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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第三節
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62.晩餐

 クルツは最後に到着した客のようだった。次の間に出てきた館の主人らしい男が、両手を広げて彼を歓迎する。肥満体の、きらびやかな服を着た男だ。


「これはこれはクルツ様、ようこそおいで下さいました」

「やあヘルムート。……少し時間に遅れてしまったかな? 他の客人にお詫びをしなければ」


 流石にクルツは場慣れしている。貴公子然とした立ち居振る舞いで握手をしながら、主人に遅参を詫びた。


「いえいえ、クルツ様がそのような事を気になさる必要は決して――」


 そこまで言って、彼はようやくクルツの陰に立つ少女に気がついたようだ。


「おや、これはなんと……。クルツ様、美しい恋人をお連れですな」


 従士という名目でついてきたリグスは、アルフェたちと別れて別の部屋に案内されていた。もしこの場に彼がいたら、冷や汗をかいたに違いない。

 主人の何気無い言葉を受けて、月夜の花のような少女から大量の冷気が吹き出した。しかしそれは一瞬のことで、その場にいた人間に気づいた者はいない。アルフェの顔に張り付けられた微笑も、全く崩れていなかった。


「ああ、ありがとう」

「初めてお目にかかりますが、お嬢様のお名前は?」

「……アルフェと申します」

「アルフェ様ですか。私はヘルムート・モーリッツと申します。お見知りおきを。……しかし、はて」


 自分はこの領邦の貴族の名前を大体頭に入れているが、あなたはどこの家の令嬢なのか。満面の笑みの中で、目には油断ならないものを光らせて、ヘルムートはそう聞いた。


「わけあって、それは明かせないのだ。身元は私が保証しよう。……それでは不服かい?」

「まさかまさか、不服などとは全くもって……。――それでは、奥へどうぞ」


 ヘルムートが先に立って、アルフェとクルツは会場に入った。今夜の主賓はクルツである。彼が現れるなり、他の出席者は立って出迎えた。同時に、室内にわずかなどよめきが起きる。

 居並ぶ客の目は、席に向かって歩くクルツではなく、その隣に侍る銀髪の少女に向けられていた。


(誰だ? 初めて見る顔だが――)

(私も知らん。しかし――)


 彼らが少女に注目した理由は一つ。


(しかし――、何と美しい……)


 その儚げな少女の美貌に、目を奪われたからだ。


 恐ろしく整った顔立ちに、白磁のような肌。結い上げられた髪の下に見える首筋は、歳不相応の色香を放っている。

 余計な装飾の一切が取り払われた、簡素な白いドレスは、まさに彼女自身の、素のままの美しさを引き立てるために誂えられたようだ。宝飾品も最低限の物しか身につけていないが、それもそのはず、下手な宝石で飾り立てたところで、身につける者の魅力に負けてしまうに違いない。


(……あれはどこかの姫君か?)

(いや、違うだろうよ……。大方、金に物を言わせたのだろう。少し幼いが、このように上等な愛人を見つけてくるとは、中々どうして)

(ただの御輿かと思っていたが、案外この坊ちゃんの人脈は大したものらしい)


 会の参加者たちは、顔に浮かんだ驚きをどうにかしまい込み、ひそひそとささやきかわしていた。


 自身がそんな風に見られているとは知らず、アルフェはクルツの腕に手を添えたまま進んだ。

 晩餐会の会場である広間は、通ってきた他の部屋にも増して美々しく飾り立てられている。そこら中に金銀が使われていて、アルフェにとっては、むしろあまりのくどさに胸やけがしてしまうほどだ。

 ヘルムートはアルフェたちを、広間の最も奥まった席に案内した。中央にクルツが座り、その両隣にヘルムートとアルフェが座る。


「では諸兄、お待たせして申し訳なかった。さあ、頂戴するとしよう」


 そして、ヘルムートを始めとした何人かの長々とした挨拶の後、クルツがそう締めて、晩餐は始まった。


 さすがに、用意された食事の内容は豪勢だった。街の食堂では目にすることができない珍しい料理や果実が、大きなテーブルの上に所狭しと並んでいる。

 食物に毒を盛られた様子も、会食者の中に刺客が紛れ込んでいる様子も無い。ならばしばらくは、お飾りでいられる。そう考えて、アルフェはありがたく食事に取りかかることにした。


「ところでヘルムート、最近の“奴”の動きはどうだ?」

「は、ユリアン様は、相変わらず軍の調練でお忙しいご様子ですな。今日も郊外で演習を行われたとの事です」

「最近は民政にも盛んに口出しをされておりますぞ。書記官の中には、それで辟易している者もいるとか」


 出席者たちは、贅を尽くした晩餐よりも、密談の方に関心があるようだ。食事もそこそこに、そんなくだらない権力争いの話をしている。

 きっとユリアンというのが、クルツの兄なのだろう。アルフェは口の中に料理を放り込みながら、彼らの話を聞くともなしに聞いていた


「ユリアン様は、年始めの典礼の費用も削られてしまった。これでは満足に近隣諸領にエアハルトの威を示すこともできません」


 密談と言ったが、特に聞かれて困る話ではないようだった。その内容は、ほとんどがクルツの兄に対する不満である。まあそもそも、本当に部外者に聞かせてはならない話題なら、アルフェがこの席に着くことはなかっただろうが。


 それはそうと、自分が考えていたより、クルツはずっと人望があるのかもしれない。アルフェはそう思った。

 席についている人間を見回すと、予想していたよりも数が多いのだ。ほとんどがクルツと同じように、アルフェの様なパートナーを連れてきている。会話の端々から想像するに、身分もそう低くはない。


「とにかく、ユリアン様は慣例というものを、余りにも軽視なされる。このまま我ら地方領主をないがしろにされては、立ち行くものも立ち行かなくなってしまいます」

「諸兄らの憤りは伝わっているとも。私が伯を継いだ暁には、悪いようにはしない」


 盃を掲げながら放たれたクルツの言葉に、男たちが称賛の声を上げる。


 ――……ふうん。


 この会の出席者は、エアハルト領内の地方貴族がほとんどのようだ。彼らの話を総合すると、クルツの兄のユリアンは、地方領主から領地と権力を取り上げて、伯の権限を広げようとしている。

 ここにいる人間は、クルツに次期エアハルト伯になってもらわなければ、いずれはユリアンに、己の家を潰されかねないという危機感を抱いているのだ。


 それでこの会の盛況も納得がいった。

 優秀でも、自分たちの立場を危うくする長男より、多少劣っても、操りやすい次男を次代の伯に据えようというのは、当然の心理かもしれない。クルツの人望というのは、早合点だったようだ。

 白けた様子のアルフェを見て、はす向かいに座っていた初老の男が笑い声をあげた。


「ははは、お嬢様が退屈していらっしゃる。ご婦人には興味の無い話題でしたな」

「ええ、お話が難しくて……」


 意味がさっぱりわかりません。取りあえず、そう言って笑っておけば問題ないと、リグスに指示されている。


「ユリアン様とは、どのようなお方なのですか?」


 しかし退屈しているのは事実だった。クルツも他の人間との話に夢中になって、こちらに注意を払っていない。アルフェはその男に、そんな当たり障りのない質問を投げかけた。


「どのようなお方……とは、さて」


 しかし男は回答に窮している。確かに、あまりにも漠然とした質問だったかもしれない。


「いえ、例えば……、そうですね。お強いのですか? ユリアン様は。剣がおできになるとか、魔術が使えるとか……」

「強い? そんなことに関心がおありですか?」

「はい。……え?」


 単純に一番興味のある話題を選んだつもりだったが、変だったろうか。男の付き添いの女性も、妙な顔をしている。アルフェは少し戸惑った。


「いやいや、やはりご婦人は、強い男に惹かれるものなのですよ」


 そんな彼女に助け舟を出したのは、短髪の壮年の男だ。がっしりとした体格から推測するに軍人だろうか。


「ユリアン様は、領内では並ぶ者の無い使い手ですよ。まあ、そういう私も、剣を使わせれば中々のものだと、人によく言われますが」

「それほどですか……」

「ええ、恐らくは、帝国でも五指に入る強さでしょうな。神殿騎士団のパラディンにも、ユリアン様にかなう者がいるかどうか」

「本当ですか。それは……、素晴らしいですね」


 得意な話題に、年若い少女が意外な食い付きを見せているので、男は気をよくしているらしい。口が滑らかになり、結果としてユリアンを称賛する台詞を口にしている。その言葉に苦い顔をしている者もいるが、気が付いていない。


「――ぜひ、お会いしたいです」

「おやおや、お嬢さん、そんなことを仰ってはなりませんぞ。私がクルツ様に恨まれてしまいますからなぁ! はっはっは!」


 女性は強い男に惹かれる。彼の言い分は、正しい部分もあるだろう。しかし、目の前の少女が、本当に彼の言う意味でユリアンに関心を持ったのかは、定かではない。

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