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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第三節
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63.飛ぶフォーク


「確かにユリアン様は剣才がおありかも知れぬ。だが、伯として必要な素養は、それだけではあるまい」


 ユリアンを持ち上げる空気に業を煮やしたのか、別の会席者が、釘を刺すようにそう言った。


「血筋という点では、クルツ様の方が、はるかに優れていらっしゃる」

「左様ですな。嫡男とは言え、母親がどこの馬の骨とも分からぬ者では……」


 すかさず他の者が、迎合する姿勢を見せた。ユリアンをそしり、クルツを持ち上げる言葉が後に続く。

 その様子を見て、アルフェと話していた軍人風の男も、この会における自分の失言を悟ったようだ。


「も、もちろん、もちろんそうです。剣のことと、伯としてふさわしいかはまた別の事。当然です」


 とっさにそうやって言い繕うが、彼の周囲の男たちは、その顔に、明らかに彼を侮る笑みを浮かべていた。


 アルフェには、いまいち良く分からなかった。彼らは一体、何がそんなに嬉しいのだろうか。自分の話し相手になってくれた男に対する、若干の申し訳なさと共に、彼女は考える。

 こういうのを、“派閥”というのだ。目にするのは初めてだが、本で読んだことがある。

 派閥の仲間とは言え、他人の失点は、彼らにとってきっと喜ばしいことなのだろう。理屈としては分かる。だがそれでも、ここに集まっているのは、アルフェにはあまり理解できない人種のようだ。


 貴族というのは、皆こうなのだろうか。自分自身も貴族だということは忘れて、アルフェはそんな感想を抱いた。


 その後はさして特筆すべきこともなく、時間が流れていった。

 事が起こったのは会の終わり、クルツが締めくくりの演説を行っていた時だ。


「であるからして、我々はこの領内の秩序を維持するためにも――! ……ん? ぬぉ!」


 小さく窓ガラスが割れる音が響いたのと、人々が囲んでいたテーブルが宙に浮き上がったのは、ほとんど同時だった。


「きゃああ!」

「うおおお!?」


 女たちの高い悲鳴が響き、男たちの口からも、驚きの声が漏れた。

 重厚な木製のテーブルが傾き、上に残っていた料理が全て、テーブルクロスと共に床に滑り落ちる。けたたましい騒音にかき消されて、テーブルに何かが刺さった音は、会席者の耳には聞こえなかった。


 割れた窓から飛び込んできたのは、一本の石弓のボルトだ。それが放たれる直前に、アルフェは窓の外にちらつく怪しい気配を感じていた。

 隣に座っていたクルツの襟首をつかんで引き倒しつつ、アルフェはテーブルを蹴り上げた。いつの間にか彼女の手に握られていたフォークは、ボルトが発射されたと思しき地点に向かって、一直線に飛んで行ったが、何かに命中した様子はなかった。


 奇襲の失敗を悟った賊は、瞬時に撤退を選んだか。


「敵か!?」


 混乱の極致にある会場の中に、隣室に控えていたリグスが、物音を聞きつけて飛び込んできた。


「リグスさん、外です! ここを頼みます!」

「分かった!」


 リグスが床に倒れていたクルツを拾い上げて、次の間に下がっていく。同時にアルフェは窓の側に走り寄っていた。


「お、お嬢様、何を――!?」


 窓を開いたアルフェを、給仕の一人が怪訝な顔で見やる。


「――あああ! やめてください! ここは三階で――!」


 その後に続いた制止も聞かず、アルフェは窓枠を乗り越え、階下に飛び降りた。


 中庭の芝生の上に、アルフェは両手をついて着地する。上にある窓からは、広間からの光の他に、突然窓から身を投げた令嬢を目撃した、哀れな給仕の魂消るような悲鳴が漏れていた。


 ――敵は……!?


 アルフェは闇の中に目を凝らした。豪華な屋敷だけあって庭も相応に広く、大きな木が何本も植わっている。方角的に、襲撃者は樹上から狙撃を行ったと思われるが、中庭には警備の兵もいたはずだ。


「アルフェさん」


 暗闇から、アルフェに呼びかける声がした。少女の身体に一瞬緊張が走るが、すぐに緩める。この声はリグスの副官、グレンのものだ。


「グレンさん。敵は?」

「あの木から、標的を狙ったようです。衛兵が三人、殺られていました。不覚です。気付くのが遅れました」


 グレンが冷静に状況を説明する。


「では、逃げられましたか」

「いえ、ウェッジたちが追っています」


 どこまでも落ち着いた声で、グレンが答える。感情をすぐ表に出す団長のリグスとは、対照的な人物だ。彼が言ったウェッジというのは、確かリグスの傭兵団の、斥候の名前だ。


「……分かりました。私も行きます」


 グレンの指した方向を見て、アルフェは言った。夜会用の靴を脱ぎ棄て裸足になると、動きやすいようにドレスの裾を引き裂いた。


「はい、ここが落ち着いたら、私も向かいます。お気をつけて」


 その言葉を背に受けて、アルフェは夜の闇を走り出した。



「旦那、大丈夫ですか?」


 その頃、リグスは屋敷の客間の一つでクルツを介抱していた。クルツに怪我は無かったが、荒っぽく引きずり回されたせいで、整えられた髪は乱れ、上着もはだけたままである。

 今、彼らがいるのは窓の無い部屋で、ここならば襲撃の心配もないだろう。広間はまだ混乱しているようだが、リグスにとっては、雇い主が無事ならそれで問題ない。混乱を収めるのは、他の人間の役目だ。


「あ、ああ。何が起こった?」


 額に手を当てたまま頭を振って、クルツが聞く。雇い主は状況が把握できていないようだ。面倒だが、説明しないわけにもいくまいと、リグスが口を開いた。


「襲撃です。多分、今うちの部下が――」


 そう言いかけたところに、規則的なノックが響いた。


「ちょっと失礼」


 クルツを残して、リグスは廊下に出た。そこには男が一人立っている。リグスの配下だ。


「団長」

「おう、どうだ」


 男はリグスの耳に顔を寄せて囁く。


「ウェッジたちが敵を追っていきました。それから、アルフェも。副団長によると、敵は衛兵を刺して、庭から侵入してきたようです」

「そうか、団員に負傷者は?」

「いません」

「ならいい」


 この会に参加している貴族どもの子飼いが何人死のうと、自分には関係ない。普段は陽気な顔をしているが、リグスにもやはり、傭兵らしい酷薄な一面があった。


「それと、敵の射ち込んできた矢ですが、毒が塗ってありました」

「……ほう」


 ということは、刺客は完全に、殺すつもりでクルツを狙ったということだ。


「本当に、あの坊やに死んでほしいと思う奴がいるってか」


 命じたのは誰なのか。クルツの言う通り、彼の兄のユリアンか、その関係者か。案外この会の出席者かもしれない。気になるが、今はそれを考える時ではない。


「分かった。お前らは周囲を警戒しろ。それから、この部屋にも四人くらい連れてこい。坊やのお守りだ」


 リグスが指示を出すと、男はうなずいて去っていく。それを見届けてから、彼は再び部屋に入った。


「どうもすいませんね、旦那。襲撃はアルフェが防ぎました。おそらく、今夜はもう襲ってこないでしょうから、ご心配なく。逃げた野郎は、部下とアルフェが追っていますよ」

「……彼女が? まさか、本当に?」


 彼女というのは、もちろんアルフェの事だ。リグスからアルフェが冒険者だということは聞かされていても、クルツは半信半疑だったようだ。今もまだ、その声からは信じられないという感情が伝わってくる。

 それも無理はないと思う。リグスとて、実際に戦うあの娘を見たことが無ければ、一笑に付すだけだろう。


 だが、リグスは知っている。あれは、見かけ通りの娘ではない。


「ええ、あいつの腕は確かです。もちろん、うちの部下も。ですから大丈夫ですよ。賊はあいつらに任せておきましょう。旦那は私が、家までお送りしますよ」


 言葉通り、アルフェの実力をリグスは疑っていない。こと戦闘能力においては、部下の誰よりも、もしかしたら彼自身よりも、あの娘は優れている。敵がどんな手練れでも、アルフェが返り討ちに遭う危険は、そうそうないはずだ。


 ただ、心配ごとがあるとすれば、一つだけ。


 ――……あいつが、殺さずに賊を捕まえてくれるかは、分からんがなぁ。


 リグスは知っている。あの娘は一見正常なように見えて、どこかが決定的に壊れている。

 できれば襲撃者を生け捕りにして、雇い主を吐かせたいところだが、あの娘もそう考えてくれるかは、リグスには読めなかった。

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