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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第五節
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80.往診する彼女

「お邪魔します」

「どうぞどうぞ」


 家主の言葉に導かれ、アルフェは扉をくぐった。久しぶりに訪れたリーフの工房は、相変わらずよく分からない器具などで雑然としている。


「でも、地下室を使いたいなんて、どうしたんだい?」

「少し鍛錬したくて、身体を動かす場所が欲しかったんです。ご迷惑なら……」

「別にいいよ。自由に使ってくれて。鍛錬……? よくわからないけど、冒険者も大変だねぇ」


 地下室に降りたリーフが、灯りを点ける。ランプではなく、リーフの魔術によって天井の中央に据え付けられた石が発光した。ろうそくの火よりもずっと明るい白い光で、地下室が照らされる。

 以前にアルフェが破壊したゴーレムたちは、どこかに片付けられたようだ。四隅にいくつかゴーレムの部品らしきものが転がっているだけで、あの時よりも部屋はずっと広々として見える。

 四方を石壁で囲まれた部屋で、広さも十分。体を動かす場所としては申し分ない。変化の乏しいアルフェの顔にも、心持ち満足そうな色が浮かんだ。


「鍛錬って、その格好でするの?」


 朝に大聖堂を訪ねた時から、アルフェはずっと平凡な町娘の格好をしている。長いスカートに、初夏なので、上には薄手のシャツを着ているだけだ。


「軽くですから」


 本音を言えば、アルフェとしてはもう少し動きやすい服装で、思いっきり暴れまわりたい気分だったのだが、背に腹は代えられない。


「そう? じゃあ、好きなだけ使ってよ。僕は上に居るから、終わったら声をかけて」

「はい、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 軽くうなずくと、リーフはアルフェを地下室に残して階段を上がっていった。


「うーむ……」


 一階の居間に戻ってきたリーフは、腕を組んでうなりながら、眼鏡の奥の目を閉じた。


「どうしよう」


 まさかこのアトリエに、女子が訪ねてくることがあろうとは。

 研究に必要な品の買い出しに行った帰り、偶然アルフェに出会って、突然家に来たいと申し出られた。それからここに帰ってくるまで、リーフは表向き冷静にふるまっていたが、内心は困惑していた。何しろこれは、彼にとって完全に思いがけない事態である。

 いや、正確に言えば、アルフェがこのアトリエに来たのは初めてではない。ゴーレムの耐久実験を依頼した時と、バジリスクに石化された自分を運んでもらった時の都合二回、彼女はこのアトリエの敷居をまたいだ。だがあれは二回とも、冒険者としての仕事という大義名分があった。

 しかし今回は違う。鍛錬のためという、ある意味で仕事よりも乾燥した、不可解な理由ではあったが、それでも女性が私的な理由でここにやってきたというのは、非常に貴重な体験である。


「ん? いや待てよ」


 よくよく考えてみると、他人がこのアトリエに足を踏み入れること自体が珍しい。実際、アルフェの前にここに来た人間が誰だったか、リーフにはすぐに思い出せなかった。

 リーフは天涯孤独の身の上である。両親は、彼が生まれてすぐに病気で亡くなっている。彼をかわいがり育てた、唯一の肉親である祖父も、数年前に他界した。幸い彼は魔術の才能に恵まれていたので、一人でも、これまで生計に困ったことは無い。むしろ人より、よほど余裕のある生活を送っている。

 だが、才能があるゆえにと言うべきか、リーフが今まで親しく接してきた人間は年の離れた大人ばかりで、女の子以前に、彼は同年代の人間と交流した経験に乏しかった。


「どうしよう」


 リーフはもう一度つぶやいた。しかし、別にどうするもこうするもない。アルフェが他意あって来ているのではないということは、彼にも分かる。しかし健全な一青年として、同年代の少女を家に招き入れているという事実に、今日まで魔術一筋で生きてきた彼も、そわそわせずにはいられない。


「――ふっ。もてる男はつらいなぁ」


 人差し指でメガネを持ち上げて、色男気分でそうつぶやいてみた。あくまで冗談のつもりだ。

 しかしその時、地下からずずんと地響きが鳴り、机の上のビンが一つ、倒れて転がった。


「……ごめんなさい」


 リーフは思わず謝ってしまった。

 鍛錬と言っていたが、アルフェはいったいどんな鍛錬をしているのだろう。時折聞こえる爆発音や金属音は、彼女が使うような体術を訓練する際には、普通に生じるものなのだろうか。


「むむむ」


 彼はキッチンに立って、客人に出せそうな物がないか物色した。せっかく女子を家に迎え入れたのだから、気の利く男はお茶でも出すだろうと考えたからだ。

 普段は外食ばかりなので、うまく入れる自信は無いが、それでも茶葉くらいはある。……あったはずだ。

 それからしばらく、リーフがキッチンで格闘を続けたにもかかわらず、お茶はまだ入っていなかった。地下から伝わってくる地響きは、まだ断続的に起こっている。


「参ったな……。お湯を沸かすまでは、魔術でできるんだけどなぁ」


 簡単そうに見えて、やってみると意外に難しいものだ。リーフがそんなことを考えていた時、入り口の方からノックの音が響いた。


「んん?」


 このアトリエに、一日に二度も来客があるなど珍しい。いや、かつて無かったことではないだろうか。


「はいはい、今出ますよー! おや、君は……」


 そしてリーフが玄関の扉を開けると、そこに居たのは、彼の予期しない人物だった。


「ステラ君じゃないか」

「こんにちは、リーフ君」


 玄関の前に立っている亜麻色の髪の少女は、治癒術士のステラだ。前にバジリスクにやられて石化したリーフを治療してくれたのが、この少女だ。こんにちはと返して、リーフは尋ねる。


「先日はどうも。今日はなんの用だい?」

「“どうも”じゃないでしょう」

「え?」

「“え?”って……。忘れたんですか? 定期的に経過を見せに来るように、言っておいたじゃないですか」


 そうだったっけと、リーフが首をひねる。彼は本当に忘れていた。


「もう……。そちらが一度も来ないので、私の方から来たんです」

「う~ん。でも、もう何ともないからさ」

「リーフ君、治癒士の指示はちゃんと守ってください。あなたは数日間石化していたんですからね? 元に戻れたからって、後から容態が急変することもあるんだから――」

「ごめんごめん。次からはちゃんと行くよ」

「はぁー。そう言う患者は、たいていもう来ないのよ……」


 眉をひそめたステラが、大げさにため息をついた。大分苛立っているようだ。


「どいつもこいつも、治癒士の言いつけを守らない患者ばっかりなんだから……!」

「ま、まあまあ、落ち着いて」


 ステラの怒りは、リーフ個人と言うよりも、不特定多数の誰かに向いているようだ。その剣幕に圧倒されたリーフは、うろたえつつもステラをなだめた。


「――ふぅ。まあいいです。それで、その後は何か、身体に変わったことはありますか?」

「ないよ」

「関節が固まって動かないとか、記憶に混乱があるとか」

「全然」


 それ以外にも、いくつかステラの問診が続いたが、リーフはお気楽な調子で、どこにも異変は無いと答えた。


「――はい、分かりました。全て異常なし、と。ほんとに大丈夫みたいですね」

「ふふふ、もちろんさ」

「調子にのらないで」

「はい」

「じゃあ、私はこれで帰りますけど。いいですか、次に何かあったら、ちゃんと治癒士の指示に従って――、きゃあ!」


 念を押すように繰り返されていたステラの小言は、地下から響いたドゴンという振動によって遮られた。


「な、なに? 爆発?」


 反射的に身をかがめたステラに対して、リーフは涼しい顔をして言った。


「ああ、気にしなくていいよ」

「そう言われても……。中で怪しい実験でもやってるんですか?」

「やだなぁ、違うよ。……僕って、そんな風に見える?」

「見えます」

「心外だなぁ」


 二人がそんなことを話していると、アトリエの奥から「リーフさん」と、リーフを呼ぶ若い女性の声が響いた。


「――え? 今の声……」


 このアトリエにはもっとも不似合いな声を聴いたからか、ステラが不審な顔になる。ちょっと待ってねとステラに断って、リーフは地下への階段をのぞきこんだ。


「呼んだかい、アルフェ君」

「リーフさん、これを使ってもかまいませんか?」

「どれ?」

「これです」


 一抱え程ある鉄塊を、アルフェが両手で持っている。あれはアイアンゴーレムの頭部にしようと、リーフが用意した鉄球だ。彼が運び込んだ時は、変性術で軽量化して持ってきた。とても普通の女の子には――いや、人間には持ち上げられない重量だと思うのだが、彼女は事も無げに持っている。


「いいよ」


 若干思考が麻痺していたリーフは、それを何に使うのかとも聞かずに承諾した。


「ありがとうございます。壊しませんから、安心してください」


 壊そうと思ったら壊せるのだろうか。リーフはそれも聞かなかった。


「どういたまし――、うおぉっ!」


 リーフが振り返ると、彼のすぐ後ろに、玄関にいたはずのステラの顔があった。彼女はえらく深刻そうな顔で、階段の下を見つめている。


「アルフェちゃん……」

「……あ」


 そして下にいるアルフェも、ステラに気が付いたようだ。

 彼女はなぜか手に持った鉄球を、危うく取り落としそうになっていた。

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