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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第五節
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81.誰よりも脆いあの子

「アルフェちゃん」

「…………はい」

「本当に心配したのよ」

「…………はい」

「どうして、勝手にいなくなったの?」

「……それは」


 ステラに問い詰められたアルフェは、そこまで言って少しうつむき、押し黙った。

 二人はリーフのアトリエのリビングで、向かい合ってテーブルについている。


 ――ステラ君、僕の時とは、なんか真剣さが違うなぁ。


 割って入れる空気ではないので、再びキッチンに退避していたリーフが、心の中でつぶやいた。

 なぜステラが、ああしてアルフェを問い詰めているのかは知らない。切れ切れに聞こえてくる会話によると、おそらく自分と同じように、アルフェも診察の約束をすっぽかしたりしたのだろう。リーフはそれとなく、キッチンからリビングの様子をのぞき見ている。

 リーフから見て、アルフェを見つめるステラの表情は、責める顔という感じではない。どちらかと言えば哀しげな表情だが、妙な威圧感というか、気迫がある。対するアルフェの方は、そのステラを前にして、リーフが知る彼女とは思えないほど弱々しく見える。ひょっとしたら泣き出してしまうんじゃないだろうか。そんな風に思ったほどだ。


 ――あんなに強いアルフェ君でも、あんな顔をするんだね……。


 リーフは意外な思いだった。初めて会った時のアルフェは、彼自慢のゴーレムを簡単に打ち砕いた。次に会った時には、共に行った廃坑探索で、バジリスクをはじめとする多くの魔物を蹴散らした。旅慣れていて、危険な魔物に遭っても堂々としていて、何事にも動揺せず、表情を崩さない。時にはリーフに対して、冷たい口調で皮肉も言う。

 リーフは彼女に対して、外見を除けば、まさに熟練の冒険者であるという印象を持っていた。それどころか、今まで彼が雇ってきた冒険者の中にも、彼女ほどの凄腕はいなかった。


 ――でも。


 今あそこに座っている彼女は、年相応の、ただの女の子に見えるから不思議だった。


 ――少しだけ、ステラ君の方が年上なのかな?


 彼女たちの正確な年齢を尋ねたことはないが、そう考えると、リビングにいる二人の様子は、おいたをした妹を叱りつける姉と、姉に怒られてへこんでいる妹の構図に見えなくもない。

 さっきまで、初めて女子を家に迎え入れて舞い上がっていたことを忘れて、リーフはハラハラと話の成り行きを見守っていた。


「終わった……?」


 数十分後、まだ座ったままのアルフェに、リーフは恐る恐る声をかけた。あれからしばらくして、ステラは帰っていった。リーフはそれまでの間ずっと、キッチンの中で右往左往するしかなかった。


「……はい」

「そう」


 次にどんな言葉をかけるべきか、リーフは悩んだ。そこで思いついたのが、この言葉だ。


「仲直りできたかい?」

「……仲直り?」


 そう、仲直りだ。一から十まで話を聞いていたのではないが、二人の間を流れる空気は、悪い流れにはなっていなかったと思う。あくまでも、リーフの受けた印象だが。


「友達なんだよね? 友達は、大事にしなきゃだめさ。喧嘩したなら、仲直りしなきゃ」


 柄にもないアドバイスをしてしまった。得意げな顔になっていなかっただろうか。それにそんなことは、友人のいない自分が言うことではなかっただろうか。言ってから、リーフは少し体がむずがゆくなるのを感じた。客観的に見れば、かなり照れ臭い台詞でもある。しかし、ここは勢いだ。


「……とも、だち。――友達?」


 こちらを見て、あっけに取られたように、その単語を繰り返すアルフェ。しばしの後、彼女の頬がかっと朱く染まり、次いで酷く苦々しい表情になると、再びうつむいてしまった。今日の彼女は、なぜだかすごく表情が良く変わる。


「……黙って治癒院を抜け出したことは、許していただきました」

「良かったね」

「……はい」


 それきり、お互いの鼓動の音が聞こえそうなほどの沈黙と静寂が、室内を襲う。


 ――……ど、どうしたのかな。


 なぜだろうか、物凄く気まずい。

 うつむいたアルフェは、何であろうか、とても苦しそうな感じだ。とてもリーフが言うように、「良かったね」という様子ではない。

 もしかして、体調でも悪いのだろうか。――お腹が減っている? ――治療費を踏み倒した? まさかそんな。それとも自分の言葉の中に、何かまずいものがあったのだろうか。そんな風に、リーフの中で思考がグルグルと駆け巡る。ゴーレムや魔術以外のことについて、彼がこんなに真剣に考えたのは初めてだった。


「え、と」


 何か、慰めか励ましの声を掛けるべきなのではないか。しかしリーフは、こういう分野は全くの不得手だ。気の利く言葉など思いつかない。


「おほん。あ~、そうだ」


 多分、その時のリーフは、彼自身が思うよりもずっと混乱していたのだろう。

 室内の音声が途絶えてしばらくしてから、リーフはその重苦しい空気に耐え切れなくなって、苦し紛れに、己の人生で初めての台詞を口にした。


「アルフェ君、明日暇かい? よかったら、一緒に出掛けない? 気分転換にさ!」


 再びの沈黙。


 ――は? 何を言ってるんですか?


 正直、リーフはアルフェに、それくらいの反応を期待していた。


 ――……報酬は出るんですか?


 あるいは彼女なら、辛辣に、そういうことも言うかもしれない。

 いずれにしてもリーフは、そう、弱々しい彼女を見ているのが嫌で、少しアルフェを元気づけたかっただけなのだ。己に似合わない、今のナンパじみた発言は、あくまでもただの冗談のつもりだった。


「……え?」

「え?」


 だから彼は、こうして彼女に、そんな不意を打たれた表情で見つめられるなどとは、考えもしていなかった。


「……」


 小さく口を開けたままのアルフェが、少し上目遣いにリーフを見ている。

 リーフが見たことのある、戦っている時の彼女の、恐ろしい魔物を力尽くでねじ伏せるほどの、あの強い意志を宿した眼光はそこにない。

 そこにあったのはただ、どこまでも吸い込まれそうな、透き通った無垢な瞳で――。


「えっ、いやっ……、あの……」


 それに捕らわれたリーフは、なかなか次の言葉が接げなくなってしまった。


「――あのっ、いや、そう、ほら……、そ、そうだ! 前に言ってた――、約束してただろう!? 城の研究所に行こうって! この間廃鉱で見つけたあれを、鑑定、してもらわなきゃ!」


 ――これはまずい。非常にまずいぞ。


 そう直感したリーフは慌てて目をそらし、手をわたわたと動かしながら、リビング中に響くほど、妙に声を張り上げる。しかし、いったい何がまずいのだろうか。それは彼自身にも、よく分かっていなかった。


「……研究所? ――ああ」

「そ、そう。関係者が居ないと、滅多に行くところじゃ無いと思うし、アルフェ君の冒険者の仕事にも、何か参考になるものがあるかもしれないし」


 早口にそう言いながら、リーフはゆっくりと、視線をアルフェの顔に戻す。

 彼女の目はもう、青年を見ていなかった。横顔から見える瞳は、再び強さを取り戻し、さっきまで感じた弱々しさも、彼女の表面からは消えている。

 もしかして、あれはリーフが見た幻だったのだろうか。それを見て、リーフはとてもほっとしたような、逆に非常に残念なような、そんな複雑な気分になった。


「――でも、君が忙しければ、別にいいんだ。本当に……」


 そこまで言い終わって、リーフは、いつの間にか握っていた手のひらが、じっとりと汗で濡れている自分に気付いた。


「……どう?」


 そうだ。これは前から誘っていたことだ。タイミングが悪かった気もするけれど、別に不自然、非常識というほどではない。

 ――でも、でも、できるなら断ってほしい。彼女が断ってくれれば、この気まずい雰囲気も、それで終わりにできる。


「……そう、ですね」


 間を置いて放たれたその声を受け、リーフの心臓が一つ跳ねた。

 アルフェはいつもと変わらない調子で喋っているはずなのに、リーフには、少女の声がさっきまでと違って聞こえた。


「いいですよ。明日、何もお仕事がなければ」

「え」


 自分は今日、彼女に軽い運動の場所を提供するだけだったはずなのに、何がどうしてこんなことになったのだろう。心の中で自問するリーフに対し、いい知恵を授けてくれる人間は、少なくともここにはいない。

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