82.お出かけ
「俺たちの雇い主が、また何か思いついたらしい。近々遠出する用ができたと団長は言っていた。くれぐれも、この町からは出ないようにしてくれ」
スキンヘッドの男が、渋い声で言った。
夜になると居酒屋のようになる冒険者組合のホールにも、朝っぱらから酔いつぶれているろくでなしの数は少ない。朝からここにいるのは、今日の稼ぎの方法について打ち合わせる、比較的勤勉な冒険者が多かった。
恐らくはそうした冒険者の一組なのだろう。スキンヘッドの男と、年若い少年少女が一人ずつ。そんな奇妙な取り合わせの男女が三人、隅のテーブルに腰かけて、何かを話している。
「はい、大丈夫です。――今日は何か、お仕事がありますか?」
「いや、今日は何も無い。町から出なければ、自由にしてくれていい」
「承知しました」
「ああ、じゃあな」
「はい、また」
伝えるべきことを伝え終わると、目つきの鋭いスキンヘッドの男は、アルフェの向かいの椅子から立ち上がった。
男の名前はウェッジという、リグスの傭兵団所属の斥候である。人相の悪いごろつき然とした見た目をしているが、団長であるリグスの命令にはどこまでも忠実な人間だ。それゆえに、毎朝のリグスとアルフェの連絡係という、使い走りに似た仕事を任されても、嫌な顔一つせずここに来ている。
そのウェッジが、アルフェの側から離れる時に、彼女の隣に座る少年を見て、一つ首をかしげた。まるで、不思議なものを見たような顔をして。
その仕草に気がついているのかいないのか、姿勢を正したアルフェは、その少年に目を向けると口を開いた。
「そういうことですので」
「う、うん」
「今日はよろしくお願いします」
「よ、よろしく」
「……どうしたんですか?」
背中でもかゆいのか、いつにもまして挙動不審な動きをしている少年――リーフに対し、アルフェはいぶかしむ顔を向けた。
「な、何でもない。行こうか、アルフェ君」
そう答えたリーフの声は、少しうわずっている。椅子から立ち上がった時も、自分の足につまずいて、危うく転びそうになっていた。
冒険者組合を出ると、二人は連れだって城への道を歩き始めた。今日の目的地は城に併設している学問機関――魔術研究所だ。昨日交わした約束を、早速果たそうというわけである。
「でも、私のような部外者が、急にその……研究所? に行って、見学させてもらうことはできるんですか?」
並んで歩くリーフに対して、あらためてアルフェが問いかける。
彼女の疑問は当然であった。先進的な魔術知識は、どこの領邦においても重要な機密のはずだ。伯の居城に付属している施設ともなれば、そこで扱う技術は通常、門外不出のはずだろう。突然、アルフェのような関係の無い一般人が訪れたところで、門前払いを食らうに違いない。
「大丈夫さ。僕の付き添いとしてなら、君一人くらい」
だが、胸を叩くリーフの態度には、自信が見受けられた。
彼のゴーレム研究の後援をしているのが、他ならぬエアハルト伯であるというのは、以前にリグスが教えてくれた。
しかしリーフはその研究所に通っている様子もなく、町中に独立した工房を構えている。だから本当に城の研究機関に所属しているのか、怪しく思っていたのだが、逆にそんなことを許されているということは、もしかして彼は、その研究所の中でもそれなりの地位が与えられているという可能性もある。何となく、アルフェはそう思った。
「もちろん、詳しい研究資料とかは見せてあげられないだろうけどね。こいつを鑑定するくらいなら、知り合いに頼めばすぐだから問題ないさ」
ぽんぽんとリーフが叩いた肩掛け鞄の中に入っているのは、以前に二人が廃鉱で見つけた、黒い石だ。この鑑定が、今回の研究所訪問の目的ということになっている。
魔術の徒が集まる研究所というのは、一体どんなところなのだろう。リーフのような人間が、大勢集まっているのだろうか。
アルフェの故郷のラトリアにも、近隣の領邦に知られた魔術学校があったのだが、アルフェ自身は足を踏み入れたことも、見たこともない。アルフェはこれから行く場所の様子を、色々と思い描きながら歩を進めた。
「最近はあんまり顔を見せてなかったし、僕にとってもちょうどいいんだ。たまには、成果報告もしておかないと……。援助金を打ち切られたら、研究にも差し支えるしね」
「援助金ですか。それは、どのくらいいただけるものなのですか?」
「そこに興味をもつんだね……」
リーフは呆れたように頭を掻いた後、小声で何かつぶやいた。
「でもまあ、そのほうが君らしいのかなぁ」
「何か仰いましたか?」
「ううん、何でもないよ」
「……?」
話しながら歩いているうち、周囲の風景が変わってきた。冒険者組合のある界隈と比べると、居並ぶ建物が徐々に立派になっている。城に近づいているのだ。
「今日は結構暑いねぇ」
リーフの言う通り、今日は良い陽気だ。日向を歩いていると、ほんのりと肌が汗ばんでくる。
「雨が降ったのは、大分前ですし。……そんなローブを着ているからですよ」
「へ、変かな?」
「別に、変ではないですが……」
アルフェは言葉を濁した。
魔術士らしい服装をするのはいいが、街行く人々が涼し気な軽装なのと比べると、リーフの格好は異様だった。暑いと言うなら、そのローブを脱いで、ついでに伸ばし放題の髪も切ればいいのに。そんな素直な感想を、アルフェは胸の内にしまっておいた。
そういえば、いつの間にかリーフの挙動不審も収まったようである。研究所の話だけでなく、天気の話や食事の話、歩きながらする二人の会話には、取り留めもない世間話も混じっていた。
「そう言えば、ステラ君は――」
「……」
しかし、唐突にリーフにその名前を出されて、アルフェはにわかに自分の顔がこわばるのを感じた。
「――あ、ご、ごめん」
そしてそれは、リーフにも伝わったようだ。彼は触れてはいけない話題に触れてしまったという顔をしている。二人の間を流れる空気が、息苦しいものに変わった。
――リーフさんが謝ることではありませんよ。
リーフの謝罪に言葉で返すことができず、アルフェは心の中でそう答えた。
謝られることではないのに、謝られてしまった。
口に出して言えないのは、自分の未熟さだ。彼のアトリエで、ステラにはずいぶんと、治癒院を抜け出したことを責められたから。
――……責められた?
いや、違う。ステラはアルフェを責めたのではなく、彼女はただただ、アルフェの身を案じていた。打算もなく、純粋に。
やはり、彼女のあの優しさは危険だ。アルフェには、自分が彼女を恐れる理由が分かっていた。
あれに触れていると、自分がどうして旅をしているのか、何のために戦っているのか、そんなことを考えさせられる。覆い隠しているつもりのはずの、自分自身の意思の弱さを自覚させられる。
――こんな風になるから、会いたくなかったのに。
でも、会ってしまった。
あの時は、突然何を言い出すのだろうと思ったけれど、リーフがこうして研究所に誘ってくれたのは、ぐちゃぐちゃになった頭を冷やすのに、ちょうどよかったのかもしれない。
感謝というほどではないにしても、少なくとも彼をゴーレム狂いの変人扱いするのは、もうやめておこう。謝罪の代わりに、アルフェはそう思った。
「もうすぐ、着きますね」
それでも、この話題に触れ続ける強さは、アルフェには無い。近づいてきた城に目を向け、彼女は露骨に話題をそらした。
初めて訪れた魔術研究所は、この前押し込められた衛兵の詰め所よりも、随分と新しい建物だった。城に併設される形になってはいても、城の建物とは、作られた年代からして違う感じだ。
「ここは、若いころのユリアン様が、伯に進言して創られたんだ」
「若いころ? ユリアン様は、今もお若く見えましたが……」
「アルフェ君、ユリアン様を見たことあるの?」
「はい、一度。……遠くから、お姿を拝見しただけですよ」
「そっか。うん、その進言をした時のユリアン様は、僕らよりもずっと小さかったんだって」
「本当ですか。すごいですね」
「だろう? でね――」
リーフの解説を聞きながら、二人は研究所の中に進んだ。入り口には見張りの兵士が立っていたが、その兵士たちはリーフの顔を見てうなずくと、特に許可証なども求めずに、あっさりアルフェたちを中に通した。さっきのリーフの自信は、本物だったようだ。
外は暑かったのに、研究所の内部は少しひんやりとしている。日陰に入ったからかと思ったが、それだけではなさそうだ。床や壁の石材自体が、ほのかに冷気を帯びているようにも感じられた。魔術的なものだろうか。
「とりあえず、こいつを鑑定してもらおう。それが今回の目的だしね」
そう言いながらリーフがごそごそと肩掛け鞄の中をあさり、黒い石くれを取り出した。バジリスクと戦った廃坑で採取した、魔力を帯びた石だ。
「バロウさんはどこかな……。研究室かな?」
研究員らしき人の名前をつぶやいて、リーフは廊下を歩いていく。アルフェも一拍遅れて、それについて行った。
研究所の廊下には、それほど人は歩いていない。移動している間、リーフと同じようなローブを着た男性一人とすれ違っただけだ。その人も、本に視線を落としながら歩いていて、こちらには目も向けようとしなかった。
それ以外の魔術士たちはどこにいるのだろう。廊下の両側には、いくつものドアが並んでいる。これがリーフの言う研究室なのだろうか。このそれぞれに彼のような魔術士が詰め込まれているとしたら、結構な人数になりそうだ。
「あれ? いないのかな……」
リーフは部屋の一つの前で足を止めて、扉をノックした。しかし、目当ての人物は不在だったらしい。
「じゃあ、実験室かな。ごめんアルフェ君、付いてきて」
無言でうなずいたアルフェは、また少年の後に続いて歩き出した。




