51.ぼんぼん
「……これは?」
倒れている男は、金の装飾が入った高級そうな全身鎧を身につけている。しかもどうやら何らかの魔術が掛けられた品らしい。鎧の全体から強い魔力を感じる。
アルフェが頭の中で先ほどの動きを振り返ってみても、中身の腕前と、鎧の価値が釣り合っているようには見えない。自分で贖った物ではないだろうから、それだけ高い身分の者なのだろう。
手頃な土台だったのでつい使ってしまったが、まずい相手を足蹴にしてしまったかもしれない。
「見ての通り、貴族のぼんぼんだ。それも、ど偉い高位貴族のな。名前を聞いたら驚くぜ」
ぼんぼんという聞き慣れない言葉に、アルフェは首をひねる。ぼんぼん――、つまりは貴族の子弟ということか。しかし、見ての通りと言われても、全身鎧のせいで年恰好などまるで分らない。しかしリグスの言うことが本当だとすると、やはり自分は失敗してしまったようだ。
「……」
「……しまったって面してるな。お前にそんな、可愛らしい顔ができるとはな」
リグスは意地悪そうな顔で笑っている。
「おおっと、怒るなよ。俺たちはこいつに雇われて、この街道の先にある開拓村に向かってたんだ。……見ての通り、少し邪魔が入ったが」
そう言って、彼は親指でワーグの死骸を指さした。
「で、このぼんぼんの名前はなぁ――。聞きたいか?」
「結構です」
余計な関わり合いを作りたくない。アルフェは即座ににべもない返事を返した。
「そう言うなよ。こいつはな、クルツ・エアハルト。この辺の領主の息子だ」
「エアハルト?」
その名前を聞いたアルフェの眉間に、端正な顔には不似合いな皺が寄る。
エアハルト。リグスはそれを地方領主か何かの様に言ってのけたが、その名前は――
「……それは、エアハルト伯の」
「そうだ、次男坊さ」
「ええ!? 本当ですか!」
ステラが動転した声を上げる。エアハルトと言うと、確かにこの辺りの領主の家名だ。ただしその支配地は、他の貴族とは一線を画する。
エアハルト伯――。それは、帝国北東部の広大な領域を影響下に置く、国内でも有数の大貴族だ。選帝会議への出席権を持つ八大諸侯の一つで、帝国最古の家柄の貴族でもある。
アルフェは小さく舌を打った。
「な? 驚いただろ? ……まともに戦ったことも無いガキだが、金払いはいい。こいつのご命令に従って、俺たちはえっちらおっちら歩いてたのさ」
「……すみませんでした」
アルフェはリグスに向かって頭を下げようとした。だが、それをリグスが手で制する。
「おいおい、やめてくれ。わかってるよ。あの腐肉漁りがこのガキを狙ってたんなら、こいつは今頃空の上だ。鳥の晩飯にならなかっただけで、こいつにはお前に感謝してもらわにゃ。……もちろん、俺も感謝している。不覚を取るところだった。雇い主を守ってくれて助かった。恩に着る」
リグスは神妙な面持ちになって、逆にアルフェに頭を下げた。
「私が助けようと言ったのではありません。お礼なら、この方に」
「そうか。あんたにも感謝する。ステラだったか?」
「い、いえ、私こそ、何もしていませんから」
なんだ、遠慮深い奴らだなと言って、リグスは笑った。
それから彼は、地面で仰向けになって気絶している雇い主の傍でしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。リグスが杖替わりにした戦槌の頭が、土に深く沈む。
「しかし、相当強く踏んだなぁ。綺麗にのびてる」
あご髭をいじりながら、変に感心した声でリグスが言った。
「死んでんじゃねえっすか?」
「そうなったら不味いな。鎧だけ剥いで、どっかに埋めてくか?」
傭兵たちが口々に物騒な軽口を叩く。しかしこの傭兵団の者たちは、見た目はともかく、基本的には気のいい者が多い。仕事で一緒になったことがあるアルフェはそれを知っている。だが、彼らと初対面のステラは慌てて止めた。
「う、埋めちゃ駄目ですよ! この人はまだ死んでません。私が診ます!」
地面に膝をつき、ステラが若者に治癒術を掛け始める。その真剣な横顔に向けて、リグスは声をかけた。
「そんなにこいつを甘やかすことはないぜ。……まあいいか。で、お前たちはどこに行くんだ。ウルムか?」
一心に呪文を唱えているステラを置いておいて、傭兵隊長が立ち上がった。彼が口にしたウルムというのは、エアハルト伯領の中心都市の名前だ。
「はい、そう考えています」
「そうか……。じゃあ、すれ違いだな。この仕事が終わったら、俺たちもウルムに戻る。もしそれまで町に居るなら、飯でも一緒に食おう」
「そうでしたね。リグスさんたちもお仕事ですか。……もしかして、この先の開拓村に?」
それ以外には、この先に人里は無い。
「ん? お前も聞いてるのか。そうだ、この北東にある村が、オークの群れに狙われてる。この坊ちゃんの命令で、俺たちはそれを討伐に行くんだ」
「え、それって……」
若者の手当を済ませたステラが、リグスを見上げる。アルフェもわずかに、申し訳なさそうな顔になった。
「……そのオークなら、既に私たちが撃退しました」
「おっと、そう来たか」
アルフェが数日前に、開拓村でオークの群れと戦った事情を語ると、さすがにリグスは驚いた表情になった。しかし彼には、出動が空振りに終わったことを、それほど気にしている様子は無い。
「まあ別にいいさ。ここまで出てきた分は、ちゃんとこいつに払わせるしな。しかし、一人でオークの群れを退けたか。相変わらずだな」
「一人ではありません。ステラさんや――、他の、冒険者の方も居ましたから」
「そうか? だがまあ、そういうことなら、これ以上、ここでくっちゃべってる理由は無いわけだ。ぼんぼんが目を覚ますのを、待っていることもねぇ。俺たちも一緒にウルムに戻るとするか。……総員、引き返すぞ!」
リグスの指示に、傭兵たちは威勢のいい声を上げた。既に彼らの手によって、バリケードになっていた荷物などは片付けられている。馬車の荷台に気絶した若者を放り込むと、迷わず一団は反転し、都市への道を進んでいった。
◇
「……う~む」
頭に伝わるごとごとという振動に、クルツ・エアハルトは目を覚ました。身体の下には、木の板の堅い感触がある。
額に手を当て、頭を振り振り身体を起こす。自分は眠っていたのだろうか。前後の記憶が曖昧だ。頭の中ががんがんと鳴っている。
「む……? むぅ! おっと!」
ヘルムが視界を遮っているので、苦戦しながらそれを外した。新鮮な空気が、肺に流れ込んでくる。
「……ふぅ」
クルツは息をつき、自慢の金髪をかき上げる。風が肌に心地よい。実にさわやかな陽気だ。
「……ん? そうだ、魔物! 魔物は!?」
思い出した。こんなことをしている場合ではない。自分は今、魔物の群れと戦っていたのだ。クルツは慌てて周囲を見回す。
ここは馬車の荷台の上だ。周りには、クルツが雇った傭兵団の面々が歩いている。景色は相変わらずの草原で、魔物の姿は影も無い。
「おや旦那、おはようございます」
馬車のすぐ脇を歩く男が、クルツに声を掛けた。このむさ苦しい声と顔は、傭兵隊長のリグスだ。
「おはようではない! 魔物はどうなった!」
「ご心配なく。既に排除しましたよ」
「そ、そうか……」
クルツは安心したとともに拍子抜けした。
「なぜ私は寝ていたのだ?」
「覚えておられないので? ……そりゃ良かった。オホン。はい、我々が犬型の魔物を撃退したところ、上空から大型の怪鳥が飛来しまして、閣下の頭に攻撃を仕掛けたのであります」
「何だその気持ちの悪い喋り方は……。普通に説明しろ!」
「そうですか? まあそれで、旦那は今まで、呑気に気絶してらっしゃったんですよ。その鳥野郎も始末したんで、大丈夫ですよ」
リグスが指したもう一台の馬車の荷台には、大きな鳥の魔物が縛り付けられている。腐肉漁りという、クルツも知っているモンスターだ。その名前からは想像できないほど凶暴で、辺境では毎年何人もの旅人が、この魔物の爪にかかっている。
「そうか……、ご苦労だった。なるほど、私は空から襲われたのか。そう言えば、凄まじい速さで何かが飛来してきたのを覚えている。……あれが魔物だったのか。不意を打つとは、卑怯な」
クルツの言葉に、リグスが苦いものを飲み込んだような顔をした。周りの傭兵たちが、くつくつと笑っている。
「何だ? 私は何か間違ったことを言ったか?」
「え? いえ、恐らく、そうだと思いますね。さすが魔物です。卑怯な野郎だ」
「うむ、それで今はどうなっているのだ? 心なしか、さっきと同じ景色を見ているような気がするが」
「気のせいじゃありませんよ。実際、ウルムに引き返している途中ですからな」
「何? 引き返してどうする。一刻も早く、我々は開拓村に着かねばならんと言っただろうが!」
「いえ、それがですね。放っていた斥候の情報なんですが、その村のオークは、もう退治されたんだそうですよ」
「何ぃ! 本当か!?」
クルツは空に響く大声で叫んだ。いつの間に斥候など放っていたのか。この隊長は、見かけよりも周到な男だったようだ。いや、そんなことは重要ではない。これでは自分の計画が台無しではないか。
「本当です。どこかの冒険者がやったそうです。しばらくすれば、町にも知らせが届きますよ」
「そうだったか……」
しかし、もうオークがいないのであれば仕方ない。クルツは荷台の上で肩を落とすしかなかった。
「――ん?」
その時、落ち込むクルツの視界の端に、珍しいものが映った。このむさ苦しい一団の中では、彼がついぞ目にしなかったものだ。
「なんだ? いつからこの隊に婦女子が加わったのだ?」
「え? ああ、それはですねぇ……」
リグスが言いよどむ。男所帯の傭兵団に、クルツの知らない女性が二人、いつの間にか同行していた。




