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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第一節
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47.辺境の日常

 先頭の体格の良いオークは、門の内側に入って最初に見つけた獲物が、いかにも柔らかそうなメスであることをみとめて舌なめずりをした。若干小さいのが気に入らなかったが、それなりに食いではあるだろう、と。

 駆け寄ることもせず、ゆっくりとアルフェに近づいて行ったのは、魔物がその嗜虐心を満たそうとしたのだろうか。オークは少女の目の前に立ち、その手に持った重たそうな石斧を振り上げた。


 それが振り下ろされれば、彼女は見る影もない肉塊になる。その場で見ていた全員がそう確信した。

 もう絶対に間に合わない。ステラですらそう悟り、そのあとに広がる凄惨な光景が彼女の頭をよぎった。

 そしてオークが石斧を振り下ろした、まさにその時――


 門が破られた時よりも、さらに大きな音と振動が響いた。


 黄色い反吐と、どす黒い血が混じったものを吹き出しながら、オークの巨体が後方に吹き飛ぶ。その体は門の枠に一度ぶち当たり、跳ね返った後、折れて尖った丸太に突き刺さった。串刺しになったオークの身体は、ぴくぴくと痙攣している。


 他のオークたちが呆けている。オークだけではない、宿に避難しようとしていた村人たちも、一様に口を開けて静止していた。

 アルフェが一歩、前に踏み出す。それを見ても、意外なことに、オークたちは何の反応も返さなかった。

 それはなぜか。


 彼らの中で、今起こった事の意味が、どうにも消化できなかったからだ。今、仲間の一体が遭遇した突然の死と、目の前のこの小さな人間とが、頭の中でどうしても結びつかなかったからだ。

 だから彼らは、自分たちが今、狩られる側になったということ、そして狩る者が、まさに目の前にいるということが、理解できなかったのだ。


 オークの目の前にまで進み出た彼女は、一体のあごにそっと手をかけた。小柄な彼女の身長では、精一杯手を伸ばしてもそこまでしか届かない。


 しかしどうして――と思う間も無く、アルフェはそのオークを、頭から大地に叩きつけた。

 まるで木になっている腐った果実を、もいで地面に捨てるように。ひどく無造作な調子で、彼女はそれを行った。

 逆立ちにさせられたオークの体が、ゆっくりと倒れていく。頭髪の無い頭からは脳漿が漏れ出し、その首は、あらぬ方向に曲がっている。


「……ひっ」


 村人の一人から漏れ出たのは、称賛の声でも歓声でもなく、ただ息をのむ音。

 その場にいる少女以外の全てが、時間を止められたように固まっていた。


 そんな中、次にアルフェは手を少し持ち上げて、ちょいちょいとオークを指さし始めた。


 ――ひとつ、ふたつ、みっつ。


 彼女は声を出さずに、オークの数を数えている。


 ――ななつ、やっつ、ここのつ。


 若い娘が、市場に置いてあるリンゴを数えるような仕草で、細く白い指が、一つ一つ。


 ――……十七。


 そこにいる獲物の数を確認した。



「――ま、魔術か?」

「魔術だと……? あれが?」


 数分後、門の周辺には、物言わぬ緑色の肉の塊となったオークたちがそこかしこに転がっていた。


 あの後に展開されたのは、ただただ凄惨な光景だった。アルフェの体が動くたび、魔物の頭が爆ぜ、腹が裂け、骨が折れ、血が飛び、悲鳴が響く。

 ようやく我に返って抵抗を試みたオークも、あっと言う間にその数を減らしていった。


 門の外で、村に背を向けて死んでいる死体もある。村に侵入してきたはずのオークの一隊は、最後にはアルフェに背を向けて、逃げ出そうとさえしたのだ。――それでも、彼女から逃れることはできなかったのだが。


「何がどうなって……」

「あれも、魔物なんじゃないのか」

「魔物――。化け物?」


 村人たちの不安と恐怖に満ちたざわめきを、気に留めた様子もなくアルフェは振り返った。彼女はすたすたと、村奥に向かって歩いていく。


「あ、あの!」


 その背中に、ステラが声をかけた。足を止めたアルフェは、首だけでわずかに振り返る。


「ありがとう……ございます」

「いえ」


 ぶっきらぼうな、つれない返事。礼を言ったステラに、村人のざわめきが大きくなる。触れてはいけない魔獣に人間が話しかけたら、きっとこんな感じだろう。それを受けて、ステラの内側に、村人たちに対する憤りの感情が沸き起こった。

 何なのだその態度は。今自分たちは、彼女に命を救われたばかりではないか。たとえそれがよく分からない力によってだとしても、感謝を告げるのは当然ではないかと。


「――っ! 貴方たち――!」


 一喝してやろうかとステラが口を開いた瞬間、広場に悲鳴が響き渡った。

 村奥の方からだ。その場の全員が、弾かれたようにそちらに顔を向ける。まだ戦いの途中だったことを、彼らはようやく思い出した。何があったのか。そう言えば、村奥から聞こえていた戦闘音が止んでいる。


 一瞬の静寂、だが、それはすぐに絶望的な喧騒に変わった。


「――抜かれたのか!」


 青年の一人が、悲痛な声を上げた。

 家々の間から、散り散りに逃げてくる村人たち。それを追って、オークが姿を現した。

 それを見れば、主戦場になっていた村奥で、何が起こったかは明白だ。


「宿屋に行け! 畜生!」


 防壁の内側に侵入されたら、村で一番頑丈な石造りの建物、宿屋に集まって立て籠もる。最初の打ち合わせ通りだ。

 門の周辺にいた者たちは、一斉に走り出した。


「私たちも行きましょう!」


 ステラがアルフェに声をかける。だが、彼女は動かない。その眼はじっと、村奥の方を見ている。

 その視線の先に何があるのか。ステラが顔を向けると、そこには、体格のいい三体のオークと切り結びながら後ろに下がる、トランジックの姿が目に入った。彼の後ろには、左手で右肩をかばいながら、足を引きずって後退するオズワルドがいる。


「トランジックさん! ――きゃあ!」


 ステラがトランジックの名を呼んだと同時に、彼女の横で颶風が巻き起こった。それに体を押され、ステラは一瞬顔を覆う。再び目を開けると、今の今まで隣にいたはずのアルフェは、遥か前方を走っていた。



「ちぃっ!」


 トランジックは歯を食いしばって剣を振るう。人間が考えるほど、オークの襲撃は甘くなかった。彼らはたいして持ちこたえる事もできず、堀と防壁は突破された。

 村人の撤退を支援しながら、トランジックは広場まで逃げてきた。しかし、オークは斬っても斬っても湧いてくる。今また、トランジックはオークの一体を切り倒したが、もう一体とつばぜり合いになった。


「オズワルド!」


 その隙に、残る一体がオズワルドに襲い掛かる。オズワルドは深手を負っている。振り下ろされた棍棒の一撃を、前のめりになりながら、それでも彼は必死に避けた。


「――オズワルド! こ、の野郎ッ!」


 トランジックにつばぜりを外され、オークが体勢を崩す。その首筋に、トランジックは腰から引き抜いた予備のナイフを突き立てる。


 ――届かないッ……!


 こと切れた肉体を押しのけ、彼はオズワルドを狙うオークに切りかかろうとする。だが、もう間に合わない。

 魔物はさらにもう一度、オズワルドに向かって棍棒を振り下ろした。


 オズワルドは死んだ。――死ぬはずだった。

 彼を襲うオークの腕が、突然根元から斬り飛ばされなければ。


 太陽の中、くるくると回転して、棍棒を握った魔物の腕が上空を飛んでいる。トランジックとオズワルドは、呆気にとられてそれを見上げた。


「破ァッ!」


 次の瞬間に響く気合い声。視線を地面に戻すと、それをやってのけた娘が、オークの腹に致命的な拳を叩きこんでいた。


「……お前」


 トランジックは、オークを倒した少女を見る。それはアルフェという、冒険者を名乗る謎の少女だ。


「……助かる」


 まだ村内のあちこちで、戦闘は続いている。理解に苦しむことが起こったが、今は助かれば何でもいい。荒い息をつくトランジックは、それだけ言うと少女から目を切り、地面にへたばるオズワルドに肩を貸して、宿への後退を続けた。


「早くこっちに来い!」


 先に宿にたどり着いていた村人たちが、窓や屋上から、他の生き残りの後退を飛び道具で支援している。


「早く登れ! 階段を落とすぞ!」


 宿に入るための木の階段は、こんな時のために切り落とせるようになっている。斧を抱えた壮年の男が、手招きしてトランジックたちをせかした。

 倒れるように宿に転がり込んで、トランジックは中を見渡す。血を流し床に横たわるけが人、手当をする女子供、隅で震える若者。村奥の戦場から、無事に退避してきた者は多くない。


「もう少し待って! まだ外にいる人が!」

「もう待てん!」


 怒鳴り声がして振り向いた。そこには、ステラと斧を持った村人がやり合っている。


「これ以上待ったら、俺たちまで死ぬ!」

「そんな――!」

「ステラ!」

「――!」

「オズワルドの怪我を、見てやってくれ。――俺が行ってくる」


 トランジックは、オズワルドをステラに預けた。そして斧を持つ村人の肩を叩くと、その耳元で、周りに聞こえない小声でささやいた。


「俺が下で、生き残りの後退を支援する。だから少し、もう少し待ってくれ。――危ないと思ったら、すぐに階段を落としてくれていい」

「な……」

「……俺の事は気にするな」

「……あんた、どうして」


 どうしてこの村のために、流れ者の冒険者が命をかけるのか。


「――はは」


 そんなことはトランジックも知らない。


 この村が、自分の故郷に似ているから?

 自分の故郷も、オークの襲撃で滅んだから?

 ステラが、幼い頃に近所に住んでいた憧れのあの人に似ているから?


 そんなことは知るものか。ただ、今の自分が、そういう気分なだけだ。


「……ふん! 格好いいだろう? ――じゃあな! 頼んだぞ!」


 そう叫んで、トランジックは太陽の下に飛び出した。

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