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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第六節
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31.野盗

 谷間の道を、一人の旅人が歩いている。

 徒歩の一人旅。なんと無謀な事か。どんな熟練の旅人でも、いや、熟練した旅人なればこそ、一人旅は絶対に避けなければならないというのに。


 ここは商業都市ベルダンの北西にある丘陵地帯で、結界の影響下にある。この世界の常識だが、結界には危険な魔物は入って来ない。つまり、脆弱な人間が魔物の害を避けて繁栄できるのは、目に見えない結界の中だけに限られるということだ。

 「都市」も「国」も、結界外に存在しているものは、ごく一部の例外を除いて存在しない。


 逆に言えば、結界の中でさえあれば、魔物に襲われる心配はほぼ皆無だ。それでもこの丘陵地帯で、旅人が単独行動を避けなければならない理由とは何か。答えは単純だ。魔物よりも恐ろしいもの――、人間が出るからだ。


 近年、この街道沿いには盗賊団が出没していた。その盗賊団は、丘陵地域の廃砦を根城にし、街道を通る旅人や隊商を襲う。彼らは食料から衣服まで、相手から奪えるものは何でも奪った。奪えるものが無い時でも、命だけ奪って去る。傭兵や冒険者崩れが集まった、残忍な一党だった。


 周辺の領邦から、何度か討伐軍が編成されたことはあったが、軍が現れると、賊は砦を捨てて散り散りに逃げる。起伏の激しい入り組んだ地形だけに、そうなってしまえば駆逐するのは容易ではなかった。

 この谷を迂回する道もあったが、そうすると旅程に数日の違いが出る。ゆえに、時間と危険を秤にかけた上で、ここを通ろうとする者も尽きなかった。


 盗賊団は、魔物の群れよりもはるかに狡猾・正確に、狙う獲物の力量を測る。


 最近では、どうしてもこの谷を通過しようという場合は、隊を組んで護衛を雇うのが常識になっていた。それでさえ、いざここを通過する時には、一度も止まらず、全速力で駆け抜けるように進む。のんきな徒歩の一人旅など、分別のある者がすることではない。


 ローブで身体を覆っているが、どうやら旅人は女のようだ。女が一人。これでは無謀を通り越して自殺行為だ。どうぞ襲ってくれと言っているようなものではないか。

 実際、その旅人は既に、盗賊たちに包囲されていた。ならず者とは言え、彼らの連携は十分に取れている。盗賊たちは、獲物には決して姿を見せぬようにしながら、段々と包囲の輪を狭めている。


 盗賊たちは、魔物よりもはるかに狡猾だと言った。

 あまりに襲いやすそうな獲物。これが彼らの被害に悩んだ、近隣の領主の罠である可能性も十分にあった。崖上の木々の隙間に、時折ちらちらと人の気配がするのは、賊の斥候が旅人の様子をうかがうとともに、伏兵の有無を確かめようとしているのだろう。

 しかしそんな旅人と盗賊の奇妙な道行きも、やがて打ち切られた。


「止まれ!」


 突然、旅人の行く手を遮るように、道の脇からわらわらと十人ほどの盗賊が現れた。どの顔も一様に凶暴で、薄汚れた面構えをしている。まさに盗賊然とした連中だ。

 鎧は概ね軽装で、手には思い思いの武器を持っている。正規兵のように統一された武装ではないが、どの武器もよく手入れされているようだ。


「お嬢ちゃん、一人旅かい?」


 集団の中から進み出てきた男が言った。鋲付きの革鎧を着て、一振りの短剣を手にしている。この中では明らかに三下という顔つきだ。声を掛けられた旅人は答えない。恐怖で言葉を失っているのか。


「いけないなぁ。このご時勢に一人旅なんて。この辺りには、危ない盗賊が出るっていうぜ?」


 三下が下らない冗談を飛ばしてくる。それに同調するように、周りの男たちが下卑た笑い声を上げた。


「危ねぇから、俺らと一緒に来てくれるかい。良いところに連れてってやるよ」


 盗賊たちは物を盗むが、人もさらう。足がつくので人買いに売り飛ばす真似はしない。主に自分たちで“楽しむ”ためにだ。


「なあ、お嬢ちゃん……、怖がってんのか?」


 男の短剣が、獲物の顎先をひたひたと叩く。しかし、フードで隠された女の表情は読めない。


「……なんとか言ってくれねぇと、張り合いがないなぁ……、そらッ!」


 男は剣先で、女のフードを跳ね飛ばした。その下の素顔が明らかになる。その瞬間、男たちがどよめきの声を上げた。女は少女というべき年齢だが、恐ろしく美しい。その少女が、無言で男たちを見つめている。口の端が少し笑っているように見えるのは、気のせいだろうか。


「……へっ、へへっ。こいつは上玉だ。……丁度“代わり”が欲しかったんだ。大人しく付いて来な」


 男が剣を持たない左手で、少女の肩を捕まえようとした。それを拒むように、彼女は右手で男の手首を掴む。精一杯の抵抗のつもりだろうか。


「――へっ」


 獲物の可愛らしい抵抗が、盗賊の嗜虐心を刺激する。男の顔にはりついた、いやらしい笑いが大きくなった。

砦に持ち帰ってからと言わず、いっそのこと、ここで楽しんでしまおうか。しかし、そんなことを考えている彼の顔を見て、なぜか少女はにこりと微笑んだ。


「……? へへ、抵抗せずに大人しくしてれっ、え? ……――うぎゃあああああ!? 

「ど、どうした!?」


 突如として絶叫した仲間に、今までにやついていた他の盗賊たちが激しく動揺した。


「手! 手がああぁぁあ!」


 そう叫ぶ男の手首の先が、だらりとたれさがっている。

 男の叫びは、ローブの下から突き出された娘の脚に中断された。それを胸に受けた男は後方に勢いよく吹き飛び、周りを取り囲む男たちを越えて、地面に力なく転がった。


 盗賊たちは少女を見、それから倒れて動かない仲間を見て、もう一度獲物の娘を振り向く。前方に伸ばされた彼女の右脚先には、銀色の鋼の脚甲が、太陽の光を反射している。何が起こったのか、彼らの頭では理解が追い付かない。


「……下衆」


 そうつぶやいて、その女がローブを脱ぎ捨てる。その下から現れたのは、奇妙な格好をした少女だった。



 ――なんだ。結構弱いんですね……。


 それなりに覚悟を決めて来たのだがと、アルフェは拍子抜けしていた。

今まで戦ってきた魔物に比べれば、この盗賊たちの攻撃は、どれも遅く、軽い。鍛錬などとは無縁なのだろう。叫びながら打ちかかってきた敵を三人蹴り飛ばしたが、アルフェはその場から動いてすらいなかった。

 四人目が倒れたところで、盗賊たちの動きが明らかに鈍った。彼らはアルフェを遠巻きにして、様子をうかがっている。


「来ないのですか? 来ないならこちらから行きますよ?」


 アルフェが一歩前に出ると、それに合わせて盗賊たちが一歩引き下がる。このような小娘相手に、男としての矜持もないのか――。アルフェの目は冷ややかだった。


 ――ふん。……ん?


 短くため息を吐いて、アルフェがさらに踏み込もうとしたとき、視界の端にきらめく物が飛来してきた。


 ――矢?


 アルフェはとっさに、それを腕ではじいた。崖上にまだ伏兵が隠れていたのか、二箇所から、矢が続けて射掛けられてくる。

 しかしアルフェの目には、風を切って飛んでくる矢の回転までもがはっきり見えた。彼女はその矢を二本とも、軽く腕ではじき落としてしまった。

 彼女の前腕には、革製の腕甲が装備されている。余った巨大甲虫の皮などを用いて、鍛冶屋に特注した新品だ。しなやかで軽い上に、防御力にも富んでいる。何の変哲も無い矢を叩き落す程度は、わけもなかった。


「……ば、化け物!」


 彼女を見ていた残りの盗賊たちが、そう言ってさらに後ずさる。


 ――化け物とは、失礼な人たちですね。


 そう心の中でつぶやきながら、アルフェは次に飛んできた矢を片手で掴み止めた。ミシリとへし折って、崖上をにらむ。矢が発射された位置の見当はついた。


「――えいっ!」


彼女は腰をかがめて足下の小石を二つ拾うと、崖上に向かって投擲した。矢とそれほど変わらない速度で、二つの石が飛んでいく。


「――ぐっ」


くぐもった悲鳴が聞こえる。射手に命中したようだ。気絶くらいはしただろうか。

伏兵を倒されて、周囲の盗賊たちの表情はさらに引きつった。


「――に、逃げろ! 退けッ! こいつは魔物だ!」

「畜生! どうしてこんなのが結界の中に!?」


 しかし彼らに逃げてもらっては、今日の自分の目的は達成されないのだ。


「は、速ッ――ゴフっ」


 アルフェは今度は自分から距離を詰め、逃げ惑う盗賊たちを一人一人仕留めていった。


「ふぅ」


 一仕事終えたとでも言うように、アルフェは息をついた。その周りには、十人程度いた盗賊が残らず地面に倒れ伏している。全員がわずかに身じろぎし、うめき声を上げているところを見るに、死んではいないようだ。


 ――もう、隠れている者もいないようですね。


 彼女の計画は成功というところだろうか。思った以上に上手くいったと、アルフェは心の中で自画自賛した。売る物が無いなら、ある場所から奪えばよい。治安も良くなって一石二鳥だ。後はこの野盗たちの装備を回収すれば、目的は完全に達成するが――。


「……」


 しかしその前に、盗賊の一人が気になることを言っていた。アルフェは適当な盗賊の一人に歩み寄り、肩を掴んで引き起こすと、活を入れる。


「がっ、ガハっ! ――……ゲホっ。な、なんだ、どうなったんだ!? ――! お前は――!?」


 意識を取り戻した男は混乱している。その目に浮かんでいるのは、得体の知れない少女に対する恐怖の感情だ。それに無視してアルフェは尋ねた。


「あなたたちは先ほど、私を『代わり』と言いましたね。……どういう意味ですか?」


 男の心を芯から凍らせるような声が、谷間の街道に小さく響いた。

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