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【ひとつめの思い出】 道場破り

戻れない場所

 武芸者という人種がいる。

 剣や槍の技術を磨くために、諸国を放浪している者たちがそれだ。

 彼らは冒険者とも、また違う。冒険者は、日銭を得るために己の技を切り売りしている者たちのことだ。対して武芸者は、ただ己が強くなることにしか興味が無い――とは、武芸者側の主張であって、彼らもそれなりに、生きるために武芸を切り売りしていたし、武芸を鍛えて目指すところは、諸領での仕官といったところなのだから、やはり冒険者と武芸者は、そう変わり無い存在だった。


「御免! たのもー!」


 本日ベルダンの市門をくぐったこの男もまた、武芸者を自称する人間の一人だ。補修跡だらけの鎧に、腰に佩いた長剣。旅の汚れが、全身にまとわりついている。さして重要ではないが、この男の名は、カゲインと言う。

 彼は武芸者らしく、この新しい町に着くなり、武技の指南所を探した。指南所はどんな都市にも一つか二つはあって、町の腕自慢が集まっている。冒険者は人間よりも魔物を相手にすることが多い上、試合をしろと言ったらがめつく報酬を要求してくるから、人間相手に腕を試す時には、指南所を訪ねるのが適切だ。

 カゲインは、長年の勘でこの町の指南所が固まっている一角を探し出し、その内の一つの門前に立った。


「御免! ……御免!」


 しかし、こうやって大声で訪問を告げても、一向に反応がない。


「ちょっと! 誰かいませんかー!」


 業を煮やしたカゲインは、どんどんと力任せに扉を叩いた。そうしながら、はてと思う。ひょっとしたら、ここは無人の廃道場だったのだろうか。そう言えばこの建物の外見は、人が住んでいるとは思えないほどぼろ臭い。まずは手始めにと、一番貧相な指南所を選んだのが誤りだった。


「ねえ、ちょっと! 聞こえますかー!」

「はい!」


 ようやく扉が開いて、人が出て来た。かと思うと、カゲインは言葉に詰まり、目をむいた。

 応対に出て来たのは、銀髪の娘だ。傾いた小汚い指南所には不似合いな、美しい娘。まるでおとぎ話のお姫様だ。でなければ、どこかの貴族のご令嬢か。カゲインは一歩下がって、ここが城でも貴族の屋敷でもないことを確認した。うん、間違い無い。ぼろい建物に、武神流と書かれた看板。はて、武神流とはなんぞや。けったいな名前だ。


「お待たせして申し訳ありません」

「い、いや、大丈夫だよ」


 銀髪の少女は、気品の漂う丁寧な所作で頭を下げる。カゲインはうろたえた。

 これが道場主であるはずが無いから、多分道場主の娘か何かだ。


「あの、お嬢さん、ちょっとごめんね」


 意表を突かれたせいだ。カゲインは無骨な武人らしく振る舞おうと想定していたのを忘れて、なよなよした調子で娘に話しかけた。


「お父さんは居るかな?」

「……お父様……ですか? ……いえ」


 娘の目が、途端に険しくなった。カゲインを警戒しているようだ。いや、怪しい者じゃないんだと、怪しい者であるにも関わらず、カゲインは言い訳した。


「お父さんじゃないのかな? いや、別にお兄さんでもおじさんでもいいんだ。俺はこの指南所の先生に、用があるんだけど……」

「――! やはり、そうなのですね」


 娘は、今度は悲壮な表情になった。剣か槍かは知らないが、武術指南所の娘らしく、カゲインが何をしに来たのかを悟ったのだろう。


「うん、そうなんだ。悪いけど、ちょっと道場破りをしに来たんだ」

「はい、承知しておりま……道場破り?」

「うん」


 そう、カゲインはこの指南所に、ただ教えを請いに来たのではない。何を隠そう、彼の目的は道場破りだった。

 道場破りは、諸国を回る武芸者にとっては、一般的な金銭調達手段の一つだ。具体的な方法は以下である。まず適当な武術指南所を訪れて、そこの主と勝負させろとわめく。そうすれば面倒ごとを恐れて、少しの金品を包んでくれる。金を出さないなら道場内に乗り込んで、一人二人も打ちのめせばいい。

 相手が自分よりも強くて返り討ちに遭うことも当然考えられるが、帝都から離れたこんな田舎町で剣をやっている奴らの腕など、たかが知れている。どの指南所を選んでも大差あるまいと、カゲインは高をくくっていた。


「道場、破り……?」


 娘は腑に落ちない様子だ。道場破りの意味するところが分からない訳でもあるまいに。とぼけているのか。


「……あの、差し支えなければ、教えていただいてもよろしいですか? ……金額は、おいくらですか?」


 恐る恐ると娘が聞く。我が意を得たりとカゲインはほくそ笑んだ。いくら包めば帰ってくれるか。それを娘は聞いているのだ。

 だが、ここで安易にこれだけ寄越せと言ってはいけない。値上げを狙って、カゲインは交渉を試みる。


「それはお嬢さんと話すことじゃない。ここの主を呼んできてくれ」

「は、はい、そうですよね。本当にすみません、うちのお師匠様が……。今すぐに呼んで参りますので」


 娘は繰り返し頭を下げて、奥に引っ込んだ。道場破り相手に、えらく腰の低い娘だ。

 お師匠様とはなんだろうか。カゲインはちょっと首を傾げたあと、扉の隙間から指南所の中をのぞき込んだ。


 ――うお。


 カゲインは驚いた。大部屋の奥まった隅に、浅黒い塊が縮こまっている。


 ――何だありゃ。トロルか?


 奇っ怪な白い装束を着たボサボサ髭の男が、膝を抱えて座っているのだ。薄暗い場所で見かけたら、きっと魔物と見間違うだろう。

 さっきの娘は、てくてくとその筋肉親父に歩み寄ると、両手を腰に当て、上から何か言っている。

 遠いので、発言内容までは聞こえてこない。筋肉親父はシュンとした表情で、娘に言われるままになっている。どう見てもあれは、叱られているのだ。

 魔物ではなく、人間のようだ。もしかして、あれがここの主だろうか。それにしてもどえらい筋肉だ。カゲインが眺めていると、初めて娘の声が聞こえた。


 ――また借金なんかして! もうお師匠様なんか知りません!


 怒りの表情の娘は、そう言ってぷいと筋肉から顔を逸らした。筋肉はなんとも哀れな表情になって、娘の脚に取りすがり、どうにかご機嫌を取ろうとしている。


 ――じゃあ、早く道場破りの人に謝って下さい!


 しかし、娘がそう言うと、筋肉の表情が一変した。「道場破り?」と繰り返して、急に偉そうにふんぞり返った。


 ――道場破りだと? 借金取りではないのか?


 今度は筋肉の声が大きくなり、娘の声が聞こえなくなった。


 ――警戒して損をした! てっきり取り立てかと思ったのだが……、驚かせおって! ……いや、借金なんかしてない! してないって! 大家以外からは借りてない! ――あ! こらアルフェ! 怒るな!


 話はいったいどうなっているのだろう。何だかとにかく、娘と筋肉はわちゃわちゃしている。


 ――……何? そんな事も知らんのか世間知らずめ! 道場破りというのはだな、適当な道場の主をぶちのめして、金をせびる輩のことだ! もし金が払えないなら、代わりにこの道場の看板をいただく! とまあ、こうだ! 俺も昔は、路銀稼ぎによくやった!


 筋肉ダルマの説明を、銀髪の娘は目を見開いて聞いている。と思うと、次はそわそわしだした。


 ――心配することは無い! 入れてやれ! 何? お前まさか、俺が負けるとでも……。あん? 殺さん殺さん! 死なない程度に手加減する! ……え、お前が? いや、ダメだろ。お前の方が、手加減できないだろうが……。とにかく、入れてやれ!


 物騒な単語が響いてくる。あの筋肉はカゲインを見もしないうちから、軽く勝てる相手と決めつけているのだろうか。

 舐められたものだとカゲインは苦笑した。これでも俺は、帝都の一流指南所で修行を積み、帝国の腕自慢が集まる闘技大会で、準々決勝まで進出した実力の持ち主だ。見てくれだけの筋肉を膨らませた、小娘に叱られて泣きっ面になるような気弱な親父に、負けるはずがない。


「お待たせしました……」


 銀髪の娘が困惑顔で戻ってきた。


「あの、お師匠様が、道場破り様をお招きしております」


 様付けとはこそばゆい。困り顔でも、娘は美しかった。勝利の景品として、この娘を要求するのも有りかもしれない。カゲインの頭に、そんな発想が浮かびかけたほどだ。

 とにかく、相手がやる気になったのなら、あとはこっちのものだ。田舎者に実力を見せつけて、金をむしろう。いや、そもそもこの貧乏そうな指南所では、金は期待できないだろうか。それは問題だ。


「あの、道場破り様」

「なんだい?」


 上目遣いで話しかけてきた娘に、カゲインは真面目な表情を取り繕いながら返事をした。


「私、坂の下でお店を経営しているんですが」

「は?」


 いったい何の話だ。


「薬草なども一通り取り扱っておりますので」

「はあ」

「ぜひお立ち寄り下さい。おまけします」

「あ、はい」


 取りあえず素直に頷いたものの、何を言っているのか分からない。どうしていきなり、店の宣伝をされねばならんのだ。

 板張りの大部屋の中央では、立ち上がった筋肉親父が、バキバキ両手を鳴らしたあと、気味悪い顔で微笑んで、カゲインを手招きしている。やれやれ、相手を目の当たりにしても、その実力が読み取れないとは。田舎者というのは哀れなものだ。苦笑しつつ部屋に上がったカゲインに、殊勝な顔を向けた娘は、これまた意味の分からない言葉をかけた。


「お大事に……」



 そして、筋肉親父に素手で吹っ飛ばされたカゲインは、この世の広さを思い知った。


 勝利した筋肉――コンラッドは、わはははと豪快に笑って、ポーズを決めながら、「俺が恐れるものなど、この世に存在しない」と言い放った。


 そんな場面に、再び扉を叩く音がする。


「また道場破りか? 商売繁盛だな! 入れてやれ!」


 と、コンラッドは明確に調子に乗っていた。


「お師匠様! ローラさんです!」


 そう言われた瞬間、コンラッドは、ひええとわめいて道場の奥に逃げた。


 あの筋肉でも、恐れるものがあるのか。

 世界は広い。

 昏倒しているカゲインは、改めてそう思った。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >思い出が輝くほど今が辛くなるという、作者の主人公に対す >るサディスティックな思いが込められています。 そんなこと考えるよりせめてどんどん話を進めてほしい…… せっかく面白い物語を…
[良い点] 良い話でした。やはりコンラッドさんは生かしといて欲しかった。
[良い点] 師匠のお話が追加されてたー!楽しい! けど今を思うとちょっと泣けるまさに思い出
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