表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第一節
47/289

45.死体を運ぶ娘

 村に来るはずの荷馬隊が襲われた。

 こんな辺境でも、外部とのやり取りはある。定期的に村が掘り出した岩塩を運ぶ荷馬車が訪れており、それはまた、食糧や鉄など諸々の、村では自給できない品を供給していた。

 その一隊が襲われた。襲ったのはもちろんオークだ。それが分かったのは、生き残りが一人、半死半生の状態で村に逃げ込んできたからだ。


「まだ生きてる奴がいるかもしれない! 助けてくれ! 頼む!」


 ここは、生き残りの男が運び込まれた宿の一室だ。ステラによる治療もそこそこに、男は床に手をついてオズワルドに懇願している。


「助けに行きましょう! まだ間に合うかもしれません!」


 ステラが声を上げる。放浪の治癒術士として、慈悲の心をもって村々を巡っている彼女としては、見過ごすことはできないのだろう。


「……助けたいのは俺たちも同じだ。だが……」

「そうだな。村には、その余裕は無い」


 言いよどむオズワルドの思いを、トランジックが代弁する。荷馬車隊の顔見知りである分、オズワルドの方は苦しそうな表情をしているが、トランジックは冷徹に、ばっさりと切り捨てた。


「でも――!」

「だめだ。これは奴らの挑発だ。オークもそれほどアホじゃない。減らせる敵は減らしてから、ここに攻め込もうと思ってる。どのみち、今から出て行っても間に合わない」


 なおも主張しようとするステラに、トランジックが無慈悲な事実を突きつけていく。オズワルドは何も言わないが、同じ意見なのだろう。見捨てられた格好になる生き残りの男は、いかにも哀れな表情で彼らを見ていた。


「――た、頼む。頼む! あそこにはまだ弟が……。あいつはまだ、死んでない! お願いだ!」


 例え今から助けに行ったところで、オークが残った人間をそのまま生かしておくわけはない。頼んでいる男だって、そんなことは重々承知だ。それでも彼は頭を床にこすりつけ、血を吐くような声を出して、必死にすがっている。


「……なら、皆さんが行かないなら、私だけでも――!」

「馬鹿を言うな!」

「ッ!」


 私だけでも助けに行くと叫びかけたステラを、トランジックが一喝した。

 ステラは貴重な治癒術士だ。村の誰よりも戦力的に価値がある。こんなことで犬死させるなど、あってはならない。トランジックの剣幕に、ステラはすっかり気圧されてしまった。しかし気丈にも、なお言いつのろうとステラが口を開きかけたその時、思わぬ方向から声がした。


「私が行きます」


 この部屋の中に、他に誰かがいるとは思っていなかった。一同は驚いて、一斉に声の方を振り向いた。


「場所を教えてください」


 細いがよく通る声。トランジックとステラは、初めて彼女の声を聴いた。


「――あ、あんた……」


 いつからいたのかと、オズワルドがうろたえた声を出す。

 トランジックは平静を装っていたが、内心はオズワルドと同じく動揺していた。

 今の今まで、この部屋には確かに、三人以外には誰もいなかった。大部屋だが調度も少なく、見通しのいい質素な室内。間違いなく誰もいなかった。いかに話に集中していたとはいえ、それなりに修羅場をくぐってきた冒険者のトランジックが、気付かないはずがない。


「ア、アルフェちゃん。こ、こんにちは……」


 そういったことは、ステラには分からなかっただろう。ステラは的外れな挨拶を少女に返した。しかし少女はそれに答えず、じっと彼らを見ている。

 そう、少女だ。トランジックと同じ日にここを訪れ、以来ずっと口も開かなかったアルフェと名乗る旅の少女が、まるで影のように部屋の隅に立っていた。


「私が行きます」


 場を支配していた沈黙を破り、アルフェがもう一度繰り返した。


 ――行く?


 いったいどこへ行くというのだ。他の人間たちには、最初、少女の言葉の意味が分からなかった。


「オークが現れたのは、どこですか」

「なっ――」


 オズワルドとステラが息をのんだ。

 思っていたよりも、ずっと大人びた、丁寧な言葉遣い。その声色から狂気を感じることはできないが、言っている内容はまさに狂気だった。たぶんステラよりも幼いこの娘は、自分が襲われた荷馬隊を助けに行くと言っているのだ。

 それを理解しても、ステラからは言葉が出なかった。このアルフェという少女は、やはり正気を失っているのだろうか。そう思うのは、相手に対して失礼なのかもしれない。だが――

 ステラ以外の二人も、何も言わない。オズワルドはただ、やはりという目をしている。――やはりこの娘は気狂いだったかと。トランジックは……、怯えている? 何に? いつもと変わらない表情の彼が、震えているように見えるのは、ステラの気のせいだろうか。


「――こ、ここから三里も無い! 南の街道の林のそばだ!」


 しかし、荷馬隊の生き残りの男にとっては、そんな彼女たちの動揺も関係なかったようだ。藁にもすがる思いからか、あるいはオークに襲われたショックと失血で、正常な判断力を失っているのか、男は襲撃の地点を口走る。


「分かりました」


 そして少女が、何のためらいも見せずに言葉を返す。部屋の中の誰も、彼女が踵を返して去って行くのを、止めようともしなかった。



 日が暮れようとしていた。

 オークは特に火を恐れるわけでは無いが、村人たちも、何もしないよりはましだと考えているのだろう。あちこちにありったけのかがり火が灯されだした。防壁の外に見える森を赤く染めていた太陽が、地平線に隠れようとしている。


「――今日も奴らは……来なかったな」


 トランジックがつぶやく。


「はい。ひょっとしたらもう――」

「いや、襲撃はある。必ずだ。奴らは、一度狙った獲物を諦めない」

「……はい」


 楽観的な言葉を口にしかけたステラ自身にも、それは分かっている。しかし彼女が言いたいのは、本当は別の事だ。


 ――あの子は、どうなってしまったんだろう。


 あれからすぐ、ステラたちが止める間も無く、旅の少女は村から消えた。いや、止める間も無かったというより、本当にあの娘が外に出ていくとは、誰も思っていなかったと言った方が正しい。アルフェがいなくなってからその事に気づいて、慌てて探しに出ようとしたステラを、オズワルドをはじめとする村の人間たちは、必死で抑えた。

 それが今日の昼前の話。もう、日が暮れようとしている。

 村人たちに、少女の安否を気にしている様子の者はいない。それはそうだろう。正気を疑われていた少女が一人、それが村から消えたところで、はじめから何も無かったことと同じだ。


「戻るぞ。見張りは他の奴に任せればいい」 


 それでも諦めきれない表情で、村の外を眺めるステラに、トランジックが声をかけた。


「はい……。……でも」

「夜風は冷える。万が一あんたが倒れたら、全員の士気がくじける」

「……分かりました」


 冷淡に聞こえる台詞だが、声音にはトランジックなりの優しさが見えた。

 明日も早い。防壁に続く階段を下り、村中央の広場から宿屋に入ろうとする彼らの耳に、ざわめきが聞こえてきた。――門の方からだ。


「……? 何でしょうか」

「……また何かあったのか」


 また、何事か不幸が起こったのか。

 顔を見合わせ、うなずき合ってから駆け出す二人。門の前に人だかりができている。人垣をかき分けると、そこには、


「生きている人は、いませんでした」


 あの少女がいた。


「お、お嬢ちゃん……、戻ってきたのか? 襲われなかったのか……? 何にも?」

「……」


 戻ってきたアルフェの前にいるのは、オズワルドだ。彼はこれまでで一番取り乱している。


 ――戻ってきた? ――どうやって? この村は魔物に包囲されているはずなのに。


 少女が無事に帰ってきたことに、喜びを感じている者はいないようだ。それよりもただ、村人たちは困惑した様子で彼女を取り囲んでいる。


「――お、お帰りなさい! 無事だったんですね!」

「……! ……」


 ステラが飛び出て、アルフェに駆け寄った。詰め寄るステラに、初めて彼女の表情が動いたような気がしたが、その気配はすぐに消えた。


「血が……! 怪我をしたんですか?」


 ステラの言うとおり、アルフェの衣服は血にまみれていた。彼女がいつも身につけているフードもマントも、赤黒く染まっている。


「……私のものではありません」


 そう言いつつ、アルフェが目をやった先を見れば、地面に一つの塊が転がっている。

 死体だ。見るも無残な人間の死体。ちぎれた足に、容貌が分からない程につぶれた顔面。損壊が激しく、かろうじて人の形を保っているだけだ。

 職業柄、死人や生傷は見慣れているが、それでもまだ年若い娘である。ステラがひっと息をのむ。しかしそれは一瞬の事で、すぐに毅然とした表情に切り替わったステラが、寝かされた死体のそばにひざまずく。

 何か施せる手はないか――それを確かめているようだったが、しばらくして、彼女はがっくりとうなだれた。

 当然だ。治癒術士の出る幕など無い。これをどうにかできるとしたら、そいつは神か悪魔だけだ。そんな顔をしている村人たちの輪の中に、荷馬隊の生き残りが連れられてきた。


「――ハンス! ハンス! うあぁぁぁぁ! 畜生!」


 ぐちゃぐちゃになった顔でも、兄にはそれが弟だと判別できたようだ。彼は振り絞るように弟の名を呼びながらくずおれ、地面に両拳を打ちつけている。


「――っ」


 ステラは呪文を唱え、死体の顔に手をかざす。死人に残されていたわずかな生命力の残滓が、治癒術の光に反応した。復元した表情は、安らかな寝顔とは言いがたかったが、それでもステラは哀れな犠牲者の目を閉じてやり、冥福の祈りを捧げた。

 村人が死体を運び、すすり泣いている兄をなだめ連れて行く。わずかな人数だけがそこに残った。見張りの人間とオズワルド。ステラとトランジック。――そして、血まみれの少女。


「死体を運んできてくれたのか。礼を言うよ」

「……いえ」


 落ち着きを取り戻したオズワルドの礼に対して、少女はにべもない反応を帰した。

 しかし、この小柄な少女が、本当に死体を背負って帰ってきたというのか。おそらく襲撃してきたオークたちは、既にその場にはいなかったのだろう。たとえそうだとしても、この娘が無事に帰ってきたのは、奇跡に近い。


「まあともかく、着替えなきゃな……。ひどい血だ」


 まったくもってその通りだ。彼女のかぶっているフードとマントは、べったりと血に塗れ、ひどく重そうに見える。これほどになるまでして、死体を背負って帰ってきた少女の苦闘を思い、オズワルドの目頭は熱くなった。目の前の少女は間違いなく気狂いだが、こんな優しさもあるのだと。


 ――しかし、その血の量は、一人分にしてはいささか、多すぎはしないだろうか。


 彼の頭には、ふとそんな考えがよぎったが、すぐ気を取り直して、娘を宿の方に促す。拒むわけでもなく、少女はそれについて行く。 

 それを見送ったステラが、トランジックに話しかけた。


「亡くなられた方の血で、あんなに汚れて……。ここまで戻ってこられたのは、神のご加護ですね」


 ステラは胸の前で両手を組んだ。


「……違う」

「え?」


 トランジックがぼそりと漏らした否定の言葉に、ステラは彼の顔を見上げた。

 何だか、苦い顔をしている。 

 「神のご加護」とステラが言ったのが、この男には気に入らなかったのだろうか。だがそれも仕方ない。とにかく冒険者の男というものは、不信心で斜に構えた現実主義者が多い。だから、ステラはその言葉を深く追求しなかった。


「……」

「……? どうしたんですか? トランジックさん、行きましょう」


 反応しないトランジックに怪訝な顔を向けながら、ステラはオズワルドの後について、宿の方に戻っていった。

 その後、トランジックは暗くなった広場で、一人立ち尽くしていた。


「……魔物の、血だ。あれは」


 呻くようにつぶやいた彼の言葉を、聞いた者は誰もいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ