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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第六節
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87.アジテーション

 特に外敵に襲われるということもなく、行軍は至極順調に進んだ。その結果、およそ三日で一行は目的地である小領主の領村に到着した。


 その村は、ここまで通り過ぎてきた他の村々と同じように、一面に黄金色の穀物が実ったのどかな光景が広がっている。

 しかしその牧歌的な風景も、ある“線”を境にがらりと様相が変わる。その線を越えると、突如として畑はなくなり、そこからはひたすら、人間の手が入らない荒野が広がる。


 それは土質のためでも何でもない。ただ、その線を境界として、目に見えない結界が途切れるのだ。

 境目に作られた土塁と木の柵は、その気になれば簡単に崩し、乗り越えられるような代物だ。それは魔物の侵入を阻むためというよりも、人々に対して結界の端を示すという視覚的な意味を持った構造物に過ぎない。


「諸君! 私が来たからには、最早怯える必要はない! このクルツ・エアハルトが必ずやこの地の魔物を打ち払い――」


 そして今、その村の中央でみすぼらしい木の台の上に立ったクルツが、村人たちを集めて熱く語っていた。


「何をなさっているんですか? あれは」

「見て分かるだろ。演説だよ」


 アルフェの疑問に、傭兵の一人が答えた。

 村にはまだ着いたばかりで、傭兵団のほとんどは野営地の設営にいそしんでいる。アルフェは正式な団員ではないので、その作業には参加しておらず、従って手持ち無沙汰だった。


「演説……。何のために?」

「知らん」


 矢を束ねながら、傭兵は肩をすくめる。そこに別の人間の声が響いた。


「支持者集めだ」

「あ、団長、お疲れです」

「おう、カイル。設営は終わったか?」


 そう言いながら、リグスがのしのしと二人に近づく。


「ええ、一通りは。でも団長、支持者ってなんです」

「決まってんだろ、伯の跡目争いの支持者だ」

「……あれを相手に?」


 あきれ顔でカイルが指さしたのは、クルツの話を聞いている小作人たちだ。ぽかんと口を開けて、面食らっているような表情の者が多い。あれらの支持を集めた所で、一体なんの意味があるというのだろう。


「それを言うな……」

「ここのご領主は?」


 アルフェが聞く。領主の館はこの村には無い。だが無いにしても、主君の息子がこうして兵を引き連れてきているのだ。自らも出向くのが筋だろう。


「さすがに、顔くらいは見せると思うが……」


 しかしリグスの予想に反して領主は現れず、それから数十分後、代理だという男が顔を出した。


「主はやむを得ぬ事情があり、お出でになれません。くれぐれもクルツ様にはよろしく伝えるように伺っております」


 どこか横柄な態度が漂うその男が言うには、領主は都市ウルムで急用があり、ここまで来ることが出来ないそうだ。その代わりに男が連れてきたという兵は、どう見ても農民に槍を持たせただけの民兵で、数も二十に満たなかった。


「ここまで露骨だと、逆に清々しいな」

「あの坊ちゃんは、何考えてるのかねぇ」


 傭兵たちの間からも、口々に不満の声が上がっている。ここの領主はクルツのことを、体のいい使い走りくらいにしか考えていない。それが態度でよく分かったからだ。

 自領で起きた魔物被害に主君の息子を差し向けながら、自分は都市に引きこもっている。それがいい証拠だ。


「まあ、いつものことだ」


 リグスが言うには、先日のオーク討伐のおりにも、同じような状況があったらしい。そういえばあの時にも、クルツはリグスたち傭兵だけを率いていた。


「地方領主の連中は、坊ちゃんにあれやこれやと頼んでくるが、実際に兵を出すわけでもなんでもない。お前らの言う通り、使いっ走りだ。……問題は、あいつがそれを分かってるのかどうかなんだが――」

「ありがとう! 諸君、ありがとう!」


 クルツの演説の調子は、増えた民兵も交えてさらに白熱している。農民たちも面白くなってきたのか、クルツをはやし立てる声なども響き、広場は妙に盛り上がっていた。


「――分かってねぇんだよな」


 リグスは深いため息をついた。


「まあいいさ、俺たちは雇い主の命令に従うだけだ。そうすれば報酬が出る。大事なのはそれだ。だがいいか、雑魚が相手だからって、油断してへまをするなよ」


 傭兵たちは、声を揃えて返事をする。その輪から離れたところで、アルフェは引き続き、演説をするクルツの様子をぼんやりと眺めていた。


「面白い人だね、クルツ様って」

「リーフさん」


 背の低い石垣に腰かけていたアルフェに、リーフが声をかけてきた。


「調子はどうだい、アルフェ君」

「ええ、まあ。リーフさんの方こそ、大丈夫ですか? こういうお仕事の経験は、あまり……」

「ふふふふ、問題ないよ。今から彼女の性能を試すのが楽しみさ」

「“彼女”、ですか……」


 少し引いた表情をしているアルフェに気付かず、自慢気に胸をそらせているリーフの背後には、彼が連れてきたゴーレムが控えている。


「うん。だろう、マリー?」


 リーフの言葉に返事をするように、黒色のゴーレムが関節からきしみをあげた。

 鉄製のアイアンゴーレム。結局アルフェとの探索では珍しい素材は見つからなかったので、これに落ち着いたようだ。巨体に似合った力を持っていて、道中では馬の代わりに荷車を一つ引いてきていた。

 この農場の小作人たちは、魔術士など見たことも無かっただろう。それに加えてこのように珍奇なものを見せられては、怯えるのはしょうが無い。リーフは彼らから遠巻きにされていたが、特に気にしていないようだった。


「ユリアン様とはご兄弟なのに、あんまり似てないよね」


 アルフェがそんなことを考えていると、リーフが言った。


「クルツさんですか?」

「うん。――よっと」


 リーフはアルフェの横に来ると、少し離れた所に腰を下ろした。

 確かに違う。目の色も髪の色も。そしてそれ以上に、性格が違う。


「私はあまり、得意な人ではありません」

「え、そうなの? どうして?」

「どうして、ですか?」


 初めて会ったときから、アルフェはクルツのことを何となく受け入れられなかったのだが、その理由については、彼女自身、あまり深く考えたことは無かった。


「う、うん。いや、他意は無いよ!? ……ただ、参考までに」

「そう、ですね……」


 リーフの投げかけた問いを受けて、アルフェは考え込んでしまった。

 クルツだけでなく、彼女が苦手だと感じてしまう人間には、ある共通点がある。それは彼女を見る時の、身体の上を這いまわっているかのような、あの視線――。だが、それがどうして嫌なのか、言語化するのは難しい。


「その通りだ!」

「クルツ様万歳!」

「ありがとう! 本当にありがとう!」


 一体演説はどういう成り行きになったのだろう。農民たちがクルツに拍手を送り、クルツはそれに応えてさわやかに微笑みながら手を振っている。それを見て、アルフェはとりあえずの答えを見つけた。


「軽薄なところ、でしょうか」

「し、辛辣だね……。確かに派手好きな人だけどさ」

「リーフさんは、あの方と以前から面識が?」

「うん。城で会った時も、結構気さくに話しかけてくれるよ」


 リーフの所属する研究所は、城に併設されている。そこで二人が遭遇する機会もあるのだろう。


「ユリアン様と比較して、色々言う人が多いのも知ってるけど、それでもめげないっていうか、自信満々なところが憎めないっていうか……。まあ、僕はそんなに悪い人じゃないと思うわけだよ」

「……そうですね」


 色々な見方があるものだ。そう思いながら、もう一度広場のクルツを見やるアルフェ。その彼女と目が合ったクルツが、金髪を片手でかき上げ、白い歯を見せて微笑む。

 アルフェと同じくその様子を見ていたリーフが、真顔になって言った。


「……確かに、軽い感じの人なんだけどね」

「そうですね」



 クルツと傭兵団の一行が領主から依頼された仕事は、内容としてはそれほど難しいものではなかった。


 大発生した大角牛の討伐。それが今回の彼らの仕事だ。


大角牛はその名の通り、頭に生えた鋭い角を除けば、農園で飼われている牛とあまり違いはない。ただの牛よりも凶暴性が高く、時には人も襲う。そのため一応は魔物に分類されていた。

しかし“一応”と言うだけあって、大角牛の相手は駆け出しでも務まる。その程度の相手を駆除するために、小規模とはいえ傭兵団が出張る必要が有ったのか。


「あの平野から、結界の端を越えてこの農園まで侵入しています」

「そうだな、それは俺にも見える」


 この農園で最も高い建物、丘の上に立つ風車の上で、リグスたちが状況を確認している。

ここに立つと、農園のあちこちに大角牛が入り込み、我が物顔で柵を破壊し穀物を食んでいる様子が一望できた。


「話には聞いてたが、本当に数が多いな……」


 そうなのだ。今回のリグスたちの相手は、彼ら流に率直に言ってしまえばただの雑魚だが、その代わりひたすらに数が多い。この地平まで広がっていそうな農園を覆い尽くしてしまう程の――というのはさすがに誇張だとしても、百や二百ではきかない数が、非常に広範囲に散らばっていた。


「だが、大角牛たちが結界を越えた理由は何だろうな。餌が足りなかったか?」

「そういう風には見えませんが……」


 リグスの横にいるウェッジが、片手の指で輪を作って右目に当てている。そうすると、彼には農園のさらに向こう、草原の草のなびく様子まで細かく見えるらしい。

 もちろんこれらの大角牛は、農園の地面から湧いて出たのではない。農園と隣接する草原から侵入してきたのだ。しかも、結界を越えて。結界を忌み嫌うはずの魔物たちが、何となくでその内部に入り込むことはあり得ない。彼らには彼らなりに、そうするだけの理由が有るはずだ。


「なら、強力な魔獣にでも追われたか……。だとすると厄介だな」


 リグスは眉間に皺を寄せると、その場にウェッジだけを残して、身軽に風車の梯子を滑り降りた。下に待っていたのは、彼の副官のグレンである。


「どうでしたか、団長」

「お前も後で見てみろ。そうすれば分かるさ。……田舎でのんびりできると思ったんだがな、忙しくなりそうだ」

「それは残念でした。私のような老人には尚更ですね」

「ふふん」


 リグスはグレンと相談した上で、部下をいくつかのグループに分けた。

 リグスやアルフェなどの戦闘部隊は、各個に農園に入り込んだ大角牛を討伐し、クルツとグレンは主に民兵を率いて、結界の端にある柵や土塁の補修にあたる。概ねそのように取り決めた上で、一同は散会した。


「まだ死人は出てねぇですがね。これ以上畑を荒らされると、秋の税が収められなくなっちまいます。だから皆さま方には、ほんに感謝しております」


 割り当てられた区域に向かう途中、アルフェにつけられた案内の農民は、きつい訛りでそう言った。


「でも、あんた様のようなお綺麗なお嬢様までお出でになるってのは……」


 へりくだった物言いの中に隠されているのは、アルフェに対する不信感である。

 リグスたちのような筋骨隆々の戦士や、クルツのように鎧をまとった騎士ならともかく、自分の娘程の年齢の小娘が、本当に戦えるのかという顔をしている。


「ハンスさんでしたっけ?」


 アルフェの代わりに、リーフが彼の疑念に答えた。


「僕らは若いけど、ちゃんと戦えるから安心しててよ。……特に、この子にそういう心配は不要だよ。そんなこと考えてたら、痛い目見るから」

「そ、そうなんですかい……?」

「そうなんだよ」


 声をひそめるリーフに対し、農民はなおも疑わしい声音でそう言った。二人の話が聞こえているのかいないのか、アルフェの方は低い石垣に囲まれた、黒い土が露出した道を、ためらいもなくずんずんと進んでいる。


「いました」


 しばらく歩いて、そのアルフェが立ち止まった。

 足を止めた彼女の視線の先には、一頭の大角牛が、収穫も間近になった穀物を一心に貪っている。


「ひ、ひいぃ!」

「ハンスさんは下がっててください。僕とアルフェ君で何とかするから」

「は、はい!」


 少年の言葉に、これ幸いと二人から離れる農民を一瞥してから、リーフがアルフェに尋ねる。


「どうする?」

「……数が多いので、手短に」


 アルフェがそこまで言うと、魔物が二人の方を振り向いた。アルフェが軽く殺気を飛ばして、相手の敵対心を刺激したのだ。

 二、三度前脚で地面をかいて、大角牛が猛然と突進してきた。その鋭い角で少女を串刺しにしようと、大質量の肉の塊が高速で迫る。何も知らない者なら、悲鳴を上げて両目を覆うところである。

しかしリーフは既に慣れていたし、これから魔物が遭遇する運命も、彼には大体想像がついた。


 魔物の突進をはずし、アルフェがその首を抱え込む。鋼のグリーブを履いた彼女の足先が、わずかに土にめり込んだ。

 魔物の四本の足が、地面を離れた。突進の威力を利用したのか、アルフェ自身はほとんど力を入れていないように見えた。彼女は魔物を、自らもその場に尻餅をつくようにしながら、脳天から垂直に大地に落とす。


「ひえぇ!」


 農民の素っ頓狂な叫び声が響き、大角牛の首骨が砕ける鈍い音が鳴る。


「次に行きましょう」


 スカートについた土汚れをはたきながら、立ち上がったアルフェがそう言った。その背後には、地面に突き刺さった奇妙なオブジェができあがっている。


「うん。……でも、もうちょっと待ってあげてよ」


 そう言って、腰を抜かしたハンスを見るリーフの眼差しは、まるで少し前の彼自身を見ているかのように生暖かった。

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