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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第二章 第一節
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44.緑色の脅威

 翌朝、宿屋のホールには、切迫した物々しい雰囲気が漂っていた。そこには数十人の男たちの姿が見える。村中の男が集まっているらしく、手にはそれぞれ剣や槍などを握っている。彼らの表情は一様に沈痛だ。そして人々の輪の中心には、厳しい顔をした宿の主人が、腕を組んで考え込んでいた。


「こりゃ何だ? 騒々しいな」


 朝食を調達しに二階から降りてきたトランジックが、その様子を見て言った。


「ああ、すまないなお客さん。寄り合い中なんだ。食事はもう少し待ってくれ」


 主人が言ったが、彼は同時に何かに気付いたような顔をした。


「お客さんも、冒険者なんだろ? ちょっと話を聞いてってくれないか」

「……仕事の話か?」


 主人がうなずく。トランジックは人垣をかき分け、主人の前の椅子に腰掛けた。


「知ってるかも知れんが、今この村は、オークの脅威に晒されている」

「ああ、昨日聞いたよ。近くにオークの集落があるんだって? 何だってそんなところに村なんか作ったんだ」

「……集落を見つけたのは三ヶ月前くらいだ。村ができた時は、そんなものがあるとは知らなかった」


 主人が苦り切った顔をしている。


「それでも最近までは、何とかなってたんだ。でもあいつらにとって、ここはかなり目障りみたいでな、攻めてくるオークはどんどん増えてる。これまでも何度か小さな襲撃があったが、次は……、持ちこたえられないかも知れん」

「敵の数は? どれくらいだ」

「偵察に行かせた奴の話だと、集落にいるのは百は下らない。それも半月前の話だから、今はもっと増えてるかも知れん」


 それだけのオークの大群を前に、村の戦力がここにいるだけだとすると、相当絶望的な数字に聞こえる。


「それは……村を捨てた方が早いんじゃないか?」


 普通に考えればそうだ。

 だが、主人はすごい顔でトランジックをにらみつけた。


「それができれば……、そうしている」

「……そうだな。すまない」

「……いや」


 他に行くところがあれば、そもそもこんなところで暮らしていない。主人は言外にそう言っている。彼を取り囲む村人たちも同じ思いなのだろう。明るい顔は一つもない。


「次の大きな襲撃は……近い。俺たちはそう考えている。そこでだ」


 主人はトランジックに顔を向けた。彼は、藁にもすがるといった表情をしている。


「あんたも冒険者なんだろう? 手を貸してくれないか? もちろん報酬は払うさ。勝ち目は無いと思うだろうが……、それでもあんただって、このまま村を出て行ったんじゃ、あいつらの餌食に――」

「いいぜ」


 まくしたてる主人に、トランジックが短く答えた。引き受けてもらえるとは思わなかったのだろう。申し出た主人や、見守っていた村人たちの方が驚いた顔をしている。


「ほ、本当か?」

「ああ」

「あんた――……すまない。助かるよ」

「……まあ、それが俺の仕事だからな。見合った金を払ってくれるなら、引き受けるさ」

「本当にありがたい。……恩に着る。あんた、名前は? 俺は、ここの村長みたいなもんだ。オズワルドだ」


 感激した主人は、トランジックの肩を抱かんばかりにしている。苦笑しながらトランジックが答えた。


「トランジックだ。……歴戦の勇士ってほどじゃないが、それなり場数は踏んでるつもりだ。まあ、何か方法はあるさ。諦めることはない」


 おおという男たちのどよめき。

 本当にこれで何とかなると思ったわけではあるまいが、いかにも場慣れた様子のトランジックが味方になってくれたことで、ホールに集まった村人の緊張はいくらか緩んだ。


「そう言えば……」


 そこにトランジックが、何かに気づいたように声をかける。


「あんた“も”ってことは、冒険者が他にもいるのか? 手は足りてないんだろ。そいつにも手伝わせろよ」


 トランジックが言うと、主人は再び困った顔になった。


「い、いや、それが、いる事はいるんだが……」


 どもる主人が目を向けたホールの隅、今まで男たちの影に隠れて見えなかったが、そこには昨夜の少女が座っていた。


「……ああ、あの子もいたのか。気付かなかったよ。あの子がどうかしたのかい?」


 トランジックの視線の向こう、奥のテーブルにあの少女が座っている。一心に朝食の黒パンと向き合っているその目は、こちらを見ようともしていない。


「……あの子も冒険者だって言うんだ」


 オズワルドは、トランジックの耳に口を寄せてささやいた。


「……へぇ、本当かい? 見えないな」

「見えないどころじゃないだろう。まだ子どもだぞ? しかも女の子だ。……きっとここをやられてるんだ。可哀そうに……」


 人差し指で自分の頭を叩きながら、オズワルドが嘆く。この男の中では、彼女は気狂いで捨てられた、孤児ということにでもなっているようだ。

 少女の前に積み上げられた食事は、貧相だが量だけは多い。いたいけな娘を哀れんだこの男が恵んでやったものだろうか。だからと言って、あれだけ黒パンばかりを積み上げて、あの細い体のどこに入ると思っているのか。


「そうとも限らん。珍しいが、あのくらいの年の冒険者はそれなりにいるさ。例の治癒術士様だってそうだろうが」


 それでもオズワルドは納得のいかない表情をしている。それに構わずトランジックが続ける。


「やっぱりあの子は、一人でここに来たんだな。……結界の外をここまで。ってことは、それなりに腕に覚えがあるんじゃないか?」

「まさか、何を言ってるんだ」

「……ああ。改めて見ると、あの子の着けてる装備、あれはそう簡単に手に入る代物じゃない。それだけでも、ただ者じゃないってのは分かるよ」

「金持ちの娘って事かい?」


 改めてオズワルドは少女の身なりを見た。彼女はいまだにフードとマントで体を覆っているが、その下からのぞく脚甲などは、彼の目利きから判断しても、なかなか見事な品である。


「でも、武器の一つも持ってない。魔術士ってことか?」

「かもな……」


 曖昧な返事をするトランジックの言葉を、オズワルドはいまいち信じられないでいる。

 確かに少女は剣一本帯びていないように見える。このご時世、女子供とは言え、一歩街を出るなら護身用の武器を携えるのは常識だ。ましてこのような所まで来るのであれば。しかしそれも無い。やはりオズワルドには、あれは頭のおかしい娘にしか見えない。


「話を聞かせてまずい事も無いだろう? どのみち人手が足りないなら、何かやってもらう事はあるさ」

「……まあ、そうだな。じゃあ、後でちょっと話してみるよ」


 どうやらオズワルドも納得したようだ。それで少女についての話は打ち切りとなった。集まっていた男たちに指示を出し、持ち場に戻らせるオズワルド。トランジックが村の防備について確認したいと申し出ると、うなずいて共に出口に向かって歩みだした。

 扉をくぐる瞬間、トランジックはもう一度少女を一瞥した。さっきまでと同じように、奥の椅子にじっと腰かけている。彼女に特に変化はない。


 いや、そういえば、あれだけ積み上げられていた少女の前の黒パンは、いつの間にか、きれいに皿だけになっていた。



 オーク――。体毛の無い緑色の肌と、豚のようにつぶれた鼻。大の男でも、人間からは見上げるような巨体は、隆々とした筋肉で鎧われている。

 それほど珍しい魔物ではない。この帝国の人間にとっては、むしろありふれた隣人と言える。特殊な力は持たないが、その膂力をもって村を襲い、破壊と殺戮、略奪の限りを尽くす。異常な獣欲の持ち主で、村から気まぐれにさらわれた女が、しばしばオークの集落で凌辱を受け、彼らの子を身ごもるというのは、彼らの恐ろしさを伝えるためのおとぎ話なのか、それとも真実なのか。


 この村を狙っているのはそういう相手だ。しかし、この村が特別不運かというと、それは違う。こんなことくらい、結界の外ではどこでも、いつでも起こり得ることだ。


「失礼ですけど……、意外です」


 防壁の上に立つ治癒術師のステラがそう言った。横に並ぶ冒険者トランジックは、村の外を見たまま、表情も変えずに聞き返す。


「何がだい?」

「この村を、守ってくれるんですね」

「そんなたいそうなものじゃないし、守れると決まったわけでもないがな……。それが意外か?」

「いえ……、はい。善意で人を助けるような人には、見えなかったので」

「正直だな。お嬢さん」

「あ……すみません」


 その内容はともかく、出会った当初よりもずっと、二人は打ち解けた雰囲気で話をしている。


「金のためだ。村長には、いい額を保証してもらった。こんな辺境の村にしてはな」

「……そうですか。まあ、そうですよね」


 ステラは残念そうな顔をしたが、トランジックの言い分も当然だった。純粋な善意で他人のために命を捨てる者など、稀にしかいない。彼女が、そのごく稀な例外だというだけだ。


 防壁から見える村の様子は、数日で大分様変わりしている。あれ以来、トランジックは昼夜にわたって村の男たちを指揮しながら、防衛力の強化に努めてきた。

 できることは多くない。それでも共に矢を削り、土塁を積み上げている間に、トランジックと村人たちの間には、ある種の信頼関係が生まれていた。それはステラとて同じことだ。だからこそ、上辺だけでも「村のために」と言ってもらいたかったのだろうか。


「……俺が生まれた村も、こんなもんだった」

「え?」


 小さな声で、まるで独り言のようにトランジックがつぶやく。


「故郷さ……。結界の外でな。皆いつも、魔物に怯えていたよ」

「……」

「今はもう無いがな。ある日全部、無くなった」

「それは……」


 魔物に襲われたのだろう。よくある話と言えばそれまでだ。ステラには、かける言葉は見つからなかった。しかしステラにはトランジックの――このやさぐれかけた冒険者の心が、ほんの少しだけ、垣間見えたような気もした。


 二人の間に沈黙が流れる。空は晴れ渡っている。防壁の上で、さわやかな午後の風を浴びていると、魔物のことなど忘れそうになる。

 だが、オークの襲撃は近い。それは間違いがない。現に今も、トランジックが見ている森の闇の中からは、姿は見えないながら、こちらをうかがう魔物の気配が漂ってきていた。


「そう言えば私、あの子と話をしてみたんです」

「……へぇ、何か言ってたかい?」


 しばらく時間がたち、空気を切り替えるように、ステラがそう切り出した。

 “あの子”と言えば、今この村では一人しかいない。トランジックと前後してこの村にやってきた、「自称冒険者」の少女だ。フードで顔を隠している陰気で無口なその少女は、特に誰かと交わるでもなく、飯時の宿屋の食堂に姿を見せる。昼間は何をしているか見当もつかない。


「何も。……やっぱり、ご主人の言う通りなんでしょうか」


 ご主人とは、この村の村長兼、宿の主人のオズワルドのことだ。彼曰く、少女は気狂いのみなしごで、結界の外に捨てられたものが、偶然ここに流れ着いた。村のほとんどの住民の見解も、おおむねそれと一致していた。


「どうかな。俺はそう思わないがな」

「何か、話したんですか?」

「……いや」


 この村を訪れた際、オズワルドとわずかに言葉を交わしただけで、少女は他の誰とも会話していない。その声を聴いたものさえいなかった。

 ただ、オズワルドから聞いて、ステラたちは少女の名前だけは知ることができた。そう――アルフェ、と。


「あ、でも、石の話を聞きました」

「石? なんのことだよ」


 あまりに唐突な単語の出現に、トランジックは首をひねった。


「ヘクターさんがおっしゃってたんですが、村のはずれに大きな石があったんです。石というより、岩でした。私も見ました。大きかったです」

「それが?」


 ヘクターさんというのは、村人の一人だったろうか。ステラは殊勝にも村人全ての名前を覚えて、方々で励まし回っているようだ。それにしても、話が見えない。


「ヘクターさんが、つるはしでその岩を壊して、投げるのにちょうどいい大きさにしようと思ったそうなんです。でも、すごく硬くて……つるはしが折れてしまったんです」

「要点だけ言ってくれ」

「あ、すみません。それをあの子が見ていたんだそうです」

「……? ……それで?」

「よくわからないんです」

「……わからないのはこっちだよ」


 トランジックも、昼にあの少女が出歩いていた所を見たことはない。ステラはそれを言いたいのだろうか。

 だが、トランジックが辛抱強く聞いたステラの話をまとめると、このような話だった。


 矢が尽きた時、敵に投げつけるためにと、ヘクターは村のはずれにあった大きな岩を、手頃な大きさに砕こうとしたそうだ。それを件の少女が眺めていた。

 しかし岩はヘクターが思ったよりも硬く、つるはしを壊した彼は、修理のため、道具を取りにその場を離れた。ほんのわずかな時間だったそうだ。しかし戻ってくると、既に少女の姿はなく、代わりに岩が、完全に粉々になっていたのだという。


「あの子が手伝ってくれたんでしょうか」

「……どうやってだよ」

「そうですよね。だから、よくわからない話なんです」


 そう言ってステラは首を傾げた。彼女としては、雰囲気を変えるために、ちょっとした不思議な小話でもしたつもりなのだろう。

 しかし彼女は気づかなかったが、その話には興味が無さそうに、あい変わらず仏頂面で森の奥を見やるトランジックの首筋には、一筋の汗がうっすらとにじんでいた。

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