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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第五節
29/289

29.昔話

「ここより先には、あまり店は無いけれど、どこに向かっているのかな?」

「さあなあ。デートなんだから、適当に人気のないところに行こうってんじゃないのか?」

「デート……。やはりこれは、逢引きなのですね」

「それ以外の何なんだよ」

「実物を、初めて見たので」

「ふーん」


 そう言って気の無い風を装いながら、マキアスは少し安心していた。

 今日のアルフェはどこかおかしい。いや、いつも変な娘ではあるが。それでも今日は、妙にはしゃいだり、急に大人しくなったり、浮き沈みが激しい。特にさっきは、この娘の表情に、確かに暗い影が走った。――そうだ、確か王国と大公領の話をしている時だ。

 何事かと思ったが、どうやら今は元通りになったようだ。


「ああ、そうか、この先は彼女の家だよ」


 はたと思い出したように、テオドールが言った。その言葉でマキアスも気が付く。この通りは、前に調査で来たことがある。


「え?」

「ハルコム女史の家さ、確かこの先にあるはずだよ」

「よくご存じですね。――と言うより、テオドールさんはローラさんのことをご存じだったのですか?」

「実はそうなんだ」

「この町を調べるのが、俺たちの目的だって言ったじゃないか。一通りの有力者とは顔合わせしているさ」


 マキアスたちの言葉を聞いて、アルフェは少し拍子抜けした様子だった。


「教えて下さればよかったのに」

「教える前に、お前が俺たちを引っ張ってきたんだろうが」


 むくれた表情をするアルフェに、マキアスは苦笑いした。初めて会った時よりも、ずっと彼女の表情は豊かになっている。十四か十五だったか。こうするとこの娘も年相応に見える。

 歩いているうち、マキアスには、ここからローラ・ハルコムの屋敷までの道もはっきりと思い出せた。確かにアルフェの師匠とローラの二人は、そこに向かって歩いている。


「そろそろデートは終了ってとこかな」


 あの歳の女が家まで男を連れてきたとなれば、じゃあ次は家の中で――となるのが普通だが、マキアスはそれをアルフェに言ってはいけない気がした。

 それにアルフェではないが、商会長の娘が、よく分からん筋肉男をいきなり家に上げることはあるまい。


「満足したか? アルフェ」

「……はい」

「結局、何がしたかったんだ、お前は」


 そしてしばらく歩くと、尾行対象の二人はあっさり目的地にたどり着いた。ローラ・ハルコムの屋敷は、実父であるベルダンの商会長の屋敷とは別に構えられている。女史の意向で規模は抑えられているそうだが、それでも十分に立派な建物だった。貴族の端くれであるマキアスの実家よりも、ずっとだ。

 アルフェの師匠は、やはり屋敷の中に上がり込むなどということもなく、出てきた使用人に荷物を渡して解放された。三人がかりでも、使用人が荷物を持ち切れなかったところを見ると、あの師匠の荷物持ちの技量は大したものだ。


「じゃあ、今日はこれで解散するとしようか」


 アルフェの師匠が去ったのを見届けてから、テオドールが言った。

 変なことに付き合わされたが、これでアルフェも気が済んだだろう。それに、まあそこそこに自分たちも楽しかったのではないだろうか。そう思ってマキアスも口を開いた。


「そうだな……、俺たちも結局、買い食いしただけだったな。――ん? どうした。帰らないのか?」


 マキアスとテオドールが踵を巡らせたのに、アルフェはじっと屋敷の方を見つめている。


「あの、今日はありがとうございました。……私はまだ用があるので、ここで失礼させていただきます」


 何かを決めたようにマキアスたちの方を向くと、アルフェはそう言って一礼した。


「まったく……、あいつは何をするつもりなんだ」


 アルフェをハルコム邸の前に置いて、マキアスとテオドールは、彼らが滞留している宿への道を歩いていた。


「……」

「まさかハルコムの屋敷に乗り込んで、直接師匠との関係を問いただすつもりじゃないだろうな」


 あの娘ならばやらかしかねない。自分で言っておきながら、マキアスは心配になって今来た道を振り向いた。


「……でも、あいつもこんな事に興味を持つんだな。色恋とかそんなもんには、関心が無い娘だと思ってたよ」

「……」

「――まさか、ハルコムに嫉妬してるとか? いや、まさか」


 しかし、そのまさかが有りそうな気がして、マキアスはまた振り向いた。


「あいつはああいうのが好みなのか……? ……おい、何だよ。俺ばっかりに喋らせるなよ。どうしたテオドール」

「ん? ああ、すまない。そうだな……、うん。アルフェさんのお師匠さんへの思いは、恋愛感情とか、そういうものではない気がするよ」

「……それで悩んでたのか?」


 いや、と言ってテオドールが続ける。その顔つきはやけに厳しい。


「アルフェさんの師匠の顔を見て、少し気になったんだ」

「顔? 俺はあの髭しか気にならなかったが。お前だってそう言ってたろ」

「マキアス。彼は……、誰かに似ていると思わないか?」

「……誰かに、だと? 別に誰も……、ん?」


 自分にはあのような変態的人物と似た知り合いはいない。そう言おうと思ったが、何かが記憶のどこかに引っかかった。

 テオドールが指摘した通り、あの男はマキアスの知っている誰かに似ている。それも、彼らにとって、かなり身近な人物だ。


「髪も体型もそっくりだ。顔はよく分からなかったけれど……、髭を剃れば、多分」


 特徴的な、少し浅黒い肌。それにあれほど長身の人間は、あまりいない。


「魔獣から助けてもらった時、あの時も彼の声を聴いて、そう思ったんだが――」


 そこまで言われて、マキアスにもテオドールが考えている人物に思い当たった。


「そうか――。あれは」

「そう、あの人は、団長にすごく似ているんだ」



 二人の騎士と別れてからも、アルフェはローラの屋敷前の通りに立っていた。

 彼女がしようとしていることは、マキアスが予想したこととそう変わらない。アルフェは正面から、ローラの屋敷を訪ねようとしている。

 彼女はただ何となく、ローラと、お師匠様について話をしてみたかったのだ。

 そうは思ったが、しかし中々踏ん切りがつかない。なので彼女は、まだこうやって立ちすくんだままなのである。


 ――よし。


 だが、いつまでもここに立っている訳にもいかない。腹をくくったアルフェは、屋敷の門をくぐった。


「あの、すみません、ご主人は御在宅ですか?」


 立派な扉の前に立つと、アルフェはノックをし、出てきた使用人に案内を乞う。約束の無い突然の訪問だ。追い返されても仕方あるまい。そう思っていたのだが、意外にもすんなり奥に通された。

 アルフェはそのまま使用人に導かれて、ローラがいるという部屋の前まで来た。


「お入り下さい」


 中から女主人の声が響く。良く通る、明るい声だ。


「失礼します」


 アルフェは部屋の中に足を踏み入れた。本棚のある立派な書斎である。壁にはベルダンの市街図らしき絵が貼られていた。

 この部屋からはあまり女性的な印象を受けない。どちらかと言えば男性的な、熱心に商売に打ち込む商人の部屋、という感じだ。


「あなた、アルフェちゃんね?」


 入るなり、立って迎えた女主人はそう言った。入り口で、アルフェは自分がコンラッドの関係者であるとは伝えたが、自身の名前は名乗らなかった。


「は、はい。……あの、どうして」

「前に一度、会ったでしょう? あの人の家で」

「あ――、そうですね」


 アルフェの頭に、平伏してローラに許しを請うコンラッドと、アルフェに微笑みかけて道場を出て行くローラの姿が思い出された。


「――それに、あの人が話していたから」

「え?」

「自慢のお弟子さんの話を。……そればっかり」


 ローラはいたずらっぽく笑うと書斎のソファに腰掛けて、アルフェにも腰を下ろすように勧めた。


「だから一度、貴方と二人でお話してみたかったの」

「私とですか?」


 ローラはコンラッドと出かけていた時とは別の服を着ている。室内用の簡素なドレスだ。


「あの人が、自分以外の人の話をするのは、初めてだったから」


 そう言って、ローラは意味あり気な眼をした。

 アルフェは、ローラが口にした「あの人」という言葉の中に、自分よりも長い間、二人が築いてきた関係が見えるような気がして、良く分からない気持ちに襲われた。


「大家さん、ハルコムさんは――」

「ローラでいいわ。座って」


 もう一度勧められて、アルフェは腰を下ろした。使用人が入ってきて、茶と菓子を置いていく。


「……ローラさんは、いつからお師匠様とお知り合いなんですか?」

「いつからだったかしら……。そんなことを聞きたいの?」

「……はい。お願いします」

「……そうね、たまには、昔話もいいかもね」


 少し目を閉じてから、ローラが再び口を開いた。


「あの人がこの町にやって来た時の話でもしましょうか」


 ローラの口から、少し昔の出来事が語られ始める。アルフェは耳を澄ませて、その話に聞き入った。


「私がまだ、貴方と似たような歳のころね」


 ローラがまだ十三歳だったころ、コンラッドはベルダンに現れた。その頃のコンラッドは、ひどく粗暴な男だったという。


「今もあまり、変わっていない気がしますが」

「ふふふ、そうかもね。……でも、あれでもあの人は、すごく変わったのよ?」


 薄汚れた革鎧に、ボロボロのマント。それを身に着けた若い冒険者風の男が、ある日ベルダンの市門をくぐった。それがコンラッドだ。


「お師匠様は、冒険者があまり好きではないと……」

「……そう。そう言っていたのね」


 冒険者風の男と言ったが、実際、彼はこの町に来た当初、冒険者の真似事をして生計を立てていた。いや、怪しげな商家の用心棒をしたり、喧嘩の助っ人のようなことまでしていたのだから、冒険者よりもならず者と言った方が適切かもしれない。


 そしてその頃から既に、コンラッドは今のでたらめな強さを持っていたのだそうだ。


「……詳しいのですね」

「私の父のところに、苦情があったの。どうしても手の付けられない乱暴者がいるって」


 その頃のコンラッドは、何かひどい鬱屈を抱えていた。そのためか、彼は怪しい仕事に積極的に手を出して、わずかな日銭を稼いでは、酒場で酔いつぶれる毎日を送っていた。暴力沙汰も日常茶飯事だったという。

 そんなある日、因縁をつけたチンピラを半死半生の目に合わせた上、酒場で暴れ続けている男がいると、市議会議長を務める商会長、すなわちローラの父親に報告が行った。


 その時初めて、彼女は彼の存在を知ったのだ。


「驚いたわ。熊みたいな男が暴れているんですもの」

「ご自分で、見に行かれたんですか?」

「お転婆だったのよ」


 そう言って、ローラはまたいたずらな顔で微笑んだ。


「それで、どうなさったんですか?」

「ぶん殴ってやったわ。こうやって」


 ローラが拳を突き出すしぐさを見せる。アルフェから見ても、明らかに遅い突きだ。


 ――どうしてお師匠様は、その遅い拳をかわせなかったのだろうか。


 酒場にいたチンピラを、一人で全て叩き伏せた大男が、年若い少女に殴られた。その時のコンラッドは、いったいどういう表情をしたのだろうか。アルフェには想像できなかった。


「それから色々あって……、彼が今住んでいる家を貸したの。……あんな風に改造されるとは、思ってなかったけど」

「『色々』……ですか?」

「そうよ、色々。それは恥ずかしいから、また今度。でもね、今の彼はその時より……、ずっと穏やかになったわ」

「……」

「初めて会ったときは、怖かったんだから」


 この町に来た当初のコンラッドは、ひどく荒んだ目をしていたという。まるで、この世界の何もかもが気に入らないという風に。

 今のアルフェのお師匠様は、ガサツだが凶暴ではない。ローラが言う様に、彼がこうなるまでに、きっと色々なことがあったのだろう。アルフェの知らない、様々なことが。


「私たちのことは、これくらいでいいでしょう?」


 ローラは照れくさそうにして、そこで話を区切った。


「次はあなたの話を聞かせて」


 そう言って興味深そうに、彼女は長いまつげの眼をアルフェに向けている。


「……私ですか? 私はお師匠様の弟子で……、冒険者をしています」

「そうね、あの人に聞いたわ。でも、どうして冒険者に? その前はどこにいたの?」

「私も……『色々』あったので」


 アルフェはローラと同じ言葉ではぐらかした。しかし言ってから、何だか子供っぽいやり方だったかと後悔した。しかしローラは、そんなアルフェの反応を受け流して、話を続けた。


「じゃあ、どうしてあの人の弟子になったの?」

「……お師匠様はすごい人です。……私を、助けてくれました。お師匠様の流派の素晴らしさを知れば、きっとみんな弟子になります」

「ふうん。――もしかしたら、すごいのは貴方なのかもね。私も昔、あの人に教えてもらったことがあるけど、あの人の言っていることは、全然できなかったわ」

「――そうなのですか?」


 その事を聞いて、アルフェの中に少しだけ優越感が芽生えた。


「あの人は、昔よりずっと穏やかになったけど……、それでもずっと、寂しそうだった。でも今は、楽しそうに見えるわ」

「……それは、どうして?」

「多分、貴方がいるからね」

「――っ」


 ――そうなのだろうか。そう思って、いいのだろうか。


 自分は必要とされているのだろうか。お師匠様への恩を、少しでも返すことができているのだろうか。それならば、嬉しい。アルフェの胸の内が、何となく暖かくなる。

 なぜか顔を上げられなくなったアルフェを、ローラは微笑んで見ていた。



 アルフェとコンラッドに関する話題はそれで終わったが、それからもしばらく、二人は話をした。この町のこと、ローラの仕事や家族のこと。ローラの話し方は巧みで、あっという間に時間が過ぎた。

 窓から差し込む光が、鮮やかな紅に変わっていることに気付いて、アルフェは慌てた。突然訪ねて、ずいぶん長居をしてしまったようだ。


「すみません、急にお邪魔したのに、その上こんなに遅くまで。そろそろ失礼します」

「いいのよ。こんな話で良ければ、またしに来てちょうだい」


 玄関までアルフェを見送ってきたローラは、そうそうと言って付け加えた。


「――お師匠様にも、残りの返済を忘れないように伝えてね」

「は、はい。すみません、うちのお師匠様が……」


 ――まだ借金が残っていたのですね……。


 昔より優しくなったとは言っても、その辺りはまだまだのようだ。返事をしながら、アルフェは甲斐性のない師の事を思って身を小さくした。


「あ、そうだ。アルフェちゃん」


 暇を告げて、その場を去ろうとするアルフェに、さらについでの様にローラが声をかけた。


「はい、何でしょうか」

「貴方のお店の許可は、出しておくからね」


 意表を突いたローラの言葉に、アルフェは数瞬固まった。なぜ彼女が、そんなことまで知っているのだろうか。しかしすぐに、その理由に思い当たった。


「えっ、あっ。……お師匠様は、そんなことまで話したのですね」

「ええ、私は最初、貴方がそれをお願いしにきたのかと思っちゃった」


 そう言えばそうだ。いつの間にか、すっかり忘れていたが。


「あの人の弟子なら、問題ないわ。――あの人にもお願いされちゃったしね」


 そう言って、ローラは片目をつぶる。アルフェは素直に、彼女の厚意を受け取ることにした。


「ありがとうございます」

「それは私じゃなくって――」

「はい。お師匠様にも、そう言います」

「うん」


 最初思っていた形とは違った結末になったが、帰り道を歩くアルフェの胸は、何となく晴れやかだった。

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