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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第五節
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84.魔術のお勉強

「あの、主任」

「なんです? チェスタートン」

「どうしてわざわざ、城まで来たんですか?」

「ああ……」


 リーフが疑問を投げかける。魔術研究所の主任であるオスカーは、なぜか研究所を出て、伯の城の敷地内までリーフとアルフェを連れてきていた。


「こちらの方が、風が通って気持ちいいですからね」


 悪びれもせず、オスカーはそう答えた。

 緑の中庭に、白いテーブルが一つ据え付けられている。彼は手まねで二人に向かって座るように促すと、お茶を持ってきますと言ってその場を離れた。


「どうしようか」

「……とりあえず、座りましょうか」

「そ、そうだね」


 アルフェはあっけに取られていたリーフを誘い、椅子に腰かけた。

 暑い時間帯だが、このテーブルだけには木陰が掛かっている。木々との位置関係から見ても、造園家の手によって、そのように計算して配置されていることがうかがえた。


「あの方は、どういう人なのですか?」

「え? あ、ああ。主任は、研究所の主任研究員だよ。多分この領邦で一番の魔術士さ。変わった人なんだけど……、今日はいつもよりもっと変わってる。どうしたんだろう」

「ユリアン様の秘書官だそうですが」

「そうらしいよ。そっちの話はよくわかんないけど」


 政務の方面でも優秀で、以前からユリアンを補佐してきたのだと、リーフは説明してくれた。


「そうなんですか……。あ」


そこでアルフェは何かを思い出した顔になり、スカートのポケットから黒い石を取り出した。


「これ、お返ししておきます」

「あ、そうだね。ありがとう」


 そのやり取りの途中で、オスカーは戻ってきた。お茶を用意すると言った割には早い帰還だ。手ぶらなところを見ても、誰かに申しつけてきただけのようである。


「それは魔石の一種ですね。ギベリナイトとゲルフライトが混合した――、どこで見つけました?」


 オスカーは、リーフの手に乗った小さな石を一目見ただけで、その組成を看破した。


「ギベリナイト? じゃあ、あんまり珍しくないですね……」


 鉱石の種類を聞いたリーフは、残念といった表情をする。アルフェがその名前を聞いてもぴんとこないが、きっとありふれたものなのだろう。


「そうでもないですよ。魔力含有量や伝導率が高いので、用途はあります」

「うーん。でもやっぱり、僕のゴーレムには使えないですね。量が少なすぎるし」

「魔力核に活用したらいいでしょう。これなら従来型よりも、多くの術式を刻むことができる」

「でもそうなると、周辺素材との結合が――」

「――あの廃鉱でこれを発見したのですか? 魔物の巣になったので放棄されましたが……、再開を検討する余地がありますね」


 リーフとオスカーによる魔術議論は、少しずつ白熱していく。アルフェが庭を眺めながらその話に耳を傾けていると、三人の使用人の手によりティーセットが運ばれてきた。


「ああ、来ましたね、お茶にしましょう」


 議論に熱中していたように見えたオスカーが、ぱっと表情を切り替えてそう言った。

 使用人たちは恭しくカップの中にお茶を注ぐと、一礼して引き下がっていく。テーブルの中央には、高級そうな焼き菓子が添えられていた。

 そして、使われていないカップがもう一組。


「アルフェさん、君とはぜひもう一度、話をしてみたかった」

「あの件について、私が知る限りのことは全てお話しました」

「あの件? ああ、劇場のレイスのことは置いておきましょう。私が知りたいのは、君自身のことです」

「私自身?」


 オスカーが、アルフェに話の水を向けてくる。何かの意図があって、この男は自分を招いたのだとは思っていたが、さて、彼は一体何を聞こうとしているのか。


「君は、実に興味深い肉体をしている」


 磁器製のカップの持ち手が、アルフェの細い指の間で、みしりという音を立てる。お茶を噴いたリーフを見て、そういう意味ではありませんよとオスカーは言った。


「君――、ご両親はどんな方です?」

「……私が小さい頃、死別しました」

「そうですか」


 ――この男……。


 一瞬、クルツと同種の人間かと思ったがそうではない。

 アルフェの中に有る、目の前の男に対する警戒感が跳ね上がった。


「少し話題を変えましょう。魔術について学んだことは?」

「この前もお話ししました。簡単な治癒術だけです。……あの、これは以前の尋問の続きですか?」

「え? ああ……、そうではありません。ただの興味です。魔術士としての。……そうだな、簡単な、魔術の講義をさせてもらいましょうか」

「しゅ、主任?」


 場の空気についていけないリーフが、はらはらとした顔をして、アルフェとオスカーを交互に見た。


「まあいいじゃないですか。今、上司の命令で新しく魔術学校を設立しようという計画もあります。そうなったら私も多分『先生』ですからね。講義の練習も兼ねて」


 そう言いつつ、オスカーは何気なく、開いた手のひらの上に火球を作り出した。拳ほどの大きさの火球だ。詠唱も無ければ、魔力を集束する隙も全く無かった。


「これは、最も初歩的な魔術の一つです」


 少し学べば、誰にでもできる。彼はそう続けたが、隣にいるリーフはふるふると首を横に振った。


「しかし、人間がこれを体内の魔力だけで行おうとすると、かなり困難です。それなりの魔術士でも、一、二回唱えれば、疲労で立っていられなくなるでしょう」


 手のひらの炎をかき消して、オスカーが続ける。


「ですが研究所の魔術士であれば、この程度の魔術は、その気になればいくらでも放てます。そうですね? リーフ」

「いくらでもってことは……。でも、十発か、二十発くらいなら。……無理をすれば、もう少し」

「自分の魔力で?」

「いえ……」

「そう、魔術を使う際、魔術士は体内の魔力――オドではなく、外界に満ちるマナを利用します。常識ですね。そしてその理由は単純です。人間一人の身体に宿る魔力が、たかが知れているからです。知っていますか? 平均的な人間とゴブリンでは、ゴブリンの方が体内魔力の量が多いんですよ。それも、圧倒的に」


 そこで一度言葉を切って、オスカーはカップに口をつけた。


「さらに、特定の魔物は魔術を行使することができますが、その過程は我々とは大きく異なります。彼らは本能的に、その体内にある豊富なオドを利用して、強引に魔術を発動させているのです。それに対して、魔術士というものは、僅かなオドを呼び水として、マナを使う――言い換えれば、魔術士とは、オドが豊富な人間というよりは、マナの使い方を心得ている人間なのです」

「話が見えません」

「しかし、この『使い方』が難しい」


 アルフェが冷たく言い放った言葉を、オスカーは無視した。


「不定形なマナを加工して、人間が望む魔術を発現させるためには、恐ろしく繊細な手順を踏まなければなりません。極論すれば、その手順を分かりやすく体系化し、先人たちがまとめたもの、それが魔術です。人間が魔物よりも高度な魔術を行使できるのは、魔力よりも、その知恵によるところが大きい。そういうことですね」


 ここでようやく、オスカーの言葉が途切れた。無表情にそれを聞いていたアルフェの目が彼に向けられる。初夏の庭の気温が、少し下がった気がした。


「結局、あなたは何を仰りたいのですか?」

「回りくどかったですか?」

「そうですね。『先生』としては、余りよくないと思います」

「手厳しいですね……。でもまあ、いいでしょう。単刀直入に言います」

「そうしてもらえれば」

「では。――君の保有する魔力量は、異常です。非人間的――怪物的と言ってもいい。高位の魔物でも、君ほどの魔力を持っているものはそういない。」

「ちょっ――主任!」


 机に手を突いたリーフが、顔色を変えて立ち上がる。机の上のティーセットが、ガチャリと揺れた。


「そしてそういう人間には、ある種の共通点があります。……もう一度聞きましょう。君の、ご両親は?」

「死にました。小さい頃に」


 最初と同じ質問に対して、アルフェもまた、同じ答えで返した。


「あとは例えば、ご兄弟は――」

「いません」

「……」


場に沈黙が流れる。


「ふーん。そうですか」


 そう言うと、急に態度の崩れたオスカーは、両手を頭の後ろに回して脚を組み、背もたれに寄り掛かった。


「別に、あなたの悪いようにはしないつもりなんですけど」

「実験の材料にでも、お使いになりますか?」

「いいですねぇ、それ」


 オスカーが、ぱちんと鳴らした指をアルフェに向ける。


「ちょっと主任! いい加減にしてください! 何を言ってるのか――」

「どうしてあなたが怒るんですか、チェスタートン。それに、この子は理解しているからいいんですよ」

「――そうですね。でも、この話はもう、このくらいにしませんか?」

「私は、もうちょっと続けたいんですが……」


 しかしオスカーは、そこまで言って、余ったもう一組の茶器に目を向けているアルフェに気付いた。彼がその顔に張り付けた笑みが大きくなる。


「ああ、君は思ったよりも聡明な子みたいですね……。――うん、チェスタートン、ちょっとついてきてください」

「え、え?」

「いいからいいから、あっちで話しましょう」

「えええ?」


 最後まで会話の流れをつかめなかったリーフを、ここに来た時と同じように、肩を抱いて連れ出すオスカー。中庭のテーブルには、アルフェ一人がぽつんと残された。

 

 一人? いや、遠くから見ているつもりでも、この気配は隠しようが無い。


「……その様子だと、私が来るのは予想していたようだな」


 そして相手も、隠れる気など端から無かったようだ。リーフたちが去ったのとは別の方向から、彼が姿を現した。


「ユリアン・エアハルト……、様」

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