46.The Horde of Orks
そして明くる日の朝、村人たちが待ち構え、それでいて永遠に来なければいいと思っていた襲撃は、突然に始まった。
――グララララララ!
朝もやの中、凄まじい吠え声がして、森から一斉に鳥が飛び立つ。
木々の間から湧き出るように、オークたちは姿を現した。
潰れた低い鼻に尖った耳。背丈はどれも、人間の大人よりも一回りほど大きい。分厚い筋肉に覆われた緑色の肉体には、白い泥で戦化粧のようなものが施され、首からは、何かの牙や骨で作られた首飾りを下げている。
手にはそれぞれ、不揃いな斧や棍棒、盾を持ち、簡素で醜悪な皮鎧を着ている者もいる。オオカミやイノシシの皮の他に――ヒトの皮さえ使っているのだろう。
「来たぞーッ!」
見張りの声と、非常事態を告げる鐘の音が響く。それを聞いた村人たちが、慌てて配置につくが、その間にも、森から出てきた魔物の数はどんどんと増えていく。
「こりゃあ……、一体、何匹いるんだ」
防壁の足場の上から、様子をのぞいたオズワルドが呆然とつぶやいた。彼自身も鉄製の兜をかぶり長剣を持って、戦いの支度を整えている。
二百か、それとももっとか。オークの数は、事前の偵察で聞いていた数よりも、はるかに多く見える。
オークたちは村を三方から囲むように展開しはじめた。人間には理解できない聞き苦しい言葉を叫びながら、足を踏み鳴らし、得物を盾に打ち付けている。村人たちを威嚇しているのだろうか。
「数もそうだが……、見ろ」
トランジックが指差した方向には、他のものより一回り大きなオークが、腕を組み、牙をむきだして立っている。
「ハイオークだ……。やけに大きな群れだが、あれがボスなんだろうな」
ハイオーク――。知能・肉体面で優れたオークが、群れの長となったものである。一般的に、率いている群れが大きければ大きいほど、その能力も優れているとされる。
あそこに見える個体は他のオークよりも浅黒く、引き締まった筋骨は、歴戦の傷に覆われている。
「見るからにやばそうな奴だな……。あんたなら勝てるか?」
「……それはやってみないとわからんな。――正直、勝算は低い」
トランジックの表情はひどく厳しい。それ程に手ごわい相手だということか。嘘でもいいから、問題ないと言って欲しかった。オズワルドの頭に後悔が浮かぶ。やはりこうなる前に、のたれ死にする覚悟で、村を捨てるべきだったのか。
「一人でやればだ。そんな顔をするなよ」
「――あ、ああ、すまない」
「あんたが村の中心だ。あんたがくじければ、村は終わりだ。顔を上げてくれ」
「分かった。……大丈夫だ」
「……そろそろ奴らが動き出す。あんたは皆に指示を出せ」
うなずいたオズワルドが村人たちを鼓舞し、気炎を上げる。それを開戦の合図と受け取ったか、オークの群れも前進を開始した。
トランジックは弓を構えた。先頭のオークに狙いをつけ、引き絞る。村人たちもそれにならった。
「――放て!」
そしてオズワルドが剣を振り下ろすと、ぱらぱらと矢が放たれた。
一方、村の中央、正門前の広場にステラは待機していた。
戦闘は既に始まっている。離れたところから、オークの叫びと村人の怒号が響いてくる。ステラは治癒術士として、ここに設置された救護所で怪我人が運ばれてくるのを待っていた。
村にいるわずかな女子供は、一番頑丈な建物――宿の中に避難している。その他は、老人すら武器を取って、この防衛戦に参加していた。
聞いている敵の数に対して、こちらの戦力の劣勢は明白だ。しかしこの数日で、できる限りの防備は施した。壁と空堀を盾に、飛び道具で応戦していれば、突進してくるしか脳のないオークが相手ならば、持ちこたえてくれるかもしれない。
だがそれは、大いに希望的な観測だった。
――もし、壁を乗り越えられたら……?
一匹でも敵の侵入を許せば、そこから雪崩のような崩壊が始まるだろう。数と膂力に勝るオークたちに接近されたなら、本職の兵士でもない村人たちに、それを押し返す方法などありはしない。
その時の光景を想像し、ステラの細い身体に震えが走る。
しかし、自分はもう引き返せないところにいる。今から逃げることなどできないし、また、そうするつもりも無かった。
――やっぱり、私も向こうにいたほうが……。
少しでも前線に近い場所で、救護に当たった方がいいのかもしれない。だからといって、むやみにここを離れることができない理由もあった。
伝令役の報告によると、戦いは村の奥――森に面した防壁を中心に行われている。そこに大群が押し寄せているのだという。村の戦力も、ほとんどがそこに集まっている。
だが、オークたちは前日まで、この村を包囲する動きを見せていた。昨日、街道からやってくるはずの荷馬隊が襲われたのが、その証拠である。汚らわしい魔物に、そんな知恵があるのかとステラは思う。しかし、油断はするなというのがトランジックの言だった。
あるいは彼は、ステラを戦闘から少しでも遠ざけるための方便として、そう言ったのかもしれないが。
「なあ、俺たちも――向こうに行ったほうがいいんじゃないか?」
「ダメだ! 持ち場を離れるなって言われたろ!」
彼女と共にこちら側に配置された村人は、若者が中心だ。彼らもステラと似たようなことを考えていたようだ。皆不安げにそわそわしている。
「だからって、裏が破られたらなんにもならないだろうが! 見ろ! 今だって――。え?」
「だからダメだって――。いっ……て……」
口論していた若者たちが、あっけにとられた声を出した。一人は村の裏手の方角を指したまま固まっている。何が起こったのか。あちらには宿屋があるが――。
――え?
そして振り向いたステラ自身も、とても奇妙なものを見た。
宿の方から、例の少女――アルフェが歩いてくる。昨日から姿を見なかった。
少女は以前から、村にとって奇異なものではあったが、それでも村人たちは、すでにその存在に慣れていたはずだ。ならばなぜ、若者たちは彼女を見て素っ頓狂な声を出したのか。その理由は一目見て、ステラにも理解できた。
血まみれになったものを脱いだのだろう。ステラは彼女がフードとマントを外したところを、初めて見た。
少女はあまりにも。そう、まるで異界から現れたかのように美しかった。
隠されていた長い白銀の髪があらわになり、まぶしいほどに輝いている。この距離からでも分かるなめらかな白い肌。恐ろしく整った顔立ちは、それでもまだ、あどけなさを残している。
――だが。
門を守っていた見張りの若者たちは、彼女が近づいてくると、何かに気圧されたように道を空けた。見るからに震えている青年もいる。
若者たちが何を恐れたのか、ステラには分からなかった。そう、彼女の位置からは、見えなかったのだ。
少女の荒んだ、恐ろしいまでに荒んだ、その目が。
「来た! こっちにも来たぞ!」
見張り台の上から響く声。
少女の出現により、奇妙な沈黙が訪れた場に、音が戻る。
「本当に来やがった! ――畜生!」
わめき散らす見張りの声が、若者たちを正気に返した。
「そ、そうだ! 配置につけ! 弓を構えろ!」
「わ、分かった!」
リーダー役の青年が皆を叱咤し、防壁に上らせる。だが、例の少女はその場を動こうとしない。
門を前にうつむき、両腕をだらりとぶら下げたまま、微動だにしない少女。彼女はいったい、何を考えているのだろうか。ステラからは、その立ち姿がとても危うげに見えた。
「やるぞ! 壁に付かれる前に、矢で数を減らすんだ!」
しかし今は、彼女に気をとられている時では無い。ステラは少女から目を切って、攻め寄せる魔物を見た。
敵の数はそう多くない。だが、こちらに配備されている村人の数はさらに少ない。
持ちこたえられるだろうか。門の前だけは空堀が途切れている。丸太を組み合わせて作られた門も、魔物の太い腕の前には頼りなく見える。ここにオークが殺到すれば、踏み破るのはそう難しく無いだろう。
村人たちは弓に矢をつがえ、緊張に身を震わせている。
――私だって……!
樫の杖を握る手に力を込め、息を整える。
専門は治癒術だが、戦闘用の魔術だっていくつか知っている。魔物とはいえ、殺生はためらわれる。しかし彼女もこの時代に、一人で巡礼の旅をしている人間だ。自衛のためにゴブリンと戦ったことだってある。
ステラは再度、戦う意志を固めた。
射かけられる矢を意に介さず、こちらに向かって疾走してくる緑色の塊。若者たちの弓の腕前は拙く、焦ってもいる。動く的にはほとんど当たっていない。わずかに敵に届いた矢も、盾ではじかれ、武器で打ち落とされている。肩に矢が刺さったオークもいるが、意に介さずに突進してくる。
「――すぅ」
深呼吸したステラは呪文を唱え、大気に漂うマナを練り上げながら形にする。
杖から発射されたのは、命中地点に轟音を発生させ、相手に衝撃を与えると同時に体の自由を奪う魔術だ。門の前でひとかたまりになったオークの群れめがけ、目に見えない魔力の塊が吸い込まれる。群れの一体に命中した魔力が、乾いた爆音を発生させた。
直撃したオークの体が仰け反り、そのまま倒れて動かなくなる。他のオークたちも耳を塞ぎ、一瞬だが動きを止めた。
「放て!」
その隙を目掛けて、再び村人たちが矢を放つ。その矢がオークの胴体に突き刺さっていく。
多くはないが、それでも敵の数を減らした。しかし体勢を立て直したオークたちは、倒れた仲間たちにもかまわず、村の門へと殺到した。彼らは次々と手に持った棍棒や斧で門を打ち叩き、押し破ろうとする。
「この野郎ッ! 離れろ!」
「石だ! 石を投げろ!」
「――【眠りの雲】! ――だめ! 効かない!」
村人たちは、弓から投石へと切り替え、応戦している。ステラも魔術で援護するが、オークの勢いは止まらなかった。
「……おい、ありゃ何だ!?」
畳み掛けるように、森の方から新たに十体ほどのオークが加勢に現れた。さらなる敵の出現に村人が声を上げたが、それだけではない。新たに現れたオークたちは、大人の腰周り以上もありそうな、先の尖った丸太を抱えていたのだ。
「破城槌のつもりかよ!」
「あれで門を破るつもりか!」
原始的な攻城兵器を使う知能まで持っているのか。どうやら自分たちは、敵のことを侮りすぎていたらしい。愚かな人間たちは歯噛みしたが、今更後悔しても遅すぎる。
丸太を抱えたオークたちは、勢いをつけてその先端を村の門に叩き付けた。一撃で門が傾ぎ、ステラたちが立っている足場までもが揺れる。
「丸太を持ってる奴を狙え!」
班長が指示を出すが、他のオークたちが盾を掲げ、それを防ぐ。
「くそッ!」
苛立った一人の青年が木壁から身を乗り出し、弓を引き絞って丸太を抱えるオークに狙いをつけた。
「これでも喰ら――え?」
しかしまさに矢を放とうとしたその瞬間、青年の脳天に斧が突き刺さった。オークの一体が投擲した斧が、過たずに青年の頭に直撃したのだ。噴水のように大量の血が噴き上がり、周囲の村人に降り注ぐ。青年の身体はゆっくりと傾き、空堀の中に落下していった。
「ひ、ひぃ!」
犠牲者を出した村人たちの動きが、明らかに悪くなった。死んだ青年の隣にいた若者などは、恐慌状態に陥っている。
「しっかりして下さい!」
すかさずステラが沈静の魔術をかけ、若者を落ち着かせる。彼女自身も犠牲者の血をかぶったはずだが、気丈にも折れずに村人を励ます。
オークによる手斧の投擲は、飛び道具による攻撃を阻害するのに十分な効果を発揮した。村人たちは自由に頭を出せなくなった。
そうしている間にも、オークたちによる破城槌の攻撃は続いていた。ずしんずしんと繰り返し響く衝撃に門は軋み、丸太と丸太を繋ぎ止める金具は、今にも弾け飛びそうになっている。
「――だめだ、破れるぞ!」
悲壮な声が響く。門を破られるのは時間の問題だ。そうなった時の自分たちの運命が頭をよぎり、村人たちはおののいた。
「後退しよう! もうここはダメだ!」
「弱音を吐くな! まだ裏の連中が持ちこたえてるのに、ここを抜かれたら――!」
「このままじゃここで死ぬぞ!」
「今更――」
若者の声を打ち消して、広場中に凄まじい音が鳴り響く。ついに門がはじけ飛んだ。
「ああ!?」
もはや防壁は用をなさない。後はオークがなだれ込み、内から外から、村を破壊し、人間を殺し尽くすだけだ。
もうもうと立ちこめる砂埃。魔物が侵入するのに十分な空間が開き、そこから様子をうかがうように、緑色の顔が覗いた。それは一瞬のことで、すぐにその空間からオークたちが入り込んできた。一番槍を争うように他の固体を押しのけて、群れの中で最も体格の良いオークが先頭に立つ。
「畜生! 後退だ! 宿に逃げろ!」
叫び声が響く。その声を待たずに、既に脱兎のごとく逃げ出している若者もいれば、腰を抜かして立つことさえできない男もいた。
「待ってください! あの子が!」
「諦めろ! 助からん!」
「――そんな!」
足場の下には、まだアルフェがいる。ステラが押しとどめようとするが、村人は乱暴な言葉遣いで、少女を見捨てる判断を下した。
「逃げて! そこにいちゃだめ!」
ステラの必死の呼びかけにも関わらず、アルフェは両腕を垂らした姿勢のまま動こうとしない。足場から飛び降りて、無理矢理にでも引きずろうと決心した時、ステラには彼女の表情が見えたような気がした。
一瞬だった。見間違いだったのかも知れない。
だが、彼女の顔には、ステラが今まで見てきたどんなものよりも、妖しく美しい笑みが浮かんでいたように見えた。
その次に何が起こったのか、正確なことはステラの目と常識では捕えきれなかった。ステラだけではない。その場にいた全員が、少女と魔物の間に起こったことを理解できなかった。




