59.Stone to Flesh
沢山の荷物を背中に負い、奇怪な石像を小脇に抱えた少女が通ると、すれ違う人々が次々と振り向く。
いったいどこの誰の手によるものか、その石像は非常に精巧に造られている。まるで生きているかのようだ。驚愕に目を見開いた、年若い青年の、等身大の像。何かを拒絶するように、両手は顔の前で交差されている。
――こんなものを創ろうと思った彫刻家は、おそらく、精神を重度に病んでいたに違いない。
街の人々は、きっとそんな感想でも抱いていたのだろう。中には眉をひそめて、ひそひそと言い交している者もいる。
さらに、これだけの荷物を抱えているというのに、それを運ぶ少女の背筋はぴんと伸び、足取りには全くふらついた所が無い。それがまた異様な光景だった。
当然、その少女とは、石化したリーフ少年を抱えたアルフェである。
これだけ注目を集める格好をすると、いくらアルフェが気配を殺しても意味が無かった。いかにアルフェとて、年頃の若い娘だ。それなりに羞恥心はある。久しぶりに、彼女は顔から火が出るような思いを味わった。
一度か二度、途中で置いて行こうかとも考えたが、仕事に対する義務感と、依頼達成の報酬への期待感が勝り、実行するには至らなかった。しかしこの呪わしい石像を、まさか宿に持っていくわけにもいかないので、アルフェはウルムの街の工房区画にある、リーフのアトリエに向かったのだ。
「ふぅ……」
そしてようやく到着した。リーフのアトリエ近くは人通りが少ない。腕が塞がっていたので、足を使って扉を開ける。鍵がかかっていないのが不用心だが、今は有難かった。蹴破らなくて済むのだから。
中に入ると、背負った荷物を全部投げ出して、アルフェは工房の椅子に座った。さて、帰って来れたはいいが、この依頼主をどうするか。
足を組み、テーブルに頬杖をついて考える少女の前には、バジリスクによって石化させられたリーフが、壁に立て掛けられていた。
「石化を治すには……」
口にしながら、アルフェは考える。
それは容易ではないが、方法はある。高位の治癒術を用いればいい。しかし問題は、そのような熟練の治癒術士に、あてがあるかということだ。
この規模の都市なら、石化を治せる治癒術士も、一人二人はいるだろう。城か、教会に行けば。
だがどちらに行っても、恐らく相当の謝礼金を要求される。庶民ではなかなか払いきれないような、高額の謝礼をだ。
「……まあ、いいか」
しばらく真剣に考えたが、そう思い悩むこともないと、アルフェは頭を切り替えた。治療費を支払うのは自分ではないのだし、リーフはかなり裕福なのだから。多少の金銭的負担だって、命には代えられないだろうと。
――いえ、でも、そう言えば……。
もう一つ当てがあることに、アルフェは気がついた。自分は一人、優秀な治癒術士を知っている。
立ち上がろうとテーブルに手を突いた時、アルフェの脳裏には、一人の女性の顔が浮かんでいた。
「この男の子を治せば良いのね?」
「はい、お願いします。……治りますか?」
数刻経ってから、アルフェと共に青年の石像の前に立っていたのは、亜麻色の髪をした治癒術士の少女、ステラだ。
先日のオークに襲われた開拓村で、この娘は水際立った治癒術の腕を見せていた。そのことを思い出して、アルフェは彼女が世話になると言っていた治癒院を尋ねたのだ。
「治せるよ」
事も無げにステラがうなずいた。
アルフェの記憶では、石化の解除はかなり高位の魔術だったはずだ。それを簡単に治せると言ってしまえる辺り、この治癒術士の力量は、やはり大したものだ。
「でも珍しいね、石化なんて」
「……すみません。妙なお願いをしてしまって」
我ながら現金なものだと、アルフェは自分に呆れた。あんなに素っ気なく別れたくせに、利用できそうになったからといって、都合よく頼ってしまった。
「いいよ、これが私の仕事なんだから」
そう返事をして、ステラは微笑む。打算の無い、無邪気な笑顔だ。
まぶしいものを見たように、アルフェは少し目をそらして礼を言った。
「もちろん、謝礼はお支払います」
「別にいいよ。……石化を治すのは、実はそんなに難しくないの。石になっているように見えるだけで、本当は、特殊な麻痺のようなものだから。……だから、教会があんなに謝礼をもらうのは、良くないことなんだけどね」
ステラが呪文を唱える。彼女の手から零れ落ちた燐光が、リーフの身体に振り掛かり、その肌が、みるみる生気を取り戻した。
「――――げほっ! げほっ! ……あれ? ここは?」
「ありがとうございます。ステラさん」
「うん。でも、数日は固まってたみたいだから、しばらくは安静にね。それと、すぐに水を飲ませてあげて。落ち着いたら、何か軽い食べ物も。あと少し遅かったら、飢え死にしちゃってたわよ?」
ステラが驚かすように言う。
寄り道せず、真っ直ぐ帰ってきて良かった。内心でアルフェも安堵する。そしてアルフェは、床に座り込んだリーフに声を掛けた。
「リーフさん、助かって良かったですね」
「アルフェ君じゃないか。どうして僕の工房に?」
最初リーフは混乱していたが、徐々に記憶がはっきりしてきたようだ。そうか、僕はバジリスクにやられたのかとつぶやいて、彼は息を吐いた。
「思い出しましたか?」
「うん……、助けてくれたんだね。ありがとう。……しかし貴重な経験だった。……ふ、ふふふ、ストーンゴーレムの気分を味わったよ」
まだ青白いリーフの顔に、恍惚としたものが浮かぶ。
「……ついでに、あなたも粉々にしてあげれば良かったですか?」
バジリスクの様な少女の眼光を受けて、慌てて青年が首を横に振った。
「今日は本当に、ありがとうございました」
改めて、アルフェがステラに礼を言う。
もう、ずいぶんと日が傾いている。街に入った時はまだ早い時刻だったから、かなり時間が経っていた。ここはリーフのアトリエの前だ。石畳で舗装された細い道は、建物の影が掛かって薄暗い。
リーフの石化が解けてから、衰弱した雇い主のために水や食料を調達していたら、大分遅くなってしまった。どこの家からか、子供のはしゃぐ声と夕飯の匂いが漂ってくる。
「いいよ。頼ってもらえて、嬉しかったから」
砕けた口調でステラが笑った。言葉通りの、嬉しそうな笑顔だ。それを見て、アルフェはやはり、まぶしそうに目を伏せる。
「じゃあ、またね」
手を振るステラの、何気ないその言葉を、不思議そうな表情で、アルフェが繰り返した。
「――また?」
「うん。……あれ? 変なこと言った?」
「……いえ」
そんなことはない。それはただの、何の変哲もない台詞だ。冒険者として、仕事で組んできた相手とも、何度も同じ言葉を交わした。
でも、なぜだろうか。その変哲もない台詞が、アルフェの中で、特別なもののように響いたのは。
「……そうですね。また、よろしくお願いします」
「あ……」
驚いたように口を開けたステラが、少し固まる。
アルフェの顔に一瞬だけ浮かんだ、自然な、優しい笑顔。ステラは確かに、それを見た。
「どうしました? ステラさん」
「え? あ、ううん! 何でもない。――またね」
ステラはそう言って笑い、もう一度手を振った。




