276.披露
選帝会議が始まる前に、全て済ませてしまおうということらしい。シモン・フィールリンゲルとロザリンデ・アイゼンシュタイン――二人のパラディンの婚約が正式に発表されてから、婚約披露のパーティーが催されるまでの時間は、慣例では考えられないほどの短さだった。
誰も経験したことの無い選帝会議と違って、婚約というのは紛れもない慶事である。パラディンという、帝国でもトップクラスの有名人同士の婚約について、帝都民は概ね好意的に受け止めたようだ。依然として嘆いているのは、シモンに思いを寄せていた若い婦女子たちくらいのものだった。
「でも、ロザリンデ様はお美しいしお強いから、シモン様とはお似合いなのかも……」
ある女子は、ハンカチを噛んで嘆き悲しんだ後、友人にそんなことを言った。帝都一の美男子で、かつパラディンという名誉ある地位のシモンと釣り合いがとれる女性など、帝国広しと言えどそうはいない。ロザリンデがシモンの相手ならば、何とか自分も納得できると。友人も同意した。
確かにそうなのかもしれない。だが、その類いのうわさ話をしていた女子たちの中で、実際にシモンかロザリンデと親交を持っている人物などいなかった。彼女たちは、せいぜいで何かの式典の際に、パラディンの面々を遠目から眺めたことがある程度だった。
シモンやロザリンデ個人の性格と嗜好について知っているのは、彼らに近い神殿騎士団の面々くらいだったのだ。
絶対に血を見る羽目になる。
婚約した両名を良く知る者として、同僚であるパラディン第三席のランディ・バックレイはそう評した。徹底した男嫌いであるロザリンデが、シモンとの婚約を承知するはずが無いと考えたからだ。ロザリンデならば、婚約解消のために愛用のハルバードを振り回すくらいはやるだろう。
だが、彼の予想に反し、婚約披露パーティーの当日まで、特に大きな問題は起こらなかった。婚約が発表されてからも、ロザリンデは通常のように勤務しており、その表情からは、不思議なほどに何の感情も読み取ることができなかった。
ランディは首を傾げ、これについてどう思うか、機会があれば当事者であるシモンに尋ねようと思ったが、シモンはロザリンデの父であるディートリヒとの打ち合わせのために忙しくしているようで、騎士団本部にはあまり顔を見せなかった。
帝都民の関心は、この話題に集まった。折も折、帝都には選帝会議に出席するために各地から諸侯が集まっていたので、パーティーは華やかなものになるに違いないと彼らは噂した。つまり市民たちは、この出来事を、選帝会議の前に行われる一種の前夜祭のように考えていたのかもしれない。
そしてあっという間に、パーティーは開催当日を迎えた。
今回の婚約は、シモンがアイゼンシュタイン家の婿になるという形をとっている。パーティーはロザリンデの実家、帝都にあるアイゼンシュタインの本邸で開かれた。
「……どうして、あなたなんかが私の護衛なの?」
ずいぶんとご挨拶なことだとランディは思った。「なんか」などとパラディンに言える娘は、帝国広しといえどもそうはいない。
歴々たる客人が集まった大広間で腕を組み、不機嫌を隠さない顔でそれを言ったのは、若干十三歳のトリール伯、レティシア嬢だ。トリールの紋章色でもある薄青色のドレスで装った彼女は、自分よりずっと身長の高い神殿騎士に対抗するように、胸を張って、むすりと彼をにらみつけている。
「レティシア様、そんな事を言わずに今日くらいは我慢して下さい。アイゼンシュタインは主催者なんですから、今夜は貴女の護衛に付くことはできません」
「そんな事は分かっています!」
そう言いながら、レティシアは不機嫌なままだった。それ以上どうなだめて良いか分からず、ランディは苦笑した。
彼がこの場でレティシアの傍にいるのは、彼女を護衛するためだ。騎士団総長のカールに頼み込まれ、ランディはこの任務をやむなく引き受けた。以前にトリール伯を護衛して欲しいと頼まれた時には断ったのに、今回は引き受けたのは、ランディの中にも少しだけ、カールに対する後ろめたさがあったからかもしれない。それに、つい最近まで、殺人や強盗などの血なまぐさい噂が帝都を騒がせていたということもある。
「護衛なら、ロザリィの部下の人たちだけで十分だったのに」
そっぽを向いたレティシアの聞こえよがしのつぶやきを、ランディは聞かなかったことにした。そして彼は、品定めするように周囲を見回し始める。
――……凄い面子だな。シモンの奴、張り切りやがって。――ていうか、張り切ったのはアイゼンシュタインの親父さんか?
広間にいるのは、そうそうたる顔ぶれだった。教会や神殿騎士団の重鎮はもちろんのこと、元老院議長をはじめ、有力な帝国諸侯が大勢集まっている。
何しろ、八大諸侯のうちの三人までがこの披露パーティーに参加しているのだ。ランディの目の前に立っているトリール伯レティシアの他、奥の椅子にはハノーゼス伯が座っている。その横でハノーゼス伯と話している少年は、どうやら件のノイマルク伯のようだった。
――あれが、例の……。
先代のノイマルク伯ルゾルフとは、ランディも面識があった。だが、あの脂ぎった親父と比べると、ノイマルク伯オットーは、やはりいかにも子供だった。あの少年も、ランディの横で不機嫌に頬を膨らませている少女と同じく、十三歳だと聞いている。その年齢に、伯という称号は不釣り合いだ。少なくとも、ランディにはそう思える。
「十三、か……」
「――? 何の話ですか?」
「……いいえ、何でも」
ランディの呟きに、レティシアが初めて関心を示した。だが、ランディが素っ気ない態度をとったため、気の強い少女は、再び頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。ランディはノイマルク伯オットーの観察を続けた。利発そうだが、細身で気の弱そうな少年だ。
――だが、神輿としては、むしろそれでいいって事か。
先代が暗殺された後、あの少年が周囲の者たちによって伯に担ぎ出されたのは、そういう側面も影響しているのだろう。
オットーの隣に座っているハノーゼス伯は、確か、既に六十を超えた老人である。背中こそ曲がっていないが、髪と髭は雪のように真っ白だ。そのハノーゼス伯が、柔和な笑みを浮かべてオットーと会話している様子は、ほとんど祖父とその孫の構図だった。
二人の伯の近くにも、当然のように護衛がいる。話の邪魔にならないように後方で立ったまま侍っているのは、神殿騎士が一人と、ハノーゼス伯の臣下らしい騎士の男が一人だった。神殿騎士のほうは、ランディにも見覚えがあった。名前は憶えていないが、騎士団でもそれなりに腕が立つ男のはずだ。信頼できる部下を、カールはオットーの守りにつけたという事だろう。
――で、隣のあれが……ハノーゼス伯お気に入りの近衛騎士か。
そっちの名前は憶えていた。自分たちパラディンに匹敵すると言われる人間を、流石にランディも忘れはしない。エルウィン・ラング。あれが、八大諸侯ハノーゼス伯臣下最強の男で、天才的な剣の使い手として名高い騎士である。貴族らしい品の良い顔立ち。整えられた金髪。一見優男のようだが、遠目にも隙が全く見当たらない。あれと比べると、隣の神殿騎士が頼りなく見えてしまうほどに。
いずれ開催される選帝会議では、八大諸侯は会議を行う円卓の間に、一人だけ護衛を伴う事が許されるそうだ。何でも、それが大昔からの慣習らしい。ハノーゼス伯にとっては、あの男がその護衛になるのだろう。
そんな風に、この会場には、政治的な意味での有力者に加え、「武力」という意味での実力者も多く混じっていた。武器を扱う者だけでなく、高名な魔術士も沢山いるはずだ。そう、さながらここは、選帝会議に向けての前夜祭とでもいうべき様相を呈していた。
ランディは拍子抜けした。ここに入り込んで何か狼藉を働けるネズミなど、そもそもこの世に存在しないだろう。つまり、自分がこの娘の護衛を引き受けたのも、要らぬ心配だったということになる。だが、いったん引き受けたものは仕方ないと、ランディはレティシアが他の来客と話している間、少し後ろに立ち続けていた。
そんな彼に、横から声をかけた青年がいる。
「ランディさん! 来てくれたんですね!」
「おお、シモンか」
それはまさに、この披露会の「花婿」であるシモン・フィールリンゲルだった。正装に身を包んだ彼は、満面を喜びの笑みで輝かせ、ランディに握手を求めてきた。この花婿は、長年の想いが叶ったことで、だいぶ浮かれているようだ。
「あ~、ロザ――……アイゼンシュタイン嬢は? 一緒じゃないのか?」
「ロザリンデさんは、お義父さんと一緒です。今は奥で、総長やヴォルクス様と話しているはずですよ。でも、広間に主催者が誰も居ないのは問題でしょう? だから、僕がここに」
「お義父さん? お義父さんねぇ……」
「何かありましたか?」
「いや、いいんだ。お前がそれで満足なら問題ない」
ランディはシモンの肩をポンポンと叩いた。シモンは、ホストとして来客たちに挨拶をして回っていたようだ。
「で? どうなんだ?」
「どうって? 何がですか?」
「あのじゃじゃ馬とは、上手くやっていけそうなのか?」
「もちろんですよ。何しろ、僕たちは愛し合っていますから」
「……ああ、そう。そりゃよかったな」
「婚礼の儀にも来てくれますよね、ランディさん」
「ん? あー……まあな、同僚だしな。呼ばれりゃ行くさ」
だが、その話をするのはさすがに早くないかとランディは思った。何しろ、決まったのはただの婚約なのだ。披露パーティーにこれほどの客を招いて既成事実化しても、実際に教会で婚姻を結ぶのは、通例だと数年は様子を見る。どんなに急いでも一年だ。シモンが変わり者だということを計算に入れても数か月。だが、ランディの予想に反し、シモンは婚礼の儀を行うのは来月だと言った。
「ああそう、来月ね。ん? らいげ、来月!? そりゃお前、ちょっと早すぎないか?」
「選定会議が始まる前に、全て済ませてしまおうって、お義父さんが。正式な日取りを、このパーティー中に発表します」
「……なるほど」
今、父親と一緒に奥にいるロザリンデは、どういう表情でカールやヴォルクスに応対しているのだろうか。
その時、ランディの心に少しだけロザリンデに同情する気持ちがわいた。あれは決してまともな娘ではないが、望んでいないであろう結婚を、こうも手早く進められたのでは、たまったものではあるまいと。だが、ロザリンデに拒否権はない。娘は父親に従うのは、この世における常識だ。特に、アイゼンシュタインのような名家ともなれば。
「初めまして、フィールリンゲル卿」
「初めまして、お目にかかれて光栄です、トリール伯」
ランディの隣では、お互いに猫を被ったレティシアとシモンが、笑顔で挨拶している。シモンはロザリンデ以外の女に興味がない――というより見下しているし、レティシアも、さっきのランディに対する態度からすると、それなりにじゃじゃ馬のようだ。それなのに、今の二人はそんなことを一かけらも表面に出さず、完全無欠の笑顔を浮かべている。あまりの白々しさに、ランディはやれやれと肩をすくめた。
それから、パーティーは特に異状なく進行していた。シモンはレティシアに挨拶したあと、他の八大諸侯や有力貴族のもとを回っていた。ランディが護衛するレティシアも、ランディをいないものと扱って、そつなく他の来賓との会話に混じっていた。
しかしそんな最中、ランディは目の端で変わった動きをとらえた。
――ん?
動きがあったのは、ハノーゼス伯とノイマルク伯のテーブルだ。そこで一瞬だけ慌ただしい表情を見せたのは、ハノーゼス伯の近衛騎士エルウィン・ラングである。小走りで寄って来た部下らしい者が、そのエルウィンに何かを渡し、耳打ちをした。すると、エルウィンの表情が、明らかに青ざめた。
ランディは、特にそれを不審だと思ったわけではない。ただ、ランディが目を離し、しばらくしてから再びハノーゼス伯のほうを見ると、そこにはエルウィンではない騎士が二人、伯に侍っていた。
「ランディさん?」
「――ん? ああ、わりぃ」
シモンに話しかけられ、ランディは彼のほうを向いた。
◇
「――……ならば」
ランディ・バックレイが、広間でシモン・フィールリンゲルと話していたのと同時刻。アイゼンシュタイン本邸の奥の間には、翠のドレスに身を包んで椅子に座るロザリンデ・アイゼンシュタインと、その背後に立つ父のディートリヒがいた。
「……お前とあの婿の息子ならば、パラディン筆頭の座にも手が届くはずだ」
さっきまで、この部屋には入れ替わり立ち代わり、教会や騎士団、議会の重鎮が出入りしていた。そして、最後に来たパラディン筆頭のヴォルクス・ヴァイスハイトが出ていくと、正装したロザリンデの父は、暗い声でつぶやいた。ディートリヒは元々愛想の良い人間ではないが、それでも、その声には何か、凝り固まった妄執のようなものが籠っている。
だが、心を半ば凍らせていたロザリンデの耳には、父の言葉は、どこか遠い世界の話のように聞こえた。
「……わかっているな、ロザリンデ。お前は男子を産みさえすれば、それでいい。お前は……あの女のようにはなるな」
あの女――ロザリンデの母は、女子であるロザリンデしか子どもを産まず、娘に対する夫の暴虐な振舞いに耐えかねて家を去った。ディートリヒはそのことを言っているのだろうか。
今夜はただの披露パーティーだが、選定会議が始まる前に全てを終わらせたいと考えたディートリヒは、ロザリンデとシモンの婚礼の儀の日付を、来月に定めてしまった。
ロザリンデにはディートリヒの思考が読み取れる。彼はそうやって、とにかく早くロザリンデに子どもを産ませたいのだ。それは、一日も早く孫の顔を見たいなどという微笑ましさとは無縁の願いだ。父の頭には、そうやって産ませたロザリンデの子を、産まれた瞬間から、最強のパラディンとなるべく育てようという、狂気的な執着しかない。
父にとってのロザリンデは、子をなすための単なる器であり、その婿として選ばれたシモンも、単なる種馬でしかない。
歪んでいる。だが、それがロザリンデの父という男だ。そしてロザリンデは、その父に絶対に逆らえない。無表情に空間を見る血の気を失ったロザリンデの顔は、人形のようにしか見えなかった。
「立て」
父に命令され、ロザリンデは無言ですっと立ち上がった。そして、作法に従いディートリヒの腕に手を置くと、しずしずと歩き出す。
ロザリンデが何を考えているのか、その表情からは読み取れない。ただこうしているあいだにも、彼女が最も望まない未来が、彼女の元に近づいているのは事実であった。
「……なんだ? 騒々しい」
客が集まっているはずの広間の扉が近づくと、ディートリヒがつぶやいた。確かに彼の言う通り、広間のほうが騒がしい。そこからは、宴の賑やかしさとは別種の気配が漂っている。
「なにがあった」
これはロザリンデの婚約披露のパーティーだというのに、父娘が広間に現れても、それに気付いた者は僅かだった。皆が皆、困惑と不安が入り混じったような表情で顔を見合わせ、何かを囁きあっている。ディートリヒはそこにいた家令に、険しい声で事の次第を尋ねた。
「だ、旦那様、それが先ほど知らせがありまして――」
そのとき、家令がディートリヒに耳打ちした衝撃的な内容は、ロザリンデの耳にも届いた。
「パラディンのケルドーン・グレイラント卿が、お亡くなりになられたそうです……!」




