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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第五節
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79.馬小屋のにおい

 その日の午後、大聖堂を訪れた脚で、アルフェはクルツの居館を尋ねた。そこで出てきた執事に対し、彼女はリグスへの面会を求めた。すると、リグスは今、厩舎にいるという答えが返ってきた。

 この館ほどの規模になると、厩舎も複数設置されている。リグスがいると言われたのは、使用人用の厩舎だった。アルフェが使用人の館の裏に回ると、獣臭さと藁の匂いが混じった独特の空気が漂ってくる。そこで上半身裸になって、栗毛の馬の世話をする大柄な男が一人。


「こんにちは、リグスさん」

「ん? おお、アルフェ」


 声をかけられたリグスは、ちらりとアルフェに目を向けた。


「お手入れですか?」

「ああ。こいつはうちの兵団でも一番の働き者だからな。ちゃんと世話してやらんと――」


 そう言いながら、リグスはブラシで優しく馬の背中を掻いている。馬の方はご機嫌な様子で、くすぐったそうに身を震わせていた。

 汗ばみそうな午後の日差しの中でも、馬小屋はちょうど木陰に位置していて、通り抜ける風が心地よい。


「どうした、お前の方からこっちにくるなんて、何かあったか」


 馬の世話を続けながら、リグスは言った。その背中に、アルフェが丁寧に頭を下げる。


「この間は、申し訳ありませんでした」

「この間? なんの話だ?」

「護衛の仕事の途中で、勝手に抜け出してしまいました」

「……? それがどうして、謝るような話になるんだ?」


 手入れは終わったようだ。リグスはぱんぱんと軽く馬の首筋をたたき、アルフェを振り返った。


「同じ建物の中にアンデッドがいたんだ。雇い主に危険が及ぶ前に排除するのは、俺たちの役目だろう? 相手が暗殺者じゃなかったからって、気にすることは無いさ」

「違います」

「何がだよ」

「私は、レイスの気配を感じて、席を外した訳ではないんです」

「ふうん?」

「レイスに遭遇したのは、ただの偶然です。あの場を外れたのは、私の個人的な事情です。――だから、あの夜の報酬はいただけません」

「……よくわからんが」


 水桶を手に、少し首をかしげながらも、リグスは続ける。


「それでお前が納得するんなら、そうしよう」

「そう言ってもらえると助かります」


 アルフェが小さく、ほっと息をつく。それを見て、リグスは苦笑しながらつぶやいた。


「何があったかしらんが、くれるというもんはもらっておけばいいだろうに。別に罰は当たらんぞ」

「できません」


 アルフェは頑なな顔で首を横に振った。リグスがなんと言おうと、自分は途中で依頼を放棄したのだ。それで報酬をもらうのは違う気がする。


「妙なところで頑固だな、お前は」


 手入れ用の道具を片付けたリグスが歩き出す。アルフェがその後を追い、二人は歩きながら話を続けた。


「それよりも、城じゃ大分しぼられたんだろ?」

「そうですね、半日くらいは事情を聴かれました。……クルツさんに不利になるようなことは、何も話さなかったとは思うのですが」

「その辺は信用してるさ。とにかく災難だったな。まあ、町ん中にレイスが出れば、それも仕方ないけどな。……クルツの坊ちゃんも、お前を解放するように働きかけてたが、あまり効果はなかったみてぇだしよ」

「……それは、すみません」


 結果はどうあれ、それだけ雇い主の手を煩わせていたのかと、アルフェは少し気に病んだ。当てが外れたなどと思ったのは、失礼だったか。


「いいさ、頼りにならない野郎だ」


 リグスの言い方は身もふたも無い。

 リグスの足は、敷地にある使用人の館の一つに向かっている。彼ら傭兵は、そこを兵舎のようにしているのだそうだ。


「最後はクルツさんのお兄様にも、色々と聞かれてしまいました」

「ユリアン・エアハルトが? あいつが直々に出てきたのか……」


 立ち止まり、腕を組んでリグスがうなる。


「何を聞かれたんだ?」

「あの方は、私がレイスを喚び出したのではないかと疑っていたそうです」

「なんだそりゃ! 馬鹿馬鹿しい」


 わめいたリグスに対し、アルフェは城で尋問を受けた際に聞いたことを語った。


「――死霊術?」

「はい」

「なるほど……、そうだな。そういう可能性も、無い訳じゃない。結界の中にアンデッドが出たなら、そういうことも考えなきゃならんか」

「リグスさんは、実際に死霊術を見たことがありますか?」

「ああ、昔、一回だけな。不老不死になりたいとか言う、いかれた魔術士のじじいだったよ。だがそいつは、一人殺して死体をグールにするくらいが関の山だった。レイスを、しかも二匹だろ? そんな上等なアンデッドを喚べるやつには、お目にかかったことはねぇな」

「……」

「……しかし、死霊術士か。……坊ちゃんを狙うやつと、何か関係があるのか?」


 その後も二人はあの夜の出来事について語り合ったが、さして理解に進展が見られたわけでは無かった。

 メルヴィナという女については、アルフェはあまり口にしなかった。彼女が死霊と関係があると思うのは、アルフェの勝手な想像に過ぎない。彼女自身の個人的な事情も絡んでいるとあって、その考えをリグスに言うのは憚られた。


 そうこうしている内に、二人はリグスたちの兵舎の前についた。使用人の館の一つを利用していると言ったが、館というよりは木組みのロングハウスだ。外では三人の若い傭兵が、木箱に座って剣や槍を磨いている。


「ここで飯でも食ってくか? たいしたもんは出せねぇが。まあ、お前が坊ちゃんに会ってくってんなら、話は変わると思うけどな」


 くつくつと笑いながら、リグスがそう言った。アルフェはクルツに絡まれるのが嫌で、わざわざ館の主人を通さずにここまで来ている。それを分かってからかっているのだ。


「いえ、今日はこれで失礼します。……リグスさん、一つお願いがあるのですが」

「なんだ?」

「今後、クルツさんに護衛が必要な時は、ぜひ私に声をかけて欲しいのです」

「ん? お、おお。そりゃ、こっちははじめっからそのつもりだったが……。どうしたんだ、急に」


 リグスが戸惑っている。これまでアルフェは、むしろクルツを避けていたはずなのに、なぜこのように積極的になったのかと。


「色々と物入りな事情があって、沢山仕事を引き受けなければならないのです」


 アルフェはとりあえずそう言いつくろったが、これはもちろん建前に過ぎない。本音はただ、クルツに張り付いていれば、彼が進めている結界に関する事業の中で、シンゼイやメルヴィナに接触する機会があると考えたからだ。

 午前中の教会訪問の成果ははかばかしくなかったが、あの女が帝都から戻るのは、そう遠くないと教会の人間は言っていた。それまでアルフェにできるのは、せいぜいこのくらいだ。


「……ふぅん。そうか、分かった。じゃあこれからは、お前は基本的に頭数に入れさせてもらうからな。つなぎはつけられるようにしておいてくれよ」

「はい。冒険者組合で、毎朝必ずリグスさんの伝言がないか、確認することにします。他の依頼も、長期のものは受けません」

「ああ、それでいい。しばらく動く予定はないが、あの坊ちゃんは気まぐれだからな。前みたいに、急にオークを討伐しに行くとか言い出さんとは限らん」

「承知しました。それでは、私はこれで失礼します」

「じゃあな」


 リグスのその言葉を最後に会話は終わり、アルフェは兵舎の前を離れた。すれ違った傭兵たちが、彼女に軽く挨拶してくる。それに会釈で返しながら、アルフェは館の門へと向かった。


 ――夕飯には、少し早いですね。


 クルツの居館を出て、何となく宿の方向に歩きながら、アルフェは考えた。まだ日は高いが、今日はもう、特にやることがない。


 ――どこかで、身体を動かしたいな。


 何気なくそう思う。ベルダンの街にいたころ、冒険者の仕事をしていない時には大抵、アルフェは道場でコンラッドと鍛錬していた。

 実戦も大事だが、地道な修行も大切だ。コンラッドはよくそう言っていた。大雑把な性格の人だったが、彼にはそういうマメな一面もあった。そんな師の影響で、アルフェの体には鍛錬の習慣が染みついていた。


 ベルダンを離れてからは、一つの場所にとどまることがなかったので、なかなかそういう時間がとれなかった。しかし今は、いわば待っている状態だ。時間はある。


 ――でも、場所が……。


 そうなのだ。このウルムは大都市だが、整備が進んでいるので、逆に鍛錬に適した空間がない。噴水のついた公園などはある。だがしかし、恋人たちが逢引きし、子どもたちが遊びまわっている場所で演武を行うのは、いくらなんでも悪目立ちする。それを恥ずかしいと思う心は、アルフェにも有った。

 引き返して、リグスの兵舎前を使わせてもらうべきだろうか。しかしそれだと、長居をすればクルツに見つかり引き留められるかもしれない。それは避けたい。


「……」


 一度思いつくと、身体の内側が何となくむずむずしてきた。これは何としても体を動かさないと、落ち着きそうにない。アルフェは周囲を見回した。


「――あ」

「おや、アルフェ君じゃあないか。何してるの?」


 そしてちょうどそこに、哀れな犠牲者――ゴーレムクラフターのリーフが現れた。

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