


 そして次にリグスの口から発せられたのは、少年にとっては厳しい言葉だった。

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