33.衝動
地下室から、轟音が響く。
最初に動いたのは、短剣を抜いた男だった。彼は恐怖に突き動かされるように、わめき声をあげてアルフェに切りかかった。
少女はその場を動かず、片手でそっと男の剣筋を逸らした。体を崩された男の剣が床に当たり、がちんと高い音を立てる。
「――あっ」
それが彼の人生における、最期の台詞だった。
たたらを踏んだ男が見上げる位置に、幼さと冷酷さが同居した、銀髪の少女の顔がある。男がそれに見惚れた瞬間、彼の視界は暗転した。
腰をひねって放たれたアルフェの突きが、男の顔面に炸裂する。部屋の石壁に頭部が激突し、水の入った革袋をぶちまけたように、嫌な音を立てた。
「なっ……!?」
ずるずると壁に血痕を残して、糸が切れた人形のように、男の体がくずおれる。
「――って、てめぇ!」
さすがに他の二人も顔色を変え、すぐに武器を抜き放った。
短剣を抜いた男は、立ち上がったと同時に、傍のテーブルを蹴り上げた。上に乗ったカードをまき散らし、小さい粗末な木の机が、アルフェに向かって飛んでいく。
しかし、机が少女に命中すると見えた次の瞬間。逆にそれが、男の目前に飛んできた。投げ返したのか、蹴り返したのか、アルフェが何をしたかさえ、男には見えなかった。
「ぐぅッ! このッ! ――え?」
視界を覆った机を片手で叩き落とし、男は剣を構えなおす。その時には既に、懐に小柄な少女の体があった。胸に響く小さな衝撃。彼はただ、とん、と胸を掌で押されただけだ。それだけで、もう終わったという風に、少女は彼に背を向けた。
「ま――」
待てと言おうとしたが、言葉にならなかった。自分の身体に起こった変調に気づき、短剣を取り落として男は胸に手を当てる。
己の中で、破れてはいけない何かが破れる音がする。眼や鼻や口、顔中の穴という穴から血を流して、絶命した男はその場に膝をついた。
「……」
「ひっ」
アルフェは残る一人、棍棒を構えた赤ら顔の男を見つめる。男の酔いは引いてしまったようだ。今の彼は、酔いとは全く別の感覚に支配されている。
男の歯の鳴る音が、部屋中に響く。震えに負けて、武器を落とさないようにするだけで精一杯のようだ。
少女は無造作に、男に歩み寄る。
「ちょ、ちょっと待った。助け――」
アルフェはこの男の声を、それ以上聞こうとしなかった。彼女は魔力をまとわせた手刀を、男の首筋めがけて一直線に振り抜いた。
首から天井に向かって血を吹き出しながら、男の体が地面に倒れたのは、彼の頭が落ちてから、しばらく経っての事だった。
◇
「何だ! どうした!?」
四人の盗賊たちが、血相を変えて地下への階段を駆け降りる。彼らが上階でくつろいでいたところに、階下から凄まじい異音が響いてきたからだ。一瞬、地下にいる連中が喧嘩でも始めたかと思ったが、その音はとても、そんな生易しいものには聞こえなかった。
彼らが地下室の扉の前に到着したとき、音は既に止んでいた。扉を叩き、声をかけたが、中にいるはずの仲間からは返事が無い。
先頭の男が、後ろを振り向く。他の仲間と顔を見合わせうなずき合ってから、武器を抜いて扉を蹴破る。彼らが突入した地下室内に広がっていたのは、悪夢のような光景だった。
「――――うッ!」
血と酒の混じったようなすえた臭いが、盗賊たちの鼻腔を襲う。思わず顔を背けたくなるような、ひどい悪臭だ。
室内を見回せば、無惨に倒れた三人の仲間の死体。天井からは、ぽたぽたと血の雫が滴っている。そして中央には、床一面にできた血だまりの上に、裸足の少女が立っていた。
――っ! 幽鬼か!?
先頭の盗賊は、とっさにそう考える。結界内だからといって、地下牢に死んだ女を放置したのが不味かったのかもしれない。もしかしたらあれが、怨念によってアンデッドと化したのだろうか。死体を責めるのが趣味の仲間が、処理を渋ったせいだ。
だが、血だまりの中の少女は、霊体とは思えない現実的な存在感を放っていた。
「――あなたたちも」
そしてこれもアンデッドにはあり得ない、強い眼の光が彼らを刺す。
「“これ”の仲間ですよね」
「なに!?」
その声を聴いて、男は急に悟った。
魔物かもしれないし、そうではないかもしれない。だが確実に言えるのは、この女が、目の前の自分たちに対する、激しい殺意を持っているということだ。
その手に武器は何も握られていない。しかし間違いなく、転がっている仲間たちの命は、この娘が奪った。
「――おい」
目を据わらせた男が、後ろの二人に手で合図すると、彼らは素早く女を囲むように散開する。魔術を使える残りの一人は、男の後方、部屋の入口近くに陣取った。
外見は子供に見えるが、舐めてかかってはいけない。――これは危険な生き物だ。いくつもの修羅場をくぐってきた盗賊の勘が、全力でそれを告げている。
少女は少し首を回して、左右に広がった二人を見た。女の視点がもう一度、男の上で止まる。
――俺を……いや、狙いはダグか?
後ろにいるのは、自分たちの団の中では唯一魔術が使える男だ。陣形や装備から、相手はそれを看破したのかもしれない。
男が剣を握る手に、力がこもる。ぱちゃり、と水音を立てて、女が一歩前に出た。
――接近する……? 魔術士では無い?
何も持っていない女と、仲間の死体の状況から、相手も魔術士と決めてかかっていた。
魔術士ならば、詠唱の隙を狙い、一気に距離を詰めて倒すべきだ。しかし、この女は呪文を唱えるわけでも、距離を取ろうとするわけでもなく、自らこちらに近づいてくる。敵の行動の意図が読めない。
――このままじゃ後手に回る……。……よし。
前の二人に目配せする。先手必勝。相手が何であれ、数と勢いで圧倒するのが最善だ。
左右から、二人が同時に女に向かって突きかかる。
「おらァ!」「ふん!」
それで決まればよし、受けるか避けるかされれば、その隙に自分が斬りつける。後ろの魔術士も詠唱を始めた。
「げッ」「うおッ」
しかし前の二人は、剣で女を突いた瞬間、何をどうされたのか、鞠のように投げ飛ばされて壁にぶち当たった。
「なっ」
何が起こったと言う間も無く、目に映る女の体が拡大する。
――違う、懐に潜られた。この瞬時に? 女の拳が溜めを作る。受け――いや、受けてはいけない。避けなければ。
子供らしい、細い腕だ。奇妙な革の腕甲を付けているだけで、ナイフ一本握っていない。なのにどうして、この腕からこんなにも致命的な香りが漂ってくるのか。
「ぐぅっ!」
男はとっさに身をよじって、女の掌打をかわした。空気を切り裂く音がする。体勢が崩れ、男は血だまりの中に頭から倒れこんだ。倒れた彼を、ゴミでも見るような、冷ややかな女の目が追っている。
――殺られる――!?
「――【魔力の矢】!」
「ぶッ!」
男の頭に死がよぎった瞬間、魔術士の放った魔力の光弾が、女の横顔に命中した。魔術の矢は最も基本的な攻撃魔術だが、詠唱が短く済む上、棍棒で殴りつけたのと同じくらいの破壊力がある。
光弾が命中した部分に、血の赤がにじんでいる。――良かった、こいつは人間だったかと、場違いな感想が男の中に浮かんだ。
間を置かず、魔術士は次の魔術を用意する。周囲の魔力を集め、彼は手に光る矢を形成した。それがもう一度、女に向かって打ち出される。
「っ――せいッ!!」
気合声を出して、女は手の甲で魔力の矢を弾いた。光弾の軌道が反れ、天井に命中し破裂する。
魔力の塊を手で弾く――、これも信じ難い出来事だが、驚いている暇はない。倒れていた男は血だまりの中から起き上がり、膝立ちになって女の首を薙ぐ。しかしそれも、上体をそらされ回避された。
女が後ろに跳び、男と距離を空けた。
――間を仕切り直そうとしているのか? こっちとしちゃ、逆に都合がいいぜ。
男は再び魔術士をかばうように、すり足で位置を変える。先ほど娘に投げられた二人は――、起きる気配が無い。壁に当たった時、骨の折れる音がした。おそらくは死んでいる。
一瞬の攻防だったが、これではっきりした。やはりこれは、危険な生き物だ。殺らなければ、間違いなく殺られる。確信を持って、男は魔術士に合図した。
「……ダグ」
「――分かった」
魔術士が再び詠唱を始める。魔力の矢とは違う魔術だ。少し詠唱に時間がかかるが、正攻法では分が悪い。
「――!」
――今だ!
女の注意が魔術士に向いた瞬間、男は左手に隠し持っていた投げナイフを投擲した。
女の目を狙ったナイフが、先ほどの魔力の矢と同じ様に叩き落とされる。その隙を狙い、次いで男は持っていた短剣も、女に向かって投げつけた。
「食らえ!」
虚を突いたはずの攻撃、それさえも女はかわす。短剣は、衣を少し裂いた程度だ。しかし、これも男にとっては織り込み済みだ。
「ダグ! やれ!」
「【眠りの雲】!」
催眠の呪文――。受けた者に眠りをもたらす、単純な魔術。魔術士の放ったものはその中でも低位の術だが、こと戦闘においては、最も恐ろしい術でもあった。何しろ一度抵抗に失敗すれば、どんな達人であろうとも、簡単に息の根を止めることができるのだから。
「くっ……、このっ……!」
――十分!
眠りを誘う薄紫の雲が、女の顔にまとわりつく。眠らせることができぬまでも、発生した攻撃の機会は十分にあった。呪文を振りほどこうともがく敵に、床に落ちた剣を拾って腰だめに構えた男が、肩からぶち当たっていく。
「おらああああ!」
「ぬ……、がぁあああああああ!」
獣じみた気合声を上げ、女が両足を踏みしめた。その体を中心に、見えない波動が空気を揺らす。男は一瞬、それに圧された。
突き出された短剣は、女の肩をわずかに裂いた。それだけで、男の剣は手から落ちる。女の肘撃は、彼の鎧を陥没させ、その命を奪っていた。
「――なっ!?」
残された魔術士の男が、驚愕の声を上げる。彼が逃げる間もなく、その首に女の蹴りが叩き込まれた。
◇
アルフェは塔の最上階に向かって歩いている。その後には、点々と血の足跡が連なっているが、その血はもちろん彼女のものではない。
地下室以外の部屋にいた盗賊は、全て彼女が始末した。だが、そこにあるはずの盗まれた品々は無く、盗賊の指揮者らしき者もいなかった。残ったのは、この塔の上にある部屋だけだ。
最上階に着くと、そこにあった木の扉を開く。中にあるのは、廃墟の割には立派な部屋だ。床には高級そうな絨毯が敷かれ、壁際には、略奪品らしき物が無造作に積み上げられている。
「……なんだ、貴様は」
机の前の椅子に腰掛けていた男が、ぎろりとアルフェに視線を向けた。
髭面の、濁った目をした男だ。
「あなたがこの盗賊団の頭目ですか?」
「下の奴らは何をしてる。どこから入ってきた?」
下層での攻防の音は、ここまでは届かなかったらしい。男は慌てて立ち上がった。
「その質問に、答える必要はありません。あなたがここの頭目ですね?」
男は肯定はしないが、否定もしない。では、そういうことなのだろう。
アルフェがぺたぺたと歩み寄る。男は何が起こっているのか理解していないようだったが、それでも反射的に剣を抜こうとした。しかし、アルフェが柄頭を押さえ、その動きを止める。
次に男が何かを言う前に、少女の手刀が男の腹を貫いていた。
――終わりですね。
手についた肉片と血を振り落とし、アルフェは壁に積まれた戦利品を見やる。金貨や銀貨、価値のありそうな装飾品に、剣と鎧。
そうだ、と彼女は改めて思い出す。自分はこれを集めに来たのだ。自分の店で売るために。しかし――
アルフェは首を振る。こんな薄汚いものを、幼い少女に売らせるわけにはいくまい。やはり、地道に採集するのが一番だ。
――それに。
自分には、他にもっと運ばなければならないものがある。
そう思うと、アルフェは再び、地下の階段へと引き返していった。




