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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第六節
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86.手紙

「え?」


 聞き取りにくいしゃがれ声で告げられた宿の主人の言葉に、アルフェは一瞬固まった。


「ですから、お手紙です。お客さん宛てに、手紙を預かってますよ」

「手紙……ですか?」


 ――誰から? いえ、それより――。


 どうして自分の居所が分かったのだろうか。その手紙を受け取りながら、アルフェは考えた。自分が泊まっているこの宿の場所は誰一人、リグスにも、それ以外のこの町の知り合いにも伝えていない。手紙など、届くはずがないのに。

 アルフェは手紙というものに、いい思い出を持っていない。手紙というのは、唐突に良くない知らせを運んでくるものだという印象がある。そもそも、アルフェ個人に宛てて手紙を送ってきたことのある人間、それは彼女の短い人生の中で、一人しかいない。


 ――まさか、クラウスが?


 少女の中に、不安と警戒心が沸き起こる。反射的に周囲を見まわし、次いで宿の主人である老婆の顔を見るが、深い皺のよった顔からは何も読み取れない。不審に思いつつも、アルフェはその封筒を受け取った。

 封筒の表面をゆっくりとなでる。手触りが指になめらかな、混じり気の無い白い紙は、それだけで相当に高級品だ。かつてクラウスが送ってきたものとは質が違う。


「すみません、これは――」


 誰が持ってきたのか。アルフェは老婆に聞こうとしたが、彼女は既に安楽椅子に座り、目を閉じて眠りこけている。

 素早いことだと思いながら、アルフェは封筒を裏返した。


「……なるほど」


 そして、封筒に押された赤い印章を見て、アルフェは一言つぶやいた。差出人の素性は、その印章が疑う余地もなく知らせている。

 しかしどうしてこの差出人が、彼女に手紙を送ってきたのか。分かったようになるほどとは言ってはみたものの、それは全く不明だった。



「確認だが、明日からは少し遠出になる。遠征が終わるまで、長引けば半月くらいはかかるかもしれん。そのつもりでいてくれ」

「はい」

「うん」


 手紙を受け取った明くる日の朝、アルフェは冒険者組合で、リグスと仕事の打ち合わせを行っていた。今日は久しぶりの大きな仕事の、最後の調整だ。それ故に、連絡役のウェッジではなく、直々にリグス本人が出張ってきている。


「クルツの坊ちゃんが馬で、他は徒歩。残りの馬は荷馬にまわす。もっとも、お前が来るなら、坊ちゃんは特別に二人乗りの馬車を仕立ててもいいと仰ってるが……?」

「歩きますのでお構いなく」

「だろうな」

「そうかぁ、じゃあ、僕も歩くよ」

「……。手強い魔物はいないが、とにかくやたら数が多いと聞いてる。油断はするな」

「分かりました」

「僕の魔術にかかれば、たいていの魔物は大丈夫さ」

「……」


 さっきから会話に割り込んでくる少年に閉口して、リグスはアルフェの耳に口を寄せてささやいた。


(さっきからなんなんだ。なんで、こいつはここにいるんだ?)

(さあ?)

(そ、そうか……)


 皆目分からないという風に、アルフェが首を傾げる。埒が明かないので、リグスは目の前に座っている本人に、直接問いただすことにした。


「リーフの坊ちゃん、あんたなんでここにいるんです」


 リーフは研究材料の収集の関係で、リグスたちの顧客になったこともある。それもあって、リグスは丁寧な言葉遣いをしている。


「新しいゴーレムを作ったんだ」

「ご……? なんだっけか、それ」


 リーフの言葉が呑み込めなかったリグスは、アルフェに聞いた。


「リーフさんが作っている、魔術で動く人形です」

「あ、ああ、それな。それで?」

「性能試験をしたくて」

「……?」

「僕も君たちについて行くよ」


 あっけらかんとリーフは答えた。

 再びリグスがアルフェの耳元に口を寄せる。


(どうしたんだこいつは。お勉強のし過ぎで、ついにいかれたのか?)

(それはないと思いますが……)


 アルフェも困ったように眉をひそめている。

 リグスは考える。そういえば、部下のウェッジの報告にもあった。彼がアルフェと連絡をつけるために冒険者組合に行くと、なぜか毎日、この魔術士の青年がいると。

 そもそもこの坊やは、たまに素材集めのために外に出るが、基本的には自分の工房に引きこもり、研究に没頭しているタイプの人間だったはずだ。それがどうして用もないのに、朝も早くから冒険者組合などに顔を出すのか。


「あ~、つまり、坊ちゃんも俺たちと一緒に行きたいんですか?」

「まあ、隊長とも長いつきあいだしね」


 上から目線で、恩着せがましく言われなければならない理由は分からないが、少なくとも今この坊やが言っていることの意味は理解できた。要するにさっきから、リーフはリグスたちの遠征への同行を申し出ているのだ。


「どうする、アルフェ?」

「私に聞かれても」

「それはそうだが……」

「人手は多い方がいいんでしょ? 隊長」

「う~む」


 腕を組んだリグスがうなる。

 リーフが言っていることは事実だった。今回の遠征の目的は、大発生した魔物の駆除である。正直、戦力はいくらいても困らない。

 リグスの団は、傭兵団としては小所帯だ。しかも団員に魔術の使い手はほとんどいない。例え変わり者の青びょうたんだとしても、研究所の研究員になるほどの魔術士がいてくれるなら、安心感は違う。


 あと気を付けなければならないことと言えば、雇い主のクルツを狙う刺客だが、素性もはっきりしているこの青年が、暗殺者とつながりがあるとは考えにくかった。


「なら別に、構わんのかな?」


 リグスの横に座るアルフェは、大柄な傭兵隊長よりも頭一つ以上は小さい。上目遣いになってアルフェは答えた。


「ですから、私に聞かれても……」


 アルフェはそう言うが、リグスはアルフェに聞かなければならないような気がしたのだ。なにせこの坊やはさっきから、ちらちらちらちらとアルフェの反応を伺っているのだから。言い方は悪いが、まるで飼い主のご機嫌を伺う犬のようだ。


「……ん? ああ、そういうことか」


 と、そこでリグスは、何かに気付いたようにうなずいた。


「……全く、どいつもこいつも、よりにもよってなぁ。やっぱり顔に騙されるのかねぇ」


 一人で納得した様子のリグスは、今度はリーフに気の毒そうな視線を向けた。


「じゃあ、いいですよ、リーフの坊ちゃん。ついてきてもらいましょう」

「いいのかい? ありがとう!」


 リーフの顔に気色が満ちた。


「――その代わり! 遠征中は俺の指示に従ってもらいますし、最悪あんたが死んでも、こちらは責任持てませんよ? それでもいいんですか?」

「うん、大丈夫」


 釘を刺したリグスの目は鋭く、声は重々しかった。しかしそれに対して、リーフはふんわりとした返事をする。ぼりぼりと頭をかきながら、リグスがぼやいた。


「本当に分かってんのかねぇ……」


 そう言いながら、リグスはアルフェに目を向けたが、こちらはこちらで、相変わらず何を考えているのか全く読めない、無表情にすました表情をしている。リグスはため息をつくしか無かった。



 翌早朝には、一行は既に旅の空だった。彼らはウルムの市壁を出て、隊列を組んで街道を歩いている。

 その構成は、もしもの時のために都市に残った者を除いた、リグス傭兵団のほぼ全団員と、アルフェにリーフの追加メンバー、それに加えてもう一人。


「暑い……。こう暑いとやってられんな。隊長、なんとかならないのか」


 エアハルト伯次男のクルツが、馬上でわめいている。


「そりゃ、そんなもん着てれば当然でしょう。蒸し焼きになりたいんですか?」


 クルツは非常に高級そうな、金の装飾が入った全身鎧を身につけている。フルフェイスの兜と相まって、夏の日差しの中では見ているだけで暑かった。


「これは亡き母が私を守るために遺した伝来の至宝だ。そう簡単には脱げん」

「そうですかい。至宝なら、涼しくなる魔術でもかかってないんですか?」

「残念だがな。その代わり、この鎧には邪なるものを退ける秘術が施されている。素晴らしいだろう」

「良かったですねぇ」


 気の抜ける会話をしながら一行が向かっているのは、エアハルト伯の陪臣である小領主の領地だ。そこまでは結界の外を通らず、魔物に怯えずに進むことができる。

 もちろん警戒を怠ることはできないが、さればといってクルツのように、こんな都市に近いところから臨戦態勢をとるのも愚かな話だ。

 それに結界の中に出る野盗の類いなどは、あらかたとっくにクルツの兄のユリアン・エアハルトが駆逐してしまった。


 エアハルト伯領は、現在の帝国の中では最も治安の良い領地の一つだ。他の領邦との表立ったいざこざも少なく、皇帝不在の帝都などより、よほど領民は安心して暮らしている。

 しかし逆に言えば、ここは荒事が少ない、すなわち傭兵が暮らしにくい場所でもあった。本当なら、こんな雇い主は早々と見限って、別の領に流れるのが傭兵団長としては正しい選択だったろう。


 だが、それができていないのは、ただただ自分の要領の悪さによるものだ。

 ここの所どうかすると、リグスはついそのことを思い悩んでしまう。


 伯が病死すれば、クルツの兄が家督を継ぐ。この男を暗殺者から守り抜いても、そうなれば自分たちはお払い箱だ。その時は、この男に支払いの能力が残るのかすら怪しい。

 団の長として、その先の事を考えなければならないが、それが難しかった。


 ――これから仕事だって時に……。俺も焼きが回ってるな。


 リグスは心の中で、自分自身に対して舌を打った。今回の相手が強力な魔物ではないとはいえ、こんな雑念にとらわれていたのでは、足をすくわれかねない。とにかく、今は目の前の仕事をこなさなければならない。それが問題の先送りに過ぎないとしてもだ。

 リグスは無理やり、鬱屈とした気持ちを切り替えて前を向いた。

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