29.昔話
「ここより先には、あまり店は無いけれど、どこに向かっているのかな?」
「さあなあ。デートなんだから、適当に人気のないところに行こうってんじゃないのか?」
「デート……。やはりこれは、逢引きなのですね」
「それ以外の何なんだよ」
「実物を、初めて見たので」
「ふーん」
そう言って気の無い風を装いながら、マキアスは少し安心していた。
今日のアルフェはどこかおかしい。いや、いつも変な娘ではあるが。それでも今日は、妙にはしゃいだり、急に大人しくなったり、浮き沈みが激しい。特にさっきは、この娘の表情に、確かに暗い影が走った。――そうだ、確か王国と大公領の話をしている時だ。
何事かと思ったが、どうやら今は元通りになったようだ。
「ああ、そうか、この先は彼女の家だよ」
はたと思い出したように、テオドールが言った。その言葉でマキアスも気が付く。この通りは、前に調査で来たことがある。
「え?」
「ハルコム女史の家さ、確かこの先にあるはずだよ」
「よくご存じですね。――と言うより、テオドールさんはローラさんのことをご存じだったのですか?」
「実はそうなんだ」
「この町を調べるのが、俺たちの目的だって言ったじゃないか。一通りの有力者とは顔合わせしているさ」
マキアスたちの言葉を聞いて、アルフェは少し拍子抜けした様子だった。
「教えて下さればよかったのに」
「教える前に、お前が俺たちを引っ張ってきたんだろうが」
むくれた表情をするアルフェに、マキアスは苦笑いした。初めて会った時よりも、ずっと彼女の表情は豊かになっている。十四か十五だったか。こうするとこの娘も年相応に見える。
歩いているうち、マキアスには、ここからローラ・ハルコムの屋敷までの道もはっきりと思い出せた。確かにアルフェの師匠とローラの二人は、そこに向かって歩いている。
「そろそろデートは終了ってとこかな」
あの歳の女が家まで男を連れてきたとなれば、じゃあ次は家の中で――となるのが普通だが、マキアスはそれをアルフェに言ってはいけない気がした。
それにアルフェではないが、商会長の娘が、よく分からん筋肉男をいきなり家に上げることはあるまい。
「満足したか? アルフェ」
「……はい」
「結局、何がしたかったんだ、お前は」
そしてしばらく歩くと、尾行対象の二人はあっさり目的地にたどり着いた。ローラ・ハルコムの屋敷は、実父であるベルダンの商会長の屋敷とは別に構えられている。女史の意向で規模は抑えられているそうだが、それでも十分に立派な建物だった。貴族の端くれであるマキアスの実家よりも、ずっとだ。
アルフェの師匠は、やはり屋敷の中に上がり込むなどということもなく、出てきた使用人に荷物を渡して解放された。三人がかりでも、使用人が荷物を持ち切れなかったところを見ると、あの師匠の荷物持ちの技量は大したものだ。
「じゃあ、今日はこれで解散するとしようか」
アルフェの師匠が去ったのを見届けてから、テオドールが言った。
変なことに付き合わされたが、これでアルフェも気が済んだだろう。それに、まあそこそこに自分たちも楽しかったのではないだろうか。そう思ってマキアスも口を開いた。
「そうだな……、俺たちも結局、買い食いしただけだったな。――ん? どうした。帰らないのか?」
マキアスとテオドールが踵を巡らせたのに、アルフェはじっと屋敷の方を見つめている。
「あの、今日はありがとうございました。……私はまだ用があるので、ここで失礼させていただきます」
何かを決めたようにマキアスたちの方を向くと、アルフェはそう言って一礼した。
「まったく……、あいつは何をするつもりなんだ」
アルフェをハルコム邸の前に置いて、マキアスとテオドールは、彼らが滞留している宿への道を歩いていた。
「……」
「まさかハルコムの屋敷に乗り込んで、直接師匠との関係を問いただすつもりじゃないだろうな」
あの娘ならばやらかしかねない。自分で言っておきながら、マキアスは心配になって今来た道を振り向いた。
「……でも、あいつもこんな事に興味を持つんだな。色恋とかそんなもんには、関心が無い娘だと思ってたよ」
「……」
「――まさか、ハルコムに嫉妬してるとか? いや、まさか」
しかし、そのまさかが有りそうな気がして、マキアスはまた振り向いた。
「あいつはああいうのが好みなのか……? ……おい、何だよ。俺ばっかりに喋らせるなよ。どうしたテオドール」
「ん? ああ、すまない。そうだな……、うん。アルフェさんのお師匠さんへの思いは、恋愛感情とか、そういうものではない気がするよ」
「……それで悩んでたのか?」
いや、と言ってテオドールが続ける。その顔つきはやけに厳しい。
「アルフェさんの師匠の顔を見て、少し気になったんだ」
「顔? 俺はあの髭しか気にならなかったが。お前だってそう言ってたろ」
「マキアス。彼は……、誰かに似ていると思わないか?」
「……誰かに、だと? 別に誰も……、ん?」
自分にはあのような変態的人物と似た知り合いはいない。そう言おうと思ったが、何かが記憶のどこかに引っかかった。
テオドールが指摘した通り、あの男はマキアスの知っている誰かに似ている。それも、彼らにとって、かなり身近な人物だ。
「髪も体型もそっくりだ。顔はよく分からなかったけれど……、髭を剃れば、多分」
特徴的な、少し浅黒い肌。それにあれほど長身の人間は、あまりいない。
「魔獣から助けてもらった時、あの時も彼の声を聴いて、そう思ったんだが――」
そこまで言われて、マキアスにもテオドールが考えている人物に思い当たった。
「そうか――。あれは」
「そう、あの人は、団長にすごく似ているんだ」
◇
二人の騎士と別れてからも、アルフェはローラの屋敷前の通りに立っていた。
彼女がしようとしていることは、マキアスが予想したこととそう変わらない。アルフェは正面から、ローラの屋敷を訪ねようとしている。
彼女はただ何となく、ローラと、お師匠様について話をしてみたかったのだ。
そうは思ったが、しかし中々踏ん切りがつかない。なので彼女は、まだこうやって立ちすくんだままなのである。
――よし。
だが、いつまでもここに立っている訳にもいかない。腹をくくったアルフェは、屋敷の門をくぐった。
「あの、すみません、ご主人は御在宅ですか?」
立派な扉の前に立つと、アルフェはノックをし、出てきた使用人に案内を乞う。約束の無い突然の訪問だ。追い返されても仕方あるまい。そう思っていたのだが、意外にもすんなり奥に通された。
アルフェはそのまま使用人に導かれて、ローラがいるという部屋の前まで来た。
「お入り下さい」
中から女主人の声が響く。良く通る、明るい声だ。
「失礼します」
アルフェは部屋の中に足を踏み入れた。本棚のある立派な書斎である。壁にはベルダンの市街図らしき絵が貼られていた。
この部屋からはあまり女性的な印象を受けない。どちらかと言えば男性的な、熱心に商売に打ち込む商人の部屋、という感じだ。
「あなた、アルフェちゃんね?」
入るなり、立って迎えた女主人はそう言った。入り口で、アルフェは自分がコンラッドの関係者であるとは伝えたが、自身の名前は名乗らなかった。
「は、はい。……あの、どうして」
「前に一度、会ったでしょう? あの人の家で」
「あ――、そうですね」
アルフェの頭に、平伏してローラに許しを請うコンラッドと、アルフェに微笑みかけて道場を出て行くローラの姿が思い出された。
「――それに、あの人が話していたから」
「え?」
「自慢のお弟子さんの話を。……そればっかり」
ローラはいたずらっぽく笑うと書斎のソファに腰掛けて、アルフェにも腰を下ろすように勧めた。
「だから一度、貴方と二人でお話してみたかったの」
「私とですか?」
ローラはコンラッドと出かけていた時とは別の服を着ている。室内用の簡素なドレスだ。
「あの人が、自分以外の人の話をするのは、初めてだったから」
そう言って、ローラは意味あり気な眼をした。
アルフェは、ローラが口にした「あの人」という言葉の中に、自分よりも長い間、二人が築いてきた関係が見えるような気がして、良く分からない気持ちに襲われた。
「大家さん、ハルコムさんは――」
「ローラでいいわ。座って」
もう一度勧められて、アルフェは腰を下ろした。使用人が入ってきて、茶と菓子を置いていく。
「……ローラさんは、いつからお師匠様とお知り合いなんですか?」
「いつからだったかしら……。そんなことを聞きたいの?」
「……はい。お願いします」
「……そうね、たまには、昔話もいいかもね」
少し目を閉じてから、ローラが再び口を開いた。
「あの人がこの町にやって来た時の話でもしましょうか」
ローラの口から、少し昔の出来事が語られ始める。アルフェは耳を澄ませて、その話に聞き入った。
「私がまだ、貴方と似たような歳のころね」
ローラがまだ十三歳だったころ、コンラッドはベルダンに現れた。その頃のコンラッドは、ひどく粗暴な男だったという。
「今もあまり、変わっていない気がしますが」
「ふふふ、そうかもね。……でも、あれでもあの人は、すごく変わったのよ?」
薄汚れた革鎧に、ボロボロのマント。それを身に着けた若い冒険者風の男が、ある日ベルダンの市門をくぐった。それがコンラッドだ。
「お師匠様は、冒険者があまり好きではないと……」
「……そう。そう言っていたのね」
冒険者風の男と言ったが、実際、彼はこの町に来た当初、冒険者の真似事をして生計を立てていた。いや、怪しげな商家の用心棒をしたり、喧嘩の助っ人のようなことまでしていたのだから、冒険者よりもならず者と言った方が適切かもしれない。
そしてその頃から既に、コンラッドは今のでたらめな強さを持っていたのだそうだ。
「……詳しいのですね」
「私の父のところに、苦情があったの。どうしても手の付けられない乱暴者がいるって」
その頃のコンラッドは、何かひどい鬱屈を抱えていた。そのためか、彼は怪しい仕事に積極的に手を出して、わずかな日銭を稼いでは、酒場で酔いつぶれる毎日を送っていた。暴力沙汰も日常茶飯事だったという。
そんなある日、因縁をつけたチンピラを半死半生の目に合わせた上、酒場で暴れ続けている男がいると、市議会議長を務める商会長、すなわちローラの父親に報告が行った。
その時初めて、彼女は彼の存在を知ったのだ。
「驚いたわ。熊みたいな男が暴れているんですもの」
「ご自分で、見に行かれたんですか?」
「お転婆だったのよ」
そう言って、ローラはまたいたずらな顔で微笑んだ。
「それで、どうなさったんですか?」
「ぶん殴ってやったわ。こうやって」
ローラが拳を突き出すしぐさを見せる。アルフェから見ても、明らかに遅い突きだ。
――どうしてお師匠様は、その遅い拳をかわせなかったのだろうか。
酒場にいたチンピラを、一人で全て叩き伏せた大男が、年若い少女に殴られた。その時のコンラッドは、いったいどういう表情をしたのだろうか。アルフェには想像できなかった。
「それから色々あって……、彼が今住んでいる家を貸したの。……あんな風に改造されるとは、思ってなかったけど」
「『色々』……ですか?」
「そうよ、色々。それは恥ずかしいから、また今度。でもね、今の彼はその時より……、ずっと穏やかになったわ」
「……」
「初めて会ったときは、怖かったんだから」
この町に来た当初のコンラッドは、ひどく荒んだ目をしていたという。まるで、この世界の何もかもが気に入らないという風に。
今のアルフェのお師匠様は、ガサツだが凶暴ではない。ローラが言う様に、彼がこうなるまでに、きっと色々なことがあったのだろう。アルフェの知らない、様々なことが。
「私たちのことは、これくらいでいいでしょう?」
ローラは照れくさそうにして、そこで話を区切った。
「次はあなたの話を聞かせて」
そう言って興味深そうに、彼女は長いまつげの眼をアルフェに向けている。
「……私ですか? 私はお師匠様の弟子で……、冒険者をしています」
「そうね、あの人に聞いたわ。でも、どうして冒険者に? その前はどこにいたの?」
「私も……『色々』あったので」
アルフェはローラと同じ言葉ではぐらかした。しかし言ってから、何だか子供っぽいやり方だったかと後悔した。しかしローラは、そんなアルフェの反応を受け流して、話を続けた。
「じゃあ、どうしてあの人の弟子になったの?」
「……お師匠様はすごい人です。……私を、助けてくれました。お師匠様の流派の素晴らしさを知れば、きっとみんな弟子になります」
「ふうん。――もしかしたら、すごいのは貴方なのかもね。私も昔、あの人に教えてもらったことがあるけど、あの人の言っていることは、全然できなかったわ」
「――そうなのですか?」
その事を聞いて、アルフェの中に少しだけ優越感が芽生えた。
「あの人は、昔よりずっと穏やかになったけど……、それでもずっと、寂しそうだった。でも今は、楽しそうに見えるわ」
「……それは、どうして?」
「多分、貴方がいるからね」
「――っ」
――そうなのだろうか。そう思って、いいのだろうか。
自分は必要とされているのだろうか。お師匠様への恩を、少しでも返すことができているのだろうか。それならば、嬉しい。アルフェの胸の内が、何となく暖かくなる。
なぜか顔を上げられなくなったアルフェを、ローラは微笑んで見ていた。
アルフェとコンラッドに関する話題はそれで終わったが、それからもしばらく、二人は話をした。この町のこと、ローラの仕事や家族のこと。ローラの話し方は巧みで、あっという間に時間が過ぎた。
窓から差し込む光が、鮮やかな紅に変わっていることに気付いて、アルフェは慌てた。突然訪ねて、ずいぶん長居をしてしまったようだ。
「すみません、急にお邪魔したのに、その上こんなに遅くまで。そろそろ失礼します」
「いいのよ。こんな話で良ければ、またしに来てちょうだい」
玄関までアルフェを見送ってきたローラは、そうそうと言って付け加えた。
「――お師匠様にも、残りの返済を忘れないように伝えてね」
「は、はい。すみません、うちのお師匠様が……」
――まだ借金が残っていたのですね……。
昔より優しくなったとは言っても、その辺りはまだまだのようだ。返事をしながら、アルフェは甲斐性のない師の事を思って身を小さくした。
「あ、そうだ。アルフェちゃん」
暇を告げて、その場を去ろうとするアルフェに、さらについでの様にローラが声をかけた。
「はい、何でしょうか」
「貴方のお店の許可は、出しておくからね」
意表を突いたローラの言葉に、アルフェは数瞬固まった。なぜ彼女が、そんなことまで知っているのだろうか。しかしすぐに、その理由に思い当たった。
「えっ、あっ。……お師匠様は、そんなことまで話したのですね」
「ええ、私は最初、貴方がそれをお願いしにきたのかと思っちゃった」
そう言えばそうだ。いつの間にか、すっかり忘れていたが。
「あの人の弟子なら、問題ないわ。――あの人にもお願いされちゃったしね」
そう言って、ローラは片目をつぶる。アルフェは素直に、彼女の厚意を受け取ることにした。
「ありがとうございます」
「それは私じゃなくって――」
「はい。お師匠様にも、そう言います」
「うん」
最初思っていた形とは違った結末になったが、帰り道を歩くアルフェの胸は、何となく晴れやかだった。




