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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第七節
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38.サバイバル

 今回はいつもの採取と違い、コンラッドが戻るまで、何日でも森に留まり続けなければならない。マンドレイクを探す前に、しっかりとした拠点の確保をする必要があるだろう。

 まずは寝床だ。少し考えたが、アルフェは道中に寝泊りしたような木のうろを探しはじめた。

 魔の森最深部の木は、町周辺のそれとは違って非常に巨大で、歪んだ形をしている。アルフェが入り込めそうな穴はいくつか見つかったが、その中でも広く、入り口の狭いものを選んで荷物を運び入れた。


 ――保存食はまだあるけれど……。


 それはできれば、コンラッドが帰ってきた時のために残しておきたい。


 滞在がどの程度になるかは分からない。ここにいる間は、現地調達でやりくりしたいところだ。一番重要な水は、近くに小川がせせらぎになって流れているので問題無い。後は薪だが、ここは森の中だ、それは探さずとも見つかる。

 さしあたって野営地の作成を行ったアルフェは、早速目的の調査を開始した。


 マンドレイク――。それはヒュドラのような伝説の存在という訳では無い。限りなく希少だが、採取された記録はベルダンの冒険者組合にも残っていた。その根は強力な魔力を内包しており、あらゆる霊薬や呪術の媒介となる。引き抜けば叫び声を上げ、それを聞いた者を、最悪の場合死に至らしめるという逸話は、あまりにも有名だ。


 アルフェは今回ここに来るに当たって、薬草辞典を購入してきていた。写本で金貨五枚と非常に高額だったが、うろ覚えの知識で伝説の薬草を探すほどの自信は無かったからだ。

 生息する魔物についても、できるだけ情報を買ってある。ローラの命を考えれば、必要な出費と割り切れた。


 ――食べられる草を、見分けることも出来ますしね。


 もちろん、食料の確保も重要な理由である。


 ――森の中でも、日当たりの悪い湿気の多い場所……


 薬草辞典の情報を頼りに、アルフェは拠点周辺から少しずつ探索を行っていく。最初は地理を把握しながら徐々にだ。


 拠点の近くで魔物に遭遇した。以前に見た巨大ネズミに似ている。異なっているのは、全身が鋭い棘で覆われていることだ。魔物は森の草を食んでいる。魔物というよりは動物なのかも知れない。見ている限りでは、なかなか愛らしい外見をしている。

 しかしその魔物は、アルフェの存在を嗅ぎつけると、全身の棘を逆立てて発射してきた。アルフェは回避したが、棘は後ろにあった木の幹に深く突き刺さっている。侮れない威力だ。


 続けて発射された棘を腕甲で弾き、距離を詰めると、棘で覆われていない顔面に掌底を突き入れた。魔力を叩き込まれた魔物の頭部が爆散し、息絶える。


「さすがは森の最深部……。可愛らしい見た目でも、油断したらだめですね」


 本来ならここは、アルフェの力量で踏み込める領域から外れている。こんな風にたやすく屠れる魔物は、むしろ例外だろう。


 死体を残して、他の魔物を引き寄せるわけにもいかない。アルフェはその死体を野営地に持ち帰ると、解体して食料にすることにした。

 そのために、腰に挿した薄青のナイフを引き抜く。このナイフは、いつかの冒険でアルフェが倒したソードスパイダーの脚から削り出した物だ。彼女は再三マキアスに売りつけようとしていたが、買ってもらえなかったので自分用に加工した。軽く、切れ味が良いので採取などに都合がいい。


 魔物の解体は、その時の依頼に同行した、狩人見習いのマーガレットに基本を教わった。冒険者としては必須の技能だ。大ハリネズミの棘は、“かえし”が付いていて刺さると抜けにくくなっている。使えそうなので、肉だけでなく棘も何本か採っておいた。


 一日で野営地周りの地形はほぼ把握できたが、探索初日はマンドレイクらしきものを見つけることはできなかった。


 ――焦っては駄目……。


 もとより、一日二日で発見できるとは考えていない。確実に、少しずつ探索の範囲を広げていく。

 アルフェは毛布にくるまり目を閉じた。


 二日目は、拠点からさらに離れた地域を探索した。マンドレイクではないが、貴重な薬草をいくつか見つけた。全てを採取する時間は無いが、これも何かの役に立つかもしれない。

 少しだけと思って採取していると、新たな魔物に遭遇した。森の土が盛り上がり、歪な人型を構成していく。アースエレメンタルだ。


 エレメンタルは、マナが濃い場所ならばどこにでも生じる。アースエレメンタルは文字通り、土や鉱石が魔力によって変質した魔物を総称したものだ。

 その強さはエレメンタルを構成する鉱物の種類によって大きく異なる。目の前にいる敵は、ただの土がエレメンタル化したもののようだ。それほど威圧感は感じない。多少の数相手なら問題ないだろう。


 人型は十体はいる。薬草を捨てて立ち上がったアルフェは、近いものから順に拳と蹴りを打ち込み、次々と土人形を破砕していった。


「――ちっ!」


 体に何か、特殊な鉱石が含まれていたのだろうか、一体だけ強い個体が混じっていた。他のエレメンタルのように一撃では崩れ去らず、その個体はアルフェに反撃を加えてきた。二度三度と打ち込むと、ようやくただの土に戻ったが、思ったより手こずってしまった。


 ――師匠を避けて、魔物が寄ってこないというのは本当でした……。強力な魔物と遭遇する前に、マンドレイクを見つけないと……。


 彼女はエレメンタルを殲滅すると、手早く薬草を集めなおし、その場を離れた。これから探索を行うたびに、魔物に遭遇する危険は増していくだろう。早いうちに目標を達成し、できることなら、コンラッドが帰ってくるまで野営地に引きこもりたい。

 しかしその日の探索でも、目的の物は見つからなかった。


 森の朝は、町よりも空気が濡れていて、気温が低い気がする。小川の水は、底が明瞭に見えるほど澄んでいて、凍えるほど冷たい。目覚めたアルフェは、袋に汲んだ水を焚き火で沸かし、身体を拭いた。


 師匠は、もうに大山脈にたどり着いただろうか。彼女は身体を拭きながらその事を思った。


 改めて考えると、無茶な要求をしたものである。単独で大山脈に赴き、伝説の魔物の一体を倒すなど、限りなく不可能に近い。アルフェの知る限り、この世で最も強い人間であるコンラッドでも、それは同じだ。

 しかしアルフェは、彼ならばできると思った。だから思わず頼んでしまったのだ。無茶なお願いをした償いは、自分の仕事をこなすことで果たすしかないだろう。


「……よし!」


 アルフェは頬をたたいて気合を入れなおした。



 そのころ、アルフェと別れたコンラッドは、険しい山脈を駆け上っていた。


 ――やはり、無謀だったか。


 頭の中に、後悔がよぎる。弟子と別れてから、何度もよぎった後悔だ。


「――っはぁッ、はぁッ」


 立ち止まり、激しく息をつく。もう半日は駆け通している。彼の体力にも限界が来ていた。

 コンラッドは喘ぎながら、ローラを助けてくれと言った時のアルフェの顔を思い出している。


 ――俺も、買いかぶられたもんだ……。


 アルフェは自分を、超人か何かと勘違いしているようだが、それは違う。自分はただの人間だ。少しばかりは、腕に覚えがあるかもしれない。そこいらの人間や魔物には、絶対に負けない自信がある。

 だが自分は勇者でも天才でもない、ただの平凡な人間なのだ。走れば汗もかくし、息も切れる。


 甚大な魔力を孕んだ雷雲をまとう峻険な山々、果てなく広がる魔の森、周りに広がっている光景は余りに雄大で、コンラッドをしてさえ、己の無力さを痛感させる。人間の住む領域など、こうして見れば、大陸のごく一部でしかなかった。この中では彼一人程度、広大な空の星一つにも満たない。


 ここを人間が訪れること自体、間違いなのだ。ましてこの地で、いるかどうかも分からない怪物を探し出し、討伐するなど、正気の沙汰では無い。

 汗を地面に落としながら振り返ると、遥か眼下に黒い森が広がっている。その中央に見える巨大な木。彼の弟子は、今、あの下にいる。


「――ふうッ!」


 そうだ、あの馬鹿弟子が、自分を待っているのだ。コンラッドは息を整え、走れぬまでも、足を前に進める。


「っ!? ちッ!」


 のろのろと歩く彼を、羽を広げた巨大なルフ鳥の鉤爪が襲う。コンラッドはすんでのところでそれをかわした。

 風景に気を取られている場合ではなかった。幼体でも、優に人間の大きさを超える巨鳥、こんなものが、この山にはごろごろしている。


「墳!」


 くちばしで突きかかるルフ鳥の頭部に、最小の動きで掌打を見舞う。妖鳥が、羽をまき散らしながら墜ちていく。ここに来てからもう何度、こんな戦いを繰り返しただろうか。彼の通ってきた道には、強力な魔物の死骸が列をなしていた。


 ――何であいつは、俺なんかを信じられるのか。


 目の前の崖に手をかけ、よじ登りながら、森に残してきた弟子のことを思う。


 アルフェに話した通り、コンラッドは確かに、勇者に憧れて家を飛び出した。しかしそれは、ただの言い訳に過ぎない。

 彼はただ、居たたまれなくなって逃げただけだ。由緒ある騎士の血筋に生まれながら、剣も槍も使えない彼には、屋敷のどこにも居場所が無かった。


 ――代わりに身に着けたこの力とて、父には邪道と蔑まれ、兄の前には無力だった。


 ベルダンの町に来るまで、コンラッドは色々な場所を流れた。兄に勝てぬとしても、これだけの力があれば、きっと道は開けるはずだと、最初はそう考えていた。

 冒険者に身をやつした。依頼を受けて魔物を倒し、野盗や賞金首を狩って生活の糧とした。勇者とは言えなくとも、人々のためになると思って。――だがしかし、それで彼が感謝されたことは少ない。


 無手で容易く敵を葬る男は、どうやら化け物と同じ扱いしかされないらしい。彼はどこでも、奇怪なものに対するような、恐れを持った目で見られた。

 そのことがコンラッドには、たまらなく辛かったのだ。


 流れるうち、心が段々と荒んでいった。気が付くと、ただの無頼と化した自分がいた。


 ――そう言えば、大家と初めて会ったのも、あの頃だったな。


 アルフェが現れるずっと前から、あの町で自分に構い続けたのは、ローラだけだった。今よりも、ずっとろくでなしだった自分を、彼女はずっと、見放さないでいてくれた。

 なぜ彼女がそうしてくれたのかは分からないが、そのおかげで、自分はあの町で生きてこられたのだ。


 剣の様に尖った断崖、足を踏み外せば、彼と言えども死は免れない。


 それなのに、なぜこんなところで、自分は思い出に浸っているのだろう。汗にまみれたコンラッドの顔に、わずかに苦笑が浮かんだ。


 ――助からないなどと、言ってしまったが……。あいつには本当に、感謝せねばな。


 アルフェに言われて、ここに来なければ。それでただ、ローラが死ぬのを黙って眺めていたとしたら。

 その時は、アルフェの言う通りだ。自分はそれこそ、弟子にも顔向けのできぬ唾棄すべき男になっていただろう。


 ――助けてみせるさ……!


 崖をつかむコンラッドの手に、力がこもる。

 自分は今確かに、誰かのために己の力を振るっている。それを思うと、コンラッドの迷いは段々と消えていった。

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