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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第四節
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77.尋問

「へ、兵士長。終わったんですか?」


 突然開かれた背後の扉を振り返った若い衛兵は、少し腰を浮かせてそう言った。不意に話を遮られて、慌てた様子がその声色から読み取れる。

 アルフェはというと、背筋を伸ばして椅子に腰掛けたまま、目だけを動かして入室者に視線を向けた。その表情に驚きはない。彼女は少し前から、この部屋に向かって歩いてくる人間の気配を感知していた。

 兵士長と呼ばれた年かさの男は、若い兵士の問いかけを無視して室内に入り、そのまま壁際まで来ると、振り返って直立の姿勢をとった。


「兵士長? どうしたんです――、え? あ!」


 その後から入って来た男が、もう一人。それを見て声を上げた若い兵士もまた、はじかれたように直立した。


「……っ!」


 アルフェの肌が、その一瞬でびりびりと泡立つ。


 ところで彼女には、放浪の生活の中で身につけた癖や習慣がいくつかあった。

食べるときはできるだけ素早く、できるだけ沢山食べること。他人のいる場所では深く眠らないこと。他にも色々だ。


 その中の一つに、動いているものを見たら、最初に自分が勝てる相手かどうかを見定めること、というのがある。

 魔物と遭遇しても、他の冒険者や兵士と出会っても、初対面の相手を前にした時には、ほとんど反射的に、彼女はまず、それと敵対した場合に、相手の息の根を止める方法――その時の自分の姿を、頭の中に思い浮かべていた。

 誰に対しても、だ。リグスにも、クルツにも、ステラやリーフにも。――それこそ、道行く母親に抱かれた赤ん坊に対してさえも。


 なぜか。そうしないと、安心できないからだ。旅の中で、不用意に相手を信じて、寝首をかかれそうになったこともある。だからまず、アルフェは頭の中で相手の首の骨を折ってみる。それでようやく、落ち着いて相手を見て話をすることができる。

 冒険者稼業を続けていると、そうなるのだと誰かが言った。この世界で生きるためには、当然だとも。アルフェもそれが仕方の無いことだと考える反面、いつの間にかそんなことを考えるようになった己のことが、ひどく醜く、卑しいものに思えていた。

 その習慣に従って、アルフェはこの一瞬で、部屋に入ってきた男たちに、頭の中で攻撃を仕掛けていた。兵士長と呼ばれた男は、あっけなく頭を割られて転がっている。しかし、次に入ってきた男の方はどうだろうか。


 ――……これは――。


 椅子に腰かけたアルフェの姿勢は変わらないが、そのこめかみに、一筋の冷たい汗が伝う。

 今の自分では、絶対に、どう戦ってもこの男に勝てない。それを確信したからだ。これまでも、勝算が薄いと思える相手に遭遇することはあった。それでも、これほどの相手に遭遇したことはなかった。


 男は無手だ。何も武器を携えていない。素手の勝負ならば、彼女はリグス相手でも一方的に叩き伏せる自信を持っている。しかし、そのアルフェがそう感じるということは、両者の実力差は、相当のものであるということか。もしかするとあるいは、コンラッドに迫るほどの力を、この男は持っているかも――


 ――いや、違う。お師匠様より強い人間なんて、いない。


 そう強く心の中で唱えることで、アルフェの動揺は鎮まった。

 そんなアルフェの思考をよそに、男は直立している若い兵士の前まで来ると、落ち着いた声で言った。


「ご苦労。後は、私が引き継ぐ」

「は! ――は? え、いや、そ、それは――」

「了解しました!」


 男の言葉に、どぎまぎとうろたえる若い兵士。すると兵士長が、勢いよく敬礼してその戸惑いを遮り、まだ困惑している彼を引きずるようにして退出していった。

 そして兵士たちと入れ替わるようにして、さらにもう一人、男が入室し、部屋の扉を閉める。こちらは線の細い、文官風の男だ。


「……」

「さて」


 机を挟んでアルフェの前に対しているのは、灰色がかった金髪の、不機嫌そうな顔つきの男だ。鋭い二つの目の間には、深いしわが寄っている。

 兵士長たちの態度から察するに、かなり高位の人間のようだが、服装からはそう見えない。質素な軍服風の装いで、外見だけでは、先ほどの兵士長とどちらが上の身分か分からないだろう。

 男はさっきまで若い兵士が座っていた木の椅子を引くと、それに腰掛けた。


「直接話を聞かせてもらいたい」


 名乗りもせず、男がそう言う。丁寧な口調だが、有無を言わせない言い方。アルフェが既に長時間の尋問を受けている事には、あまり配慮する気が無い様子だ。


「……どうぞ」

「君は、クルツの恋人だそうだが」

「え?」


 いかに軽んじられているとは言え、男は伯の子息を呼び捨てにした。アルフェには、目の前の人間が何者か、だいたい想像がついている。それでもさすがに、この無遠慮な切り出し方には驚いた。


「違います」

「ではなんだ? 昨夜はあれと一緒に、劇場にいたのだろう?」

「……」


 何をどこまで話していいものか、アルフェは少し迷う。これまでの尋問者は、レイスの出現と消失の経緯については詳しく聞き込んできたものの、このように、彼女と雇い主の関係についてまで、深く踏み込みはしなかった。


「その話と魔物に、何か関係があるのですか?」

「無い」

「では、答える必要がありますか?」

「……」


 しばしの沈黙。その間も、男の射貫くような視線は、アルフェの上から動かなかった。アルフェもまた、男の目を真っ直ぐと見据えている。


「……レイスを倒したのは、君だな?」

「……」


 男の直接的な問いかけには、確信が込められていた。ごまかしても無意味だろうが、かといって証拠がある話でもないはずだ。だからアルフェは、沈黙を選んだ。


「否定しないのか? アルフェ……」

「姓はありません。アルフェで結構です」

「いいだろう、アルフェ。先の質問の答えは?」

「……」

「あれに忠義立てしているのであれば、それは無意味だ。あれが教会の者と密会していたことも、その中身も、私は概ね承知している。承知した上で、好きにさせている。だがそんなことよりも、アンデッドの出現と消失の経緯について知る方が、はるかに重要だ」


 どこから情報を得ているのか、彼は昨夜のクルツの行動も把握している。優秀な人間という噂は、本当のようだ。


「……」

「やはりな」


 アルフェは何も言わなかったが、男は一人で納得した。彼はしばらくの間目を閉じ、それを開くと、再びアルフェをにらんでこう言った。


「君は、市内に出現し、民の命を奪ったアンデッドを滅ぼしてくれた。その件については、この街の為政者の一人として、礼を言わせてもらう」


 このように険しい表情でそう言われても、礼を言われているとは思えない。だが、とりあえず礼を言われたということは、彼らが何かにかこつけて、こちらを罪に落とそうとしている訳ではないようだ。


「……では、私はこれで帰っても良いのですか?」

「君は、リグス・マクレイン配下の傭兵か?」


 まだ帰ってはいけない、ということなのだろう。彼は、あまり人の話を聞かない性格のようだ。アルフェの質問には答えず、自分が聞きたいことを聞いてくる。アルフェは少し閉口したが、この問いには素直に答えた。


「冒険者です。組合に登録もしてあります」

「……冒険者?」

「何か?」

「いや、問題ない」


 アルフェの職業を聞いて、怪訝な表情を浮かべなかった者はいない。男もまた、一瞬ではあるが、不可思議なものを見た顔になった。


「冒険者ならば、アンデッドについて、一応の知識はあるだろう」

「少しだけですが」

「……何もない所に、アンデッドは出ない。恨みを残した死霊と、然るべき条件がそろわなければ」

「……」

「悪霊になりそうな死者の心当たりは、劇場側には多かった。女優たちの執念は恐ろしいと、支配人は言っていたが……」


 あのような場所では、役の奪い合いや挫折といった、ドロドロとした人間関係には事欠かない。表舞台に出られぬまま死んだ者や、ライバルに敗北し、自ら世を儚んだ者もいる。だからといって、その程度でアンデッドが生まれるというなら、今頃世の中の都市は、どこも亡者の群れであふれているはずだ。今回の事も、ここまで大騒ぎになることはない。


「どう思う」


 どう思うと言われても、それを聴きたいのはアルフェの方だ。しかし一つ、思い浮かんだ話があった。


「……以前、別のレイスと遭遇したことがあります」

「……ふむ、それで?」

「レイスになったのは、とても辛い亡くなり方をした女性でした。その上、その方が亡くなった場所の近くに、アンデッドの出没する沼地があって……。ですが――」


 しかし何よりも、そこは結界の外だった。


「そうだ。ここは神聖教会が管理する結界の中だ。その中に魔物が侵入することはあっても、発生する事は非常に稀だ。……だからこそ、問題なのだ」


 男は片手を自らのあごに添え、何かを考え込んでいる。彼もまた、アルフェに何を話すべきか、迷っているように見える。


「率直に言おう、アルフェ。君が死霊を喚んだ可能性を、我々は考えていた」

「――私が?」


 その言葉に、アルフェは眉をひそめた。想像もしない嫌疑に対して、少し動揺している。


「落ち着け。“考えていた”と言った。――オスカー」


 男が、後ろに控えていた文官に声を掛ける。


「はい。常人が恨みを残して死んだところで、高位のアンデッドにはなり得ません。強力なアンデッドは強大な魔力を有しているものですが、普通の人間にはそれだけの魔力がないからです。しかし結界の外ではその前提は崩れます。大気中の負のマナは、比較的容易に怨念と結合し、アンデッドが形成されます」


 オスカーと呼ばれた男が、長々とアンデッドの仕組みについて解説する。その早口なしゃべり方が、アルフェに誰かを思い出させる。そうだ、これはゴーレムについて語っていた、いつかのリーフの口調とそっくりだ。おそらくこの男も、魔術の研究者か何かなのだろう。


「逆に言えば、この現象が起きにくいため、結界の内部ではアンデッドも発生しにくいということになります。……ただし、外部から何らかの手を加えれば、また話は違ってきますが」

「手を、加える……?」

「死霊術だ」


 アルフェには、魔術的な知識が乏しい。まだ理解が追いついていない彼女に対して、男がぼそりとつぶやいた。


「死霊術?」

「帝国では特に、社会的に死霊術を忌避する傾向が強いので、あまり一般的ではありませんね。負のマナと死者の怨念を操り、意図的にアンデッドを形成する魔術です」


 そのくらいは、さすがのアルフェでも知っている。死霊術――、物語に出てくる悪い魔法使いは、たいていそれの使い手ということになっている。彼らは死者の魂を弄び、ゾンビやゴーストの軍勢を作り出すのだ。

 しかし男の言うとおり、現実にそのような魔術を使う人間はまずいない。いたとしても、間違いなく周囲から白い目で見られ、石を投げられるだろう。いや、そもそも死霊術の行使自体が、帝国法に触れるのではなかっただろうか。


「私が、死霊術士だと仰るのですか?」

「そう考えるとつじつまは合うのですが。残念ながら、違うようですね」


 首をかしげて、オスカーがそう言う。“残念ながら”とは、これもまた失礼な物言いである。しかし今のアルフェは、それに食ってかかれる立場では無い。


「はい。私はほとんど魔術を使えませんから」

「そうなのですか? ……それはそれで、意外ですが。では、あなた以外に、あの場に魔術士のような人間はいませんでしたか? もしくは、そのような者に心当たりは?」

「……ありません」


 この言葉は嘘だ。

 アルフェの前にいる二人が、それを信じたかどうかは分からない。だが、彼女がそう答えると、二人はまた何かを考え込む風になった。


「……他に、何か?」

「いえ、私からはこれで全部です」


 アルフェが聞くと、オスカーと呼ばれた男はにこやかに微笑んだ。


「では――」

「いや、もう一つある」


 では、これでもう帰らせてもらう。そう言おうとしたアルフェの言葉が遮られた。遮ったのは、前に座っている男の方だ。


「何でしょうか」

「まだ、あれの下で働くつもりか?」


 急に話題を転換した男に、アルフェは目をぱちくりさせた。

 “あれ”というのはクルツのことだろう。この男がアルフェの想像通りの人間ならば、クルツの方はこの男のことを“奴”と呼んでいた。“あれ”と“奴”で呼び合う。それだけで、二人の関係が知れる。


「それが、何か?」

「益の無いことだ」

「……どういう意味でしょう」

「冒険者をするのなら、雇われる人間の事は、よく選んだ方が良い」

「……それは、私が判断することです」

「……」

「それ以外に無いのであれば、もう、帰ってもよろしいですか?」

「ああ」


 男のその返事を最後に、尋問は終わった。特に引き留められもせず、アルフェは衛兵の詰め所を出る。廊下に控えていた衛兵が、彼女の案内についた。

 石の廊下を歩き外に出ると、練兵場らしき広場に出た。市中に兵が配備されている今、そこにほとんど人影は無い。目を上げるとそこには、壮麗なエアハルト伯の居城がそびえている。


「どうかしましたか?」


 急に立ち止まったアルフェに、案内の兵が振り返って声をかける。


「……いえ」


 丁度、ここから見える窓の中、あそこで自分は暮らしていた。今自分が立っている、練兵場を見下ろしながら。

 もちろんここは、彼女が育った城ではない。だが、奇妙な懐かしさが、アルフェの足を止めていた。


「すみません。行きましょう」


 門に向かうアルフェの頭に、色々な思いが浮かぶ。


 ――あれが、ユリアン・エアハルト。


 最後にアルフェを尋問したあの男が、クルツの兄で、このエアハルト領の実質的な支配者。

 帝国でも五指に入ると噂される剣の達人は、さすがに今はまだ、自分の力が及ぶ相手ではなさそうだった。


 ――でも、いずれ――。


 そう、今はまだ、だ。いずれ自分は、あの男すら越えていかなければならない。

 そして――


「死霊術……」


 不吉な単語である。しかしユリアンにそう言われて、アルフェの頭に浮かんだ顔がある。


 ――もしかしたら、あの女性が……?


 助祭長シンゼイと一緒にいたあの女。メルヴィナという女のひどく青白い顔が、死霊という言葉と結びついて、アルフェの頭から離れなかった。

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